https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%94%A3%E3%81%BF 【国産み】より
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小林永濯『天之瓊矛あめのぬぼこを以もて滄海そうかいを探さぐるの図ず』(英題)Izanami and Izanagi Creating the Japanese Islands [1]
イザナギ、イザナミの二神が天之瓊矛(天沼矛)で地上の渾沌を[注 1]掻き回して大八島(日本の島々)を生み出そうとしている。
1880年代半ば(明治15年前後)作の肉筆浮世絵。絹本著色、軸装[1]。ウィリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵[1]。ボストン美術館所蔵[1]。
「日本遺産 國生みの島・淡路」碑/伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀)大鳥居横に所在。日本遺産認定を機に[3]、2017年(平成29年)9月23日建立[3]。
国生み/国産み[注 2](くにうみ)とは、日本神話を構成する神話の一つで、日本の国土創世譚である。国生み神話ともいう[8]。 イザナギとイザナミの二神が高天原の神々に命じられ、日本列島を構成する島々を創成した物語である[9]。
なお、国生みの話の後には神生み/神産み(かみうみ)が続く。
本項では日本神話における国生みの物語を紐解いてゆくが、それは「大八島/大八洲(おおやしま)」[10]すなわち日本の島々(日本列島)の、神話的の形成過程を読み解くことになる。
あらすじ
古事記
『古事記』によれば、大八島は次のように生まれた。
伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の二神は、漂っていた大地を完成させるよう、別天津神(ことあまつがみ)たちに命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐、伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を掻き混ぜる[注 1]。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった[11]。
二神は淤能碁呂島に降り、結婚する[12]。まず淤能碁呂島に「天の御柱(みはしら)」と「八尋殿(やひろどの、広大な殿舎)」を建てた。『古事記』から引用すると、以下のようになる。
《 原 文 》 ※字は旧字体。約物は現代の補足。
(...略...)於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。於是、問其妹伊邪那美命曰「汝身者、如何成。」 答曰「吾身者、成成不成合處一處在。」 爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土、生奈何。」 伊邪那美命答曰「然善。」 爾伊邪那岐命詔「然者、吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比。」(...略...) ──『古事記』上卷かみつまき(上巻-二)
《書き下し文》 ※字は新字体、文は文語体。振り仮名は歴史的仮名遣。
其その島しまに天降あもりまして[注 3]、天之御柱あめのみはしらを見立みたて[注 4]、八尋殿やひろどのを見立てたまひき。是ここに其その妹いも[注 5] 伊耶那美命いざなみのみことに問ひたまひしく、「汝なが身みは、如何いかに成なれる。」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾あが身は成なり成なりて、成なり合あはざる処ところ 一処ひとところあり。」と答曰まをしたまひき。爾ここに伊耶那岐命いざなぎのみこと詔のりたまひしく、「我わが身は成り成りて成り余あまれる処ところ 一処ひとところあり。故かれ此この吾あが身の成り余れる処ところを以もて、汝なが身の成り合はぬ処に刺し塞ふたぎて、国土くに生み成さむと以為おもほすは奈何いかに。」とのりたまへば、伊耶那美命いざなみのみこと答へたまはく、「然しかるに善よけむ。」と答曰まをしたまひき。爾ここに伊耶那岐命いざなぎのみこと詔のりたまひしく、「然者しからば、吾あと汝なと是この天之御柱あめのみはしらを行ゆき廻めぐり逢あひて、みとのまぐはひ為せむ。」とのりたまひき。
《口語解釈例》 ※文は口語体。角括弧[ ]内は補足文。丸括弧( )内は解説文。振り仮名は現代仮名遣い。
[伊邪那岐命と伊耶那美命は]その島(※淤能碁呂島おのごろじまのこと)に天降あまくだって、天の御柱あめのみはしら(※天を支える柱)[16]と八尋殿やひろどの(※いく尋ひろもある広い殿舎)[17]を、しっかり見定めてお建てになった。ここで[伊耶那岐命が]女神[注 5]・伊耶那美命に「あなたの身体はどのようにできているか」とお尋ねになると、伊耶那美命は「私の身体にはどんどん出来上がって[それでも]足りない処(※成長し切っていながら隙間が合わさって塞がることのない処。女陰のこと)が1箇所ある」とお答えになった。そこで、伊邪那岐命は「私の身体にはどんどん出来上がって余っている処(※成長し切って余分にできている処。男根のこと)が1箇所ある。そこで、この私の成長して余った処であなたの成長して足りない処を刺して塞いで国土を生みたいと思う。生むのはどうか。」と仰せになった。伊耶那美命は「それは善いことでしょう」とお答えになった。そこで、伊邪那岐命は「それならば、私とあなたとで、この天の御柱の周りを巡って出逢い、みとのまぐわい(※御陰みとの目合まぐわい、陰部の交わり[注 6])をしよう。」とお答えになった。
