銀杏落葉

参道や銀杏落葉の打ち寄せる 五島高資

青龍や銀杏落葉の沖つ宮 同

https://zatsuneta.com/archives/006228.html 【街路樹にイチョウが多い理由】より

日本の街路樹にはイチョウの木が多く利用されている。これにはイチョウが持つある性質が関係している。

明治神宮外苑のイチョウ並木

東京の明治神宮外苑や大阪の御堂筋など、イチョウ並木がきれいな場所は日本の各地にある。また、2007年の国土交通省の調査によれば、街路樹として57万本のイチョウが植えられており、樹種別ではイチョウが最も多い。街路樹にイチョウが多いのは、イチョウが「火に強い木」だからである。

イチョウは他の木に比べて葉が厚く水分が多い。そのため、燃えにくく火に強いという性質がある。また、イチョウの葉だけでなく、幹も他の木より水分が多く、木全体が燃えにくく火事に強い。この性質から街路樹として多くのイチョウが植えられてきた。

江戸時代には防火用の空地である「火除け地(ひよけち)」にイチョウが多く植えられた。これにより火事が起きた際に火が燃え広がるのを防ぐことが出来た。

また、1923年(大正12年)9月に発生した関東大震災の際には、実際にイチョウが延焼を防いだという事例も多く見られ、これにより防災を兼ねて街路樹にイチョウが多く植えられるようになった。

東京都千代田区大手町には関東大震災を生きぬいたイチョウの木が現在も残っている。樹齢は約150年とされ、震災の際の炎と高温により木の表面の一部が変質したが、焼失は免れた。このイチョウは当時「帝都復興のシンボル」として注目を集め、「震災イチョウ」の名称が付けられている。

震災イチョウ

このように街路樹にイチョウが多いのは、イチョウが火に強いという性質を持つためである。また、イチョウは秋には黄金色に黄葉し、人々はイチョウ並木を秋の風物詩として楽しむことも出来る。

facebook相田 公弘さん投稿記事·  「銀杏の葉」

東洋からはるばると わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は 賢い者のこころをよろこばせる ふかい意味をもっているようです。

これはもともと一枚の葉が二つに分かれたのでしょうか?

それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけてひとつになったのでしょうか?

このようなことを思っているうちに わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。

あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、わたしが一枚でありながら あなたと結ばれた二ひらの葉であることを   ゲーテ

※以前ご紹介しましたが、銀杏はヨーロッパでは絶滅して、中国にしかありませんでした。

日本にもなく、日宋貿易で銀杏が輸入され、日本に根付き、それがヨーロッパにもたらされました。

https://mrs.living.jp/tochigi/cb1501_suk_going/reporter/5837492 【【真岡市】神龍 鬼怒川の里「長沼八幡宮」】より

優しさあふれる「長沼八幡宮」

皆様こんにちは。特派員のにゃんママです。この度特派員の仲間入りをさせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

さて、にゃんママ第一号にぜひ心穏やかになれる【真岡市】にあります「長沼八幡宮」の

ご紹介をさせていただきます。

目を楽しませてくれる花手水 撮影日2024-8-20

鳥居をくぐると真っ先に視界に入る花手水。

地域の園芸さんがご奉納してくださるという花手水は、爽やかに水盤を彩ってるので暑さも忘れ気分がさっぱりと晴れやかになります。

宮司さんが朝確認するとすでに早朝のうちに飾られてるとのことで、短い間隔で移り変わる花手水…次の水盤はどんなお花で着飾れるか楽しみの一つ。

また縁起の良い子宝草も総代さまからのご奉納にてご自由にお持ち帰りくだいとメモ書きが~。地域の方々に愛されてる事が伝わってきます。

炎龍 ~昇運祈願・神龍めぐり~

神龍社殿 三社めぐりの炎龍の「長沼八幡宮」

拝殿に参拝すると・・ご昇殿いただき龍の玉を見つけてお祈りくださいの張り紙があり、

ご祈禱以外にも昇殿していいんだぁ♪と心ウキウキ足元しずしずとありがたく昇殿。

龍の玉はどこだ~

難を退けて福を招く力があるという鈴を高らかに鳴らしてお参りさせていただき、いざっ龍の玉はどこに・・・。

めったに上を見上げ続ける事がないのに必死に360度見まわして「あ・・・あったぁ~!」

ぜひ皆さんも見つけてみてくださいね。

日頃スマホを見るのに下を向いてばかりなので首肩コリ解消にもバッチリでした。

また、見上げていると素晴らしい彫刻や絵も視界に入り考え深いものがありました。

阿形の龍・吽形の龍

千人絵馬(1849年)

