ユリ科ギボウシ属。交雑しやすく、園芸種を含め、たくさんの種類があり、日陰でも良く育ちます。
ギボウシ(擬宝珠)の名前の由来:蕾が橋の欄干の擬宝珠(ぎぼうしゅ)に似ることによります。
擬宝珠擬宝珠とは、橋の欄干にある「ネギ坊主」の形の飾りものです。
仏教の世界の、願い事が何でもかなうといわれる「宝珠(ほうしゅ)」に似せて、橋の安全を願って造作されたものです。
また、この橋を邪悪な鬼が渡らないようにと、願いが込められています。
オオバギボウシ(大葉擬宝珠):葉が大きい。
コバギボウシ(小葉擬宝珠) :葉が小さい
ウルイ、カエロッパ:山菜名。大葉も、小葉も山菜ですが、味は小葉の方が良いとされています。
ヤマカンピョウ:茎を茹でて干したもの
若芽、伸びた茎、花をお浸し、和え物、煮物、酢の物、漬物などでいただきます。
若芽は毒草の「バイケイソウ」によく似ているので、注意が必要です。
https://shimane-kodaibunka.jp/2994/ 【橋の上の小さな玉ねぎ】より
皆さまは「擬宝珠(ぎぼし)」をご存じでしょうか。ちなみに私は、古代文化センターに入って初めてこの言葉を認識しました💦
こんなのです(この画像は松江城の西側にある亀田橋の擬宝珠です)。橋の欄干や建物にくっ付いている飾りです。
擬宝珠の由来は主に2つあるそうで、1つは、仏教における宝珠を擬しているという説、もう1つはネギの花を模して作ったという説です。
ただし、私個人としては、擬宝珠の形はどうしても玉ねぎにしか見えません。爆風スランプの曲に「大きな玉ねぎの下で」というのがありますが、この「玉ねぎ」は日本武道館の屋根の上にある大きな擬宝珠を指しているそうで…私はこの「玉ねぎ」だけはなぜか認識しており、擬宝珠を知った時にまず思い浮かんだのがこの曲でした。なので、私にはもう玉ねぎにしか見えないです。あと、ネギという点では本来の意味をかすっていないこともない気がします。
そしてこの玉ねぎは、街のあらゆるところに存在していることも、古代文化センターに来てから知りました。そのうちの1つが、橋の上です。
というのも、私は今、松江市で明治時代~平成まで美術鋳物を制作していた遠所(えんじょ)家という鋳物師について調べていますが、その過程で、遠所家が出雲地域の様々な擬宝珠を作っていたことが分かりました。そこで、せっかくなので研究の一環(?)として、松江市内を中心に橋の擬宝珠の探索をゆるりと始めたところです。
撮影した画像がぼちぼちたまってきたので、少し紹介させていただこうと思います。ただ並べても味気ないかなと思ったので、クイズっぽく並べてみました。どこの擬宝珠か考えてながら見てみてください。
1つ目はこちら。
松江市のどこかです。背景を頼りに考えるとわかりやすいと思いますが、擬宝珠本体もぜひじっくり見てみてください。
擬宝珠は基本青銅製です。錆びがいい感じです。木の欄干も雰囲気があります。イボイボは節で区切られ上は2段、下は1段。くびれの部分(欠首(かけくび)というらしい)は、錆び方も相まって、ネックウォーマーを付けているみたいで可愛いです。玉ねぎがツヤツヤです。
正解は…松江城の北側にある「宇賀橋」(昭和48年3月竣工)です。
なみに遠所家作品と思われます。ちなみに1枚目の後ろに映っているのは北堀橋で、北堀橋も遠所さん制作の擬宝珠だと思います。また、初めに挙げた亀田橋の擬宝珠もおそらく遠所さん作品です。宇賀橋とかなり似た形をしています。さらに、改修前の千鳥橋の擬宝珠も遠所作品なので、どうやら松江城周辺は遠所擬宝珠ゾーンだったようです。(改修前の擬宝珠はどこに行ったのだろう…)
2つ目はこちら。出雲市にある擬宝珠です。
1つ目と比べて形がかなり違います。こちらはイボが下部に1段、ぐるりと付いています。節のつき方も違います。玉ねぎはすっきりしていて、全体的にスリムな印象です。橋がそこまで大きくないので、欄干の幅に合わせた大きさになっているのだと思います。
こちらのありかは…出雲大社です。祓橋の擬宝珠(昭和62年11月竣工)です。勢溜の坂を下ってすぐの橋です。資料を見る限り、これもおそらく遠所さん作品です。
3つ目はこちら。松江市です。
かなり年季が入っています。欠首が美しいです。欠首に合わせて玉ねぎは下がすぼまっています。先ほどの2つにくらべて、胴がしっかりしている印象です。イボは2つ目の擬宝珠より少なめです。ど真ん中を囲んでいます。
