「古賀志山と戊辰戦争」

https://ippo.jp/blog/area/mt-kogashi/boshin-war/ 【今回は「古賀志山と戊辰戦争」、という堅苦しいタイトルだが歩きの内容はとても濃かった。】より

宇都宮市営南駐車場~林道背中当線で風雷神社鳥居~風雷神社赤鳥居~見張台~馬頭岩~トラバースして鬼石~大日窟~瀧神社~西ノ沢通~湯場~林道古賀志線~宇都宮市営南駐車場

※上記名称で地理院地図に描かれているものはひとつもありません。

学校で習う歴史というものは遠い昔の遠い国の出来事のような認識しかもてなくて、管理人のもっとも苦手とする科目だった。

日光に住むようになってから東照宮や二荒山神社、輪王寺など歴史を学ぶに最適な題材を身近にしているが、それを覚えようとすれば学校での勉強のことを思い出し二の足を踏んでしまう。

もちろん、観光資源として歴史をかじり、それをお客さんに説明できれば申し分ないが、管理人にできるのはガイドブックに書かれた説明を棒読みするくらいのものだ。お恥ずかしい!

学校で習う歴史は実につまらないものだったのに山を歩くようになってから、それもごく最近になって、歴史とは人の営みそのものなんだという思いを抱くようになった。

低山ゆえに見むきもしなかった鳴虫山に昨年からこれまでに10回も登っているのは、鳴虫山に人の営みを感じるからだ。山だからハイカーが訪れるのは当たり前だけどそのことではなく、ハイカーがいなくても人の気配を感じ取ることができる。鳴虫山には古の霊が漂っている。それが歩いていて人の気配として伝わってくる。

鳴虫山は昔、修験に使われていた山で現在もなお、往時を偲ぶ跡が残されている。修験は四季を通しておこなわれたそうだ。昔のことだから道などあろうはずはなく、藪を切り開きながら歩き神仏が宿っていそうな場所に小屋を建てて修行に励んだのであろうと思う。

真冬などどのようにして目的の場所に達したのだろうか。まさか深い雪の中、足袋と草鞋で歩いたわけではないだろうけれど、心配してしまう。しんしんと冷える夜などすきま風が吹き込む小屋の中で一晩中、火を焚いて寒さを凌いだのであろうか。

日光は雨が多い。夏はものすごい雷に見舞われる。山では夏でも雨が体を冷やすのでどのようにして雨風から身を守ったのであろうか。往時の入山は想像を絶するものであったと察するに難くない。とくに鳴虫山のような厳しい地形と気象下では修行中に命を落とす僧も少なくなかったはずだ。

先人の壮絶な苦労があって道がつくられたからこそ、現代では趣味として安全な山歩きができるわけだが、そこに管理人は先人の霊を見る。

このオジサン、なんか頼りないけど大丈夫か。ホレ見ろ、つまずいたぞ。これから先が心配だな。などと言いながら霊が背後で管理人を見守ってくれている。山をひとりで歩いていると背中がぞくっとして金縛りに遭うときがあるが、そんなとき後ろを振り返ると、、、見える。

う~ん、今日のブログはオカルト風ときたか(^^)

いや、でも実際の話、読者の皆様はそのような経験ありません?

さて古賀志山の話。

昨年10月に初めて訪れた際に地図に描かれていないルートが多数あることに驚き、そこは鎖やロープを伝わなくては上り下りできないことに恐れをなしたことがある。

その驚きと恐れは鳴虫山のバリエーションルートを想起させ、いつかは古賀志山のルートすべてを歩いてみたいという思いに至った。

そして、今年3月から地元の日光の山を差し置いて集中的に歩くようになったのだが、回数を重ねるにつれて別の驚きを抱くようになった。それが特異な形をした岩そして、祠や社が納められている岩窟の存在である。それらは古賀志山が古くから地元の人の信仰と密接に結びついている証ともいえるが、その数たるや半端ではない。

