Facebook・西村環さん投稿記事
自分の体験をシェアする事って実は自分の頭の整理をしたり、ブレイクスルーするのにとっても有効なんです。
渦中にいる時にはシェアなんて出来ないんです。一息ついて、他人事の様に思えるようになって、やっとシェア出来るようになります。
感情の渦に巻き込まれている時はエゴの塊で、自分が正しくて、相手が悪くて、怒り狂っていたりします。
その感情が一体全体何処から来るのか?本当に腹を立てているのは何に対してなのか?それを自分で探ってみるのです。
そうすると以前に受けたショックな出来事が引き金になっていたりします。そしてそのショックな出来事は人には知られてはいけないと思っています。自分でさえ忘れ去ってしまいたいと思っています。だけど、そう決めたのは自分自身です。
自分にはそんな汚い心は無いと思いたいんです。良い人でいたいし、カッコつけていたい、ええカッコしいの自分がいます。
親から褒めて貰いたかったり、可愛がられたかったり、理由は様々。私にも人には言いたく無い嫌な過去もあります。今は冷静に小さかったから自分ではどうしようも無かったと思えるけど、当時は親にも知られたく無かったから口をつぐんでいました。
それによって自分が汚されたような気持ちにもなりました。
それを人に話せる様になった時はもう解決した証拠です。トラウマではなく、ただの経験になっています。それは嫌な思い出ではあっても、自分が嫌な人になった訳ではありません。
だから自己卑下したり、私は出来ていないとか、ダメだとか思う必要は全くないんです。
自分にとって、都合の良い経験ばかりでは魂は磨かれる事はありません。
魂を磨く為にハイヤーセルフがセッティングしたんです。ピカピカになる為の試練の一つ。
過去の嫌な思い出が今の自分を光らせるきっかけを作ってくれたんです。そうなると過去の忌まわしい体験にすら感謝が出来るようになります。
何一つ不必要な事はありません。全てが必要で必然です。これ嫌い‼️に出会ったら魂磨きのチャンスです❣️
自分にとって良い事しか起きない、ルンルン楽しいだけの人生って、魂の方から見たらただのカスです。
これはもうダメだと言う事態に陥ったら、大チャンス到来❣️❣️逃げずにドーンと受け取って下さい❣️壁は自分の中、私にはできないと言う意識です。
出来ないと言う意識の壁を突破してガムシャラに前に進めば自ずと道は開けて来ます。
反対に自分では何もせずに人の所為にして逃げてばかりいたら、その問題はこれでもか、これでもかと形を変えてやって来ます。
だって、自分で設定した壁なので、クリアするまで無くなりません。
自分を信じて前に進む❣️自分だけでなく、あなたには見えない味方が沢山います。だけど、自分がやる‼️と決めない限りはサポートはしてくれなくて、ただ見守ってくれるのです。
やる‼️と決めると、サポート隊は一斉に動き出します。彼らは私達の意識が変わるのを観ています。見えない存在がいることに気がついて、その存在に感謝している事が分かると俄然張り切りだします。
私達は自分1人ではありません。産まれた時からサポートの天使ちゃんは必ず1人ついています。龍さんが一緒にいる場合も多いです。他にも守護霊さんや守護神様など様々な存在が一緒に経験を積んで生きます。
1人の身体の様でいて、代表選手です。だから大丈夫‼️
今日も宜しくお願いします❣️👼🐲💖💕
素敵な日曜日をお過ごし下さい
https://plaza.rakuten.co.jp/pess5547/diary/201005260012/ 【松尾芭蕉の自由律俳句】 より
自由律俳句とは何か
自由律俳句というと荻原井泉水や中塚一碧楼の近代俳句がすぐ考えられる。
しかし、そのルーツを突き詰めていくと、そこには芭蕉がある。
芭蕉の時代に五七五調十七音の約束を考えず、奔放に自由に書いた俳句が存在した。
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉
猿を聞人捨子に秋の風いかに
櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ
髭風ヲ吹テ暮秋歎ズルハ誰ガ子ゾ
このような自由な俳句が芭蕉にある。型よりも心を大切にする芭蕉にとって、五七五調十七音という取り決めごとは、一行の詩である俳句の前には、本質的な価値ではなかったということである。(by上田都史)
