宮沢賢治の宇宙

https://note.com/astro_dialog/n/n1fc01135d492 【宮沢賢治の宇宙(10) 宮沢賢治とゴッホのお月見】より

月を見るゴッホ

『十五夜お月さん』 子供の頃、この童謡を歌った記憶がある人は多いだろう。暗い夜道を照らしてくれる月は、ありがたい存在だ。ただ、星空を堪能したいときは、月明かりは欲しくない。そのため、天文ファンにとって、月は微妙な存在とも言える。しかし、月が嫌いな人はいないものだ。

また、形を変える月に自分の思いを詠む人もいる。

この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

この歌を詠んだのは平安時代に摂政関白太政大臣に上り詰めた藤原道長(966-1028)だ。この歌は極端な例かもしれないが、月の形と東の空に昇る時間帯を意識していた人は多い。望月は満月なので、太陽が沈んだときに東の空に登ってくる。次の日は十六夜、いざよいの月だ。十七夜以降は、立待(たちまち)、居待(いまち)、寝待(ねまち)、更待(ふけまち)と続く。十八夜までは月の出を立って待っていられるが・・・。やはり、人は月の出を待っているのだ。

天文部の部室のソファーに寝転がって、輝明がこんなことを考えていたら、部室に優子が入ってきた。

「はい、部長、起きてください。」

これはやむを得ない。輝明はよっこらしょと起き上がった。我ながら情けないと思いつつ、優子の方に顔を向けた。

「部長、今日は満月みたいですよ。」

「今日は天気がいい。家に帰る途中、昇ってくる満月が見えるね。」

「この前、ゴッホの絵について少し話をしてから、ゴッホの絵をいろいろ見るようになりました。」

「何か面白い発見はあったかな?」

「ゴッホの《星月夜》には明け方昇ってくる逆三日月の形をした二十六夜月が描かれていました。星月夜は、月がなくても、星あかりだけで月夜のように夜空が明るい夜のことです。本来なら《星月夜》に月は必要ない。そんなことを考えていたら、ゴッホは月をどのぐらい描いたのだろうか、気になり始めました。」

「なるほど、面白い視点だね。」

「ゴッホは800点以上の作品を残しているのに、たった5点しかありませんした(図1)。」

「おお、それはずいぶん少ないね。もっと、たくさんあるかと思っていたよ。」「私もです。」

「しかも、描かれた月の形にはかなりの偏りがあります。三日月が3点、満月が1点、そして《星月夜》に描かれている逆三日月の二十六夜月が1点です。」

「うーん、上弦の月もないのか・・・。たしかに、すごい偏りだね。」

「満月は《小麦畑と昇る満月のある風景》に描かれているんですけど、まるで沈んでいく赤い夕日のようにも見えます。実際、そういう解釈もあったようです。」

「月も太陽も地平線に近い場合、地球大気の吸収の効果で青い光が吸収されちゃうので、赤く見える。この絵を見ると、たしかに月なのか太陽なのか、わからないね。」

「実は、この絵に似た絵がひとつあります。《日光の中のわらぶき屋根の家々:北の回想》です(図2)。

「なるほど、似ているね。昇る朝日、沈む夕日、あるいは昇る満月。悩ましい。」

「ただ、タイトルに「日光の」があるので、月の絵には入れませんでした。」

「了解。しかし、月が描かれた絵がった5点とは、ホントに驚いた。」

月を見る宮沢賢治

「ついでに、宮沢賢治の作品に月がどのぐらい出てくるか調べてみました。」

「おっ、それはすごい!」

「その結果が表1です。ゴッホの結果も合わせて書いておきました。」

画像(略)

「うわあ、新月から始まって、二十六夜の月まであるのか! さすが賢治だね。賢治は夜中の散歩が大好きだった。野宿もヘイチャラ。さらに、登山も大好きだった。」

「岩手山には20回以上も登ったという話がありますね。」

「うん、多くの場合、目的は頂上でご来光を拝むためだったみたいだ。」

「そうなると、夜間の登山ですね。」

「夜空を眺める分にはいいけど、大変だったと思う。何しろ、岩手山の標高は2000メートルを超えている。」

賢治は「弓張(ゆみはり)月」が好きだった

ここで、優子は自分の意外な発見について話した。

「この表を作って初めて分かったんですけど、賢治はいろんな月齢の月を見ています(図3)。その中でも、上弦の月と下弦の月が好きだったんだなあって。」

「弓張月だね。」

「弓張月は弦月(げんげつ)とも呼ばれますが、賢治は弦月の方を好んでいたみたいです。」

「上弦の月なら夕方から夜半まで見えるから、弦月は上弦の月の方を指すんだろうね。」

「はい、そうみたいです。賢治の短歌を調べたら、次の一首がありました。

星もなく赤き弦月たゞひとり窓を落ちゆくは只ごとにあらず(短歌暗号93  大正3年4月)(『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻、17頁、筑摩書房、1996年)

