https://shiika.sakura.ne.jp/works/haiku-works/2012-09-28-11042.html 【自由 月野ぽぽな】より
山風に川風まざる藤袴 みずうみに深層心理萩の風
日にいくたび陽は戦争の上とおる 花芒あふれて空が止まらない
求めあう体の奥の葛嵐 銃をもつ自由のかなた曼珠沙華
白ききょう傷を見せ合う少女たち 撫子の空にくすぐったいところ
草の絮アダムの指と神の指 音ひとつ灯し銀河に加わりぬ
作者紹介
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人。現代俳句協会会員。第43回海程新人賞、2009年豆の木賞、第28回現代俳句新人賞、第8回海外日系文芸祭海外日系新聞放送協会会長賞、北米伊藤園俳句グランプリ2011優秀賞、第11回海程会賞受賞。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2017/11/63-50.html 【第63回角川俳句賞受賞作 月野ぽぽな「人のかたち」50句を読む】より
「いま」の俳句の「いま」らしさ
上田信治
落選展の50句作品を、今年は、ぜんぶ読もうと思う。
一人の作者の書いた50句を読む。それは、作者が実現しようとしていることをテーブルに置いて、それをはさんで、作者と対話をするということだ。もし、その作品に50句のひとかたまりであることの意味があるとしたら、そうなる。
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手はじめと言ってはおかしいけれど、角川「俳句」2017年11月号に掲載された、月野ぽぽなさんの受賞作「人のかたち」50句を読んでみたい。
角川俳句賞もだいぶ変わってきた。「俳句」に掲載される受賞作や候補作が、すっかり「いま」の俳句になった。それは作品を見ても応募者の名前を見てもそうだ(知ってる人ばっかり)。
それは、かれこれ十一回落選展をやってきて、俳句の賞がもっと「いま」の俳句に接続したものになればいいのに、と思っていたことの、実現である。
そして、自分が十年前から思っていた「いま」に賞が追いついた現在、無い物ねだりストである「落選展」の勧進元としての自分は、もう、とっくに生まれているはずの「つぎ」の俳句を待望している。
角川俳句賞が、もっと「つぎ」の俳句の発生を、ドライブするものであればいいのに。
というか、自分が「つぎ」の俳句を書いて、応募して、受賞するのがいちばんいいわけだ。
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月野ぽぽなさんは、自分がおそるおそる俳句を書き始めた場所である「恒信風句会」や「豆の木」で存じ上げていた名前だ(今年、一次通過の岡田由季さんもそう)。
『豆の木no.11』(2007)より
冬の月髪をほどいてゆけば沼 月野ぽぽな
白もくれん空の半分以上は風
人乗せて象立ち上がる秋の風 岡田由季
良き場所を譲られあたる焚火かな
ここには、この作者たちの変わらない美質があり、「いま」らしさがある。
それは、俳句を書くことと「いま」の人としての感受性が地続きである、ということだと思う。
そのことは俳句らしさに染まらないことによって、輪郭を際立たせている。
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エーゲ海色の翼の扇風機 月野ぽぽな
水かけて家壊すなり橡の花
ブイヨンに浮かぶ夜長の油の輪
潰されて車は野紺菊のもの
うそ寒や蛇口のひとつずつに癖
スケートのひとびと昼を流れゆく
まだ人のかたちで桜見ています
角川俳句賞受賞作「人のかたち」(「俳句」2017/11)より。
「エーゲ海色」の句、広告ふう言葉づかいもその扇風機も、かつてのモダンとして、いっしょに古ぼけているのだというアイロニー。
「水かけて」の句、人のいとなみに向けられる、その視線のフラットさの現代性(仁平勝選考委員が「一句になるとなんとなく儀式の感じが出てくる」と評している)。
「ブイヨン」の句、「夜長」という季語が、ついでのように挿入されている地位の低さ。と同時に、ブイヨンの透明感と、夜長に油が浮かんでいるような浮遊感で、一周まわって効いているという俳句性。
これらの句は、従来型の俳句の引力圏に吸引されることにあらがいつつ、なおかつ、よい俳句であろうとして書かれている。
あらがいつつ、というのは、これらの句が、従来型のうまさとは遠いところで書かれようとしていることから感じられる(それゆえの失敗作もある)。
よい俳句であろうとして、というのは、日常の感覚やよろこびに順接するのではなく(そこに順接しないことは、とても俳句的なことだ)、なにかが俳句になった結果をよろこんでいると見えるから、感じられることだ。
