http://morihaikukai.blog.fc2.com/blog-entry-203.html 【やまだようこ氏 大森健司「森」俳句会】より
2019年5月、京都イノダ珈琲店にてやまだようこ氏と初めてお逢いした時のことは今でも鮮明に胸に焼き付いています。
「俳」の根本である、生命の神秘や民俗学に造詣が深いため話は早く、俳句とは、この上なく豊かな遊びの世界であることを瞬時にして掴まれました。
そして同年6月より、やまだふゆめという俳号の元、「森」俳句会の扉を叩いて下さいました。やまだようこ氏の専門は生涯発達心理学とナラティブ心理学です。
人は生きて行く中で言語化が難しいことは往々にしてあります。
ナラティヴ(物語・語り)を通して、ことばでは捉えきれないイメージを探求し、その方に寄り添いながら紐解く「質的心理学」を切り開かれた第一人者であります。
私が生業としている「俳句」とは人生そのものです。良くも悪くも裸の自分が十七文字に映し出されます。自身と向き合うことには覚悟が要ります。
俳句の句座では、句を通して互いに寄り添い、共有することでことばの奥にあるものを確信する作業をします。
氏と私の深い結び付きは「虚」の存在への肯定です。
そこには科学的世界と非科学的な世界が共存し、高度な魂の純度は、神との対話を可能にして優れたようこ氏の俳句作品へと昇華されます。
研究者としての確かな目の鋭さと永遠の少女性が好奇心を常に突き動かし「今を生きる」ことの大切さを体現されている姿には常に感銘を受けます。
「ないけど、ある」
やまだようこ氏の美しい言葉であり、私の俳句の根本に通じるところです。
やまだようこ氏(俳号=やまだふゆめ)の突き抜けた俳句作品を是非「森」プログにてご覧下さい。代表として幸いです。「森」俳句会代表 大森健司
http://morihaikukai.blog.fc2.com/blog-entry-212.html 【生き人形と水槽の魚 -大森健司句集『あるべきものが・・・』を読んで やまだふゆめ】より
お借りしました先生の句集『あるべきものが・・・』を、さっそく拝見させていただきました。教えを受けるようになってから日も浅く、今まで先生の句歴もあまり存じあげませんでした。
この句集は2007年に刊行された、先生の、22歳から31歳までの間の若いときの作品です。句集というのは、画家の個展のようなものですね。ひとつひとつの句を鑑賞するときとは違って、句集から作者の生身の人生が全体として伝わってくるような迫力があります。
句集を拝見して、感動というより「衝撃」を受けました。そのことばにできない衝撃の一端を何とかことばにしたいという欲求がつきあげてきておさまりません。
そこで、あまりにも個人的な偏った見方になるかもしれませんが、この評論を書くことにしました。俳句の世界の作法をはずれた、とても失礼な論評になるかもしれませんが、どうぞお許しください。
私が絶版になって手に入らない句集をぜひとも拝見したいと思ったのは、下記の句に出会ったからでした。これは、確かに衝撃的な句で、忘れることができません。
炎天や生き人形が家を出る
この句はなぜ衝撃的な魅力をもつのでしょう。「生き人形」ということばのもつインパクトとそこから生まれるイメージの連想によるのかもしれません。
人形は「ひとがた」です。ひとがたは、かつては水に流してケガレを払う呪いや祈りに使われました。女性の玩具としても使われたので、女性的で両性具有的な感性も感じさせます。「生き人形」は、折口信夫や寺山修司の世界と通じるものがあるようです。
しかし、この句の生き人形は、寺山修司の世界のような「土着的なおどろおどろしさ」より、人形浄瑠璃や京人形のような「都の洗練」や「あでやかな美しさ」を連想させます。
生きものと生きていないもののあいだ、たましいを吹き込まれたときだけ存在するつかの間の「生き人形」、それは、この世とあの世の境界を行き来するような不思議な感覚を生み出します。かつては文楽の人形に、そして現代ではアンドロイドや初音ミクのようなヴァ-チャルな存在に感じる不思議な魅力だといえましょう。
晩夏光ナイフとなりて家を出づ (角川春樹 『カエサルの地』)