「なるほど、おそらく真夜中に上弦の月が西の空に沈んでいく様子だね。大正3年というと、賢治は18歳。体調を崩して入院したことがあった。病院の窓から眺めた景色かな。賢治は異界を見ることができる人だったみたいだから、これもその類かな。」

「幻視?」

「賢治はガラスのマントを羽織った又三郎を空に見た人だからね。」

「???」

半月の賢治、三日月のゴッホ

賢治とゴッホ。二人は確かに傑出した天才である。面白いのは二人の差が好きな「月」の形に出ていることだ。

今日、輝明と優子は学んだ。

「ゴッホは三日月か二十六夜月(逆三日月)を好んでいた。どうも満月は嫌いなようで、上弦から下弦の月も絵には出てこない。かなり極端な性向が見える。一方、賢治は夜の山歩きで見た、さまざまな形の月を作品に散りばめている(表1)。」

「でも、半月、弓張月が好きだった。」

輝明と優子、二人は確信した。

「弓張月の賢治、三日月のゴッホ(図4)。これが結論だ。」

結論を出してみたはいいが、輝明は首を傾げた。

「ただ、なぜ二人の好みが違っているのか・・・。」優子がふと思いついた。

「そうだ、賢治さんに聞いてみましょうか?」「おっ、いいね。」

「賢治さん、どうして半月が好きだったんですか?」

賢治が花巻弁で答える。「ワガンナイ」


https://note.com/astro_dialog/n/nf6eeb5830399 【宮沢賢治の宇宙(8) 心象スケッチで繋がる宮沢賢治とゴッホ】より

放課後、今日も輝明は天文部の部室にいた。いつも先に来ている優子の姿は見えない。

前回の部会で、ゴッホの《夜のカフェテラス》にはスケッチが残されているという話をした(後で出てくる図2を参照されて下さい)。なぜか完成された絵とは微妙に違う。部会でこのスケッチの話をしながら、輝明の頭の中にはある言葉が浮かんだ。それは「心象スケッチ」だ。この言葉は宮沢賢治が自分の作品に対して使った言葉として有名だ。ゴッホの絵を見て、なぜこの言葉が浮かんだのか? 輝明はよくわからなかった。そのため、前回の部会では話題に出さなかった。しかし、やはり気になる。このことについて天文部の部員の意見を聞いてみたいと思い始めていた。

そのとき、部室のドアが開いた。優子だ。「あら、部長、今日は早いですね。」

元気な優子の声が部室に響いた。

「やあ、優子。ちょうどよかった。少し話をしたいと思っていたんだ。」「どんなことですか?」「優子は「心象スケッチ」という言葉を知ってる?」「宮沢賢治ですか?」

「おっ! それなら話は早い。」

心象スケッチ

宮沢賢治(1896-1933)は岩手の花巻で生まれた詩人・童話作家だ。普通、詩を書いたら、それを詩という。童話を書いたら童話という。しかし、賢治は違った。自らの作品を「心象スケッチ」と呼んだ。不思議だが、優しさも感じる言葉だ。まるで、賢治のような、と言うべきか。賢治の代表的な詩、『春と修羅』の「序」は、こう始まる(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、7頁、筑摩書房、1995年)。

わたくしといふ現象は  仮定された有機交流電燈の  ひとつの青い照明です

はっきり言って、僕にはよくわからない。そして、そのあとの方に出てくるのが「心象スケッチ」だ(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、8頁、筑摩書房、1995年)。

ここまでたもちつゞけられた  かげとひかりのひとくさりづつ  そのとほりの心象スケツチです 

どうだい?」「たしかに、よくわからない詩です。」

「賢治はメモ魔であったことはよく知られている。どこにいくときもメモ帳とペンを持ち、せっせとメモをしていたそうだ。ある瞬間、感じたことをメモにする。それが心象スケッチなんだろうね。」