それらは古賀志山から御嶽山を経て赤岩山、北ノ峰といった頂を結ぶ稜線の南面に点在する。稜線の南面に位置するのが宇都宮市古賀志町(かつては村)である。古賀志に住む人々にとって目の前に聳える山並みは畏敬の念をもつに値する神仏そのものだったのであろう。そこに祠や社が祀られたのは自然なことに思える。

map古賀志山をこよなく愛す登山者有志と地権者によってNPO法人・「古賀志山を守ろう会(以下、守ろう会または同会)」が設立され、古賀志山の自然を守り、ハイカーのために快適な環境を提供するための様々な取り組みがおこなわれている。

管理人が古賀志山を歩くようになって大いに助かっているのが同会がホームページで公開している情報と、山域にある案内板の存在である。

ホームページに公開されている情報に「めぐり図」がある。岩や岩窟、祠、社の位置関係が図式化されていてそれらを見て回るのになくてはならない貴重な資料だ。

Exif_JPEG_PICTUREそれともうひとつ、めぐり図にある岩や祠、社を見て歩くのに管理人が参考にしているのが同会代表で、日光の修験道をすべて踏査した人として知られている池田正夫氏の著書、「古賀志の里 歳時記」である。

神仏宿る山として古賀志山がいかに住民に親しまれてきたのかを古文書を頼りに子細に書き下ろされていて、古賀志山のすべてを知ろうとするには必須の書である。

やはり、歴史はそこで暮らす人々が登場して初めて興味がわくというものだ。

古賀志山山域をただ歩くだけなら山レコなどネット上の山行記録があれば十分だろうし岩や岩窟、祠、社を訪ね歩きたいのであれば古賀志山を守ろう会のホームページがとても役に立つ。

管理人のように古賀志山とそこに古くから住む人々との関わりの歴史を知りたいと思うならば「古賀志の里 歳時記」が勧められる。

まあ、いずれにしても古賀志山を楽しむのにどんなスタイルで取り組むかで必要となる情報の選択肢が決まると思う。

管理人は古賀志山山域に100以上あるとされるバリエーションルートをすべて歩き尽くすという目標をもっているし、行く先々で発見する歴史の跡を詳しく知りたいと思っているので、守ろう会のホームページと「古賀志の里 歳時記」はなくてはならない。

「古賀志の里 歳時記」は391頁もある分厚い学術書だ。1頁目からすべてを丹念に読もうとすれば管理人など何年かかるかわからない。だから歩いていて気になることがあったときに帰宅して本で調べるまたその反対に、本の中に興味を惹く記述があれば古賀志山に行って調べる、そのような使い方をしている。

DSCF5781本をパラパラめくっていると気になる記述が見つかった。あの戊辰戦争が古賀志山と無縁ではなかったらしい。

赤岩山の南面に馬頭岩がある。日光市と宇都宮市を結ぶ県道70号線の北側に背中当線(せなかあてせん)という林道があって、パラグライダーのゲレンデの辺りまで来て斜面を見上げると巨大な岩壁が見える(写真)。

馬頭岩とは馬の頭を横から見た図に似ていることからついた名だそうだ。

その馬頭岩に戊辰戦争で今市に攻め込まんとする官軍の動きを察知するために、会津藩の命令によって古賀志の村民が配置された見張台がある、と「古賀志の里 歳時記」に書かれている。村民がかり出されたのは見張り役だけではなく、かがり火役、弁当役というのもあったらしい。ときは慶應4年(1868年)4月のことである。

見張台というからには地上の官軍の動きがよく見える場所にあってなおかつ、身を隠せる場所でなくていけない。では、と思って探しに行ったのが10月22日であった。馬頭岩は大きい。それらしき場所もあった。が、確信は持てないままでいた。→10月22日のブログ

いつだったか、御嶽山の山頂直下で守ろう会代表の池田さんと会員のKさんと出会った。このときが初対面なので出会ったという書き方はおかしいが、山中なのでごく自然に双方、名乗ったことで池田さんとKさんであることを知った。