大森健司さんは、角川春樹さんの愛弟子にあたりますが、似た句と比較すると、資質の違いが明確になるように思われます。同じ家を出る行為を詠んでいますが、晩夏の光をあびてぎらぎらと輝く「ナイフ」、全身を闘いのための鋭いナイフにして研ぎ澄まして家を出る青年と、「生き人形」とは何という違いでしょう。「早くから大人たちの中で育ち子どもとして生きさせてもらえなかった」という生い立ちをもつ著者の気持ちが「生き人形」ということばにこめられているかもしれません。
人形は一見すると意志や感情をもたない存在のようですが、その代わりに夏の空は炎天で、激しく燃えており、秘めた情熱を感じさせます。パッション(情熱)は、アクティヴに対してパッシヴ(受動的)という意味をもちます。「受難」「受苦」という意味もあり、「傷み」(ペイン)をともないます。そして、感受性(センシティヴィティ)ということばに、「受ける」という字が入っているように、センス、センシティヴという感覚は、「受け身」で感じる感覚です。ナイフで切って傷つける側の闘争的でアクティヴな行為よりも、自らは意志をもたず弄ばれる人形として受苦を引き受ける「受け身」の存在のほうが、感受性は鋭いかもしれません。
さて、「家を出る」のは、自立の普遍的なテーマでもあります。イプセンの「人形の家」は、人形のように生きていた女性が自立する物語です。しかし、「生き人形」の句は、「炎天や生きて人形の家を出る」ではないことが重要です。家を出るのは「生き人形」なのです。この生き人形は、家を出て人間になるのでしょうか?いや、家を出ても生き人形のままで生きるのかもしれません。
たましいのない装飾的な存在としての「華」、見られるものとしての「金魚」、それは生き人形のもうひとつの生きる姿かもしれません。
ダリア咲く窓を閉めても雨の音 葉鶏頭窓一枚に昼があり
曼珠沙華いくつの耳がありしかな 金魚数匹暮れたる水に泳ぎたり
熱帯魚真昼の水をこぼしけり ねむり得ず金魚の赤がひるがへる
句集が衝撃的だったのは、「生き人形」のような特定の魅力的な句や、卓越した句法にもよります。そして、ここではあえて論じないのですが、「父」「母」など繰り返し現れる著者にとって切実なテーマにもあります。
しかし、それだけではなく、句集全体が好きな句にみちあふれていたからです。そこから、たちあがってくる「感性」に、とても惹かれます。その「感性」が身体感覚を通して、一見日常的にみえる平明なことばを通して、そのまますっとまっすぐにひびいて伝わってきます。
ひび割れる大地をのぞく天道虫(てんとむし) 秋のひる誰もが通り過ぎてゆく
虹消えて座るべき椅子見あたらず
その「感性」については、ことばではうまく表現できませんし、誤解があったら申し訳ありませんが、「この世界に自分はほんとうには入っていない」というような感覚です。淋しいとか、孤独とか、不安とか、そういう感情とは違います。多くのひとと簡単には通じ合えない「ふるえるたましひ」みたいな身体です。
何かすきとおったガラスの窓を通してこの世とかかわっているような感じ、正面からぶつかって赤い血を流すのではなくガラス越しに見えない繊細な傷がこまかくつく身を守っているみたいな感覚です。水槽のなかにいて、そこへ天空から降ってくる「透明な虹」、それがひとりだけにはっと見えて句になるみたいな感じでしょうか。
水槽の魚しづかなり冬の虹 犬ふぐり空より落ちる風もなし
新緑の月のひかりの重さかな 飛魚に手つかずの空ありにけり
正面から闘いを挑んで血を流すのではなく、闘う相手さえいない、ある種の「欠落」「不在」「空洞」の感覚をかかえるのは、生い立ちや環境と関連するだけではないでしょう。それは、村上春樹さんの小説などにも繰り返し現れるテーマです。それは、現代の芸術家の感性として普遍的なものと通じるのではないかと思いますし、よりおおきなものと対峙して研ぎ澄ましてひらいていける鋭敏な感性ではないかと思います。
「水のなかの子」というイメージでは、以前に私の著書『私をつつむ母なるもの』のなかで、大江健三郎さんの文章を引用して論じたことがあったのを思い出しました。
大江さんの小説では、鳥(バード)や鷹と名づけられた雄々しく空へ飛翔するものへのあこがれが繰り返し描かれてきました。そして谷間の水たまりは意志のない「死者が浮かぶ汚水」でした。しかし、『新しい人よ眼ざめよ』では、「澄んだ水のなかの子」のイメージに変わりました。
水を嫌って飛び立つ「鳥(バード)」、鋭い眼をもつ「鷹」から、・・・思い切って洪水のなかで「魚」に変身したときに、水には別の価値もあるのではという予感ができはじめた。
