菅原神社

Facebok坂口成事さん投稿記事

通りゃんせ 通りゃんせ の片仮名の道を見て、真名を知る事が、天神さま(菅原道真)の名にも暗示されています。

その片仮名が交差する十字の、止(留)であり占である10は、数霊では通るです。

その奥の細(通る)道が、隈という事で、古代には、神の表現を、クマと申しておりました。

なぜ、隈に帰る道が細くて(困難で)こわいのかと申しますと、分けて生まれた自分を、失うおそれがあるからです。

ところで、その自分が、仮面(片仮名)に過ぎないと、仮面を割りますのが、割礼であり、細石(さざれ、佐々礼、幸霊タマツメムスビ)であります。

そこから新たに巌(斎園殿、エデン)に立つ祭りが、トカラ列島のボゼ祭りという事です。

ボゼは、ボゼどん(ポセイドン、海神、迦那安人、平十字の片仮名人)でもあると考えていますが、その偶像(片仮名)への気づきの舞台の広場がテラという事で、聖書では、アブラハム(松油をそそがれるメシアを示す公、キミ、亀蛇と青龍の北極星、天神)の名に対して、アブラハムの父のテラは、仮面(片仮名)を示す偶像崇拝を暗示しています。

写真は、トカラ列島の十島村の、片仮名の目が包まれ、真名の目が開けるボゼ祭りと、東征前の神武軍の主力がいた球磨の相良の柳瀬(マナセ→ヤナセ、道真名)の十島菅原神社と、いつも載せています、拝ヶ石巨石群の、古代の天神(十星、天水をもたらす柄杓星)です。


https://plaza.rakuten.co.jp/taka39sheelaishi/diary/202103240000/ 【大生郷天満宮(菅原道真公の御遺骨を祀る関東最古の天満宮)】より

 『とおりゃんせ』。菅原道真公を歌った童謡ですが、この童謡に驚くべき暗号が隠れており、それが思いもよらない理論を導き出す事を発見しました。

 それは、『とおりゃんせ とうりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通して下しゃんせ 御用のないもの通させぬ この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいものなど とおりゃんせ とおりゃんせ』という童謡ですが、その細道とはズバリ何処か。所謂埼玉県川越という説もありますが、ユダヤ論議で解き明かすと、それはモーセの紅海割れの奇跡、海が割れた道こそ、天神様の細道だと思います。

 そして、シナイ山にお札を納めに参りますとは、イエフダー、ユダヤが、七つ。『つ』は州の略体の草体。つまり、七大州、七大陸を、ユダヤのモーセの十誡で治めますという暗号だったのではないでしょうか。

 行きはよいよい、帰りは怖いとは、あちらに行くヘブライ人はよいかもしれないが、戻る、引き返す者、エジプト軍にとっては怖いという事なのだと思います。

 月と地球の同調関係。月の公転と地球の自転が一緒。満潮の月のある方。伊奘諾尊と伊奘冉尊の泥土をかき回す日本神話。モーセのエジプト脱出と日本の大洪水。

 月が日本の上空にある時、干潮の西アジア。

 最近では、スクウェア・エニックスの「インフィニット・ディスカバリー」の中の、月が惑星の一点の上に滞空する設定でした。

 聖櫃に納められたモーセの十誡。それこそ、ユダヤのお札。十誡石板が二枚あるというのは、実際に読むものと印刷用だという解釈も成り立つと思います。それは、レオナルド・ダヴィンチの鏡面文字でしょう。

 日本の学問の神様が菅原道真公なら、イタリアの英知こそレオナルド・ダヴィンチ。

 ルネッサンス運動。ダヴィンチの精密な写実で、神の鋳型としての美術が完成したのです。昔の美術では、神の姿は描き切れなかったので、ルネッサンス運動の中で神のうつし身、イエスの姿を描いた。それこそ、油絵をカンバスに注いだレオナルドなのでしょう。

