春星に通う寝息

「春星に通う寝息」は顕在意識の鎮まった状態を意味します。右脳の機能が働きよい状態です。右脳はワンネスの感覚を呼び覚まします。それは限りない安らぎであり 自我を超えたトランス状態とも言えます。

このような状態で詠まれた俳句を「寸鉄である」と表現するのでしょうか?

また「春星」は「金星」とのことです。善悪の価値判断を超えた視点に立って読まれた俳句、

我の期待を超えた俳句が人々の心に届くと言えるのでしょうか?


https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/53868107/ 【明けの明星「金星」】


「春星に通う」のも実相介入(傾聴・ひとつになる)ではないかと記しました。

以下を参照ください。


https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3883027/ 【発想の軸を他者の側に移して】

https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12775992396.html  【対話って何でしょう】

https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12776635532.html  【自然との対話 ひとつになる】

https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12785731685.html  【物我一如の境地】

https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12777900271.html   【潜在意識】

https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12775668366.html    【癒しと成長】


http://voiceworkshop.blog.fc2.com/blog-entry-425.html?sp 【ドンガッた先生からトンガったコンテンツを学ぶ】より

こんにちは、宮本です。本日は再来週に開催されるソリューション・フォーカスト・アプローチ実践講座に関連するお話しとご案内です。通常の広告では書けない内容なので、宜しければお付き合い下さいませ。

「問題を一切扱わない」というこのアプローチ自体が非常にユニークなのですが、講師の白木孝二先生もまたエキセントリックで、そういった意味では技法・講師ともにトンガった講座でございます(笑、先生はたいへん付き合いやすい、くだけた方です。お人柄については御安心下さい)。

「いわゆる“精神疾患と呼ばれるようなケースを扱う一流のガチンコ・カウンセラーさんというのは、奇人変人が多いんだなあ」

仕事柄、カウンセラーさんやセラピストさんと年中ご一緒させていただく中で私が感じてきたことです。※最大の敬意を込めて言っております(笑)。

特に「トンガってるなー、変人だなー」と感じた方の一人は諸富祥彦先生です。

この方はガチンコの臨床心理士であると共に、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、日本教育カウンセリング学会常任理事、日本産業カウンセリング学会理事なども務める方ですが、これらの肩書が信じられないほど、ユニーク(きわどい!?)な発言をされる方です。

実際に諸富先生の心理学講座に参加したことがあるのですが、

「鬱病のひとつにもなったことのねーヤツがカウンセリングなんか出来るワケないんだよ。クライアントに本気さが負けちゃってるんだよ」

「俺、アントニオ猪木のウィキペディアページの載ってるんだよ(真面目なレクチャーの最中、唐突に)」

など、とにかく「普通じゃない」方でした。

※後でアントニオ猪木さんのページを調べてみると、「テレビ番組『ハンマープライス』で素人と試合をした。猪木との試合権を購入したのは諸富祥彦明治大学文学部教授である(リングネームは“ゾンビー諸富”)」と書いてあり、諸富さんのページを見ると「結果は卍固めによるギブアップ負け」と書いてありました(笑)

「奇人変人」の2人目は斉藤学先生です。

重要な依存症研究を行っている、この分野の第一人者だと私は思っています。書籍は実に40冊以上も出されています。

麻布十番に研究所を構えられ、研究や診察と共に依存症のクライアントさん達に「居場所」、「朝起きたら行ける場所」を提供する、という現実的に考えると、おそらく最もクライアントが望んでいるであろうことをやっていらっしゃいます。

友人がここにお世話になっていたのですが、斉藤先生に「死にたい」と言ったら、「はいはい、じゃあ死んで下さい。それで遺書には“斉藤が死ねと言ったから死にます”と書いて下さい」と言われたそうで、これは全てとトコトン向き合ってる精神科医でなくては言えない言葉だと思います。実際に、その友人は生きていますし、「先生が自分のことを思ってくれているのを知っている」と語っています。