だがまだ、「勇魚(いさな)」でなければならなかった。勇魚は鯨の別名であり、魚ではない。たとえ魚のように水のなかで生きるにしても、「愚かしい魚類」ではなく、身構えて闘う巨きい勇ましい魚でなければならなかった。
それが今では水のなかで自然(じねん)に息をする「卵」のかたちの眼になったのである。「水のなかの入れ子」は水に身をゆだねる穏やかな魚のようにやすらかで、少しも水の抵抗を受けるようではないが、しかし、はっきりと眼ざめている。
(やまだようこ『私をつつむ母なるもの』)
水のなかの息子は切れの深い卵型の眼を大きく見開いて、静かな感嘆をあらわし、鼻や口許からひとつずつ立ちのぼるのが見えるほど、穏やかに穏やかに身動きしている。それはもしかしたらこのような態度こそが。水のなかで人間のとるべき自然なかたちではないかと反省されたりもするほどあった。 (大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』)
「水のなかの子」にもどることの必要性は。現代という時代においては、かなり普遍的なことのように思われます。「父」が不在で「父」の遺産を失ったわたしたちは、ユングがいうように「精神(ガイスト)がもはや上ではなく下にあり、もはや火ではなく水である時代の子」だからです。そこでユングは、漁師になって水底に降りて魚を捕りに行くのだと言います。
水底には宝があることを知り、それを引き上げようとするであろう。彼らは自分が誰かを絶対に忘れてはならないのであるから、自分の意識を金輪際失ってはならない。---それによって彼らはいわば漁師になる。つまり水の中を泳いでいるものを釣針と網でつかまえるものとなる。 (ユング『元型論』)
このユングのことばは、角川春樹さんの次のような句とひびきあうものです。
勇魚(いさな)捕る碧き氷河に神がゐて (角川春樹 『カエサルの地』)
「水のなかの子」のイメージは、漁師になって大魚を捕るイメージとは違っています。水のなかに住みつづけて、水のなかで眼ざめて感性を研ぎ澄まし、そこにはっと降りてくる光のきらめき、光の網目がつくりだすゆらめく文様、奇跡のように美しい虹の光を見るのだからです。
自分はもうこのまま、谷間の川の中心の、どこから見ても卵のような、まんなかの空洞に入りこんで、エラ呼吸しながら生きつづけるのだと、そのように感じて・・・・
事実、僕はいかにも永く水の底にとどまっていたような気がする。現にいまも自分はそこにとどまりつづけているのであり、これまでの僕の生はすべて、ウグイの群がわずかに位置を交換しつつ間断なくつくりだす文様を読みとった内容にすぎなかったのだと、そのような気もするほどだ。 (大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』)
私は、この「水のなかの子」のイメージに、折口信夫の「みあれ」についての考察をむすびつけてみたいという誘惑にかられています。
京都の賀茂社では、新緑のころ「みかげまつり(御蔭祭り)」という再生にかかわる古い祭りが行われます。この祭りは、さらに古くは「みあれまつり」と呼ばれていました。「みあれ」は、「ある」からきていますが、それは存在するというより「あらわれる」という意味です。
折口によれば、神あるいは貴人には、「誕生」ということはありません。なぜなら何時も生きており、また何時も若いからです。ただ時々に休みがあり、また休みから起き上がってくるのです。貴人について「みあれ」というのも、生まれるということではなく、あらはれる・出現・甦生・復活に近い意味です。そして、水は、「あらわれる」ときに媒介となるものです。
日本の古い御産の形式には、水と火との二つの方式がありますが、水に関したものでは、産婆・乳母である「みぶ」に選ばれた女子が水に潜って、若皇子をとりあげる儀式もありました。今でも赤ん坊が生まれると「産湯」に入れますが、「湯」は暖かい水という意味ではなく、古代では、水を「湯」とも称しており、産湯は「ゆかはあみ(湯川浴)」のことです。
産湯の「ゆかはみづ」によって、ケガレを払う「みそぎ(禊ぎ)」がなされます。その水は単なる「みそぎ」ではなく、「若水」でもあります。若水は、「とこよ(常世)」からやってくるもので、特定の井戸に湧きます。その井戸の水を用いて沐浴すると、新しい活力をえて生まれ変わり、「新しい人」になって眼ざめるのです。
水槽の魚しづかなり冬の虹
飛魚に手つかずの空ありにけり (大森健司『あるべきものが・・・』)
