https://blog.ebipop.com/2014/12/winter-basyou.html 【芭蕉が演出する劇「旅人と我が名呼ばれん初時雨」】 より
旅人と我が名呼ばれん初時雨 松尾芭蕉
よく知られた芭蕉の句であるが、中句の「我が名呼ばれん」の意味がイマイチわからない。
「呼ばれん」の「ん」は推量の助動詞か。
昔、推量の助動詞「む(ん)」には以下の意味があると習った。
(1)推量(~ダロウ)
(2)意志(~タイ)
(3) 勧誘・適当(~ナサイ、~ノガヨイ)
(4) 仮定・婉曲(~トシタラ、~ヨウナ)
これを「旅人と我が名呼ばれん」に当てはめてみる。
(1)推量:私は旅人と呼ばれるだろう。
(2)意志:私は旅人と呼ばれたい。
(3)勧誘・婉曲:私の名を旅人と呼びなさい。
(4)仮定・婉曲:私は旅人と呼ばれているようだ。
はたして、この四つのうちのどれか?
それは、次のように、この「旅の劇」の「場」と「登場人物」しだいのように思われる。
(1)旅行先:行く先々で出会う人々は、私を旅人と呼ぶことだろう。
(2)見送り人に囲まれたスタート地点:これから旅に出る私は、今ここで皆さんに旅人と呼ばれたい。
(3)旅行を計画中の家で:家の者よ、私を旅人と呼びなさい、気分はもう旅の空。
(4)旅の途中の町で:この町の人達からも私は旅人と呼ばれているようだ。
様々な場で様々な人達に自身が旅人であることをアピールし、それによって旅人としての自己を確認する主人公の姿が思い浮かぶ。
「呼ばれん」の「ん」には、推量の助動詞の、全ての意味が込められているのかもしれない。
おそらく、芭蕉の時代には、「推量の助動詞」などという概念は無いはず。
現代の「古典文法」は後世の解釈。
現代人では、計り知ることのできない世界が芭蕉の句にあったのかもしれない。
そこに「初時雨」が加わる。
初時雨は、場の演出。
旅人となるだろうという漠然とした予感。
探求者としての旅人でありたいという志。
多くの人々から、「彼は人生を旅人として生きた」と認められたい願望。
「時雨」は冬の季語。
冬の初めに、降ったり止んだり、短時間のうちに変化する雨のこと。
この時雨が降り出すと、厳しい冬の到来となる。
旅の始まりに初時雨とくれば、「冬旅の劇」に緊張感が加わる。
それが、劇を観る者に、臨場感を抱かせる。
もしかしたら初時雨は観客のことであるかもしれない。
初時雨(観客)よ、私を旅人と呼んでおくれ、私は旅人として生き続けるのだから・・・。
観客は、ドラマチックな旅人の人生を予感する。
芭蕉は、観客の視線を、そういう風に誘導する。
作者、主演、演出を兼ねた芭蕉シアター。
「冬の旅」の劇のはじまり、はじまり。
「神無月のはじめ、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、」
と主人公が語り始める。
「笈の小文」の旅が始まったのである。
旅人と我が名呼ばれん初時雨
https://blog.ebipop.com/2015/02/basyo-ise.html 【芭蕉の劇場「神垣やおもひもかけずねはんぞう」】 より
「笈の小文」には、この句の前書きは書かれていない。
ネットで調べていると、「芭蕉翁略伝と芭蕉連句評釈」という「書物」を見つけた。
「幻窓湖中 著(他)」とある。
その書には、前書きとして、次の言葉が添えられている。
「十五日、外宮の館といふ所にありて」
神垣やおもひもかけずねはんぞう
松尾芭蕉
「笈の小文」は、芭蕉が書いた紀行文と「句」を、芭蕉の没後、門人の河合乙州(おとくに)が編集し、1709年に刊行したもの。
水戸藩士である幻窓湖中の「芭蕉翁略伝」は1845年刊。
上記句の前書きを、芭蕉が実際書いたものかどうか、私には調べようもない。
「芭蕉翁略伝」にある前書きの「十五日」とは陰暦の2月15日のことと思われる。
その日は、釈迦入滅の日。
涅槃会(ねはんえ)が行われる日である。
その日、芭蕉は伊勢神宮の「外宮の館」というところで、掲げられた涅槃像(ねはんぞう)の絵を見たのだろう。
神宮が仏道を排除していると芭蕉は思っていただけに、意外な思いにとらわれて句に詠んだと思われる。
「芭蕉翁略伝」にある前書きに「外宮の館」と書かれているから、芭蕉は神域で「ねはんぞう」を見たことになる。
その驚きが句にあらわれているので、「芭蕉翁略伝」にある前書きは、「句」に合致していると思う。
「芭蕉は生涯に六度、伊勢参りをし、伊勢人との 交流は深く俳諧興行もしばしばおこなわれた。」と言われている。
出身の伊賀上野と、伊勢神宮とは比較的近い土地柄なので、幼少の頃にも家族で参拝したことがあったかもしれない。
なぜこんなにも、芭蕉は伊勢神宮が好きなのだろう。
以下は、あまり根拠の無い、私の「空想」である。
「笈の小文」の旅のスタートにあたって、芭蕉は「旅人と我が名呼ばれん初時雨」と「劇的」な句を詠んだ。
そしてそれが、芭蕉が演出する劇のはじまりだと、私は以前に書いたのだった。
芭蕉は、江戸・深川から伊賀・上野の生家にたどり着くまでに、私が「劇的」だと感じた以下の句を詠んでいる。
「劇的」とは、劇を見ているように緊張や感動をおぼえること。
「旅人と我が名よばれん初しぐれ」
「京まではまだ半空や雪の雲」
「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」
「冬の日や馬上に氷る影法師」
「箱根越す人もあるらし今朝の雪」
「旅寝して見しや浮世の煤払ひ」
「旧里や臍の緒に泣く年の暮」
これらの句は、演劇的であると同時に絵画的でもあると私は感じている。
芭蕉の句に、そういう感想を抱いていくうちに、私は芭蕉を「劇場」の詩人ではないかと考えるようになった。
私が考えた「劇場」とは、芭蕉が用意し演出した「劇場(情景)」に、観客(読者)の視線(イメージ)を、言葉によって誘導しようとする芭蕉の試みとでも言おうか。
その「劇場俳句術」を推し進めている旅の途上で、芭蕉は伊勢神宮という巨大な「劇場」に出会ったのだ。
前回でも書いたように、伊勢神宮は、神の存在を示す巨大な「劇場」である。
神の存在を示すための様々な儀式を完璧な演出で行う大空間。
浮世から遠く隔たった厳かさと清らかさに、「劇場」の詩人は、深い憧憬を感じたのかもしれない。
神の存在を見事なまでに演出しているその「劇場」を参拝することによって「劇場」の詩人は、自らの演出技術を高めようとしたのではあるまいか。
芭蕉が神宮を参拝することで、緻密で壮大な「劇場(天空)」と、個としての芭蕉の「劇場(地)」との対比が感じられて面白い。
そのように芭蕉が、神宮の空間に身をゆだねて、演じているのかも知れない。
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