そして、3人目が今回講師を務める白木孝二先生です。

白木先生は自閉症スペクトラムや広汎性発達障害、アスペルガー症候群の方、およびその家族のカウンセリングを行う「現場の人」なのですが、先述の斉藤先生とも書籍の共訳などを行ってらして、いわゆる「そういう色」の方です。

昨年8月に弊社で1dayレクチャーを行っていただいたのですが、

「心理技法でよく言われる“ラポールのテクニック”はいりませんよね。あれ、不自然。身ぶりを真似したり、わざとらしくオウム返しにするのとか、みんなも気持ち悪いって思うでしょ?真剣に話してる最中にオウム返しで割って入ってこられたらヤダよね」

とNLP学習者が大半である状況の中でおっしゃっていました(オーガナイザーとしては冷や汗ものです)。ところがフィードバックシートを見ると「白木先生の言葉で気が楽になりました」、「納得いかなかった部分が腑に落ちました」という感想が圧倒的でした。

レクチャー後、熱心に個人的な質問をなさる受講者さんがいらして、通常の講師は「うまく受容して、なるべく短く切り上げる」という対応になるのですが、白木さんは露骨に「いやー、あなたみたいな人、面倒くさいんだもん。もー、危険だからあっち行って」と対応(「キャー、いやだー、せんせー」と、なぜかその受講者さんは満面の笑みで去っていかれました)。

打ち上げでのトークも切れに切れていて、ほぼ全てがNGトークで一切ここでは書けません(笑)。

やはり、こういった方々から学ぶことのメリットというのは「現実的である」ということに尽きると思います。

沢山の理論を勉強されている方にとっては「白木さんの言ってることは○○理論と違うじゃないか」とか「○○心理学の学説と違っている」という感想も生まれると思うのですが、学説と違っていても「白木さんが臨床経験の中で上手くいったこと、いかなかったこと」という現実論が学べます。

私も数多くの心理学やセラピー技法の講座を見てきまして、「うーん、理論として素晴らしいのは分かるけど、実際に使うにはちょっと不自然かな」という体験を、正直なところ数多くしました。

この手の先生方の講座というのは、そういう点が少ないという良さがあります。

「普通に考えてヘンなものはヘン。使えるものは社会的に認知されてなくても使う」こういうアティテュードを持った先生の背中から学べることは沢山あると思います。

https://morotomi.net/656.html 【諸富からのメッセージ 2010年10月】より

■こころの垂直軸を取り戻すこと。「深さ」の次元を取り戻すこと。それが、この世界を意味あるものとして受け取りなおし、人類規模のうつの進行から救うための根本的対応策である。

今日、ある新聞記者の方が「生きる意味」について取材にこられました(掲載は新年になるそうです)。

そこで私が答えたことの、ほんの一部は、次のようなことでした。

「今、この世界には、人類規模のうつが蔓延しています。

先進国の多くの人が、生きる意味と方向の感覚を失ってしまっているのです。

そしてその背景には、この世界を、のっぺりとして、まったいらな、フラットランドとしてとらえられなくなってしまっていることがあります。

今、人類に必要なのは、人間には本来、崇高な精神が宿っていること、それを取り戻すことが本来の生き方につながっていくことを思い出すことです。

言い換えれば、この水平化された平らな世界に「垂直軸」を取り戻すこと、崇高さや、深さといった次元を取り戻すことです。

生きる意味は、頭で考えて手に入れるものではありません。生きる意味は、考えるものではなく、感じるもの、味わうことのできるものです。大切なのは、こう生きればいいのだ、という人生の方向性の感覚を取り戻すことです。

しかし、こうしたこころの深さの次元に一人でいくのは難しい。必要なのは、こころの深い次元でつながっているつながり、深いところでつながっている関係です。そしてそのための最良の手段は、傾聴、ただ聞き流すような傾聴ではなくて、ともに深いところにとどまっていられるような傾聴、深い、ほんものの傾聴です。

