法螺

https://news.yahoo.co.jp/articles/928cd34c13cda7bdc6f5e25e47698ab7b6b4e45b

 【初代天皇なのに、教科書に登場するのは「神武景気」だけ。この程度の知識で、ホントに良いのだろうか?】より

月岡芳年画「神武天皇」

現在126代を数える歴代天皇の「初代」といえば、神武天皇である。日本人にとって「常識」と言っていいだろう。しかし、その実像は伝説に包まれている。生没年はもちろん実在したか否かも定かでない、この日本史上の「重要人物」を、歴史学の対象としてどう扱えばいいのだろうか。この「意外な難問」に取り組んだのが、『神武天皇の歴史学』(外池昇著、講談社選書メチエ)だ。

【写真】神武天皇陵の謎

生没年不明、実在も未確認の〈重要人物〉奈良盆地の大和三山を望む。

『日本書紀』によれば、日向に生まれ、大和に東征して天皇として自ら即位した神武天皇。なんといっても、これが「日本の始まり」ということになっているわけだが、こうした事績を社会科の授業で学んだのは、戦前の教育を受けた人だけだろう。

では、現在の歴史教科書に神武天皇はどのように書かれているのだろうか。『神武天皇の歴史学』の著者・外池昇氏が、現在の高校で使用されている教科書『詳説日本史』(山川出版社、2023年3月発行)を調べている。

外池氏によれば、この教科書で「神武天皇」の記述があるのは4ヵ所。

1つ目は、『古事記』についての記述の「注」に出てくる。そこには「神話・伝承は、神々の出現や国生みをはじめとして、天孫降臨、神武天皇の「東征」、日本武尊(やまとたけるのみこと)の地方制圧などの物語からなる」と説明している。

2つ目は、これも本文ではなく、幕末・維新期の史料として掲載されている「王政復古の大号令」。その文中に「諸事神武創業ノ始メニ原(もと)ツキ」とある。

3つ目は、明治時代の祝祭日の制定についてだが、これも「注」だ。「『日本書紀』が伝える神武天皇即位の日(正月朔日)を太陽暦に換算して紀元節(2月11日)とし」とある。

そして4つ目は昭和戦後で、ようやく本文で1955〜57年(昭和30〜32)の「神武景気」と呼ばれる大型景気を取り上げ、その「注」に「神武天皇の治世以来の好景気ということで、名づけられた」とある。

〈つまり、神武天皇が高等学校の日本史の教科書に取り上げられる機会は時代も場面もばらばらで、しかも取り上げているとはいっても、4ヵ所のうち2ヵ所は「注」、1ヵ所は史料の中の文言であり、本文として取り上げられているのはただ1ヵ所、昭和戦後期の「神武景気」しかない。〉 (『神武天皇の歴史学』p.18)

〈少なくとも神武天皇についての記述に関する限り、日本史の学習に熱心な高校生が心をこめてこの教科書を読んだとしても、その高校生が神武天皇のことがよくわかるようになるとは全く思われない。それとも、神武天皇についての系統立った知識はなくても、あるいはない方が良いということなのであろうか。〉(同書p.18)

たしかに神武天皇は、生没年どころか実在したかどうかも確認できない「伝説上の人物」にすぎない。しかし、その存在は現代の日本社会にも大きな影響を与えている。

たとえば2016年4月3日には、神武天皇二千六百年式年祭――すなわち神武天皇の没後ちょうど2600年の命日の祭礼が行われ、当時の天皇・皇后(現上皇・上皇后)が秋篠宮らを伴って奈良・橿原市の神武天皇陵を参拝している。歴代天皇の「式年祭」はたびたび行われるが、現在の天皇制は、こうした「伝説」の上に成り立っていることがわかる。

またそれ以上に、先に見た「王政復古の大号令」にある通り、明治新政府は「建武の新政」の後醍醐天皇でも「大化の改新」の天智天皇でもなく、「神武創業の始」を中心的な理念として掲げていた。

さらに、1872年(明治5)の「徴兵告諭」や1882年(明治15)の「軍人勅諭」でも、神武天皇は日本の軍隊の創設者と位置付けられている。近代国家・日本の基本理念の中に、神武天皇はしっかりと組み込まれてきたのだ。