以来、管理人が古賀志山を歩くのに適切な助言をいただくようになった。地名や滝、岩の呼び名の間違いを指摘してくれるなど、管理人の古賀志山にたいする思い入れを理解してくれていて、知識の向上に結びついている。

10月22日に馬頭岩の見張台を探しに行ったが確信を持てないことをブログに書いたところ、池田さん自ら見張台を案内しようとの申し出があった。

願ってもない申し出に感謝し、ありがたくお受けした。そして今日、案内してくださる日となった。池田さんを筆頭に古賀志山を守ろう会のAさん、Hさん、Kさんもご一緒である。

DSCF5783駐車場からアスファルト道路を歩き始めると分岐するので車止めのある方に入る。それが林道背中当線で、県道に近い場所に「風雷神社」の鳥居が建っていてそこが馬頭岩の入口である。

このルートは過去2回、利用しているので知っている。

DSCF5789上の写真の鳥居から15分ほど歩くとそこに赤い鳥居がある。赤い鳥居は大きな岩壁の脇にあり、岩壁の洞窟には「風穴様」といわれている祠がある。

その風穴様の脇の急斜面をロープを伝って登ったところが見張台、なのだが過去2回は風穴様から先、岩をよじ登って馬頭岩に達しているのでこのルートは初めてだ。ロープがあるとはいえ非常に厳しい。

※写真はルートを見下ろしたもの。

見張台からここが見張台となった馬頭岩中腹の岩棚。

なるほど古賀志の里がよく見える。麓から近くまた、身を隠す場所があるので麓を通る官軍からは見えないという、おあつらえ向きの場所としてここが選ばれたようだ。

県道を見下ろせるが官軍が侵攻してきたのは県道ができる前に利用されていた旧道だったのであろうと思う。

DSCF5790見張台を過ぎ馬頭岩本体に向かう道もなお、急登が続く。先を行くのが池田さんだが著書にある略歴を見ると昭和13年生まれとある。この傾斜をすいすい登っていく。驚くべき脚力だ。

DSCF5792馬頭岩に到達し次は馬頭岩下部から大日窟へトラバースすることになった。

オーバーハングした岩の下で池田さんがなにかを見つけたようだ。

DSCF5793近くに寄ってみると箒で地面を掃いたかのように、その部分だけがきれいにならされている。イノシシのねぐらだそうだ。3カ所見つかった。

古賀志山にイノシシが生息していることは知っていたが、ねぐらを見るのは初めてだ。

管理人、これまで日没後の古賀志山を2度歩いているが、もしかすると安眠中のイノシシのすぐ脇を歩いたのかもわからない。

鬼石古賀志出身の池田さんは子供の頃から山に入ってよく遊んだとのことだ。高さ5メートルほどの大きな岩に案内してくれた。「鬼石」と呼んでいるそうだ。夕日がこの岩に当たるとまるで赤面の鬼の顔に見え、子供心にとても怖い思いをしたらしい。