深い、ほんものの傾聴を身につけ、実践する人が増えてくれば、自分の深いところに触れて生きていくことができる人が増えていきます。そしてそれがいつかは、この世界に「深さの次元」「垂直の次元」を取り戻すことにつながり、「世界規模のうつ」の感覚を減少させ・・・・・・・・何よりも、自分の深いところに触れて生きていくことができる人が、人類規模で増えていくことにつながるでしょう。

私は、このことこそ、今、世界でもっとも必要とされている内面的な、静かなる革命だと思います。

最近、見た映画でよかったのは「カラフル」と「食べて、祈って、恋をして」。「カラフル」は、子育て中の方や、思春期のお子さんにかかわっている教師やカウンセラーなど、すべての方々にぜひおすすめの映画。そして「食べて、祈って、恋をして」は、生きるのに迷い始めた女性が、たどる「自己変容の旅」の物語。カウンセリングや心理学を勉強している方なら、かなり楽しめると思います。「いいかね・・・・・何かに夢中になって自分を見失い、心の調和を崩すことも、より大きな意味でいうと、こころの調和を保つプロセスの一部なのだよ!」

<追記>

世界に蔓延するうつ的傾向について、最近思うことがある。その根本原因とは何であるかについて。

先進国で生きる多くの人にとって、人生はつまらないもののように感じられはじめている。先進国の多くの人がうつ状態にある真の原因はそこにある。つまり、うつとは、生きるのがつまらなくしか感じられない、この世界が陳腐で、まっ平らでつまらないものしか感じられなくなっている、ということにほかならない。それ以上でもなければ、それ以下でもないのだ。

私たちは、何か、ほんものにふれたときに、その独特の、熱さ、厚み、深さ、切れ味などを感じることができる。たしからしい手ごたえを感じるlことができる。そのときに、私は、この人生、この世界を生きるに値するものとして受け取りなおすことができるのだ。

ほんもののスピリリティはそこにある。

いわゆるスピリチュアルっぽいものの中に、私はスピリチュアルを感じることはない。それは、ほんものらしい輝きや空気を放っているものになら、どこにでも転がっている。たとえばコカ・コーラを飲んで、その完成度の高さにうなったことはないだろうか。そこにはスピリチュアリテイがある。

つまりはにせものと、ほんものの違い。アントニオ猪木のプロレスの動きに、私は完成された美を、この世とこの世を越えた何かとが交錯し、炸裂する超越的な美が輝く瞬間を感じることができる。

こうしたほんものの輝き、炸裂する美とそれが放つ熱に触れたとき、私たちは自分の人生を、意味あるものと実感して生きていくことができる。

人間が生きていくうえでこれ以上、不可欠なものはない。

うつが増えているということは、この世界に、ほんものを感じることが難しいと感じている人が増えているということだ。人間とは、なんだろうか。人生とは、なんだろうか。もし、こうしたほんもの輝きを感じ、生きる意味を感じながら生きていく、深さと、厚みと、時代の熱を感じながら生きていくのが人生なのだとしたら、いまのこの時代の、妙に乾いたこの感覚を伴うこの人生は、果たして人生といえるのだろうか。言葉にしなくても、先進国に暮らす私たちの多くはそう感じている。そしてその背景にあるのは、ほんものとにせものの区別をなくしてしまう、どれもおなじだよ、区別なんかしたいけないよという、相対主義的ムーブメントだ。

人類にとって、世界をまったいらなフラットランドにしてしまう相対主義ほど危険なものはない。それは、私たちの人生からほんものとにせものの区別を奪ってしまい、生きる意味を実感して生きていけるような有意義な人生につきものの、あの厚みと、深さと熱とを奪ってしまう張本人にほかならない。

相対主義に×を!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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