「古代の天皇」は、近代史のテーマである

昭和15年の皇紀2600年奉祝行事。

本書の著者で成城大学文芸学部教授の外池昇氏は、長年にわたって「天皇陵」と皇族の陵墓を研究してきた。といっても、古墳の発掘調査をする考古学者ではない。近世・近代史の視点から、古代天皇は日本人にとってどんな存在だったのかを研究・考察してきたのだ。

戦前の「皇国史観」を否定することから始まった戦後の歴史学では、神武天皇をはじめとする「神話時代の人物」は、研究の対象外だった。しかし外池氏は、古代史ではなく、近世・近代史のテーマとして、これらをとらえ直したのである。

〈もちろん私とても神武天皇をいわゆる歴史上の人物と同列において考えているのではない。というのは、戦後長足の進歩を遂げた考古学の成果の結果、原始・古代史の実相が明らかとなり、また同時に、『古事記』『日本書紀』の実証的な研究も展開し、神武天皇についての部分等はそのままいわゆる歴史的事実の反映とみなすのではなく、神話・説話等として理解するのが今日の定説である。その点からすれば、確かに神武天皇は非実在の人物に違いない。〉(『神武天皇の歴史学』p.10-11)

しかしそれでもなお、神武天皇をめぐるさまざまな動向には、歴史学として注目すべき価値があるものが数多く含まれている、という。なかでも本書で、特に大きく取り上げるのが、神武天皇の墓地をめぐる謎だ。

〈歴史上の人物として実在が確認できないにもかかわらず、その墓とされるものは確かに存在するのが神武天皇である。しかし、その墓とされる神武天皇陵は、古くから明らかなものとして確定していたのではない。その所在地については古くから諸説があった。すなわち、元禄の修陵で江戸幕府が認めた「塚山」、その付近にあって古くから伝承があり朝廷が関心を示していたと思われる「神武田」、さらに本居宣長・蒲生君平らが唱えた「加志」(あるいは「御陵山」ともいう)の三ヵ所である。〉(同書p.30)

しかし、こうした神武天皇をめぐる論争が、江戸時代以前に大きく問題化された形跡はない。攘夷の気運や幕末動乱の中で、クローズアップされてきたのである。そして、なんとか決着をみるのだが、明治になっても疑念はくすぶり続けたのだった。

また本書では、神武天皇陵に隣接して創建された橿原神宮と、そこに深く関与した奥野陣七という民間勤王家の波乱の生涯、最後の文人画家と言われる富岡鉄斎が「御陵図」にこめた思い、神武天皇陵に冷徹な視線を向けたお雇い外国人など、歴史に埋もれた人々や意外なトピックにも目を向けている。

日本人にとって、神武天皇とは何か――それは、古代史のみならず、近現代の日本社会をも映し出す歴史学の重要テーマなのである。

※著者・外池昇氏のインタビューは〈日本史上の重要人物〈神武天皇〉を、歴史学者はなぜ無視してきたのか?〉を、関連記事〈神武天皇の墓所は三ヵ所あった!? 幕末の混乱期、荒れ果てた「暴汚」「霊威」の地に決定した「ある事情」。〉〈神武天皇が即位したのは、本当に「2月11日」なのか? 最初は別の日だった「紀元節」が、1年で変更された謎の経緯。〉もぜひお読みください。


https://ameblo.jp/3kaeru/entry-10699557673.html 【仮説・「景行」の名に隠された暗号】より

タイトルの「景行」とは、ヤマトタケルの父とされる第12代天皇の事です☆

僕は何かとヤマトタケルと深い縁を頂けているようで(゜▽゜)様々な出来事がヤマトタケルの足跡と重なっています。まるでヤマトタケルがしたかった事に気付け!…と言わんばかりに…。

まぁさておき、歴代天皇達の名前はおそらく亡くなった後に何百年も経ったのち、誰かが後付けでつけた名前であろうと思います。つまりタイトルの「景行」という名前は、何等かの要因が称号とされている可能性が高いのです☆

もしそうだとして…景…行…って何の称号?景色が行き交うほどに歩きまわった人?