 油注がれたメシアとしてユダヤを救う菅原道真公に付いておられた聖霊こそ、11代目天皇、垂仁天皇でしょう。彼の薨去された御宝算は、139歳。つまりイサクの暗号ですが、アブラハムと思われる伝承も存在します。彼の葬られた陵は、菅原伏見陵。天皇家と同格の正一位の伏見稲荷。伏見宮家。その伏見の名前を冠する92代伏見天皇陛下こそ、名は熙仁(ひろひと)。同じ読みなのは、言わずもがな昭和天皇陛下=裕仁天皇陛下です。

 因みにその伏見天皇を暗殺しようとした麻原為頼(甲斐小笠原一族)がいます。明仁天皇陛下の時代であるこの平成の大規模テロであった、オウムサリン事件。その麻原の名前を外せば、そんな歴史の流れに操られなくてもすんだと思います。

 松本サリン事件。長野県松本市。現在法医学ドラマがフジテレビで放映中ですが、自分は視聴はしていないのは事実で、裏番組のニュース番組(BSフジ)を視聴してますが、何か不審死を遂げた方の法医学絡みで松本サリン事件をオウムが引き起こした可能性もあったのではないでしょうか。

 イエス=キリストを表す、ユダヤの王ナザレのイエスの象徴文字は『INRI』。それを稲荷と読み替える研究者は多いです。

 1901年ご誕生、ハルマゲドンと思われる第一次世界大戦の時、ユダヤの13歳の成人の儀式、バル・ミツバを迎えておられる方が昭和天皇陛下。迪宮(みちのみや)裕仁親王殿下。

 ミツバ。イエス当時のユダヤ王家はハスモン家。レビ。徳川の賀茂家。一言主神の同族。迦毛大神。

 三つ葉葵の光。家光。桓武天皇の第二皇子、嵯峨天皇。神野。賀茂神社に処女の斎宮を置かれた方。葵祭。賀茂徳川、レビ。その霊能力の封印こそ、見ざる、聞かざる、言わざるだったのではないでしょうか。

しかし、それは実際に目耳口を潰すのではなく、霊能力での同調関係を外す事。四苦。生・病・老・死。電子の放射、電流の逆流で、こちらに霊が合体してしまう事による現象。誰かの霊体がこちらで産まれてしまう事の不自由な生。病気。違う電気周波数での霊体の合体での、免疫機能の不全による病気。そして、テレパシーを聞いていたら、エネルギーを吸い取られてしまうエナジーヴァンパイアの理論。老化。そして、死。友引き。

 あちらが死ぬと、その同調関係にある場合、こちらの生も突然終わってしまう事での死。その四苦を排除した仏教。

ですから、霊の、目・耳・口を閉ざす。三種の神器の封印。つまり、北朝系。足利幕府。そして、日光。江戸の北である下野(栃木県)の日光東照宮での支配。

伊勢。イエッセ。伊勢神宮こそユダヤの第三神殿。アブラハム=第一神殿、イサク=第二神殿、ヤコブ=第三神殿。ヤコブの双子の兄エサウ。二人の神殿にしなくてはならない第三神殿。それを儀式で現在でも行っているのが、伊勢神宮なのです。

 式年遷宮。隣り合った土地に、20年毎に社を建て替える儀式。それこそ、イサクのエサウとヤコブに対する親の愛でしょう。

 だからイエス・キリストが第三神殿を建てる為、イスラム教の岩のドームを破壊する事で、第三次世界大戦が起きるとされていますが、それはこの理論で阻止出来るのではないでしょうか。 

ヤコブ。英語でコブとは雄の白鳥。白鳥に姿を変えて、レトと結ばれ、太陽神アポロンと月の女神アルテミスを生んでいるゼウス。彼こそ父としてのイエス・キリストの姿で、その息子とされるユダと娘サラこそ、アポロンとアルテミスなのだと思われます。