「なるほど、見たまま、感じたままの言葉ということでしょうか。もしそうなら、特に問題はないような。」

「そうなんだけど、もうひとつわからない言葉がある。」「なんですか?」

「Mental Sketch Modifiedという言葉だ。」「あら、英語ですね。」「賢治は語学も堪能だったから。」「問題は、この言葉の意味ですね?」「そうなんだ。どう思う。」

Mental Sketch Modified

「もう少し説明しておこう。」「お願いします。」

「賢治の「兄妹像手帳」と呼ばれる手帳に、『銀河鉄道の夜』に関連すると思われるメモがある(図1)。このメモに示された作品の名前は “The Great Milky Way Rail Road”だ。日本語にすると、“偉大なる天の川鉄道”。」

「すごいタイトルです!」

「もちろん、これは明らかに『銀河鉄道の夜』のことだ。日付は1931年9月6日。賢治の亡くなる二年前のことで、最終形(第四次稿)を仕上げていた頃になる。しかし、このメモには、まだ night (夜)は出てこないんだけど、タイトルが決まったのは1931年の頃なんだろうね。」

「賢治の作品で“mental sketch modified”が付けられている他の作品はあるんですか?」

「うん、あるよ。『春と修羅』の「序」の他には、「青い槍の葉」と「原体剣舞連」がある。ところが、もうひとつあった。それが『銀河鉄道の夜』。「兄妹像手帳」のおかげで、この童話にも“Mental Sketch Modified”の称号が与えられていたことがわかったんだ。」

「どうしてこれらの作品だけなんでしょうね。あれだけたくさんの作品を残しているのに不思議です。」

「そうなんだ。『銀河鉄道の夜』以外の三つの作品に何か共通することがあるのか? これについては、今福龍太さんがひとつの共通点を指摘している。

「 (mental sketch modified) 」と但し書きされた三篇すべての作品に「気層」ないし「気圏」という語が使われていることにも注意を払わねばならないでしょう。 (『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(今福龍太、新潮選書、新潮社、2019年、223頁)

ただ、「気圏」や「気層」は賢治のお気に入りの言葉だ。【新】校本の索引で調べてみると、「気圏」が49回、「気層」が15回も作品の中で使われている。」

「そうなると、単に「気圏」や「気層」を取り入れたから、“mental sketch modified”になっているわけではないんですね。

「実際のところ、『銀河鉄道の夜』には「気圏」や「気層」という言葉は出てこない。」

「あとは、書かれた年代かな。『春と修羅』の執筆は大正十一年、十二年(第二巻、5頁)。1922年と1923年だ。また、『青い槍の葉』と『原体剣舞連』も1922年に書かれている。どうも、年代的には、“mental sketch modified”は1922年頃に結びついているようだ。」

「1922年といえば、妹トシが亡くなった年ですね。」

「そうだね、トシとの関係はやや気になる。『銀河鉄道の夜』では、主人公であるジョバンニの親友カムパネルラが川で溺れて死んでしまう。」

「はい、とても悲しい出来事です。」

「カムパネルラにモデルがいるとすれば誰か?」

「トシですか?」

「うん、有望なモデルは妹のトシだと考える人が多いようだ。賢治は『銀河鉄道の夜』の推敲を重ねながら、トシの面影を追い続けていただろう。時を重ねながらの「心象スケッチ」というところかな。」

Modifiedの意味

そこで、優子が思い出したように言う。

「ところで、modifiedというのは、どういう意味ですか?」

「modifyというのは「修正」とか「変更」を意味する英単語だ。」

「じゃあ、「心象スケッチ」としてざっと作品を書いたけど、あとで修正を加えたということでしょうか?」

「それでいいと思うよ。ところが、今まで、いろいろな意見が出されている(表1)。」

画像(略)

「なんだか、難しい解釈が多いですね。」

「この中で最もシンプルな捉え方は恩田逸夫の“再構成された”だろうね。僕はさっき優子が言った「心象スケッチ、修正版”」ぐらいでいいような気がするよ。」

「賢治さんに答えを聞きたいところですけど・・・。」

Modifiedの位置

「あと、もうひとつ。Mental Sketch ModifiedはModified Mental Sketchとしてもおかしくはない。」

「そうですね「修正された」という形容詞としてmodifiedを使えば、Modified Mental Sketchの方が自然かもしれません。」

「以前、天文関係の本で読んだんだけど、論文のタイトルとして。「Galaxy formation theory, revisited」というのを見かけたことがある。これは「銀河形成論、再訪」という意味だ。賢治は自然科学と英語に長けていたので、こういう使い方を知っていたのかもしれないね。賢治に科学者としての才能を見る思いだ。」

そうだ、ゴッホの話だった!

