https://blog.ebipop.com/2017/05/basho-kawazu.html 【なぜ芭蕉は「山吹」を退けて「古池」を思い浮かべたのか?】 より
松尾芭蕉の句として、もっとも世に知られている「古池や蛙飛び込む水の音」。
私はこのブログで、及ばずながらこの句のことを数度話題にしている。
その中で以下の三記事が、ちょっとではあるが踏み込んだ内容になっているのではと自分なりに思っている。
水の音で発見したもう一つの日常「古池や蛙飛び込む水の音」
なぜ芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」という句が面白いのか
なぜ「古池や」なのか、「古池」とは何か?
とは言っても、芭蕉の「俳論」や「書簡」の原典、蕉門の門人たちの「俳論」の原典を私が精査したわけでは無いので、芭蕉の俳諧に対する私の感想は、根拠に乏しい雑談の域を出ていない。
しかしこのことは、私が芭蕉の俳諧を読む楽しみ、芭蕉の俳諧に対していろいろな感想を持つ楽しみを妨げるものでは無いと思っている。
以前にも書いたが、「古池や・・・」の句の成立には、有名なエピソードがあるらしい。
そのエピソードの元となっているのは、芭蕉の門人である各務支考(かがみしこう)の俳論「葛の松原(くずのまつばら)」であるとされている。
「葛の松原」の原典は、「愛知県立大学図書館 貴重書コレクション」のサイトの「古俳書」>「葛の松原」で見ることができる。
見ることはできてもあの崩し字では、残念ながら私には読めない。
インターネットや松尾芭蕉の解説本からの私の聞きかじりでは、そのエピソードの内容は下記の通りである。
はじめは、中七と下五の「蛙飛び込む水の音」だけができていた。
芭蕉は、上五がどうにも思いつかないと門人たちに打ち明けた。
門人のひとりが「山吹や」を提案。
芭蕉はこの案を退け、自身で「古池や」を思いつき、上五をこれに決めた。
※この門人は、宝井其角であると言われている。
このエピソードは、何を物語っているのだろう。
それは、「山吹や」ではいけないということではなく。
「古池や」がよいということでもなく。
芭蕉が其角の提案に耳を傾けたら、「古池や」が思い浮かんだということではないだろうか。
と、これはあくまでも私の憶測に過ぎないのだが。
「山吹」と「蛙」の組み合わせは、江戸時代末期の浮世絵師「歌川広重」の「山吹に蛙」の絵で見ることができる。
歌川広重は、寛政九年(1797年)の生まれ。
元禄七年(1694年)に亡くなった芭蕉からは約百年後に生まれた人である。
歌川広重は、「名所絵」として数多くの「歌枕」を絵に描いているので、短歌の「雅」の世界にも通じていたものと思われる。
広重の「山吹に蛙」は、当時の「雅」の一場面を絵に表したものなのだろう。
松尾芭蕉が江戸深川の芭蕉庵で「蛙合(かわずあわせ)」の興行を催してから約百年後でも、「山吹」と「蛙」の組み合わせが短歌的な抒情を漂わせるものとして残っていたのである。
とすれば、芭蕉が活躍していた時代では、その雰囲気が濃厚だったことだろう。
芭蕉は「句合(くあわせ)」の一番手だった。
一番手は、スタンダードな句風のほうが良いのでは、と其角は思ったのだろうか。
それで、上五に「山吹や」を提案した。
その提案に、芭蕉はどう思ったのか。
「さすが其角、模範的な解答であるな。」と思ったのか、「其角にしてはありきたりで面白みが無いな。」と思ったのか。
それはそれとして芭蕉は、「山吹」と「蛙」の取り合わせを排して「古池や」と打ち出した。
芭蕉は「山吹」と「蛙」を、「松」に「鶴」や「月」に「雁」のような、日本古来からの伝統美の延長のように思ったのかもしれない。
なぜ芭蕉は「山吹」を退けて「古池」を思い浮かべたのか?
