Facebook近藤裕子さん投稿記事 11月23日 ☘️収穫を感謝☘️
「新嘗祭」 にいなめさい
日本書紀にも登場するほど古くから行われてきた行事で、現在では全国各地の神社で11月23日に行われています。本来は宮中の祭祀です。
天皇陛下が天照大御神をはじめ 八百万の神々にその年の新米をすすめ、めぐみに感謝し、自らも一緒にお召し上がりになる…というものです。
昔は手で刈り取っでいたため 収穫から 米粒を俵に詰めるまで2ヶ月もかかり 11月23日頃が新嘗祭の日となったそうです。「田舎の四季」と言う唱歌があります。
歌詞の2番に
二百十日も 事なくすんで 村の祭の 太鼓がひびく 稲は実がいる 日和はつづく
刈ってひろげて 日に乾かして 米にこなして 俵につめて 家内そろって 笑顔に笑顔 とあります。 懐かしい光景がはるか昔になりました。
Facebook千々松 健さん投稿記事
1、1、2、3と来たら5、8、13、21が浮かびませんか? フィボナッチ数列です。隣同士を足して次々に並べて行くとやがて隣同士は黄金比の関係が成立するのです。日本古来の言葉である「フトマニ」の法則がそれに該当するのです。
収穫に感謝する日。遺伝子を持つ生命たち(人間が食することになる動植物)に感謝する日。それらを齎す一切に対して感謝する日。即ちフトマニの自然法則に感謝する日でもありますね。DNAの構造に黄金比を見付けたイギリスの科学者に感謝しつつ、、、
Facebook鈴木 亜人夢さん投稿記事
昨日、YouTuberの「猿田彦TV」で日本の聖地や磐座、カタカムナの事を研究されている横山さんが、白浜で合宿をされていると連絡が入ったので急遽白浜にお迎えに行き田辺のお店に来て頂く事になりましたー♪
お店に到着すると早速、南方先生にご挨拶して頂き、2階のオフィスで僕が研究しているライトビーイング(妖精)についての話を興味深く聞いてくれました。
横山さん、合宿でお忙しい中お時間を取って頂きまして
本当にありがとうございました🙏🏻
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Facebook横山 航宜さん投稿記事
今、和歌山の白浜で合宿をしていますが、鈴木 亜人夢(すずきあとむ)さんの近くだということがわかり、お会いさせていただくことができました。
亜人夢さんのお店では妖精が出現することで有名で、テレビや学会でも論文がグランプリを受賞されています。
その妖精とどうやら南方 熊楠(みなかた くまぐす)先生が関係しているという事をお聞きしました。
南方 熊楠先生とは、僕は最初知りませんでしたが調べてみると植芝盛平とも幼馴染であり、どうやら当時の傑物の中の一人だったとすぐ理解しました。
そこで調べていると南方マンダラというものを残しています。
これがさらに驚きで、まさに万物創造の父であり万物産出の母である天之御中主から発生する現象を現しています。
つまり、フトマニの玄理そのものだということがわかります。
フトマニとは、亀卜(きぼく)をイメージされますが、それよりも以前よりあり、この現象の世界に発生したあらゆるものから、その根源の意図を理解してゆくものでした。
その根本原理は忘れられ、ご神事としての亀卜(きぼく)の形式などが残されていますが、そのルーツは自然の理を読み解くカタカムナより派生したものだとあります。
まさに、人生迷いの時、決断の時、災難にあった時、などは、フトマニの眼によりあらゆる現象のルーツを読み解き、立ち回る事を視覚的に表現したものが南方マンダラだということが読み解けます。
日本の傑物は、ことごとく天之御中主という概念を捉えて全ての基本軸としている共通点があります。
きっと亜人夢さんのお店の妖精は南方先生があの世からの想念で妖精というカタチをかりてこの世にメッセージを届けにきているのかとも思えます。
亜人夢さんのお導きで南方先生とのマンダラと巡り会えたことはこの後のカタカムナの伝え方においてもとても貴重なものとなるものだと思います。
南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年12月29日)は、日本の博物学者・生物学者・民俗学者。
南方マンダラ
1903年7月18日に土宜法龍との書簡の中で記されたマンダラ。書簡の中で図で記されている。この図において熊楠は多くの線を使って、この世界は因果関係が交錯し、更にそれがお互いに連鎖して世界の現象になって現れると説明した。
概要は、わたしたちの生きるこの世界は、物理学などによって知ることのできる「物不思議」という領域、心理学などによって研究可能な領域である「心不思議」、そして両者が交わるところである「事不思議」という領域、更に推論・予知、いわば第六感で知ることができるような領域である「理不思議」で成り立ってる。そして、これらは人智を超えて、もはや知ることが不可能な「大日如来の大不思議」によって包まれている。「大不思議」には内も外もなく区別も対立もない。それは「完全」であるとともに「無」である。この図の中心に当たる部分(イ)を熊楠は「萃点(すいてん)」と名付けている。それは様々な因果が交錯する一点である熊楠によると、「萃点」からものごとを考えることが、問題解決の最も近道であるという。
熊楠の考えるマンダラとは「森羅万象」を指すのである。それは決して観念的なものではない。今ここにありのままに実体として展開している世界そのものにある。
カタカムナとは、遥か祖先からの繋がる想いという事をあらためて体感しました。
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