「おっと、もう5時を過ぎちゃった。」

「あら、ホント。話をしていると、あっという間に時間が過ぎちゃいますね。」

「今日は、ゴッホの《夜のカフェテラス》のスケッチについて、優子の意見が聞きたかったんだ。」

「どんなことですか?」

「スケッチはまさに「心象スケッチ」だった。そして、作品として残された《夜のカフェテラス》は「Mental Sketch Modified」だった(図2)。こんな考え方をしてもいいのかなと思ったんだ。」

「賢治とゴッホの流儀には似たものがあった。そういうことですね?」

「うん、しかし今日はもう遅い。また、今度話そう。」

「了解です。」

優子は新たな面白いテーマに興味を持ってくれたようだ。輝明は安堵した。


https://note.com/astro_dialog/n/n5c406116376f 【宮沢賢治の宇宙(9) 心象スケッチModifiedへの道】より

「いやあ、ごめん、ごめん。」

輝明が手を合わせて、天文部の部室に入ってきた。

ポカンとした顔で、優子は輝明の方を見た。

「昨日は、ゴッホの《夜のカフェテラス》のスケッチについて、優子の意見が聞きたかったんだ。それなのに宮沢賢治の心象スケッチの話で終わってしまった。今日こそ、ゴッホの話題にしたい。」

「そうでした。昨日は、あっという間に時間が経っちゃって。」

「じゃあ、いきなりだけど、ゴッホの《夜のカフェテラス》とそのスケッチを見てほしい(図1)。」

「あれ、もう結論が書いてありますよ。Mental Sketch Original(オリジナル)。そして、Mental Sketch Modified(修正版)。」

「おっと、ごめん。」「今日はごめんが多いですね。」「まあ、順番通りに話を進めていくことにするよ。」「はい、どうぞ。」

宮沢賢治の作法 ― 自然からの贈り物

「賢治とゴッホ。生きていた時代も、住んでいた国も異なる。賢治は作家だけど、ゴッホは画家。共通点があるとすれば、二人とも37歳の若さでこの世を去ったこと。そして、生前は作品に対して高い評価を得られなかったことかな。」

「そういえば、フランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)も37歳で夭折していますね。奇遇ですけど。」

「37は天才のマジックナンバーの一つなのかもしれないね。」

「ホントにそうかも。」

「じゃあ、賢治の話だ。賢治はたくさんの童話と詩を遺したけど、いったいどうやって作品を産み出したのか? この問題を考えるとき、参考になるよい文章が残っている。それは『注文の多い料理店』の序文に書いてある。」

 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

 ほんたうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたしはそのとほり書いたまでです。(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、筑摩書房、1995年 『イーハトヴ童話 注文の多い料理店 序』、7頁)

「なんだか、とても楽しそうですね。賢治は賢治のいる場所にあるもの、あるいはそこに居るものたちと交感し、「何か」をもらう。そんな感じがします。」

「この文章を読むと、「賢治の童話は賢治自身が書いたのだろうか?」という疑問を持つぐらいだ。もちろん、形式的には、答えはイエスだ。しかし、『注文の多い料理店』の序文を読んでみると、どうも違う。」

ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたしはそのとほり書いたまでです。

「これを字義通りに解釈すると、次のようになる。」

文字を原稿用紙に書きつけたのは賢治

物語を語ったのは賢治の周りにあったものたち

「そうか、物語を語ったのは林、野はら、鉄道線路、虹、月あかりなんですね? 賢治は彼らから物語をいただいて、それを原稿用紙に写しとっただけ。」

「僕も、そう思うんだ。試しに、賢治に「『注文の多い料理店』は、あなたが書いたのですか?」と聞いてみたとする。すると、賢治はこう答えるんじゃないかな。」

よぐわがんねえな。気がついたら、そったら原稿ができていた。

「あっ、それ面白いです。」「要するに、賢治は単なる“受け子”だった。」「なるほど。」

優子も輝明の意見に賛成してくれた。

ゴッホの作法

「次は、ゴッホ。」

「天文ファンから見ると、“星空を描かせたらゴッホは世界一の画家”みんなそう思っているんじゃないでしょうか。」

「そうだね。賛成だ。もちろん、ゴッホは星空だけを描いたわけではない。風景、自画像、肖像、静物。多種多様な作品を遺した。たとえば、ゴッホの《ひまわり》を見て、どう思う? (図2)」

「そうですね、極めて正確に写実されているように感じます。テーブルの縁が歪んでいるのが少し気になりますが。それと・・・。」

少し考えながら、優子は付け足した。

「ひまわりの花はゴッホの目に見えていたひまわりの花ですよね。私たちが同じひまわりの花を見たとして、ゴッホが見たように見えたのかという疑問はあります。」

「おそらく、その問いに対する答えは“ノー”だろうね。ゴッホはゴッホ自身の目というよりは、全身を感覚器官として使ってひまわりの花を見ていたんじゃないかな。」

「ゴッホ・スタイル。」「おっ、いい表現だね。」「今、ふと思いついた言葉です。」

「昨日、古書店を見ていたら『ゴッホとゴーギャン 近代絵画の軌跡』(木村泰司、筑摩書房、2019年、119頁)という本を見つけた。買って読んでみたら、次の文章を見つけた。」

ゴッホは絵画を外から受ける「印象」を描くものから、自分の内面を「表現」するものにし、印象主義を新たな方向へ導いたのだった。

「たとえば、対象物を自分自身という鏡に映して、その写った姿を絵として描くという感じでしょうか。」

「そうだね。あと、色かな。」

「それは・・・。」

「たぶん、ゴッホは色彩を単に色として扱ったわけではない。色彩から“何か”を受け取る。それを感情に転化させる。そして、それを画布に写し取った。だから、僕たちはゴッホの絵にゴッホの感情を読み取ることができる。もちろん、上手くいけば、の話だけど。」

「そうですね、私にはそんな鑑賞眼はないですけど。」

「もうひとつ見つけた本がある。『美術の物語』(エルンスト・H・ゴンブリッチ、河出書房新社、2019年、547頁)という本だ。ゴンブリッチは美術史家だ。彼はゴッホの流儀を的確に説明している。」

彼が一筆ずつ細かく筆を重ねたのは、ただ色が混ざらないようにするためではなく、自分の心の高揚を伝えるためであった。アルルから出した手紙に、その精神の高揚ぶりが記されている。「ときに感情があまりに昂り、絵を書いているという自覚がなくなってくる••••••。話をしたり手紙を書いているときに言葉が順を追って出てくるように、すらすらと筆がはこばれていく」。これ以上的確な比喩はない。ふつうの人が手紙を書くようなとき、彼は絵を描いたのだ。

「さすが、美術史家。ちゃんと、見ていますね。」

「すらすらと筆がはこばれていく。この表現はすごい。ゴッホは見たものに支配されて、自動的に絵筆を動かしている。やはり、描いているのはゴッホではなく、ゴッホの見たものが、ゴッホを通してキャンバスに映されているんじゃないだろうか。」

「歌手のユーミン、松任谷由実の言葉を思い出しました。音楽の神様がいて、曲ができるときは、神様が降りてくると言っていました。」

「なるほど。賢治とゴッホに共通する何かがあるね。次のゴッホの言葉を見てごらん。」

1888年9月29日ごろ 〔手紙番号 = 543〕

このごろの日々のように自然があまりにも美しいとき、僕はときどきものすごく冴えた状態になる。そういうとき、もはや自分を感ずることなく、絵は夢のなかさながらに僕のもとへやってくる。(『ファン・ゴッホの手紙』二見史郎 編訳、圀府寺司 訳、みすず書房、新装版、2017年、298頁)

「ユーミンと同じです!」

優子は驚きを隠さなかった。優子は天才の作法を見たのだ。

フィルターとしての作家

「ゴッホは絵を描く。賢治は童話を紡ぐ。二人はそれぞれ作業をする。しかし、その作業をさせているのは二人の見た景色だ。景色は二人に作用する。そして二人をフィルターにして、気がつけば作品が生まれている。こういうことかな(図3)。」