…まぁそれも考えられるけど…これはあくまで僕の仮説ですが…「景」は「景教」を指すのではないだろうか?つまり景行天皇は、景教の布教を行った人って意味で与えられた称号なのではないだろうか?と思っているんです☆

景教とは韓国に主に普及していったユダヤ系の教えで、キリスト教とほぼ同じ教えと言っても過言ではないと思います☆今でも韓国はキリスト教が主体になっている国です☆

おそらく「景行」は大陸側から島国日本に渡り、 景教の普及を務めた人だったのではないでしょうか?ヤマトタケルはスサノヲから草薙の剣(アメノムラクモノツルギ)を受け継いでいます☆スサノヲは伝記上でも日本と韓国を行き来します。

この伝記の時代、西暦で 200年あたり(弥生)の時代に青銅器から鉄器 に変わっていく傾向が見受けられます。

つまりこの辺りから盛んに貿易が始まり、大陸側から鉄が運ばれるようになり、その普及に努める 大陸出身の人達が鉄の加工を日本国内で行っていったんだと思います☆

実はヤマトタケルは伝記上ではこの年代くらいの話になります。

つまりスサノヲも大して変わらない年代と見てもよいのではないでしょうか?

西暦200年前後からやっと日本神話が盛り上がっているのも、キリスト生誕から考えて韓国経由で鉄加工と共に伝わっても何ら不思議でもなく、 むしろ自然な流れに感じるのは僕だけでしょうか?

ちなみに中東(イラン辺り)に「スサ」と言われていた土地があったそうです☆

スサノヲとは…スサの王?なんて話も耳にします☆

そうだとして、それもまんざら僕の仮説と掛け離れてないんです☆

なぜなら中東地区は聖地とされる国が多く存在し、基本のベースがユダヤ系の教えと似たイスラムの国々だからです☆キリストもユダヤ系の王だったと伝わっています☆

スサの王はキリストと同じ教えに基づいて、キリストとは違うルートを通り、布教をしていた人物なのであれば、このタイトルの「景行」と無理矢理ですがシンクロさせる事も可能です☆

昨晩、僕に起こったお風呂での出来事…。

またヤマトタケルの謎を説き明かせ!とでも言いた気な不可思議な妄想(笑)

そしてこうして夜も眠れず仮説妄想を重ねる事態に(笑)更新は起きてからにしますが、現在朝の4時です ( ̄▽ ̄;)あ!皆さんこれは仮説ですからね!!

霊能だからって何でも真に受けちゃ駄目よ!(笑)

でも、ヤマトタケルは何故こんなにも日本の各地で英雄として伝わってるのでしょう?

それは伝説のように武力征圧したようには思えず、むしろ何かを布教&普及したようにしか思えないんです☆

歴史の教科書に載る時の人達はみんなただ武力征圧した人などいないからです☆


https://www.sankei.com/article/20160503-MOZ3YX2URJNIVH4HR4A5AK7X54/ 【ヤマトタケルのまほろば 第1部 父子の確執(5)天皇が恐れた「荒き情」】より

 12代景行天皇が妻にしようとした美濃の美人姉妹を娶(めと)った大碓命(おほうすのみこと)は、2人との間に御子を設けたと古事記は書く。そして、続く『倭建命(やまとたけるのみこと)の西征』の編を、天皇がヤマトタケル(この時点での名は小碓命(をうすのみこと))に、こう語りかけたと書き始める。

 「何とかも汝(な)の兄(え)、朝夕の大御食(おほみけ)に参出(まゐい)で来ぬ。もはら汝(なれ)ねぎ教へ覚(さと)せ」

 オホウスが食事に出てこないことを咎(とが)め、丁寧に教え諭すように命じたのだ。しかし、5日たってもオホウスは姿を見せず、不審に思った天皇はヲウスに質問した。

 「もしいまだ誨(をし)へず有りや(もしや、まだ教えていないのか)」

 「既にねぎ為(し)つ(すでに教え諭しました)」

 「いかにかねぎつる(どう諭したのか)」

 「朝署(あさけ)に厠(かはや)に入りし時、待ち捕らへ●(つか)み批(ひし)ぎて、其の枝(えだ)を引き闕(か)き、薦(こも)に裹(つつ)み投げ棄(う)てつ」   (●=手へんに益の旧字体)