DSCF5809現在地は「鬼石」の少し西、藪の中である。

めぐり図には書かれていないが守ろう会では、馬頭岩から大日窟へのルートを整備して一般のハイカーにも歩いてもらいたい意向だ。

じゃまになる雑木を伐採し、目印となる赤テープを巻き付けていく。

ちなみに山域の5割近くが私有地だが守ろう会の活動は有益であることから、ルート整備のための伐採は地権者に認められている。

DSCF5810桧林をトラバースすると岩下道(いわしたみち・いわしたどう)の始まりに位置する大日堂に着く。

ここは市営南駐車場からもっとも近くに位置し、大日山と赤岩山への登り口になっている。大日窟はお堂の裏のガレ場を少し上ったところにある。

DSCF3702これが大日窟。

大日窟は古賀志の歴史を読み解く上で重要な役を担っているらしく、「古賀志の里 歳時記」に20頁も割いて記述されている。

上から見るとΩ形にへこんだ岩壁に巨大な岩、牛石というそうだ、が覆い被さって、洞窟の入口を左右ふたつに分けている。

通り抜けはできないそうだが見た目よりも奥行きがあって御神体があるらしい。次の機会に探してみたい。

この右に鉄製の梯子がかかっていて、大日山と赤岩山に行ける。ただし、鉄梯子は古く、ぐらぐらしていていつ壊れるかわからないほどだ。

DSCF5817つい最近、守ろう会によって鉄梯子を使わなくても大日窟の上に出られるように、回避ルートが設けられたのでさっそく試してみた。

大日窟前で左斜面を見上げると真新しいトラロープが張ってある。

傾斜は急だがロープの途中に結び目があるので、しっかり握っていれば滑り落ちる心配はない(と思う)。

DSCF5818最後にほぼ垂直の梯子。

間伐された桧を使ってしっかりした作りになっている。フィールドアスレティックにある梯子のようでかなりワイルドだ。

短足の人(管理人のことね)だと脚を大きくあげなければ上れないが標準的な長さの脚の人であれば大丈夫でしょう(^^)

ただし、回避ルートとはいえ最上部からの落差は5メートルはあるので慎重を期して上らなくてはならない。

ここ大日窟から駐車場に行くには「湯殿山大権現通」という南へ下る道が最短ルートだが、今日は岩下道を東へ進んだ瀧神社で昼食をとることになった。

ちなみに湯殿山大権現通も岩下道も地理院地図には描かれていないので、めぐり図と地理院地図を対比して道の所在を推測する必要がある。そこが古賀志山の面白さの真髄だと思う。

さらには岩下道は大日窟から南登山道まで、主稜線の南側に並行しているがこの道のことをネットでは「中山道」と記載されているのを見受ける。守ろう会のホームページには中山道という記述はないし、一時は混同したが古賀志山山域に中山道は存在せず、「岩下道」が正しい。

供養塔岩下道は狭く南側には岩がそそり立っている。迷う心配がないので管理人などとっとと歩いてしまうが、池田さんから上を見てとの指示があったので岩に目をやると祠が建っている。

祠は岩下道から岩壁に向かって2メートルほど急斜面を上がったところにある。これまでまったく気がつかなかった。

獣のための供養塔だそうだ。

おそらく昔はこの辺りでも猟がおこなわれていて、捕った獣たちを供養するために建てられたのであろう。獣とは何であろうか?

キツネ、タヌキ、ウサギ、テンなどの小動物かもしれない。キジなど野鳥も含まれるかもしれない。

なお、管理人は先日、近くでシカの糞を確認しているし地元の人はクマの親子を目撃したそうだ。が古賀志山には昔、シカとクマは生存していなかったと聞くので近年になって侵入するようになったと推測する。

IMG_4238瀧神社は垂直の岩壁に囲まれているが、その壁を使ってフリークライミングが盛んにおこなわれている。今日は珍しくクライマーの姿を見かけないが、複数のハイカーと出会った。東京郊外から来たという男性二人連れもいた。

低山ながら歩き甲斐のある山として知られてきているようだ。

※写真は6月に撮ったもの。

DSCF5828瀧神社から駐車場への道は数回歩いていると思う。かなりガレている。

地理院地図でいえば古賀志山山頂から南西に向かって描かれている破線なのだが、実際に歩くルートは地図よりもやや東にずれていることがGPSの記録でわかる。地図には旧道すなわち「西ノ沢通」が描かれている。

今日は池田さんの案内で途中から旧道の西ノ沢通に入り、ある場所を紹介いただいた。

DSCF5827案内された場所に「古賀志温泉(鉱泉)」と記された古い説明板がある。

説明板の記述にあるとおり、かつてここに建物があって、それを示す石積みが残っている。ただし、湯は温泉でも鉱泉でもなく、ここから360メートル離れた沢の水を引いて湧かしたもので、「湯場」と称していた(これも書いてある)。

