https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00123/00004/ 【日本風中国企業「名創優品」が突きつけるもの 日本と中国の「量か質か」問題(前編)】より
By 田中 信彦
「名創優品」の中国・上海の店舗
「質か量か」という議論は昔からたくさんあって、人によってさまざまな見解がある。
おおざっぱに言えば、日本人は「量より質」が好きで、「質」を目指すことによって高い付加価値を出すことに魅力を感じる人が多い。連載のタイトルに合わせて言えば「質」の追求が、我々が納得しやすい「スジ」なのだ。
しかし、であるがゆえに「それだけでは質は担保できない。質を上げるには量をこなさなければダメだ。“量は質を規定する”と言うではないか」という論法が一定の説得力をもって受け入れられている面もある。
いま日本人や日本企業、日本という国が中国に向き合う時、この「質と量」の問題を否応なく考えざるを得ない状況に来ている、と私は思う。
中国は言うまでもなく圧倒的に巨大で、この「量」というものの持つ強烈な意味を考えないと、中国と協力するにせよ、対抗するにせよ、どのように行動したらいいか判断できないからだ。
中国が「大きい」ことは誰でも知っているが、その「大きさ」が現実的にどのような意味を持っているのか、真剣に考える機会は少なかったように思う。どうもそれでは済まされない感じが昨今、とても強くしているのである。
来店客数10億人の生活雑貨チェーン
最近、日本でも時々、話題になるようになってきたが、中国に「名創優品(MINISO)」という生活雑貨のチェーンがある。日本の100円ショップのビジネスモデルをもとに、そこに無印良品風のお洒落さを加え、ユニクロのロゴや店舗デザインを模倣し、品質に対するこだわりを学びとったような企業である。
2013年創業の新しいブランドだが、報道によればすでに世界86カ国に3600店舗(うち中国国内2300、海外1300)、2018年の売上高は170億元(1元は約15円)に達する。前年2017年の売上高は120億元と発表されているので、1年で40%以上、伸びていることになる。詳細なデータは開示されていないが、年間の来店客数は10億人、購買客数は3億人との数字も出ている。
2022年までに「100カ国に出店、1000億元の売上高、1万店舗」を達成するとの目標を掲げ、2019年秋には香港市場に上場予定とのニュースも流れている。今回の香港の状況変化で事態は流動的だが、仮に上場が実現すれば堂々たるグローバルブランドの地位をさらに固めることになる(店舗検索はこちら)。
やっているのは日本企業の「いいとこ取り」
創業者の葉国富氏は1977年、湖北省生まれ。各種の報道を総合すると、葉氏は以前、もっと低価格、低品質の雑貨販売を手がけてそれなりに成功していたが、日本で上述のような企業のビジネスモデルに啓発を受け、「商売の本質は高品質の商品を薄利で売れる仕組みをつくることだ」と考え、「名創優品」を立ち上げた(ソースは中国メディアの報道、こちらなど)。
つまり最初から完全に日本企業の「いいとこ取り」を意図してスタートした会社である。
日本では、このブランドに対する一般的な評価は要するに「パクリ企業」である。それはある意味もっともなことだ。
ロゴのデザインや字体はユニクロそっくりで、白で統一された店舗の内装もよく似ている。売られている商品のデザインはお洒落なものが多いのだが、パッケージに日本国内の住所が印刷されていたりして、露骨に「日本発」(「日本製」ではない)を強調している。店内には「Japanese Designer Brand」などと大きく書かれたりしていて、これも「日本製」とはうたっていないところがミソである。
この会社のホームページに行くと、まず会社紹介に「名創優品は“日本デザイナーブランド”であり、2013年に中国に進出した」「東京で設立」とある。いつ創業されたのかはホームページには明確な記述がない。中国「進出」前に日本で商売をしていたのかはよくわからない(日本語版と中国語版では内容が違う箇所があり、以下は中国語版ホームページによる、2019年9月15日現在)。
