声明の杜に染み入る実盛忌 松尾紘子

https://note.com/k_maru027/n/n52e28830295d【千年の響き~天台宗の声明】より

声明しょうみょうとは

私自身は特定の宗教の信者というわけではありません。それにも関わらず今回のイベントに参加してきた理由は二つあります。

まずは、「現在執筆中の小説(泪橋なみだばし)の参考にしよう」という下心(笑)。

時代が室町時代中期で、藤葉栄衰記とうようえいすいきを読解中なのは何度か書いていますが、その中で「寺院の建立」に触れられているんです。寺院を建立するということは、何かしら法会が行われているわけで、その場面をイメージするのに、「仏教系のイベント」はぴったりだったというわけです。

また、今回のイベントの第二部で登場された張堂興昭先生が、妹の同級生の親戚筋、かつ「鎌倉殿の13人」の仏事指導をされていたというのも、拝聴したいと思ったきっかけでした。

さて、第一部の「声明しょうみょう」です。これは、簡単に言うとお経に節をつけて歌うもの。

大きく分けて南都声明、天台声明、真言声明などの流派があり、天台宗では京都大原三千院が、声明の里として知られているそうです。

声明は平安前期に中国から日本に伝えられ、後に良忍上人りょうにんしょうにんによって天台声明の形式が調えられ、現代に伝えられているとのこと。

代々の声明法師は、大原にある「音無おとなしの滝」で修行をしたそうです。

この滝名の由来は、はじめのうちは声明の声が滝の音に消されて聞こえないものの、修行を重ねると滝の音と声明の声が溶け合い、最後には滝の音が消えて、声明の声だけが聞こえるようになるという故事に基づきます。

声明は邦楽の原点とも言われるそうで、声明用の冊子には、「ソリ」などの墨譜ぼくふが振られているとのこと。

大原魚山塾 塾長・多紀頴忍|テレビ番組 | 京都知新 | MBS 毎日放送

今回の主人公、多紀頴忍さんは大原魚山塾の塾長です。 大原に千年伝わる「大原声明」を、宗派問わずいろんな人に親しんでほしいと

www.mbs.jp

こちらで紹介されている動画を、当日鑑賞致しました。

この日、披露されたのは全部で4曲。

唄匿ばいとく

法会の冒頭で歌われます。仏の円満な姿と広大無辺の知恵を賛嘆する偈文げもんを、唄師ばいしが独唱します。

数種類存在しますが、相伝の秘曲であり、熟練の声明師の中から唄匿許可状を持つ唄師のみが唱えることを許されるそうです。

今回は、張堂興昭氏が務められました(多分……)。

散華さんげ

諸仏諸菩薩の来迎時、あるいは賛嘆するときに、天空から花が降るという経説に由来します。

散華師が唄匿に被かぶさるように唱え始め、途中から全員での合唱になります。

https://www.youtube.com/watch?v=jSesXs87Oo0

対揚たいよう

説法の場において問答もんどうなどを行って仏の説法を引き出し、教えを発揚・称えること。転じて、一般民衆に対しても教えを説き示すことを言います。

儀式では散華の後に、諸願成就の祈祷句を輪唱形式で、一句ごとに礼拝らいはいしながら唱えます。→確かに、途中全員で立ったり座ったりしながら唄っていました。天台声明独特の曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=AjnfhWKi0d0

諸天漢語讃しょてんかんごさん

『大雲輪請雨経だいうんりんしょううぎょう』からの出典。祈祷法要に用いられ、護摩、地鎮、落慶、仏前結婚式などでも唱えられます。

2016年には、宗派を越えた声明法要が行われたとのことで、恐らくこの動画ではないかと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=tCYlNjLUpLc

……と長々書いてきましたが、私も仏教はあまり詳しくないので、ここまでは会場のパンフレットから抜粋させて頂きました^^;

宗教の概念を「歌」で伝えるというのは、キリスト教でも「賛美歌」などがありますね。

宗教の枠を越えて、神や仏などの教えを少しでも民衆にわかりやすく伝えようとしたのは、世界共通なのかもしれません。

そう言えば、昔修学旅行で奈良の薬師寺のお坊様の説法を拝聴いたしましたが、話の内容はともかく、美声だったのは今でもよく覚えています(笑)。

こんな感じで、皆様で唱和されていました。後ろには、尼僧の姿も見えます。

第二部~張堂氏記念公演

さて、私が興味津々だったのは、第二部の方です。

須賀川の妙林寺のご住職との関係は私もよく聞こえなかったのですが、親戚なのは間違いないようです。

そして、大正大学の非常勤講師ということで、鎌倉時代の仏教についての公演をされました。

興味深かったのが、高校などの「教科書」で扱われる「鎌倉新仏教」と、学会での「鎌倉仏教」の位置付けは、全く異なるという点です。

私も、中学校や高校の日本史で、法然→浄土 親鸞→浄土真宗 道元→曹洞宗 日蓮→日蓮宗

は、「新しい仏教としての位置付け」として習った記憶があります。ですが、学会の世界では、「鎌倉新仏教」という考えかたは有害無益であり、これらの宗派が社会的な意味合いを持つようになってくるのは、戦国時代に入ってからというのが、現在の学会の通説だそうです。

これは、目からウロコでした。

つまり、鎌倉時代はまだまだ天台宗や真言宗など従来の仏教の影響力が強く、また、相互の研究会のようなものも行われていたとのことです。

私が小説で扱っているのは「室町時代中期」ですが、張堂師の説によると、「仏教」の扱いが過渡期にある頃ですね。

なので、これから先に出てくるであろう「法会」の場面(多分終盤)なども、どうしようか色々と考察中です。その前に、藤葉栄衰記の読解を早くやれという話ですけれど^^;

それにしても、本物のお坊様の「説話」は本当に勉強になります。

お寺は、昔から「地域の学びの場」として機能してきました。

江戸時代には「寺子屋」があったのもそうですし、明治時代に「学制」が施行された際に、各地の小学校の教室は「お寺」に設けられることが多かったというのも、納得できます。

信徒になるつもりはないですが、説話はまた機会があったら聞いてみたい。

そんな印象を受けた、今回のイベントでした。

※追記

須賀川妙林寺も、二階堂氏に縁のある古刹です。

→二階堂為氏のときに、現在の場所に移転してきたと言われています。

そしてびっくりしたのが、ツイッターにちょろっと14日の写真を流したところ、天台宗の方からのリプライがあったこと(*^^*) お坊様方も、Twitterを嗜まれるんですね。

考えてみれば、妙林寺のご住職は妹の同級生。

小学生のときはうちの妹がよく喧嘩していたと記憶していますから(苦笑)、お坊様は私達が思うよりも、案外身近な存在なのかもしれません。

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