教えや道を導いて下さる神様

境内には受験生からの信仰も厚い千勝大明神。猿田彦命が祀られており「道開きの神様」とも言われてます。

どうか、にゃんママにも素晴らしい道が開けますように~と鈴をシャラン♪シャラン♪と天高く鳴らしてみる。そしてぐるっとまわるとカクレザト古墳・不動大明王様もあります。

千勝大明神 

お不動様の睨みには厄難消除のご利益があるといわれてます。

岡山「倉敷デニム」生地の御朱印帳

全国でも珍しいデニム生地の御朱印帳です。

とても可愛いのにスタイリッシュさに一目惚れ。

宮司さんのご先祖様ゆかりの地岡山「倉敷デニム」使用の御朱印帳で鬼怒川の青をイメージされてるそうです。

他に真岡市長沼は日本有数のいちご生産地としていちご柄の可愛い御朱印帳もありました。

御朱印も通常御朱印から季節の御朱印などたくさんあります。

また、栃木県内八か所の八幡宮を結んだ野州八社八幡詣「神玉巡拝」のひとつでもある「長沼八幡宮」。

巡拝されましたら願事が成就されるという「神玉」をぜひお受けになってみてください。

切り絵御朱印

野州八社八幡詣「神玉巡拝」

心が疲れてる方・そうでない方もぜひ「長沼八幡宮」の優しい宮司さんの笑顔と

癒される空気感にふれてみてくださいねhttps://miho.opera-noel.net/archives/3599 【第七百三十二夜 種子島七海の「銀杏落葉」の句】より

 今朝、ふれあい道路を守谷市から東側の取手市に向かってパン屋へ車を走らせた。銀杏並木の街道は、日に日に落葉が増えていたが、今日、銀杏落葉で埋めつくされて、黄色い絨毯の道になっていた。黄の中を走るのは心がはなやいでくる。今宵は、「銀杏落葉」の作品を紹介しよう。

  銀杏が黄色いかおしてあはははは  小3 種子島七海

 (いちょうが きいろいかおして あはははは) たねがしま・ななみ

 この作品は、筆者が、「インターネット・ハイクワンダーランド」を開設して、子ども俳句を募集した際の投句にあった句である。授業で俳句を教えている、いくつかの小学校の教師が投稿してくださった。日本だけでなく、南米の日本人学校の教師も生徒の作品を投稿してくださった。「インターネット・ハイクワンダーランド」は長く続けることはできなかったが、掲句のような作品と出会うことができた。 

 その後、監修金子兜太、編著あらきみほ、切り絵八木健による『名句もかなわない子ども俳句170選』の中に入れた。文章を紹介しよう。

 「お母さーん! まってよー!」

 落葉をひろいながら歩いていたら、お母さんはもう、ふかふかの黄色い並木道のずっと向う。ノンちゃんがかけだしました、犬のオペラがノンちゃんをおいかけました。

 イチョウがお腹をゆすって笑っているみたいに、ふいに黄色の葉をぱらぱら落としはじめるのは、そんなときです。

 銀杏落葉の1文を、『寺田寅彦随筆集 第4巻』の中に見つけた。銀杏の葉っぱの落ち方が書いてある。寺田寅彦は、戦前の物理学者であり随筆家である。

 かつて、「からすうりの花と蛾」の随筆に惹かれて、ある夕方、牛久沼にある小川芋銭居の庭から雲魚亭への入口のからすうりの花を見に友だちを誘って出かけたことがある。学者の文章は、丁寧な客観描写が凄い。

 銀杏落葉の落ち方の特長が書いてある箇所を、紹介してみよう。

   銀杏落葉          寺田寅彦  

 もう一つよく似た現象としては、銀杏の葉の落ち方が注意される。(略)秋が深くなると、その黄葉がいつの間にか落ちてこずえが次第にさびしくなって行くのであるが、しかしその「散り方」がどうであるかについては去年の秋まで別に注意もしないでいた。ところが去年のある日の午後何の気なしにこの木のこずえをながめていたとき、ほとんど突然にあたかも一度に切って散らしたようにたくさんの葉が落ち始めた。驚いて見ていると、それから十余間(けん)を隔てた小さな銀杏(いちょう)も同様に落葉を始めた。まるで申し合わせたように濃密な黄金色の雪を降らせるのであった。不思議なことには、ほとんど風というほどの風もない、というのは落ちる葉の流れがほとんど垂直に近く落下して樹枝の間をくぐりくぐり脚下に落ちかかっていることで明白であった。なんだか少し物すごいような気持ちがした。何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウイッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった。

 もう1句、紹介してみよう。  

  銀杏散るはげしき音の中にあり  平岡仁期 『新歳時記』平井照敏編

 (いちょうちる はげしきおとの なかにあり)  ひらおか・じんき

 冒頭に、今朝のびっしり敷き詰められた銀杏落葉のことを書いたが、もう少し思い出してみると、一箇所に纏まって落ちたのではないかと思うほどこんもりした銀杏落葉があった。またある時、銀杏落葉がまっすぐ真下に落ちるところを見たことがあった。その時は、銀杏落葉の1枚そのものが重量があるからだと思っていた。