そして「共同創業者兼首席デザイナー」として三宅順也氏という人の大きな写真が掲載されている。実質的な創業者で法人の代表である葉国富氏より上の、筆頭ポジションだ。プロフィールには「高田賢三や山本耀司らを生んだ名門、文化服装学院を卒業後、急速に頭角を表し、日本の“自然の生活”派の代表人物」などといった趣旨のことが書いてある。
しかし不思議なことにこの人物の名前を日本のグーグルで検索すると、「名創優品」関連以外のことは10ページ目までスクロールしても何も出てこない。ユーチューブには「名創優品」に関するインタビュー動画はあるので実在の人物には間違いなさそうだが、デザイナーとしての実績は見つけるのが難しい。どのような人物なのか不明で、要は日本人であれば誰でもいいのではないかと勘繰りたくなる。こういうやり方はいかにもあざとい。
形はパクリ、品質は本物
このように「名創優品」のブランドとしての成り立ちは「日本というイメージ」のパクリとでも言うしかないようなものだが、考えるべきは、このブランドは単にモノマネの劣悪商品を売る「パクリブランド」ではなく、世界のマーケットでその品質の良さで人気を呼ぶほどの存在になっているという状況である。
4年ほど前、上海で住んでいたマンションの近くにこの店ができ、何度か買い物をしたことがある。当時から感じていたことだが、商品や店舗のデザイン、ビジネスのコンセプトなどは、日本人の視点で見るといかにも怪しげなのだが、品質は確かに決して悪くない。経営モデルは100円ショップに似ているが、商品は均一価格ではなく、日本円で150円(10元)から1500円(100元)ぐらいの幅がある。
ロゴはともかく店舗自体は、日本のショッピングモールにあっても違和感がない
とかく中国で売られている商品は「低価格=低品質」が相場だが、この店の商品は文具や食器、台所用品、アクセサリーなど、いずれも値段の割に中身がしっかりしており、お買い得感がある。つまり単に「パクリ」だから売れているわけではないのである。
個々の商品のデザインに関しては、これは想像だが、おそらく日本を中心に世界各地で売れている生活雑貨を買ってきて、その商品を研究し、デザインに「ヒントを得て」、どこかを自社風に「改良」して商品にしたものと思う。これも厳密に言えば「パクリ」かもしれないし、実際、「名創優品」と他社との間で係争が起きた事例もあると聞く。
しかし、現実の世の中ではこうしたやり方は世界中のブランドが、どの業界でも程度の差はあれ日常的に行っていることだろう。実際問題、他社の製品を参考にして後追いの類似商品を開発することと「パクる」ことの明確な境界を定めるのは難しいに違いない。
「日本の衣」をまとった中国企業
また各種報道によれば、この企業は在庫過多に陥らないよう、アイテム数を常に3000~5000の範囲に絞り込み、1人のプロダクトマネジャーが300アイテムの商品に責任を持ち、10数人のプロダクトマネジャーを葉氏が直接管理するという手法で品質を担保、毎月500を超える新商品を市場に出しているという。
また、店舗は直営店とフランチャイズの2種類があるが、加盟店に対して店の売上金の60%を、商品が売れた翌日に即、振り込むなど加盟店オーナーの立場を考慮した手法を取っている。そのため加盟希望者が多く、急速な店舗網拡大の大きな武器になっているという。どうやら経営手法は単なる「パクり」ではなく、かなり工夫を凝らし、努力している感じがある。
そうやって世界中のマーケットの情報を手際よく集め、自社で商品化したうえで、中国の巨大かつ効率の高い生産力を活用し、安価で高品質の商品を、大量かつ迅速に生産し、供給したのが「名創優品」である。創業者の葉国富氏は「ユニクロや無印良品の生産方式を詳しく研究した」という趣旨のことを中国メディアのインタビューで語っている。
つまり、日本企業、製品の強みを深く研究し、それを徹底的に模倣(学習)したうえで、さらに企業みずからが「日本の衣」をまとい、世界に打って出て大成功した――のが「名創優品」というブランドである。
巨大な市場、「細かいこと」を気にしないお客