「まさに天才の作法ですね。わたしたちが到達できない世界の出来事だと思いますけど。」

「賢治もゴッホも最初は心象スケッチを作品にした。それらは神様の贈り物だ。しかし、その後、彼らをさらに突き動かすものがあった場合、神技を持って修正する。もちろん、この修正は「より高みのものにする」という意味だ。こうしてMental SketchはMental Sketch Modified として遺されたんじゃないだろうか。」

「賢治もゴッホも、まさに、天才!」

優子はいつになく興奮気味に、キッパリと言った。


https://note.com/astro_dialog/n/n620f6082a5f4 【宮沢賢治の宇宙(33) 賢治の四次元観】より

天文学者のひとり言   時空に住む

私たちは空間三次元と時間一次元が相互作用する四次元の「時空」に住んでいる。その時空も科学の発展と共に様変わりしてきた。

ニュートン力学の時代は、空間は絶対空間であり、また時間は絶対時間であった。また、当然のことながら、空間と時間は独立した物理量であり、両者には何の関係もない。ところが、アインシュタインの相対性理論では、空間も時間も相対的なものであり、しかも両者は深く関連しながらこの宇宙を形作っていると理解されるようになった。

賢治は相対性理論に基づく時空感を素早く身につけて、作品に生かした。このnote では賢治の時空感、四次元観を見てみよう。

『銀河鉄道の夜』に見る賢治の次元感覚

賢治は代表的な童話『銀河鉄道の夜』で、独特な表現を使って彼の次元感覚を披露している。まずは、それを見てみよう。

『銀河鉄道の夜』の第九節“ジョバンニの切符”の中で、車掌がジョバンニたちの切符の検札に来たときのことだ。ジョバンニは銀河ステーションで銀河鉄道に乗り込んだとき、切符をもらった記憶はなかった。ところが、上着のポケットを探してみると、たたまれた紙切れが見つかった。四つ折りで緑色したハガキぐらいの大きさの紙だ。とりあえず、それを車掌に見せると、こう言われた。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、149頁)

空間は三次元なので、本来なら“三次元空間”の方がしっくりくるのだが。ここで面白いのは、車掌が「あなたは三次空間から来たのですか?」と質問していることだ。それは、言外に「ここは三次(元)空間ではありませんよ」と言っていることになる。では、銀河鉄道の車内はどういう空間なのか? それは、もちろん、四次(元)空間だ。

ジョバンニは訳がわからず何も言わずにいると、隣にいた鳥捕りがその切符を見て、驚いたように話し出した。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手に歩ける通行券です。こいつをお持ちになれあ、なるほど、これほど不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、150頁)

銀河鉄道に乗る前、ジョバンニたちがいた町は三次空間だった。つまり、まだニュートン力学的な世界観の町に住んでいたのだ。ところが、ひとたび銀河鉄道に乗り込むと、そこは幻想第四次の世界になる。幻想が何を意味するか不明だが、「空間と時間が合わさった四次元の宇宙にいることになった」と解釈できる。

もちろん、ニュートン力学的な世界観の宇宙(三次元空間)にも時間は流れている。賢治は、「銀河の中はアインシュタインの相対性理論の世界である」ということを主張したかったのだろう。

第四次の意味

次は、“第四次”だ。賢治の詩のひとつである「ダリヤ品評会席上」には、第四次限という言葉が出てくる。

最后に一言重ねますれば  今日の投票を得たる花には  一も完成されたるものがないのであります  完成されざるがまゝにそは次次に分解し  すでに今夕は花もその辨の先端を酸素に冒され  茲数日のうちには消えると思はれますが  すでに今日まで第四次限のなかに

可成な軌跡を刻み来ったものであります (『【新】校本 宮澤賢治全集』 第四巻、筑摩書房、1995年、281頁)

じつは、物理用語には、「次元」はあるが、「次限」という言葉はない。そのため、「第四次限」という言葉は賢治の造語である。夏目漱石が人生観を人世観と言っていたようなものだ。「原子朗の『宮澤賢治用語辞典』では「第四次元」と「第四次限」は同義とされている。また、『宮澤賢治イーハトーヴ事典』(天沢退二郎、金子務、鈴木貞美 編、弘文堂、2010年)には第四次元の直接的な解説はないが、「異次元世界 / 多次元世界」の項目に解説がある(23 – 26頁)。25頁に出ている宮前興二によるコラム「賢治と次元」が参考になる。