「潰されて」の句。このチープな抒情と、その車が「潰されて」いるという過剰さがポップカルチャーのよさに通じる(枯草に捨てられた車は、すごく映画で見たようなモチーフだ)。野紺菊の紺が、じつは車の色なんじゃないか。
「うそ寒や」の句。蛇口が複数あって、場面が拡散しているのだけれど、その一つづつの「癖」を思っているこの人の体感が、複数の空間をつらぬいている。その構造のおもしろさ(そうそう、体感だからここで「うそ寒」とくるわけで)。
一句ごとにおもしろさのありようが違っていて、こうやって、いちいち方法を発見していくような書き方は、俳句のプロフェッショナリズムとは、ものすごく遠い。
それは「恒信風句会」や「豆の木」で、ずっと試されてきた方向性だったと思う。
一匹の芋虫にぎやかに進む 月野ぽぽな
祝祭的な句。芋虫がぶかぶかどんどんと進んで行くのが、パレードのようだ。
選考座談会では賛否が分かれた。仁平委員と正木ゆう子委員は○。岸本尚毅委員は「一匹の」「にぎやか」の対比がめだつことの限界を指摘した。
しかし、このお目出度さの前に、表現上の隙は、許されるのではないだろうかw 「一匹の」は秋の大空間を暗示して、動かないと思う。
月野さんの書く一句一句は、冷え冷えとしてさびしげであることも多いけれど、恨みがましさや「お化けだぞ〜」とやって人を脅えさせるさもしさとは無縁で、そういった自分をものものしくしない態度もまた、「いま」の人のものであろうと思う。
ぽぽなさん、受賞、おめでとうございます。
https://www.youtube.com/watch?v=yo38IW4MmIg
【第2回】「ラジオ・ポクリット」(ゲスト:月野ぽぽなさん)@セクト・ポクリット【ハイクノミカタの裏話】 #俳句 #月野ぽぽな #堀切克洋 #セクトポクリット
俳句がちょっと楽しくなるサイト「セクト・ポクリット」が運営するポッドキャスト番組です。【第2回】のゲストは、「ハイクノミカタ」シーズン1(2020年10月〜2021年9月)の水曜日を担当してくださった、ニューヨーク在住の俳人、月野ぽぽなさん。1年間の連載を終えての感想など、お聞きしました。
https://www.youtube.com/watch?v=kDmqe5-bha8
https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12805541445.html 【5/28朝日新聞「俳句時評」《「銀漢亭」という磁場》(阪西敦子)。】より
5/28朝日新聞「俳句時評」《「銀漢亭」という磁場》(阪西敦子)。読みやすいように活字に(一部編集)致しました。
3年前の5月に東京・神保町で17年の歴史を閉じた酒場「銀漢亭」は俳人の伊藤伊那男が営んだ店だ。そこに集った約130人が記したエッセー集『神保町に銀漢亭があったころ』(北辰社、堀切克洋編)が刊行された。
銀漢亭は、多くの人が俳句と出会い、また、多くの俳人たちが年代や句柄を超えて交流した場だ。本書には、句集刊行や受賞、誕生日などの祝いや上京・来日した人の歓迎会、噂を聞いて恐る恐る訪れた記憶などが寄稿されている。中でも多くの人が言及したのは、「湯島句会」と名付けられた、所属も経験も問わない句会。混み合う店内で立ったまま句会を行い、終われば亭主の料理でお酒を酌み 交わす熱気とスタイルは語り草となった。最終回は、30人も入れば満員の店に70人以上が詰めかけ、店の前の道に人が あふれた。それぞれのエピソードは少しずつ重なり合って臨場感を伝える。
客たちの思い出にある名物料理が写真と亭主・伊那男の句によって紹介されているのも楽しい。
★生き鯵の瞠目のまま三枚に
は酢〆に、
★茄子捥げば棘の先まで茄子の紺
は茄子のチーズカレーに寄せられた句。
やってくる客たちのために命と向き合う、亭主であり、俳人である人の視点だ。
★花冷の手痛きまでにこの年は
は閉店にあたって伊那男が詠んだ句。花冷えの厳しさに加えて、仲間の寄り合う場を閉じる感慨もあったかもしれない。その亭主の思いに応えるように客たちが記した言葉が、銀漢亭という俳句の磁場を生 き生きと留めている。
【伊藤伊那男さん】長野県伊那地方出身。1949年生まれ。 本名は正徳、出身地をそのまま俳号にした。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、野村證券、オリックス勤務、金融会社経営を経て53歳で脱サラ、神田神保町で「銀漢亭」を開いた(2020年5月閉店)。俳句は取引先の職場句会をきっかけにはじめ、1982年「春耕」に入会。1990年春耕賞受賞、1998年、句集『銀漢』により第22回俳人協会新人賞。2011年「銀漢」創刊・主宰。2018年、句集『然々と』により第58回俳人協会賞。句集他に『知名なほ』、著書に『角川俳句ライブラリー 漂泊の俳人 井上井月 』『銀漢亭こぼれ噺ーそして京都』などがある。
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