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色鳥の中の鶲となりにけり 高浜年尾
季語・色鳥(秋)
モデル・うちのジョウビタキさん。
高浜年尾は俳人。ホトトギス代表。俳人高浜虚子の実子。
ジョウビタキさんは、最初は先住鳥のちゅんを追い払うようなことをしましたが、今ではすっかり仲良しです。私が名前を呼ぶとたいてい1分後くらいに来ます。
おやつ入れのお皿は何色か試しましたが黄色が好きです。
https://washimo-web.jp/Report/Mag-Jyoubitaki2020.htm 【- 俳句鑑賞・尉鶲(ジョウビタキ) -】より
わが家に飛来してきている一羽の尉鶲(ジョウビタキ)。ジョウビタキは、チベットから中国東北部あるいはロシア南東部で繁殖し、非繁殖期になると片道2000キロメートルにも及ぶ距離を飛んで日本などに渡って来て越冬する冬鳥です。毎年同じ場所に帰って来る(飛来してくる)に違いないという説もあるそうですから、愛おしく思われて仕方ありません。
さて、尉鶲(ジョウビタキ)は、単に鶲(ヒタキ)あるいは火焚鳥(ヒタキドリ)、紋付鳥(モンツキドリ)ともいい、俳句では秋の季語になっています。俳句歳時記に次のようにあります。
尉鶲は雀大で、腰と尾が錆赤色で美しく、黒い翼には大きな白い班(はん)があるので『紋付鳥』ともいう。人を恐れず、森・畑・庭園などに多く、尾を上下に振ってヒッヒッヒッカタカタと鳴く。その鳴き声が火打ち石を打つ音に似ていることからその名があるといわれる。(出典:角川書店・合本俳句歳時記第三版)
例句を調べてみると沢山の句が詠まれていて、人々に尉鶲(ジョウビタキ)がいかに親しまれてきたか伺い知ることができます。例えば、
こころあてなくして鶲来てくれし 阿波野青畝
よき話鶲つげ来よ南まど 上村占魚
一むらの刈安に声稲鶲 飴山實
一人で事足る鶲啼く 種田山頭火
人は死に人は鶲とあそびけり 斎藤玄
今年また紋見せに来し鶲かな 鷹羽狩行
前略と庭先に来し鶲かな 鷹羽狩行
咥(くわ)へゐるもの見せに来し尉鶲 後藤比奈夫
寝正月鶲を欲れば鶲来る 橋本多佳子
尉鶲かの世の径のごとくゐる 能村登四郎
尉鶲ほのかな老いを置いてゆく 山田みづえ
声でわかる鶲の機嫌空模様 津田清子
恋しさの鶲となつて亡父母よ 三橋鷹女
朝時雨鶲を庭にのこし去る 加藤秋邨
風と来て風が連れ去る夕鶲 加藤燕雨
https://knowinglykunchangtan.hateblo.jp/entry/2016/11/04/053756 【鶲(ひたき)/今日の俳句 ≪第2310号≫】より
鶲見る頬杖の刻うつりつつ 富安風生
鶲来る富士北麓に夕日充ち 飯田龍太
尉鶲ほのかな老いを置いてゆく 山田みづえ
鶲来て色作りたる枯木かな 原石鼎
山小屋の朝の塵場に瑠璃鶲 杉本伶一
※ 鶲(ひたき)
ヒタキと呼ばれる鳥には、鶲科のコサメビタキ・エゾビタキ・サメビタキ・キビタキ、鶫科のルリビハキ・ノビタキ・ジョウビタキなどがある。このうち黄鶲と小鮫鶲は夏鳥。蝦夷鶲と鮫鶲は来たから南へ渡る途次日本に立ち寄る旅鳥で、まれに高山帯で繁殖が見られる程度。数も少なく、俳句の対象とはならない。従来は尉鶲・黄鶲・小鮫鶲その他を一括し鶲として冬の季題にしていたが、これはあきらかに誤りで、漂鳥の瑠璃鶲。野鶲、秋に渡ってきて日本で越冬する尉鶲の鶫科の三種は、秋季とするのが妥当であろう。野鶲は、雷鳥のように夏と冬とでは羽色がいちじるしく変わるので有名な雀ぐらいの大きさの鳥。東部シベリア・中国北部・朝鮮・北海道・本州北部で繁殖し、秋に日本の南の地方、華南・ビルマ・マライなどに渡る。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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※☆*わが友に贈る*☆※
教学を研鑽した感動を
日々の生活に生かそう!
仏法の魂は実践にあり。
行学の二道に励み
共々に向上の人生を!
2016年)11月4日
※☆*寸 鉄*☆※
SGIは生命の価値を広げ世界規模で平和に貢献―大学総長。希望の大光
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目的は終点ではなく今を変えていく過程―哲人。広布の為に弛みなく挑戦
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「パリ協定」発効。国際社会が一体でCO2削減。人類益の行動、足元から
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節電へ「ウォームビズ」始まる。室温20度が目安。衣・食・住の知恵と工夫を
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訪日外国人数が初の年間2千万人突破。心を結ぶ人間的な交流の促進急げ
【聖教新聞:2016年(平成28年)11月4日(金)付】
※☆*名字の言*※
鳥取県中部を襲った地震の発生から2週間がたった。建物の被害は8900棟を超え、依然多くの住民が避難所で暮らす。余震の中、懸命な復旧作業も続く
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最大震度6弱を観測した倉吉市。ここで黄色い果肉のスイカ「サマークリーム」を栽培する壮年部員がいる。農業を始めて40年。東日本大震災では、“自分にできること”を考え抜き、スイカ100玉を被災地に贈った。後日、写真が届く。スイカを頰張る被災者の笑顔。翌年から200玉に増やした
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壮年は鳥取地震の直後、体育館で一夜を過ごした。壁にひびの入った自宅に戻ると一本の電話が。東北の同志。「ご恩は忘れません。お題目を送り続けます」。壮年は受話器を握り締め、再起を誓った
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1991年(平成3年)、鳥取・島根を訪れたSGI会長は和歌を詠んだ。「山光と/たれがつけたか/この光彩/日日の輝き/山陰消えたり」。“暗いイメージ”だった山陰で広布に挑む友に励ましの光を送った
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友の勝利を祈り待つ師。同苦し励まし合う同志――この二つの絆が苦難の冬を希望の春に転じる力となる。本年は和歌発表から25周年。来月には「山光総会・音楽祭」が開かれる。そこには“冬は必ず春となる”との信念で凱歌を響かせる鳥取同志の姿があるはずだ。(子)
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