「山吹」という澄んだ古典の世界から「古池」という俗っぽい現実の場所へ、芭蕉は俳諧のハンドルを切ったのかもしれない。
その発想のきっかけとなったのが其角の「山吹や」の提案ではなかろうか。
私は、上記エピソードから、そういう感想を持った。
一方、「古池や蛙飛び込む水の音」の句に接した世間の読者はどうだったのだろう。
平明な言葉。
わかりやすいイメージ。
庶民的な題材を選んだ意外性。
「古池」と「蛙」の、当時としては斬新な取合せ。
今ここで聞こえた「水の音」は、難解な「古典の世界」からの音では無くて、「古池」というどこにでもありそうな場所から芭蕉の耳に届いたもの。
松尾芭蕉は、「古池や蛙飛び込む水の音」の句を詠んで、芭蕉流である蕉風に開眼したと言われている。
それは、句を読む側である世間が、この句の意外性や斬新さに驚いて、これが芭蕉流なのかと思ったからではないだろうか。
「歌舞伎」や「新派」の芝居が中心だった明治時代末期の演劇に、「新劇」が出現したときのような驚きで、当時の世間は芭蕉の「古池や・・・」の俳諧に驚いたに違いない。
この句は芭蕉43歳頃の作。
このあと芭蕉は、44歳で「笈の小文」の旅、45歳で「更科紀行」の旅、46歳で「おくのほそ道」の旅と、続けて「句作の旅」に出ている。
「古池や・・・」以後芭蕉は、意外で斬新な「水の音」を追って旅を続けたのではあるまいか。
これが、いままでとはちょっと違う視点で「古池や蛙飛び込む水の音」を眺めてみた私の感想である。
最後に蛇足だが芭蕉庵について一言。
掲句は、貞享三年刊の「蛙合(かわずあわせ)」が初出となっている。
「芭蕉年譜大成(今榮藏著)」によれば、貞享三年の春に芭蕉庵において蛙の句合を興行。
その参加者は、四十名とある。
小さな庵をイメージしていたのだが、四十名も入るなんて。
芭蕉庵は、けっこう広かったようである。
https://blog.ebipop.com/2013/07/idea-huruike.html 【水の音で発見したもう一つの日常「古池や蛙飛び込む水の音」】 より
「水の音」が、まずあった。
それが、「蛙飛びこむ」という生々しいイメージを生んでいる。
「水の音」は、やがて「古池」の、つんと泥の匂いがする岸辺に、私を連れて行く。
その古池の周辺からは、泥の匂いとともに、むっとするような草いきれも感じとれる。
「水の音」が、匂いと蒸し暑さを伴った古池を、私の前に現出させる。
「水の音」に誘われて、古屋敷の荒れた庭に分け入り、「古池」という未知の世界に辿り着く。
私の視線の順番は「水の音」→「蛙」→「古池」となる。
だが芭蕉は、その順番通りではなく、「古池」という未知の世界を、一番最初に私の目の前に描いて見せる。
「どうだい、この池に見覚えがあるだろう。」と言わんばかり。
こういう読み方は、今までがそうであったように私のごくお粗末な「私観(楽しみ)」であることは言うまでもないが・・・・。
古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
確かなことは、水の音がしたということ。水の音だけが現実である。
そこから展開する日常は、確実なことは何も無い未知の世界。
私が平凡な日常と言えるのは、過ぎ去った体験でしか無い。
この句が平凡な日常を描いているといわれている理由もそのあたりにある。
蛙が飛び込んだ後の池は静まり返って、日常の雰囲気で満ちている。だが、そんな日常はどこにあるのだろう。
周囲には見当たらず、過去にしかないもののようである。その過去の「古池」を未知なものとして、未来に据える。
私を過去に置き去りにして前に進む未来というもの。その、ちょっと先の未来は、言わば不可視の現実。やがて到来する現実ではあるが、その姿は見えない。
未来に平凡な日常は無い。
その水の音は、フナが跳ねたものなのか、亀が石の上から転げ落ちたものなのか、草薮のなかから崩れ落ちた腐木の枝のせいなのか、地中のメタンガスが漏れ出た音なのか・・・・・。
水の音を聞いた芭蕉が、それを句にしようと考える。
「あの音は、カエルが飛び込んだんじゃないかな?」
私は、飛び込んだカエルを見に行く。
音の原因を確かめに行く。
句を考えている芭蕉と、私が同時に進んでいるような気分。
その気分が、私を「水の音」の世界へ連れて行く。
私は「水の音」のした方へ、未知の世界へ、草薮をはらいながら進む。
そこは沼なのか、小川なのか、窪んだ水たまりなのか・・・・・・。
荒廃した屋敷の広い庭をさまよっていると、目の前に池が現れる。
草薮に埋もれかけた古池。
私の記憶の片隅にある池。
そういうふうに、芭蕉は、私の記憶をよみがえらせる。
その水面が赤錆色に濁った池のほとりで、私はここまで辿り着いた過去を振り返る。
「ああそうだ、水の音を聞いたのだった。」と思い出す。