上田都史(うえだ・とし)〔本名、馮介としすけ〕1906(明治39)・9・22-1992(平成4)・8・30・京都市生・個人誌「純粋」・句集『純粋』(1935・6)、『喪失』(1971・7)、『産婆術』(1975・5)、『上田都史三冊子』(1983・7)
靴を磨かせ何処にふるさと在ることか
心わびしブルースは土人の悲歌の踊にて
躑躅さすコップは朝のうす曇り
https://ameblo.jp/yukiya-happy/entry-12213618685.html 【甘える勇気】 より
「人に弱みを見せるのはみっともない」「人に弱音を吐くなんて恥ずかしい」
頑張り屋で努力家の人ほど、こんな「心の鎧」を着てしまいがちだ。
そしていつの日か、ヨロイの重さに耐えられなくなり、すべてがガラガラと崩れ落ちてしまう…。
だから時には自分の弱さを見せたり、弱音を吐ける自分を大事にしよう。
弱いあなたもあなたなのだから。
弱音を吐ける相手がいるというのは、とても大切な事である。
一緒に呑んでウサ晴らしできるし、カラオケで歌って騒ぐ事もできる。
そしてそういう時間を持つ事により、ストレスも発散できているのだ。
だから何も強がって重い鎧を着こみ、「弱さ」を隠す必要なんてない。
弱くてもいい。 できない時はできなくていいし、助けが必要な時は「助けて」と言えばいい。
そう、もっと「甘える勇気」を持つ事だ。
ヨロイを着込んでいる人ほど、「甘えてはいけない」と思い込んでいる。
しかし甘える時は甘えてくれた方が、甘えられる方だって安心するのだ。
だから余計なヨロイは脱ぎ捨てて、「甘える勇気」を持とう!
弱みを見せるのはみっともない事じゃないし、弱音を吐くのだって、恥ずかしい事なんかじゃないのだから。
https://ameblo.jp/yukiya-happy/entry-12213000664.html 【優等生と劣等生はどっちが立派?】 より
多くの人たちが「世の中の役に立つ人になれ!」という。
しかしこの世の中に無駄なものなんてひとつもない。
そう、すべての人が生きているだけで、すでに世の中の役に立っているのだ。
優等生と劣等生はどっちが立派?
優等生と劣等生を比べると、優等生のほうが「世の中の役に立っている」と思われがちだ。
しかしもし「劣等生」がいなければ、優秀な人は優等生にはなれない。
つまり見方を変えれば、劣等生のほうが「世の中の役に立っている」とも考えられるのだ。
これは医者と病人でも同じだ。
医者が世の中の役に立つように思われるが、病人がいなければ医者は生活できない。
そう、病人がいるおかげで、医者は医者になれるのだ。
このように考えると、「どんな人でも世の中の役に立っている」と考えられるようになる。
日本はむかし戦争をしていた。その時に全力で戦争に協力した人は、「役に立つ人」だったかもしれないが、後になったら戦争犯罪人となった。
時の流れで「立派な人」が悪人と呼ばれたり、「悪人と呼ばれた人」が立派な人にもなる。
世の中には価値がないものは存在できないという。
そう、つまりそこにあるということは、すでに価値があるという事なのだ。
だから「世の中の役に立つ人になろう」と、無理して生きる必要なんてない。
あなたは存在しているだけですでに、世の中の役に立っているのだから。
https://ameblo.jp/yukiya-happy/entry-12213311808.html 【頑張らなくても幸せになっていい】 より
幸せになる為に頑張っている人は、頑張っていない人を見て、「もっと頑張ったほうがいいよ」と言う。
必死で自分を変えようと努力して、カンタンに笑わず苦しんでいる人は、人にも悩み苦しむ事を勧める。
自分が苦しんで幸せを掴もうと頑張っているからって、他の人にまで苦しみを強要する
なんて、さ。 まったく、アホな話やね(笑)
そもそも幸せになる為に頑張ったり、苦しんだりする必要なんてない。
産まれたばかりの赤ちゃんは、そのままでも幸せなはずだ。
別に頑張る必要もないし、苦しむ必要だってないのである。
僕たちの多くは大人になる過程で、「幸せになる為には努力すべき」という価値観を植え込まれた。
だから楽して幸せになる人を許せず、そんな人は不幸になればいいと思ったりもする。
でも別に楽して幸せになってもいいやん。「こうじゃなきゃいけない」とか「こうしなきゃいけない」なんて事は、なーーーーーーーーーい!