第四次限の意味は、やや曖昧だ。なぜならば、次元の数を表現するとき、三であれば三次元、四であれば四次元というように、「第」を付けることはない。「第」をつけるのは、一般には順番を表すときだ。たとえば、第一、第二などである。

賢治の時代に「第四次元」を冠した一冊『通俗第四次元講話』(寮佐吉 訳、黎明閣、1922年)があった。賢治がこの本に出会ったかどうかは不明だが、当時は「四次元」よりは「第四次元」の方が馴染みのある名称だったのかもしれない。

ところで、「ダリヤ品評会席上」では「すでに今日まで第四次限のなかに」となっている。「今日」という時間を表す言葉のあとで「第四次限」が使われていることに気づく。つまり、「第四番目の次元」である「時間」を表している。

第四次延長

「第四次延長」という不思議な言葉も賢治の作品に出てくる。『春と修羅』の「序」を見てみよう。

すべてのこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます (『【新】校本 宮澤賢治全集』 第二巻、筑摩書房、1995年、10頁)

「それ自身の性質」という言葉があるが、「それ」はその直前の「時間」を指している。したがって、「第四次」は時間を意味する。「延長」という言葉が続くが、これは未来を表す。つまり、「これらの命題を、今後考えていくことにしよう」ということだ。

四次

賢治の作品の中には、単に「四次」という言葉も使われている。それは口語詩の「疾中」にある詩のひとつ、〔手は熱く足はなゆれど〕である。

手は熱く足はなゆれど  われはこれ塔建つるもの  滑り来し時間の軸の  をちこちに美ゆくも成りて  燦々と暗をてらせる  その塔のすがたかしこし  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第五巻、筑摩書房、1995年、161頁)

ここには四次という言葉は出てこない。じつは、この詩の下書稿に出てくる。

手は熱く足はなゆれど  われはこれ塔建つるもの  滑り来し四次の軸の  をちこちに美ゆくも成りて  燦々と暗をてらせる  その塔のすがたかしこし  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第五巻 校異篇、筑摩書房、1995年、176頁)

「滑り来し時間の軸の」と「滑り来し四次の軸の」の比較から、ここでの四次は時間を意味している。

『農民芸術概論』に見る「四次」と「第四次元」

最後に『農民芸術概論』との綱要を見ておこう。この『農民芸術概論』は「農民芸術の綜合」に出てくる。

・・・・・・おお朋だちよ、いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・・・・  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、8頁)

ここでは、この言葉の前に「田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな」があるので、“第四次元”ではなく、本来なら“四次元”とすべきだったと思われる。

また、『農民芸術概論綱要』の「農民芸術の(諸)主義」に“四次”が出てくる。

四次感覚は静芸術に流動を容る

神秘主義は絶えず新たに起こるであらう  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、12頁)

ここでは、「静芸術に流動を容る」ので、“四次”は時間を表している。

『農民芸術概論綱要』の「農民芸術の綜合」には「第四次元」が出てくる。ところが、もうひとつ「四次」が出てくる。

巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす

おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、15頁)

ここも、「時間の軸を移動して」なので、“四次”は時間を意味する。ついでながら「結論」も見ておこう。

・・・・・・われらに要るものは銀河を包む透明な意思 巨きな力と熱である・・・・・・  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、15頁)

こういわれても、農民の方々のみならず、私たちも当惑する。「銀河を包む透明な意思」がなんであるか、理解できる人はほとんどいない。ただ、賢治に悪意はない。賢治は自分の思ったことを、素直に表現しているだけだ。それを読む農民や私たちが理解するかどうかには、頓着していなかったのではないか。

賢治の四次元観

さて、ここまで賢治の作品に出てくる言葉である「四次」、「第四次」、「第四次限」、そして「第四次元」を紹介してきた。

まず、「四次」だが、これは時間の意味で用いられている。また、「第四次」と「第四次限」も同様な解釈で矛盾はない。

「第四次元」は「農民芸術の綜合」に一回だけ出てきていた。

・・・・・・おお朋だちよ、いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・・・・  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、8頁)