そして「水の音」を聞く以前の、過去までさかのぼろうとする。
その池の歴史を知らないが、その池は、私の記憶にあるものだった。
そう、数十年前に、はじめてこの句に接したとき、「古池」って何だろうと思ったことがある。
「古池」とは何だろうと思ったあの「古池」だった。
その「古池」を探し当てた気分。
こうして、未知のものとして未来に据えられた「古池」は、もう一度、過去の位置に戻される。
はじめて接した古池は、今から考えると、ずいぶん古いものになっている。
朽ちた屋敷と草深い庭。
この場所もまた、もう一つの日常として進行しているのだろう。
「古池や蛙飛び込む水の音」と、平凡な日常は、何度も繰り返される。
そのように芭蕉が仕組んだ。
俳諧とは記憶のなかで何度も反芻されるものであると・・・・。
いつのまにか、私はそういう記憶の世界に飛び込んでいる。
気がつけば、古池の底。
未知の世界を指示して発せられた芭蕉の号令(水の音)。
未知の世界は、いつのまにか平凡な過去に入れ替わって、私をもうひとつの日常の岸辺に立たせている。
https://blog.ebipop.com/2015/11/idea-basyo27.html 【なぜ芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」という句が面白いのか】 より
松尾芭蕉の有名な句「古池や蛙飛びこむ水の音」は、「俳句」の代名詞のように言われている。
「俳句」に興味の無い方でもこの句は知っている。というほど、世間に広く知られている。
私もこの句の淡々とした雰囲気が好きなのだが。この句のどこが、そんなに優れているのか。と、もし人に尋ねられても、残念ながら、私にはなんとも答えられない。
「俳句」の優劣を定める秤(はかり)を、私は知らないからだ。
何よりも、「俳句」の実作者でも無い。ただ芭蕉や蕪村の「俳句」の世界に興味を持っているだけなのである。公園を散歩するように、私は、先人の描いた風景のなかを歩いている趣味の散歩人に過ぎない。
さて、「古池や」の句が、多くの人々に親しまれているのは、題材が身近であるからだと私は思っている。だから、この句の情景を、多くの人が脳裏に思い描くことができる。
物思いのスクリーンに映し出して楽しむことができるのだ。私達の目や耳や鼻は、常に何かを探っている一面がある。見慣れないものを見ると、「あれは何だろう?」と思ったり。
良い匂いを嗅いで、「これは何の香りだろう?」と思ったり。
どこかから水の音が聞こえると、「あれは、何の水の音?」と側の人に尋ねる。
すると誰かが答える。
「おおかた、そこの古い池に蛙でも飛び込んだのだろう。」
「なあんだ、その水の音だったのか。」と尋ねた人は頷く。
そんな日常会話の文脈が、そのまま句になっている。
ところが俳諧とは、日常のことをそのまま描き出すという文芸ではない。
当たり前のことをそのまま詠んでも、読む側の好奇心は満たされない。
そのため、「俳句」には「取り合わせ」という句作の方法がある。
「取り合わせ」とは、「俳句」を作る際に、意外なもの(無関係なもの・縁の無いもの)同士を組み合わせること。
そうすることによって、限られた字数の詩である俳諧にイメージの広がりが生まれる。
たとえば芭蕉の句である「蛸壺やはかなき夢を夏の月」。
「蛸壺」と「夢」と「月」の組み合わせは意外性で満ちている。
それらを俳諧に組み入れて、ひとつの世界を創作する。
日常において無関係なものが、俳諧でつながりを持つことによって、日常とは別の世界が広がる。
私たちは、俳諧を読むことによって、ありきたりな日常とは別の世界に遭遇することになる。
では、「古池や蛙飛びこむ水の音」は、どうだろう。
「古池」と「蛙」と「水の音」の関係には、特別な意外性は見られない。
この句には、「取り合わせ」の方法は使われていないようである。
一見、当たり前のことがそのまま描かれている。
それが、言葉の調子が整えられ、俳諧として仕上げられている。
日常見慣れた風景でも、句として詠まれれば、なんとなく味わい深い景色に見える。
実際には、日常見慣れた風景ではないのかもしれない。
蛙の動きを目で追うなんてことは、普通の大人はあまりしない。
蛙が水面に飛び込んでたてた水の音に聞き入ることもない。
生活の場の片隅にある古池を、ゆっくり眺めることも、あまりない。
しかし、そうして日常を見る芭蕉の視点が、人々に日常の再発見をもたらしたのかもしれない。
あるいは、この句に触れた大人たちは、子ども時代のなつかしい風景を思い出すかもしれない。
次に、この句の作者が天下の松尾芭蕉であることも、この句を有名にしている一因であると私は思っている。
あの芭蕉が「こういう句」を作ったんだってと、世間のうわさになる。