エサウとヤコブ。髭を剃らないエサウと髭を剃ったヤコブ。口寄せという霊媒能力も髭を剃らない事で、アンテナとなる髭を通じて他人の声が霊能力者の口から出てくる。キスではなく、イスカリオテのユダはキスと勘違いして、イエスに接吻したのではないでしょうか。

本来なら口寄せ能力とは、イエスの権能を言葉で持たせる。ですから、イエス・キリストの御名において命じるという言葉を使える弟子を育てる修行。ですから、神の偽物ではないのです。

 誰かの言葉を借りて権能を持たせるなら、誰かが使っている名前に効力がある訳で、だから、偽物は偽名として、別の名前を使った権力を行使しようとするのであって、偽物が使っている名前に効力があるので、そいつが本名で名乗った時に、権能があるかと言うと絶対ないでしょう。

 イエス・キリストの名を持って命ずるという、イエス・キリストの名前が効力があるだけ。

狩人と羊飼い。二人で、ユダヤの教義、髭を剃らない事と豚肉食の禁止を守る。二人で一人。逆にその二人で、法律を破った方を救い合う。捨てる神あれば、拾う神あり。

 菅原道真公の三男が菅原景行公。その理論を考え出したお方こそ、伊勢神宮の創建者、垂仁天皇であり、菅原景行公の父親、菅原道真公の太祖だったのではないでしょうか?

 菅原道真公の御廟。茨城県旧水海道、現在常総市の飯沼地区の大生郷天満宮。飯沼という沼は、古来、旧石井。現在の坂東市(岩井市)の平将門公の領地にありました。

 豊田郡飯沼庄のお殿様は、井上。井上氏が、近世江戸幕府時代の大名として入られていました。桓武天皇の皇后は、井上皇后。下妻城主の井上氏。いのうえ。「あ」。「あい」。愛。隠された「あ」。飯沼地区で、千姫様の菩提寺である、弘経寺の阿弥陀如来。

菅原道真公。世自在王仏。大自在天。玉造り。玉造稲荷。星の創造。自分の修行で、太陽の体になるか、月の体になるか、星の体になるか。ユダヤか、キリストか、イスラムか。

の聖書勉強。イエス・キリストと同時代の天皇である、垂仁天皇。仁を垂れる。山上の垂訓。人の子が山に登る。大洪水を逃れる為。

エデンの東に追い出したアダム。

 アイヌのアメリカ大陸への移動。

 須佐之男命の根の堅洲国。丑寅。

 アラスカのイヌイット。アラスカの金。

 石英鉱床に存在する金鉱床。水晶発振。超音波。

もしかすると、緑内障。眼圧が上がるその目の病気。深海魚の金目鯛。金色の目。深海で目に水圧が掛かる。そして、金色の目。金の成る木。金が本当に採取出来る智恵の木が、何処かにあるのかもしれません。

 イサクの子供エサウとヤコブは双子。

 双子の智天使が聖櫃のアークを形成するなら、双子がお互い合体し、自分の後ろに相手が合体する時の独り相撲こそ、ヤコブの相撲だったのかもしれない。

相撲の元祖を持つ菅原一族。

 私の筧で、父の母の旧姓が柳生。

 柳生一族は大和国柳生庄に菅原永珍が代官として領地支配をしてから発祥した一族。

 柳生十兵衛光巌(みつよし)は、同性愛だった将軍徳川家光公の御召しを断り、柳生藩を継げなかった存在。宗冬公が弟。

 柳生の陰流は……。跡を継いだ陽。跡を継がない陰。

 新しい陰と陽が二重に螺旋で家系を守る。

 家光公の叔父でもある徳川頼房公の水戸藩も、弟だった徳川光圀公が跡を継いだ。

 兄だった松平頼重公を藩祖とする高松松平藩。

 水戸と高松。茨城県と香川県。

 四国の香曽我部一族。

 長曾我部一族、香曽我部一族は秦氏とされ、蘇我一族とは別。秦氏の神道と蘇我氏の仏教。

 神道で繋げ、仏教で切るなら。

 回線は繋げた後で、切る方法を知らないと駄目。

 勝手に繋げる存在からエグザイルする(出エジプトはエグゾーダス)。

 嫌な場所から逃げ出すのではなく、脱出する!