引用文献
大江健三郎 1983『新しい人よ眼ざめよ』新潮社
大森健司 2007『あるべきものが・・・』日本一行詩協会
折口信夫 1975「貴種誕生と産湯の信仰と」折口信夫全集 第二巻 中央公論社138-144
角川春樹 1981 『カエサルの地』牧羊社
やまだようこ 1988『私をつつむ母なるもの-イメージ画にみる日本文化の心理』有斐閣
ユング C.G. 1999 (林道生雄 訳)『元型論』紀伊國屋書店
https://yoko-yamada.jimdosite.com/%E4%BB%8A%E6%9C%88%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0/ 【今年の実り】より
今月のことば 2024年12月
沈々と蜜柑の夕陽沈む海 短日や立ち坐りする石仏(ふゆめ)
今年もあとすこし、これで龍年ともさようならです。もう一巡して、また出会えるかどうか、わかりません。名残りの日々を大切にしたいと感じるこのごろです。
今年もいろいろなことがありました。実ったものも、そうでないものもありますが、精魂こめたものは、すべてが愛おしいです。
今年は親友が眠っている小豆島を訪ねました。中学のときから青春時代を共にした彼女は、好きな人とむすばれ、「これから赤ちゃんが生まれてくる」という幸せな期待のさなか、25歳という若さで御産の最中に亡くなりました。
小豆島はオリーブの産地です。未熟な青い実も熟した紫の実も混在して成っているオリーブ、小さいけれど油をいっぱい貯えたオリーブの実、亡き友をしのびながら眺めました。
今年の成果は『ビジュアル・ナラティヴー人生のイメージ地図(著作集第9巻)』(新曜社)が出版されたことでしょうか。35年以上にわたってとり組んできたビジュアル・ナラティヴの多文化研究三部作の最後の本ですが、ようやくまとめることができて、肩の荷がひとつ降りました。
それと両行して、2つの俳句評論が『俳句界』(文學の森社)に掲載されました。さらに、3つめの評論も新年号から連載されます。これから本格的に「詩的心理学」へと出発しようとする記念の年にもなりました。
縁あって出会い、お世話になった多くの方々、すべての方々への感謝の気持ちがいっぱいあふれてくる年末です。(写真 小豆島のオリーブの実)
別子銅山 今月のことば 2024年11月
鎮魂の時を熟して花梨の実 勾玉にふれる指さき冬の月(ふゆめ)
四国の別子銅山に行く機会がありました。私は、大地の生成やうねりを刻みこんだ地層や岩石や鉱物が大好き。地球の長い歴史のなかで、地殻変動や噴火や浸食などさまざまな条件で、偶然のむすびつきで生まれた、唯一無二の岩石の色合いや紋様を眺めていると、時を忘れます。そして、人間の歴史を相対化できます。
美しい宝石の結晶も良いけれど、私の好みは黄銅鉱や黄鉄鉱や自然銅や自然金など渋い味わいの岩石そのもの。それらが産出された鉱山は、あこがれの場所です。以前に、生野銀山、岩見金山へ行ったので、次は別子銅山と考えていました。
車でもふもとから40分、山から山をぬけた標高700mの山深い場所に、山の崖にへばりつくように鉱山跡と住居跡がありました。今では「東洋のマチュピチュ」と言うそうです。
鉱山の歴史は涙なくして語れないもので、そこで働いた多くの人々の血のにじむような労働によって支えられてきました。男性たちが、暗い穴に入って堅い岩盤を堀り、岩石を割ります。乳飲み子を負ぶった女性たちが、細かく砕きます。そして女性たちが隊列を組んで30kgの荷物を担いでふもとまで降ります。
近代化、機械化の恩恵をたっぷり受けて都会で便利な生活をしていると、その弊害のほうが注目されがちです。そして「手仕事」をしていた「昔の暮らし」は素晴らしかったと想われたりします。しかし、機械が多くの過酷で辛い労働から人を開放してくれたことも事実です。鉱山跡は、近代化とは何だったのかというプロセスを実感をもって感じられる場所です。
つい数百年ほど前、祖父母が生きていたころの生活の実感さえ、もう今では忘れてしまっています。テレビも冷蔵庫もコンピュータも携帯もなかった時代のことを私は覚えていますが、今の子ども達には想像もつかないでしょう。そのうちAIのない生活なんて想像できないという時代がやってきそうです。
(写真 別子鉱山の紅葉)
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