だから、あなたはあなたのまま、幸せになっていいんだよ。
無理して頑張らんでもいいし、苦しんだり、傷つく必要もない。
頑張らなくても幸せにはなれるし、無理して不幸になる必要なんてないのだから。
Facebook・相田 公弘 さん投稿記事 「しずかちゃんの結婚」
ドラえもんマンガにおいて、ひみつ道具の登場しない作品はほとんど存在しません。
そして、大部分のひみつ道具には、つねになんらかのメッセージが込められています。
たとえば、ひみつ道具「かならず当る手相セット」の場合、最初はとてもうまく手相がピタリと当りますが、途中から脱線してはずれてばかりになってしまいます。
するとのび太は「手相なんて気にしているときりがない。ぼくなりに、がんばっていくよ」
と宣言し、ドラえもんから「えらい!のび太くんしっかり!」と激励されています。
このように、ひみつ道具ははじめのうちは、次々に起こるあらゆる問題に対してうまく機能し、スムーズな解決への期待を抱かせます。
しかしながら、最終段階では、たとえひみつ道具を使用しても、根本的な問題の解決にはなんらつながらないといった結果に終わります。
またそれは、『一生に一度は百点を…』にも見ることができます。
このお話は、ドラえもんが提供したひみつ道具「コンピューターペンシル」によって、のび太がおそらく一生に一度、テストで100点をとるチャンスが訪れます。
これは誰でもすらすらとテストの問題が解ける、夢のようなペンシルなのですが、
テストの前の晩にドラえもんは、このひみつ道具を使おうとするのび太を非難します。
のび太は「かまうもんか!あしたぜったに使ってやるぞ!」と決意しながら眠りにつきました。
でも、テスト当日ドラえもんの昨晩の顔が脳裏に浮かび、のび太は「やめた!ふつうのえんぴつでやろう」と決意を覆しています。
結局、ドラえもんのひみつ道具の基本的なスタンスは、ひみつ道具に頼らないで、自力で問題の解決に対処することがベストである、ということなのです。
のび太にとってひみつ道具とは、あくまでも「自分のいいところ」を伸ばしたり、ちょっと足りないなにかを後押ししたり、また潜在意識のなかで眠っているのび太の優しい心を覚醒させたりする、触媒のような存在なのです。
『雪山のロマンス』で、のび太は相変わらずドジばかり繰り返しますが、のび太の隠れた素質を数多く見てきたしずかちゃんは、ついにのび太との結婚を決意します……
さらに、『のび太の結婚前夜』では、しずかちゃんの「あたし…、不安なの。うまくやっていけるかしら」の問いに対して、しずかちゃんのパパはきっぱりと「やれるとも。のび太くんを信じなさい」と答え……次のようなアドバイスをします。
「のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが人間にとってだいじなことなんだからね」
この話を聞きながら、しずかちゃんはのび太との幸せな結婚生活を確信し、結婚式に臨んだのでした。
テストを受ければ5回に1回は0点、先生にしょっちゅう廊下に立たされる。
放課後にはジャイアンやスネ夫にいじめられ、ママから叱られてばかりいるのび太くん。
しかし、幾多の困難を経て、真の優しさや思いやりを身につけた彼は、ついに憧れ続けたマドンナ・しずかちゃんを射止め、幸せな結婚生活を手にします。
【人の心に灯をともす】より
人は、目の前が真っ暗になるような困難なできごとや、絶望するようなトラブルに出会ったとき、何か奇跡が起こってくれないか、と願うことがある。
ドラえもんのひみつ道具がそこにあったら、どんなに心が楽になることだろう、と思う。
しかし、どんなに素晴らしい幸運も、奇跡も、自らの努力なしに手に入れたものは、あっというまになくなってしまう、という現実がある。
たとえば、宝くじで大金が当ったがために、不幸になったという例は世界中で数多く報告されている。
簡単な方法で手に入れたものは、簡単になくなるし、苦労なしに手に入れた幸せは、あっという間に去っていく。
人の世は、やっかいなことに、どうもそういう理屈でできている。
「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人」右往左往しながらでも、最後は自力で問題を解決する、「のび太」という生き方も素敵だ。
※「のび太」という生きかた(横山泰行著)より
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