参拝に訪れた人たちの憩いの場であったのかもしれない。

湯場跡湯場があったことを示す石積み。

建物はこの石積みの内側にあったのか石積みの上にあったのかまでは確認しなかった。地形から判断して平坦になっている内側(案内板がある場所)であろうとは思う。

それにしても神仏が宿る地で湯に浸かるなど、とても贅沢なことであったように思える。

DSCF5834湯場からほんの数分で3つの社が建つ場所に出る。

そこから先、林道古賀志線まで舗装路だが、西ノ沢通の延長である。

3つの社は左から湯殿山神社、御嶽山神社、古賀志山神社だが、よく見ると御嶽山神社の造りが他の2つに比べて豪華だ。古賀志の住民にとって御嶽山への信仰が他に比べて厚かったのかもしれない。

なお、ここに3つの社があるが本社はそれぞれ別の場所にある。祭礼で本社に参拝するには厳しい山道を登っていかなければならないところを、氏子や神主の高齢化で祭礼の継続が厳しい局面を迎えたために、この場所に遷座したと「古賀志の里 歳時記」にある。

今年になって32回目の古賀志山となった。

自分で言うのもなんですが、地元日光の山でさえ最高は鳴虫山の15回だから異常ともいえる多さだ。しかも今年の3月31日から数えて32回だから月平均4回(^^)

全国の名山を目指すことに興味のない管理人は、気に入るとなんどもなんども同じ場所に足を運ぶ傾向がある。知り尽くしたい、極めたいという欲求が強いためだと思うが鳴虫山と古賀志山がその対象としてぴったりなのだ。両山とも知り尽くしたい、極めたい。

これだけ足繁く通っている理由はやはりルートが多彩で変化に富み、歩き甲斐があるということだと思う。それともうひとつ、見過ごしてはならないのが人の匂いがぷんぷんする、典型的な里山であることだ。“おらが山”に日参する地元の人が8割を占め、平日にもかかわらず山頂は昼時になると賑わう。

地元の人と出会って10分、20分と話し込んでしまうことも、ままある。皆さん、親切でいろいろなことを教わる。山腹にいると電車の走る音が聞こえる。麓からは犬の鳴き声が聞こえてくる。

管理人、人っ子ひとりいない山を好んで登るので結果として藪歩きを強いられたりかなり怖い道を歩いたりするのだが、古賀志山はむしろ人が大勢いる方が楽しく感じる。その方が里山らしくていい。

今日は思いもよらず「古賀志山を守ろう会」代表の池田さんを始め、3人のメンバーがご一緒してくださり、32回も歩きながらなお知らない場所にご案内いただくという幸運に巡り会えた。

馬頭岩の見張台とそこへ至るルート、鬼石、管理人が混同していた風穴様と雷電様の違いと場所、大日窟の鉄梯子回避ルート、湯場の跡などを見られたのはとてもありがたかった。

最後になりましたが本日、お忙しい中、時間を割いてまでご案内くださった「古賀志山を守ろう会」代表の池田さん、Aさん、Hさん、Kさんには心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。


https://ippo.jp/blog/area/nikko-north/post_24/ 【戊辰の道】より

1868年に起こった新政府軍と旧幕府軍との戦い、いわゆる戊辰戦争は、栃木県がおもな交戦の場となり、多くの人々が犠牲になったそうです。

数で新政府軍に負ける旧幕府軍は、次第に追いつめられて会津へと逃げ道を探すのですが、その際通ったとされる道が霧降高原に残っています。昔の山地図にはあるのですが、すでに廃道となり山地図からも消え去ってしまいました。

昨年、地元の有志の集まりである「霧降を元気にする会」が、廃道を整備し、「戊辰の道」というハイキングコースとして復活させました。

往時を偲ばせるコースとして、歴史の好きな人が歩くようになりました。

写真左はコース途中にある「山の神」。右は沢にかかる丸太の橋。水は澄み、とてもいい気分になります。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000