 エグザイルは脱出の意味!

 


https://rekishi-club.com/%E7%B4%80%E3%80%80%E6%B7%91%E6%9C%9B%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%80%E3%80%8E%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86%E3%80%8F%E3%81%AE%E7%9C%9F%E3%81%AE%E5%BA%8F%E6%96%87%E3%80%81%E7%9C%9F/ 【紀 淑望・・・ 『古今和歌集』の真の序文、真名序の作者 道真鎮魂が目的】より

 『古今和歌集』には仮名序と真名序がある。仮名序の作者は紀貫之であり、真名序の作者がここに取り上げる紀淑望(きのよしもち)だ。普通の『古今和歌集』の写本では仮名序が巻頭に、真名序が巻末にある。また仮名で書かれた『古今和歌集』には、仮名の序文がふさわしいと思われるので、仮名序こそ10世紀初め、醍醐天皇の勅命によって紀貫之らが編集した『古今和歌集』の序文だと考えられてきた。

ところが、最近の研究によって、いろいろな点から、真名序すなわち漢文の序文こそが『古今和歌集』の真の序文であり、仮名序は真名序成立より後につくられたものであることが明らかになった。つまり、この紀淑望が書いた漢文の序文が、『古今和歌集』の真の序文というわけだ。

 では、なぜ真名序を『古今和歌集』の撰者ではなかった、この紀淑望が書いたのか。彼は、菅原道真の第一の弟子、紀長谷雄の嫡子だ。そこで、梅原猛氏は『万葉集』が柿本人麻呂の鎮魂を目的としたように、『古今和歌集』は菅原道真の鎮魂を目的としたものだった-という。紀貫之ら撰者が紀淑望に『古今和歌集』の序文を依頼したのは、勅撰集でありながら、紀氏の家集という色彩の強い『古今和歌集』の序文の作者として、立派な漢文の書ける「氏の長者」が書くことが適当だと判断したのだろう。それと、道真の第一の弟子の紀長谷雄の嫡子・淑望に序文を書かせて、暗に道真の鎮魂を図ろうとしたのだ-と梅原氏。

 真名序には『古今和歌集』成立の経緯が述べられているが、それによれば『古今和歌集』は、元々『続万葉集』と名付けられていた。それほどに、いにしえの奈良の都の『万葉集』は後代にも重んじられていたわけだが、『続万葉集』の内容、構成が不備であったために、改めて編纂しなおし、その名も『古今和歌集』と面目を一新。京の都の人と自然、思想と感情を基盤とした新しい平安朝の歌集が誕生したのだ。

そのため、『万葉集』の撰集のときが、古来より平城天皇の806年(大同元年)と伝えられてきたので、そこから十代、百年後の醍醐天皇の905年(延喜5年)を、『古今和歌集』の撰集のときとしたものとみられる。

 『万葉集』の時代の、永遠に後世に名を残す歌人の代表は柿本人麻呂だろうが、『古今和歌集』の時代は菅原道真だろう。人麻呂と同様、道真は、現世の悲劇的な人生にもかかわらず、あるいはそれ故にこそ、永遠に後世に名を残すため、道真にゆかりの深い人物に序文を書かせ、梅原氏が指摘するように、鎮魂の思いをも込めたのか。

 紀淑望の生年は不詳、没年は919年(延喜19年)。平安時代中期の学者・歌人。文人・紀長谷雄の長男。896年(寛平19年)、文章生となり、901年(延喜元年)、式部少丞平篤行を問者として方略式に応じ合格。醍醐朝のもとで備前権掾・民部丞・刑部少輔・勘解由次官・大学頭・東宮学士を歴任、913年、信濃権守を務めた。

(参考資料)梅原猛「百人一語」、大岡信「古今集・新古今集」



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