このようにして、二神は男女として交わることになる。伊邪那岐は左回りに伊邪那美は右回りに天の御柱の周囲を巡り、そうして出逢った所で、伊邪那美が先に「阿那迩夜志愛袁登古袁(あなにやし、えをとこを。意:ああ、なんという愛男〈愛おしい男、素晴らしい男〉だろう)」[19][20]と伊邪那岐を褒め、次に伊耶那岐が「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやし、えをとめを。意:ああ、なんという愛女〈愛おしい乙女、素晴らしい乙女〉だろう)」と伊邪那美を褒めてから、二神は目合った(性交した)。しかし、女性である伊邪那美のほうから誘ったため、正しい交わりでなかったということで、まともな子供が生まれなかった。二神は、最初に生まれた不具の子である水蛭子(ヒルコ)を葦船(あしぶね)(※『日本書紀』の場合は、堅固な樟(くす)で作った船『天磐櫲樟船〈あまのいわくすぶね〉』になっている[21])に乗せて流してしまい、次に淡島(アワシマ)[注 7]が生まれたが、(明記こそされていないものの)またしても不具の子であったらしく、ヒルコともども伊邪那岐、伊邪那美の子供のうちに数えられていない[12]。(『日本書紀』第四段本文では、イザナミがイザナギより先に声をかけたところ、イザナギが「吾は是男子(ますらを)なり。理(ことわり)当に先づ唱ふべし。」と言ってもう一度やり直しただけである。)
悩んだ二神は別天津神の下へと赴き、まともな子が生まれない理由を尋ねたところ、占いにより、女から誘うのがよくなかったとされた。そのため、二神は淤能碁呂島に戻り、今度は男性である伊邪那岐のほうから誘って再び目合った[22]。
島生み
国生み神話 SVGで表示(対応ブラウザのみ)
ここからこの二神は、大八島を構成する島々を生み出していった。生んだ島を順に記すと下のとおり[23]。
※振り仮名は、平仮名が現代仮名遣い、片仮名は歴史的仮名遣で、前者と差異がある場合にのみ表記する。
淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま、アハヂノホノサワケシマ) - 淡路島。
伊予之二名島(いよのふたなのしま) - 四国。
胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
愛比売(えひめ) - 伊予国。
飯依比古(いいよりひこ、イヒヨリヒコ) - 讃岐国。
大宜都比売(おおげつひめ、オホゲツヒメ) - 阿波国(後に食物神としても登場する)。
建依別(たけよりわけ) - 土佐国。
隠伎之三子島(おきのみつごのしま) - 隠岐島。
別名は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)
筑紫島(つくしのしま) - 九州。
胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
白日別(しらひわけ) - 筑紫国。
豊日別(とよひわけ) - 豊国。
建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ、タケヒムカヒトヨクジヒネワケ) - 肥国。
建日別(たけひわけ) - 熊曽国。
伊伎島(いきのしま) - 壱岐島。
別名は天比登都柱(あめのひとつばしら)
津島(つしま) - 対馬。
別名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)
佐度島(さどのしま) - 佐渡島。
大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま、オホヤマトトヨアキツシマ) - 本州。
別名は天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)
以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに、オホヤシマノクニ)という。二神は続けて6島を産む[24]。
吉備児島(きびのこじま) - 児島半島。半島となったのは江戸時代で、それ以前は島であった。
別名は建日方別(たけひかたわけ)
小豆島(あずきじま、アヅキジマ) - 小豆島。
別名は大野手比売(おおぬてひめ、オホヌテヒメ)
大島(おおしま、オホシマ) - 屋代島(周防大島)。
別名は大多麻流別(おおたまるわけ、オホタマルワケ)
女島(ひめじま) - 姫島。
別名は天一根(あめのひとつね)
知訶島(ちかのしま) - 五島列島。
別名は天之忍男(あめのおしお、アメノオシヲ)
両児島(ふたごのしま) - 男女群島。
別名は天両屋(あめのふたや)
日本書紀
『日本書紀』の記述は、基本的に、伊奘諾(イザナギ)、伊奘冉(イザナミ)が自発的に国生みを進める(巻一第四段)。本文では、「底下(そこつした)に豈国無けむや」といって国生みを始めている。また、伊奘諾、伊奘冉のことをそれぞれ「陽神」「陰神」と呼ぶなど、陰陽思想の強い影響がみられる。『古事記』と同様、天降った伊奘諾、伊奘冉は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天之瓊矛(あめのぬぼこ。『古事記』でいう天沼矛)で渾沌とした地上[注 1]を掻き混ぜる。このとき、「滄溟」(あをうなはら)を得た矛から滴り落ちた潮が積もって島(オノゴロシマ)となった。ただし、このとき、他の天つ神は登場しない。一書第一は特に『古事記』に類似し、天神が産み損じの理由を占い、時日を定めて二神を再び降したとする。ただし、どのように時日を定めたかは記述が無い。
(以下略)
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