 明け方、兄が厠に入った時を待ち受けて捕まえ、つかみつぶして、その手足をもぎとり、薦に包んで投げ捨てた、というのである。「建(たけ)く荒き情(こころ)」を恐れた天皇は命じる。

 「西の方に熊曽建(くまそたける)二人有り。是れ伏(まつろ)はず、礼无(な)き人等(ども)ぞ。故其の人等を取れ」

 ヤマトタケルの西征は、こうして始まった。

     ◇

 「肉親を殺す行為は、世界の神話的英雄に共通してみられます」

 学習院大の吉田敦彦名誉教授はそう話す。ギリシャ神話のヘラクレス、北欧神話のスタルカテルス、インド神話のインドラ、そしてヤマトタケル。苦難の旅を続ける英雄たちには、宗教的冒涜(ぼうとく)である肉親殺し▽戦士のモラルに反する騙(だま)し討ち▽不当な形での愛欲への耽溺(たんでき)-の3つの罪を犯す共通点があるという。

 「王でさえ制御不能で、秩序に収まることのない戦士でなければ、敵を圧倒する英雄にはなれないと、古代人は考えたのでしょう」

     ◇

 冒頭で紹介した兄殺しは、古事記が書くものである。日本書紀にはこの記述はなく、オホウスは、西征から帰ってきたヤマトタケルに東征の役割を促され、逃げ隠れてしまう臆病な人物として描かれている。

 岐阜県山県市柿野。山間の集落にたたずむ清瀬神社は、オホウスが大根王(おほねのみこ)の娘とともに隠棲(いんせい)したとされ、こんな伝承を持つ。

 〈日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定を果たされた帰途、狗(いぬ)の道案内によって美濃に着き、都からのご命令をお待ちになる間、大碓命と睦(むつま)じくお住居なされた〉

 伝承は毎年4月、800年以上の歴史がある柿野祭りで再現される。近くの垣野神社を出たヤマトタケルの神輿(みこし)と、清瀬神社から出たオホウスの神輿が御旅所で出合い、神楽やからくり人形舞が奉納される。

 「体が大きく勇敢だったため、討伐を強いられるヤマトタケルは、心優しく戦が不得手の兄を慕っていたのです」

 両神社の氏子総代代表、長屋隆司氏はそう話す。個性の全く違う兄弟の運命を村人は憂え、幸福なひとときを語り伝えている。   =第1部おわり。次回<第2部>(1)は4日に掲載

     ◇

 この連載は川西健士郎、坂本英彰、安本寿久が担当しました。

     ◇

【用語解説】ヘラクレスとの共通点

 ギリシャ神話の英雄、ヘラクレスは、紀元前16~12世紀のミケーネ文明の都市国家ティリンスの王に、ライオン退治など12の難行を命じられる。命令は、自分の子を敵と思い違いして殺したことが原因。ヘラクレスは、他国の皇子を騙して高い塔から突き落として殺したり、捕虜にした王女を溺愛(できあい)したりする罪も犯す。

ヤマトタケルも西征では騙し討ちで敵を倒し、東征では不当な愛欲に溺れたことを古事記は書く。吉田名誉教授は中央アジアの遊牧民を経由し、印欧語族の神話が日本に影響している可能性を指摘する。

     ◇

【用語解説】オラトリオ『ヤマトタケル』

 日本人のための第九を-というねらいで創作され、ヤマトタケルの生と死、愛と平和を描く。合唱はヤマトタケルと荒ぶる神の2役を演じ、競り合い、合流しながら展開していく。

 全6楽章で、天孫降臨、誕生、西征、東征、暗雲、昇天と進む。要所で和楽器が登場し、神話の世界を彩るほか、ポップス調、現代音楽風と豊かに変わる曲調も特徴。シグナス混声合唱団が定期公演を行うほか、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を後押しするため、1万人コンサートの平成30(2018)年開催をめざす実行委員会が結成されている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000