そして、その企業活動を支えているのが、中国という巨大な市場であり、会社の出自や商品開発の経緯など「細かい」ことは気にせず、品質が良くて安ければ躊躇なく購入する消費者である。そして、最初から完璧性を期すことをせず、ある程度の問題はあっても、まず量的な拡大を目指し、「存在感の大きさ」で市場を制してしまおうと考える中国人経営者の発想がある。
日本人はスジ論の人たちだから、「どうせパクリでしょ」という点を強調する。それは確かにそうで、間違ってはいない。
だが、そういう大方の日本人の見方をよそに、現実にこの企業は世界中で急速に店舗数、売上高を伸ばしている。日本経済新聞中国語版に掲載されたサンパウロ特派員、外山尚之記者の報告によると、ブラジルの人々はこの「名創優品」が日本ブランドだと疑っておらず、その高い品質とお洒落なデザインに感心、大人気だという(日経中文版2019年7月25日、記事はこちら)。
ちなみに堂々たる日本ブランドのユニクロは世界各国に2000店舗以上(中国だけで700店舗以上ある)を展開しているが、まだ南米には店がない。現実問題として、もしユニクロが将来、南米に進出したら、現地の人たちは「あれ、ユニクロのロゴは名創優品とソックリじゃないか」と思うだろう。量の大きさが威力を持つのはこういうところである。
本来、この「名創優品」のような戦略は日本の企業がやらなければいけなかったはずだ。このポジションは日本企業が立っているべき位置である。
しかし現実には、日本人、日本企業はこういうことが苦手だ。真面目なことは確かだが、何事も完璧主義の弊害で、まず一歩ずつ、確実に形をまとめるアプローチを取りたがる。これは日本人、日本企業の強みでもあり、それ自体、悪いわけではないが、「名創優品」のように「大きさ」「量の多さ」で既成事実をつくるというアプローチで攻めてこられると、商品の性質にもよるが、対抗するのが非常に難しい。
葉氏は今年4月、メディアのインタビューで「当社の商品は生活必需品ばかりだから世界のどこでも同じモデルで店を出せる。10万店は問題ないと考えている」と語り、「競合企業が出てくる心配はないか?」との質問には「現実には先行者のメリットは大きい。私たちと同じコストで同品質の生産、物流が可能な企業はないはずだ」という趣旨の回答をしている。
こういう現実にどのように向き合うか、真剣に考えなくてはならない。このあたりの問題を、明日お届けする後編で少し別の角度から考えてみたい。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00123/00005/ 【世界が「桜は中国の花」と思う日は来るか 日本と中国の「量か質か」問題(後編)】より
By 田中 信彦
前回(こちら)は、日本企業の競争力そのものを「パクった」かのような企業が、巨大な「量」の力で本家を圧倒していく様子をご紹介したが、これと同じような構図の展開が、最近あちこちで見られるようになっている。
ことは商売の話とは限らない。日本人の愛してやまない桜、あの春に咲く桜の花であるが、これも将来、ずっと日本のシンボルでいられるか、私はあまり楽観していない。
近年、中国で桜の花の人気が急上昇している。中国のメディアに「中国人は一体いつから桜の花がこんなに好きになったのか」という記事が載るくらい、春になると桜の花を愛でる中国人が増えている。実は中国の「国花」はまだ正式決定しておらず、20年以上前から「牡丹派」と「梅派」の議論が拮抗してきた。このことからもわかるように春の花としては中国では古来、桜より梅のほうがポピュラーだった。
しかしこの10年ほど、桜の注目度がにわかに高まり、中国各地の「桜の名所」(そういうものが実はたくさんあり、どんどん増えている)がメディアで大きく特集され、多くの人が花見に行くようになっている。 おそらくそこには日本のアニメの影響や日本を訪れる中国人の数が増え、桜の美しさ、「散る美学」みたいなものが広く知られるようになったことが大きく作用している。
日本にゆかりの桜の名所も
毎年春先になると、中国の旅行関連サイトやブログなどに「中国10大桜の鑑賞地」といった内容の記事が出る。
選者によって多少の差異はあるが、
・武漢大学キャンパス(湖北省武漢市)
・玄武湖(江蘇省南京市)