先の説明で述べたように、ここでの「第四次元」は通常の「四次元(空間三次元+時間一次元)」で用いられている。順番を指示する“第”をつけてしまったことで、解釈が難しくなっていた感がある。これは賢治の癖だったのだろうか。

それにしても、詩や童話の作家がここまで四次元の世界に深入りするとは驚きだ。「文理両道、ここに極まれり」という気がする。


https://note.com/astro_dialog/n/ne7bd7e6855f6 【宮沢賢治の宇宙(60) 時間のない頃って、いつですか?】より

「雲の信号」

宮沢賢治の『春と修羅』に「雲の信号」という短い心象スケッチがある。

あゝいゝな せいせいするな 風が吹くし 農具はぴかぴか光つてゐるし 山はぼんやり

岩頸(がんけい)だつて岩鐘(がんしょう)だつて みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ  そのとき雲の信号は  もう青白い春の  禁慾のそら高く掲げられてゐた

山はぼんやり きつと四本杉には 今夜は雁もおりてくる (『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、30 頁)

12行の短い詩だが、興味深い言葉が出てくる。「時間のないころ」である。

私たちはひとつの宇宙に住んでいる。宇は時間であり、宙は空間である。つまり、私たちは「時間のあるころ」に住んでいる。「時間のないころ」とは、いつのことを指しているのだろうか?

岩頸と岩鐘

「時間のないころ」を考える前に、岩頸や岩鐘について説明しておこう。岩頸も岩鐘も地球科学の専門用語であり、普通の人なら知らないだろう。賢治は大の鉱物好きだったので、岩石の性質や地形の成り立ちについては詳しかった。岩頸と岩鐘を辞典で調べると以下の説明がある。

岩頸(火山岩頸) 火山噴出物の地表への通路を満たして生じた火成岩が、火山体が侵食された結果円柱状に露出したもの。 (『広辞苑』第七版、2018 年)

岩鐘 地中から噴出した溶岩が地上に出て。円錐形または鐘状に凝結したもの。鐘状火山。トロイデ。 (『精選版 日本国語大辞典』) https://kotobank.jp/word/岩鐘-2026065

火山噴出物の残骸だが、出来上がった形状は釣鐘型になる。シルエットは「おむすび型」になるので、比較的目立つ山になる。賢治は中学時代、親友の藤原健次郎と南昌山によく登った。この南昌山が岩頸である(図1)。

図1 南昌山。(上)クローズアップ、(下)遠景。 (上)https://ja.wikipedia.org/wiki/南昌山#/media/ファイル:南昌山_IMG_9394.jpg (下)畑英利

時間のないころ

次は「時間のないころ」である。この解釈は宇宙(時間と空間)の誕生がどうなっているかに依存する。宇宙の誕生はまだよく理解されていないが、ひとつの解釈として「無」からの宇宙誕生説が提案されている。ミクロの世界ではすべての物理量が揺らいでいるので、「無」も揺らいでいると考える。すると、「無」で粒子の生成が行われうる。正と負のエネルギーを持つ粒子がペアで生成される現象なので、対生成(ついせいせい)と呼ばれる。これらの粒子は生まれても、すぐに消滅していく(対消滅)が、ある有限の確率で正のエネルギーを持った粒子(領域)が残り、それが宇宙の誕生となる。宇宙が誕生する前には時間も空間もない。時間も空間も宇宙の誕生によって生じたものである。

「無」からの宇宙誕生説を採用すると、「時間のないころ」は宇宙が誕生する前のことになる。

時間のない頃の夢を見ているのは岩頸と岩鐘

賢治の「雲の信号」では、時間のない頃の夢を見ているのは岩頸と岩鐘である。岩頸と岩鐘は地球の火山活動で生まれたものだ。したがって、岩頸と岩鐘にとって「時間のないころ」は「地球のないころ」と捉えてよさそうだ。

賢治がそう考えたかどうかは不明だが、心象スケッチの中に「時間のないころ」という言葉を残したのはすごいことだ。

ところで、地球はいつまであるのだろう? なんだか、心許ない。そう思うのは私だけだろうか。

追記:「時間のないころ」の説明については以下の本を参照されたい。

『宮沢賢治と宇宙』(谷口義明、大森聡一、放送大学教育振興会、2024年、第6章)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000