正解は、佐太橋の擬宝珠(昭和37年竣工)です。佐陀川にかかっている橋で、佐太神社の鳥居の手前にあります。
遠所作品かは分かりません。外せたら、内側に作者の銘があるかもしれません。外してみたいなあ…
他にも、写真は撮り忘れましたが、松江大橋や天神橋など、松江市内の橋には結構な確率で擬宝珠がいます。皆さんも、松江を散策される際にはぜひ探してみてください。
https://www.chubutsu-tsukyo.jp/?p=898 【摩尼宝珠(まにほうしゅ)】より
橋の欄干には、玉葱のような形をした擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれる飾りがあります。また、お堂の屋根の上や、五重塔の先端にも同じような形をした宝珠(ほうしゅ)が飾られているのをよく見かけます。今回はこの宝珠のお話です。
この宝珠は、摩尼宝珠とも如意宝珠とも呼ばれ、「意のままに様々な願いをかなえる宝」として、如意輪観音や地蔵菩薩がその手上に載せておられ、龍もしばしばその珠を持っているところを見かけます。また、『観無量寿経』には「一々の葉〔蓮華〕のあひだにおのおの百億の摩尼珠王〔宝珠〕ありて、もつて映飾〔うつり合う〕とす。」とありまして、その一つ一つの摩尼宝珠からは千の光明が放たれ、その光は天蓋〔傘状の仏具〕のように七宝に輝きあまねく地上を覆うのです。それで本願寺や中央仏教学院等の阿弥陀如来の台座には、蓮台から延びた柄の先に摩尼宝珠が飾られているのです。
浄土真宗の勤行でよくお勤めする『讃仏偈』には「光顔巍々として、威神極まりなし。かくのごときの焔明(えんみょう)、ともに等しきものなし。日・月・摩尼珠光の焔耀(えんよう)も、みなことごとく隠蔽(おんぺい)せられて、なほ聚墨(じゅもく)のごとし。」とあります。世自在王仏〔法蔵菩薩の師仏〕のお顔の輝きは、日や月、摩尼(宝)珠の輝きよりも超え勝れ、それらの輝きはもはや墨の如くでありますと、師仏を讃えられます。太陽、月と並んで摩尼珠は光り輝く珠として経典等にしばしば出てきます。
七高僧のお一人である曇鸞大師は、その著『浄土論註』に摩尼宝珠の徳を次のように解説されています。
諸仏が涅槃に入られるとき、衆生を救うために仏の砕身舎利〔分骨〕を留めて衆生に与えられました。衆生の福が尽きると、舎利は摩尼如意宝珠に変じます。この珠は、衆生が衣服や飲食、灯明や楽器類を欲すれば、たちまち願いのごとく種々のものを雨(あめふ)らせ衆生の願いを満たします。彼の安楽仏土〔極楽浄土〕のもこれと同じ様な徳があるのです。
浄摩尼珠を濁水の中に置けば水は清浄となるように、もし人が無量の罪濁にあったとしても、無上清浄の宝珠に譬えられる阿弥陀如来の名号を聞いて、これを濁心に投げ入れれば、罪滅して心は清まり往生を得るのです。 以上意訳
仏の舎利は衆生が苦悩にあるとき摩尼宝珠に変わり、衆生の願いを満たしてくれるのです。しかしそれは単に凡夫の勝手な願いを叶えてくれるのではありません。濁った水の中に摩尼宝珠を入れると清らかな水に変わるように、自分勝手な煩悩にまみれた私の心の中に摩尼宝珠が入ると、その珠の力で心が浄められ、妬む心、恨む心など煩悩にまみれた心を恥じるようになり、今まで願いもしなかった浄土へ生まれたいと願い、成仏への道を歩もうとする心が育まれるのです。それが衆生の願いを満たしてくれるということであります。
そしてこの摩尼宝珠は、阿弥陀如の名号の徳の譬えとして示されているのでありました。つまり、私たちが称えるお念仏には、自身が過去より作り続けてきた罪障を滅する功徳があり、浄土を願い仏道を歩もうとする心を育む働きがあるということです。
御厨子(親鸞聖人を御安置)の屋根の上には宝珠が飾られています。迷いから迷いへと繰り返す輪廻から解脱するすべを知らず、罪を作り続けている私たちです。その有様を悲しまれる親鸞聖人の舎利(遺骨)は、光り輝く摩尼宝珠となり、名号となって今私の所へ届いてくださっているのです。私たちの無明の闇を破ってくださっているのです。そのような意味が、あの御厨子の上の飾られている玉葱のような宝珠にあったと味わうことができます。
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