寒茜

https://damp-akune-9829.weblike.jp/2023/02/10/%E9%87%98%E7%AE%B1%E3%81%AE%E9%87%98%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%8F%E5%AF%92%E8%8C%9C%E3%80%8E%E5%A4%A9%E7%90%83%E3%80%8F/ 【釘箱の釘ことごとく寒茜『天球』】より

 「寒茜」とは冬の夕焼けのこと。束の間ながら寒中ゆえにその際やかな色彩は印象深い。釘という素っ気ない物質が、一つの箱に入っている。長いのも短いのも混じって乱雑に投げ入れてあるのであろう。この句、経年のために赤錆びた釘の一山が、まるで寒茜のようだという見立ての句として解することも出来る一方、真新しい艶やかな釘に夕陽が射し込んでいると読むこともできる。どちらにしても、冷え冷えとした釘の質感に茜色を点したことにより詩的な照応を生み出している。

 重要なのは、「ことごとく」である。「釘箱」の全体から「釘」の細部へと読み手の視線を導き、「ことごとく」とリズムよく唱えさせている間に、いつのまにか主観に転じられ、作者の眼を透して、どの釘も余さず、一切が美しく茜色に荘厳される。「見るところ花にあらずといふことなし」(『笈の小文』)と言い切った芭蕉と同様の心眼で、作者は釘を茜色に染め上げる。(渡辺竜樹)

 釘箱を開けるとなかの釘がことごとく赤く錆びついていたのだろう。釘箱の外に広がる世界も、夕焼けで同様に真っ赤に染まっている。釘の赤がさらにあざやかにみえてくる。また掲句を音にしてとらえなおすと、「KUGIBAKO NO KUGI KOTOGOTOKU KAN AKANE」となる。K音とG音が釘箱を釘が転がる音のようにも聞こえてくる。視覚と聴覚の際立つ一句といっていいだろう。

 さらに、この句を読んで思い出すのは、尾崎放哉の〈釘箱の釘がみんな曲つて居る〉であり、飴山實の〈釘箱から夕がほの種出してくる〉である。前者は無季、後者は春の句(夕顔の種蒔く)になるが、併せて読むと、句の世界が広がってみえてくる。放哉の曲がった釘は凍えているようにも、實の夕顔の種には釘の赤錆がついているようにも思えてくる。

 もちろん俳句は一句独立したもので、完成していなければならない。掲句ももちろん完成した一句である。しかし俳句は一句で「完結」するものだろうか。そんな問いが浮かんでくる。完結してしまったら、俳句はつまらない。ときとして独立した一句一句が、時空を超えた対話のように響き合うことがあるのだ。(関根千方)


https://ameblo.jp/yt-0101/entry-12433293664.html 【寒茜】より

            一艇のよぎる海原寒茜    フーザンボー

 寒茜・・寒中の茜に染まる夕空。同じような季語に、寒夕焼、寒落暉があります。

 この時期は夕方は特に寒く感じるので、外で、ましてや浜辺に出て夕焼を楽しむことはあまりありません。日没も早いので、ゆっくりと夕焼を楽しむことも少ないのです。

 浜辺に出て足もとまで茜色に染まってみたいと思いつつ、茜色が消えると早々と闇が来て寒さが増すのです。そのとき一人では、やはり寂しいものです。

 最後の写真は、一昨日にアップしたものと同じです。この海原が茜色に染まっていたら掲句の景になりそうです。      

           寒夕焼妻と見る日を賜りし   織部仁喜


http://blog.sankouan.sub.jp/?eid=1067833 【寒茜】より

親を詠む句会終えたり寒茜 杉竹

遠富士のいときはやかに寒落暉 杉竹

枯れ枯れし風の河原の寒落暉隠れゆくかな遠富士の影 横雲

遠富士を独り眺めて佇めば冬夕焼けは闇に溶けてく やゑ

寒茜、冬夕焼、寒夕焼、冬茜、寒落暉。

単に「夕焼」といえば夏の季語。夏の夕焼はダイナミックで、強烈な真夏の太陽が、隠れようとする頃、西の空が真っ赤に染まる。これが一番印象に残るのだろう。もちろんいつもある気象現象だから「冬の夕焼」「春の夕焼」「秋の夕焼」と一年中季語としてある。秋の夕焼も風情があるけれど、夕焼の時間は短い。春は夕方よりは明け方の風情が一番であろう。冬の夕焼はわずかに西空が輝く程度で、すぐに暗くなる。時には赤というより赤黒く、空気が澄明なところから、色鮮やかで不気味な感じがすることもある。「寒落暉」は荘厳の感もある。句会の帰り道で見て寺町を背景に写真を撮ろうと向かっているうちに暗くなってしまう。

さて、この「茜」、私は、「色、蜻蛉、空」を連想する。辞書では、 「 《「赤根」の意》 1 アカネ科の蔓性 (つるせい) の多年草。本州以南の山野に多い。茎は四角柱でとげがある。葉は心臓形で先がとがり、4枚ずつ輪生するように見えるが、2枚は托葉 (たくよう) 。秋の初めに、多数の淡黄緑色の小花を円錐状につける。根は染料や薬用。《季 秋》「茜の実つぶせし指を妻示す/秋を」 2 1の根からとった赤色の染料。成分はアリザリン。 3 「茜色」の略。」とある。

和歌では「茜さす」のように明るさを強調し「紫」「日」「月」「照る」「昼」にかかる枕詞に用いられて詠まれ、万葉名では茜、茜草、赤根、安可根のように書かれる。

「茜さす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る 額田王(原文: 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流)」

「茜」だけだと俳句では、植物のことで、一般に「茜草」と表記して、「あかね」と読ませる。「茜掘る」が関連季語。

「茜」で夕焼けとして晩夏の季語としたいところではあるが、夕焼けや朝焼けの赤い空は、茜雲、茜空で、夏に限定できないのか季語としては定まらない。

「初茜」は元日の朝の茜空。「初茜空」とも。

「春茜」は春独特のやわらかな感じのする夕焼け。これらは春の季語。朝だったり夕方だったりだが、それぞれ情感がある。

「夕焼」が季語として成立したのは明治時代以降、いわゆる近代俳句になってからのようである。

ところで、「夏茜」「秋茜」は赤トンボ。夏茜は羽化後、羽化した地から遠くないところで生活するが、秋茜は羽化後、山地で盛夏を過ごし、秋に集団となって再び平地に戻る。狭義にはこの種だけを赤とんぼと呼ぶ。ナツアカネはアキアカネを若干寸詰まりにしたような体型で一回り小さい。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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