今瀬剛一の句


障子貼りゐていつの間に囲まれし  今瀬剛一

冬の星糸で繋いで贈らむか   今瀬剛一

瀧凍り始める寒さかと思ふ   今瀬剛一

ショール巻いて母が見えなくなりしかな   今瀬剛一

やがて会ふはずの枯野の二人なり   今瀬剛一

瀧深く隠して山の眠るなり  今瀬一博

鮟鱇の腹の白さよ雪催   今瀬剛一

目瞑れば吾も大柚冬至風呂  今瀬剛一


https://miho.opera-noel.net/archives/211 【第二十六夜 今瀬剛一の「凍滝」の句】より

  しつかりと見ておけと滝凍りけり  今瀬剛一

 句意は次のようであろう。

「凍滝を見ていたら、私の姿をしっかりと眼に留めておきなさい、と凍滝の方から言われたように感じましたよ。」

 今瀬剛一は昭和十一年生まれ。水戸一高入学と共に作句を開始。二十五歳で「夏草」、三十五歳で「沖」創刊と共に参加する。五十歳で「対岸を」創刊主宰する。

 東茨城郡常北町の水戸から車で二〇分ほどのご自宅に、蝸牛新社刊行の「俳句・俳景」シリーズ『山河随吟』の見本刷りをお届けに向かったことがあった。少し小高くなった竹藪のところです、と教えてくれた場所に着いた。庭は竹藪や雑木林に囲まれていて、雑木林は丸く庭を囲み、秋には栗が一杯落ちるので取りにいらっしゃい、と仰有ってくれた。雑木林はかなり深そうなので「どこまでお庭ですか」と尋ねると、「少し先は下りになっていてずっと家の畑です」という。何とも広々として気持ちのいいところにお住まいであった。

 掲句の滝は、ご自宅から車で北上して一時間ほどで行けるところにあり、剛一の滝の句はほとんどが袋田の滝である。完全凍結した滝を見たのは、まだトンネルのできていない頃の月の夜で、山裾の細い道を幾曲がりもしながら滝の麓へたどりついたという。「月が中天にかかっていてそれが滝の沈黙を深めていた」という幻想的な美しさの前で目を離すことのできない気持で佇む作者に、滝から「しつかりと見ておけ」と言われたかのように詠んで、力強い一句となった。

 現在トンネルの中の滝の入口で、この句碑が出迎えてくれる。

 私たちが見に行ったのは、しばらく後の真夏であった。私は巨大な岩を布引のように流れる壮大な姿を真下から眺めたが、夫は展望台まで細い階段を上っていき、「よかったぞ」と自慢した。 

 『山河随吟』のあとがきに、次の言葉があった。

「対象として向かったのでは本当の姿を見せてくれないように思うのである。」と、作品が出来なくなると自然の中へ出かけるが、句帳や鉛筆を持たずに行く場合が多いと述べている。

 もう一句紹介しよう。

  雁よりも高きところを空といふ

 筆者の私も茨城在住なので、筑波山へドライブするときなど、雁が棹となり、くの字形になって飛んでゆく姿を目にすると、見えなくなるまで思い切り首を反らして真上の雁を見上げている。

 だが作者の剛一は、「ああ、雁」と雁を見上げているつもりが、いつの間にか「ああ、空だ」と感動している。きっと、雁の向こうにある空の、無限の広さ高さ深さを見上げていることに気づいたからであろう。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498733326.html 【季節の風物詩3 凍滝(いてだき)】より

しつかりと見ておけと滝凍りけり     今瀬剛一(いませ・ごういち) 

この凍滝は茨城県北部、大子町にある袋田の滝(ふくろだのたき)である。

袋田の滝は、日本の三名瀑の一つに数えられる勇壮な滝だ。大きな岩盤のような山の頂から、噴き出すように滝が落下する。

「凍滝(いてだき)」としても有名で、厳冬の日は滝が氷り、豪壮な自然美を見せてくれる。

掲句は、この勇壮さと美しさを持った凍滝の迫力を見事にとらえている。

作者は、滝がおのれの凍りゆくさまを「しっかりと見ておけ」と呼びかけられたように感じたのだ。

特徴的なのは、凍滝の様子を全く説明していないにも関わらず、凍滝の圧倒的な姿がありありと浮かんでくるところだ。

このことから、俳句はこまごまと「モノ」を写生しなくても、十分に「ものの光り」を表現しうる文芸であることがわかる。

俳句という短詩は、言葉による読み手の経験・体験、または感性に基づくイマジネーションが大きな力となっているのだ。

ところで、凍滝は何を「しっかりと見ておけ」といったのであろうか。

もちろんそれは、凍滝の雄大な姿であるが、さらに言えば、千変万化する森羅万象すべての大きな姿なのだ。

滝と真向かいながら、「おまえはどうなんだ」「おまえもそうであろう」と言われているかのように、作者は自分の生きざまを考えている。


https://haikuatlas.com/?kushuu=%E5%8F%A5%E9%9B%86%E3%83%BB%E7%B5%90%E7%A4%BE%E8%AA%8C%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%8010%EF%BD%9E%E3%80%8C%E5%AF%BE%E5%B2%B8%E3%80%8D2018%E5%B9%B48%E6%9C%88%E5%8F%B7 【句集・結社誌を読む10~「対岸」2018年8月号】より

結社誌、月刊、昭和61年創刊、茨城県城里町、創刊 今瀬剛一主宰作品「日光」より、

大瀧や中段はづむひとところ   剛一      膝つくは傅くに似て泉汲む

泉湧くなり一つづつ癒えてゆけ          水音の涼しき限り神おはす

この瀧をあげます暑中見舞ひです

今瀬主宰というと、 しつかりと見ておけと滝凍りけりを思い出す。

今瀬先生の代表作、というだけでなく、現代俳句の代表作と言っていい。

先生のうちから近いのかどうかわからないが、先生はよく茨城の大子の滝に行く。

この句も大子の滝で作られた、と聞いた。

(句の解説はこちらを…)

季節の風物詩3 凍滝

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/2580982.html

今回も、「滝」「水音」「泉」など、「水」に関する句に優れたものが多い。

タイトルが「日光」であるから、この「大瀧や」は日光のどこかの滝だろう。

「中段」という漢語が力強い。滝の途中に大巌があるのだろう。

帯なしていた滝水が、大きく跳ね上がっている様が見える。今瀬主宰の句はダイナミックな写生句が多い。それはそのまま、生の力強さにつながる。

「泉湧く」は、ご病気をされたのだろうか。この句も前向きである。

一番好きだったのは、「水音の」である。「しつかりと」の句も、瀧が擬人化されている。

この瀧はきっと「神」なのである。今瀬主宰にとって、「水」は「神」なのであろう。

同人欄、会員欄より

雪嶺や三角屋根の土合駅    橋本公子

潮流は絶えずぶつかり瀬戸の夏   毛利きぬゑ

寝返りて傾く柱はしり梅雨   宮崎すみ

ざわざわと青葦分けて釣師来る   氏家ゆうき

抜きんでて蓮の巻葉は風の的   鈴木 勉

白蝶のいま羽根ひろげたる別れ   石堂摩夜子

今年33年目を迎える結社の充実した作品群である。

「写生」から「情感」へひろがってゆく詩情がある。

連鎖で目を引くのはやはり今瀬主宰の「能村登四郎ノート」、なんと「200回目」である。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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