「古池や」が世間に知れ渡る。
人々が口にする「こういう句」とはどういう句なのだろう。
天と地を対比させて、イメージに広がりを持たせるような芭蕉の句。
「古池や」は、このような句では無いという意味での「こういう句」なのだ。
「荒海や佐渡に横たふ天の河」というようなダイナミックなイメージの句では無い。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」というような、大胆な劇的台詞の句でも無い。
小さな池に小さなカエルが飛び込んだときにたてた小さな音のことを詠んだ句。
空でもない海でもない、川でも山でもない、極めて日常的な世界。
従来の句と違い、芭蕉が「こういう句」を詠んだことで、人々は「虚を突かれた」感じがしたのだろう。
それは、いままで見過ごしてきた小さな世界。
その取るに足りない世界を、天下の芭蕉が人々の目の前に突きつけたのだ。
少々驚いて、「ああ」と呻いている隙に、「古池や蛙飛びこむ水の音」が人々の頭の中に居座って動かなくなる。
それが「古池や」を有名にした一因であると私は思っている。
あくまでも一因。
そこが、「古池や蛙飛びこむ水の音」という句の面白いところではなかろうか。
https://blog.ebipop.com/2015/11/idea-basyo28.html 【なぜ「古池や」なのか、「古池」とは何か?】 より
「古池や蛙飛びこむ水の音」の句の仕上がりについては、下記の逸話がある。
芭蕉は、先に「蛙飛びこむ水の音」という中七と下五の部分を作っていた。
そして、上五を何にしようと思い悩んだ。
貞亨3年の春に、江戸深川村の芭蕉庵で開かれた句合(くあわせ)でのことである。
松尾芭蕉の「古池や」の句は、この年内に発刊された「蛙合(かわずあわせ)」に収録されている。
「蛙合」は芭蕉の門人である仙化(せんか)の編集とされている。
この句合で、「蕉門十哲」の第一の門弟と言われている宝井其角(たからいきかく)は、「山吹や」にしてはどうでしょうと芭蕉に提案した。
芭蕉は、その提案を採用せずに、「古池や」に決めたとされている。
この逸話は、おなじく「蕉門十哲」のひとりである各務支考(かがみしこう)が編集した「葛の松原(元禄5年刊)」に載っているという。
芭蕉が「山吹や」を採用しなかったのは、「山吹」が伝統的な和歌の世界で多く使われてきた「雅語」であるため、これを使わなかったのではということが言われている。
芭蕉は、和歌から独立した、俳諧独自の世界を築こうとしたのだ。
ところで「古池」とは何なのだろう。
現代でいう「古池」の意味は、古い池のこと。
古い池とは、古くからある池を意味している。
昔作られた池で、歴史と風格が感じられる池というイメージ。
現代では、名庭園の中の古池とあれば、訪れる人も多い。
江戸時代と今日とでは、言葉の持っているニュアンスが違うのではないだろうか。
江戸時代に使われていた「古し」には、「遠い昔のことである」という意味もある。
ということは、「古池」には、遠い昔に池であったという意味合いがあるのではないだろうか。
遠い昔は池であったが、今は池としての外観を保っていないという意味での「古池」。
ちょっと大きめの窪地に雨水が溜まったような、人の手で管理されていない荒れ放題の池。
おそらく芭蕉は、そんな侘しい世界を想定したのではあるまいか。
花鳥風月とか、雪月風花とか、そんな美意識とは相対するような世界を。
そんな世界に蛙が飛びこむ。
和歌では鳴く蛙が題材として取り上げられる。
だが、芭蕉の視点は、脚を投げ出して弧を描く蛙に向けられた。
そして「水の音」。
この、あまり優雅でない動きと音を実現させる場としての「古池」なのではあるまいか。
「古池」には、使い物にならない池というニュアンスもあったかもしれない。
この古臭くて用を成さない池に蛙が飛び込んだということは、蛙にとっては何か用があったのだろう。
蛙は、人に見捨てられたような廃墟の池に住んでいるのかもしれない。
「水の音」は、その蛙の存在証明。
「古」とは時間のこと。
時が過ぎていくとともに、朽ち果てていくということ。
やがて、池は干上がり、蛙も住めなくなる。
だが芭蕉には、まだ「水の音」が聞こえる。
雨が降れば、蛙の鳴き声も聞こえる。
古くなって朽ちていくものと、そのなかで生きているものとの対比。
相反するものが、ひとつの世界のなかで「水の音」をたてて作用しあっているという情景。
「山吹や」では描ききれない情景である。
古びたものへの共感と愛着。
朽ちていくものに対する美意識のようなもの。
そんな意識が芭蕉のなかにあって、それで「古池や」なのではあるまいか。
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