・太湖畔(江蘇省無錫市)
・玉淵潭(北京市)
・太子湾(浙江省杭州市)
といったあたりが定番として上位に来る「桜の名所」である。このうち武漢大学の桜はかつて日本軍が武漢を占領した際に植えたものが起源とされ、無錫の太湖畔の桜も日本の日中友好運動の人たちが長年にわたって苗木の寄贈、植樹を続けてきた。海外ではワシントンDC、ポトマック川岸のソメイヨシノの並木が有名だが、中国の桜の名所にも日本にゆかりのあるところが少なくない。
「桜を中国の国花に」
中国の人々も桜の花を楽しむようになったのは結構なことで、それ自体、何の問題もない。
しかし桜の国民的人気が高まり、桜の花を見る人が増えるにしたがって、中国の各地で公園や公共施設、街路などに桜を植える例が続々と増えている。そうなると、ここでも「量」の話が頭をもたげてくる。
例えば、河南省鶴壁市という街は、これといって特色のない地方都市だが、もともと市内中心部の「華夏南路」という通りに桜の並木があったことから、「桜の街」として売り出すことを決めた。長さ4㎞の同道沿いに10品種、2万2000本の桜の木が植えられ、「中国で最も美しい桜の大道」という評価もある。2015年からは毎年4月上旬に「桜文化フェスティバル」というイベントを開催、開花時期には30万人以上の人出でにぎわうという。
こうした「桜ブーム」の流れに乗って、桜の花に関連する業界で組織した「中国櫻花産業協会」は今年7月、「桜の花を中国の国花にすべきだ」との決議をまとめ、発表した。それによると「桜が中国に起源があることは世界の共通認識であり、2500年前から栽培されていた記録が文献にある。桜の花の咲き誇るさまは中華民族の復興のイメージにふさわしい。国民にもますます愛される花になっている」といった内容の声明になっている。
もちろんこれは桜の「関連業界」の人たちが言っていることで、この主張が現時点で国民的支持を得ているわけではない。
しかし、繰り返してきたように、なにしろ中国は大きい。なので、この調子で全国各地の公園や学校、街路などに桜の木が植えられていくと、20~30年後には中国の人たちが何の悪意もなく「桜は中国のシンボル」という共通認識を持つようになる可能性がある。
そして、14億人の国民から中国の桜の美しさが世界中に発信されていく。政府も当然、そのサポートをするであろう。世界の政治、経済、文化において中国の存在感が日々高まりつつある現在、やや先走りした話をすれば、桜の花は中国が本場――といった認識を世界の人が持ってしまう可能性は決して低くないと私は思う。これは詰まるところ「量」=影響力の問題だからである。
実はこの構図は、ラーメンでもお鮨でもアニメでも新幹線(高速鉄道)でも、いわゆる「日本発」の文化、習俗、すべての領域で起こる可能性があり、現に起こっていることである。
量は質を規定するか
前回の冒頭に触れた「質か量か」という話(こちら)で言えば、もとよりどちらも大事ではあるが、先に例に挙げた「名創優品」などの生活雑貨のような、生産自体がさほど難易度の高くない商品は、最初から圧倒的な「量」をこなさないと勝負にならない。逆に高度に精密な機械部品のようなものなら、マーケット自体の大きさは限られているが、その中で「質」を武器に圧倒的なシェアを取ることは可能だろう。
そのような観点から言えば、「服」という領域で早くから中国に進出し、品質の高さ、リーズナブルな価格を武器に圧倒的な地位を獲得、その基盤を生かしつつ世界に打って出て、SPA(アパレル製造小売り)の領域で現時点の世界3位、さらに上をうかがうところまで来ているユニクロ(ファーストリテイリング)の戦い方はまさに王道といえる。
存在自体が「量」であるような巨大な国がすぐ隣にある日本の企業や個人として、これからの世界にどう対応するか。最終的には「質」が勝負だとは思うものの、「量が質を規定する」面があることは多くの人の同意できるところだろう。どのような商品を、どこで、誰と組んで、どのように造って、どのように売るか。本当に必死に知恵を絞らないといけない時代になったと思う。
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