実盛忌籠彫の鯉龍と化し 佐怒賀直美

facebook近藤裕子さん投稿記事🍀🍀鯉のぼりの伝説🍀🍀

「三級浪高魚化龍」三級浪高くして 魚龍と化す

〈三級〉とは三段の滝、龍門瀑。(中国黄河中ほどの龍門山にある高い滝)。

鯉も死にものぐるいで龍門瀑をさかのぼると龍となる。そんな意味の禅語です。

この逸話が「登竜門」の語源であり、日本の鯉のぼりの風習もこれに由来します。

「鯉のぼり」の歌には、男の子に鯉のぼりの鯉のように雄々しく育ってほしいとの願いが込められています。

懐かしい《鯉のぼり》の歌詞を添えておきます。

甍(いらか)の波と 雲の波 重なる波の 中空を 橘かおる 朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり

開ける広き その口に 舟をものまむ 様見えて 豊かに振るふ 尾鰭(ひれ)には

物に動ぜぬ 姿あり 百瀬の滝を 昇りなば たちまち竜に なりぬべし

わが身に似よや 男子(おのこご)と 空に躍るや 鯉のぼり。


facebook柳田 剛二さん投稿記事  鯉のぼり🎏 とは

鯉は 激流を 遡り さかのぼり 遡り 遡り さかのぼり 遡り

ついに滝を昇りきった鯉は偉大な 龍🐉 と成れる❗⭕🌈

龍 に成れる のは、ほんの ひとにぎりの 鯉だけ …🎏

それはまさに生きたまま肉体をもったままの アセンション❗⭕🌈

とても シンプル だけど成れるのは、 ▲至難▲⭕ だ。

アセンションはきれいきれいな 楽な スピリチュアルばかりやってて、 時が来たら 自動的にアセンション できるなんてことはない。宇宙人がやって来てアセンション させてくれることはない。そんな簡単なことではない。自らがアセンションを本氣で望み本氣で願い、本氣で自らと対峙し本氣で自らのたくさんのインナーチャイルドと向き合い、愛し消化し昇華する✨✡️頑なな鬼化した自らの闇、観たくない闇や鬼化したチャイルドまでもすべて受け入れ認め抱きしめ昇華する✨✡️

先ずは 己れの ◆自我◆を 知れ‼️己れの自我を 心底 知って認識しなければ

真我⭕を  本当に知る ことはない。知ってるつもり…わかってるつもり…ほとんどのスピリチュアルをやってきた人々はつもり… だからだ。

月黄泉からのメッセージ  ルシフェルからのメッセージ その 真意が 理解できなければ

真の スピリチュアル⭕真我にはたどり着けない 

己れの 自我を 知れ ❗❗❗⭕✨✨✨そこから 真のスピリチュアルの入り口が まず始まるのだ✨

鯉🎏が  いずれ 龍に成る 🐉 人が   いずれ 神に成る ⭕🌈

もともと 神⭕  だったのだけど… 人間界に降りてきて 肉体人間ゲームに

参加してきた。 永い…長い…間 輪廻転生ゲーム という 幻想幻影ゲームを

やり続けてきた✨✨✨✨✨✨✨💗 やっと 神へと 戻る時が 来たのだ⭕


https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/series/200805【【曲肱】魚 龍と化す】より

風吹けば来るや隣のこいのぼり 虚子

こんな風景を目にするころとなりました。

風に吹かれた隣の鯉のぼりが我が家の方にやって来るというものです。今は、住宅の事情や立地の条件で鯉のぼりをたてることも易しくないかもしれません。

この鯉のぼりの前身は、武者や鯉の絵を描いたのぼりで、五月のぼりと言ったものだったのが、江戸時代以降、鯉の形状をしたのぼりが作られるようになったようです。

大空を風をいっぱいはらんで泳ぎ回る姿は圧巻です。本々、水の中にいる鯉が空高く泳ぐことに不思議さも感じず、ただその大きさや勇壮さに魅入られたものでした。私たちの地域では、生活改善ということで、各戸の鯉のぼりはたてないという申し合わせがあるのです。

嫁いで来て男児を出産すると在所の親は鯉のぼりを祝うという風習があり、現在とは違って、破格の鯉のぼりを祝うのはたいへんな負担になることから、こうした形で取りやめになったということなのです。今では各集落の広場や、小学校に鯉のぼりが上げられ、子供たちの成長を願っています。

確かに、大正二年五月『尋常小学唱歌』五年生用の教科書に用いられた『鯉のぼり』(作詞、作曲者不詳)の三番に「百瀬の滝を登りなばたちまち竜になりぬべき わが身に似よや男子と......」と、男子に限定していますが、鯉が龍となるように難関を越えて、立身出世することを願ってのものであることがよく分かります。

しかしながら、この歌の典拠となっているのは、禹門三級の故事によるものでしょう。夏王朝の禹は、黄河の氾濫を防ぐために、上流の龍門山に三段の滝を造ったと言います。

この三段の滝を登り切った鯉は、天に昇って龍と化すという言い伝えがあるのです。

碧巖録の中に、三級浪高魚化龍(三級浪高くして魚龍と化す)とあります。つまり、大空を泳ぐ鯉は、三級の滝を登り切って、龍と化した鯉魚の姿なのです。この鯉魚の雌雄は触れていませんから男児に限らず、誰もが、菩提心を発して、其の本を務めることにより、仏とならんことを願っての鯉のぼりであるという解釈もおもしろくないでしょうか。

林 学道


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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