 平岡仁期さんの作品は、一度にどっと落ちる銀杏落葉であったのではないだろうか。今宵は、『寺田寅彦随筆集 第4巻』の文中から、ある銀杏の葉の落ち方を学んだ。

https://yujyaku.blog.fc2.com/blog-entry-1104.html 【■ 心急く銀杏落葉の堆き  ( こころせく いちょうおちばの うずたかき】より

いよいよ今日から12月。今年は夏の終わりから急速に時が過ぎていった感じがする。そのせいか、例年になく心が落ち着かない。

本日の掲句は、そんな心境を昨日見た銀杏落葉に重ねて詠んだもの。銀杏の黄葉は、もうかなり落ちていて、樹下に絨毯のように堆積していた。銀杏落葉は冬の季語。

ところで、落葉と言えば、いつも思い出すのが以下に示す二つの句である。一つが、水原秋桜子の句。

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々(群馬県赤城山にて)

この句は、「啄木鳥(きつつき)」が秋の季語、「落葉」が冬の季語なので季重なりになる。ただ、啄木鳥に切れ字の「や」がついているため、啄木鳥を主たる季語とみなし、秋の句とされている。

啄木鳥が木をつつく音、それに急かされるように葉が落ち始めた、晩秋の高原牧場の景が目の前に見えるように詠みこまれている。名句としての評価も高い。自選自解では、現場で詠んだのでなく、翌年に思い出し、苦労なく詠みあげたと記載されている。

もう一つの句は、加藤楸邨の以下の句。

      木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

この句は、「木の葉」もしくは「木の葉降る」が季語で、季は冬。丁度今頃に詠んだものと思われる。破調の句だが、木の葉がひっきりなしに降る様子に何か心急かれるものを感じ、「いそぐな、いそぐなよ」と木々に呼びかけつつ、自分の気持ちをなだめている様子が伝わってくる。また、あえて、ひらがな表現にしているところに、作者の思いが込められているようだ。

尚、ここでは、「木の葉」が使われているが、「枯葉」では寂漠たる感じが強く出過ぎ、「落葉」では地面に落ちてしまって、動揺する感じが出てこない。

銀杏落葉に関しては、過去に意外に詠んでなく、以下の一句のみ。読み返し一部修正した。

      真黄なる銀杏落葉の褥かな    *褥(しとね)

因みに、銀杏の季語については、銀杏(いちょう)単独では季語にならず、「銀杏(ぎんなん)」「銀杏の実」「銀杏黄葉」「銀杏散る」は秋の季語、「銀杏落葉」は冬の季語。「銀杏の花」は春の季語になる。

銀杏落葉の句は結構詠まれており、その中から比較的分かりやすいものを以下に掲載する。

     【銀杏落葉の参考句】

      鳩立つや銀杏落葉をふりかぶり     (高浜虚子)

      蹴ちらしてまばゆき銀杏落葉かな    (鈴木花蓑)

      敷きつめし銀杏落葉の上に道       (池内たけし)

      花の如く銀杏落葉を集め持ち       (波多野爽波)

      銀杏落葉城の裏道明るうす        (池田三斗史)

https://ameblo.jp/masanori819/entry-12636592581.html 【2020.11.8 一日一季語 銀杏落葉《いちやうおちば》 【冬―植物―初冬】】より

このままぢや銀杏落葉に埋もれる 貝森光大

落葉樹は、葉の寿命が1年以内(数ヶ月程)でふつう冬に一斉に落葉します。

春に発芽して葉を展開し、夏の間に盛んに光合成をして、自らを生長させたり、種子を作るための養分を貯蔵します。そして冬には寒さと乾燥から身を守るために葉を落として活動を停止します。先日の、チコちゃんでもこのサイクルのことを放映していました。

銀杏落葉、都内では、まだ、銀杏の黄葉が始まったばかりかも。12月になると盛んになることでしょう。

【季語の説明】

銀杏はイチョウ科の落葉高木で、黄葉や落葉は他の落葉樹に比べ遅い。並木道や公園を金色に染めている銀杏落葉は初冬の美しい景である。

 → 銀杏散る(秋)

【例句】

銀杏落葉終へて枝ぶり残りけり 嶋田一歩   銀杏落葉粉になるまで踏まれけり 宮津昭彦

まつすぐに立つ木は銀杏落葉中 今瀬剛一   銀杏落葉踏みしむ音の中にをり 片山タケ子

修道女銀杏落葉の中行けり     坂本知子

(略)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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