https://mag.nhk-book.co.jp/article/36120 【宮沢賢治没後90年に読む、天体をめぐる賢治の生涯。】より
9月21日で没後90年を迎える宮沢賢治。そんな賢治に魅せられ、そして日本の天文学をけん引してきた天文学者、渡部潤一さんによる『賢治と「星」を見る』が刊行になりました。
本記事では刊行を記念して、その一部をご紹介いたします。
宮沢賢治ほどつかみどころのない人物はいない。
渡部さんは、子どものころから『銀河鉄道の夜』をはじめとする賢治作品に魅了されてきました。数々の作品を読むうちに、鉱物、天体、文学、宗教、音楽、さまざまな分野にアンテナを伸ばす“賢治”その人に惹かれるようになったと言います。いったい宮沢賢治とはどういう人だったのだろうかと。
『賢治と「星」を見る』は、渡部さんがアマチュア天文家時代からその知識の正確さに驚かされてきたという賢治の天文学識の奥深さを作品の中に見ながら、宮沢賢治という人の人生をたどり、その人物像を探ろうという試みです。
宮沢賢治の名前を知らない日本人はいないと思いますが、代表的な作品以外を読んでいる人はそう多くはないかもしれません。本書はそんな人たちにとって、賢治ワールドへの入り口になる本です。また、星空を漫然と見上げるばかりというタイプの人にも、この本をきっかけに「星」の愉しみ方を知ってもらいたいという思いも込められています。
これまでも、一般の人にわかりやすく天文知識を伝える役割を果たしてきた渡部さんが、9年の歳月をかけて書き綴った渾身の作品です。
(「旅のはじめに」より)
旅に出ようと思う。
足を使って、どこかに行く旅ではない。宮沢賢治の残した作品の宇宙や星空に関する記述をたどり、そこから賢治という人物をたどる思索の旅である。
(中略)
作品を深く読みこめば、その人を知ることができる。その作品の魅力に惹かれて、これまで多くの人がこうした思索の旅に出て、賢治に触れてきた。私は改めて先人たちと同じことをしようとは思っていないし、そんなことをしようとしても非力な私には無理だろう。それは多くの賢治研究者に任せることにして、先人たちが読み解いてきた論考を参考にしながら、私なりに星や月といった天文学の素材を通して、賢治の作品に触れる旅をしてみたいと思っている。
たとえば、代表作である「銀河鉄道の夜」。天の川がよく見える田舎町に住む主人公は、銀河の祭りの夜、友人といっしょに天の川を下る鉄道に乗って、数々の不思議な体験をする。その物語の底流にあるのは彼の思想であることはもちろんだが、わき役あるいは物語の舞台となる宇宙の役割も大きい。そのうえ、登場する数々の星たちや星座に関する記述は、天文学者の目から見ても、かなり正確で、賢治の宇宙に関する知識が当時としては、半端なものではなかったことがわかる。
知識に裏づけされて書かれた作品は「銀河鉄道の夜」に限らない。「双子の星」「月夜のでんしんばしら」あるいは「東岩手火山」などの詩にも、星や月が登場して、一定の役割を果たしている。賢治は宗教や農業だけでなく、天文学にもかなり造詣が深かったことは確かである。彼の人生をたどりながら、彼がいかにしてこうした知識を得て、それをどのように表現してきたのか。それを考えることで、彼に触れてみたい。彼の作品に出会い、感動した天文学者として、読者といっしょに、星めぐりの夜汽車に乗って、彼に会いにいこう。
(「第二章 教師、宮沢賢治の星空」より)
かしはばやしの夜
(前略)わき役でありながら、月が、変化する色や光り方で時間の経過を表現する重要な役どころとなって登場する童話が、「かしはばやしの夜」である。妙な絵描き(原文:画かき)とともに、柏の林に入りこんで、不思議な体験をするこの話は、現実からひょいと夢の世界に入り、そして最後に現実に戻るという、賢治の創作物語独特のパターンに沿っているだけでなく、賢治自身の星や宇宙への思いや体験の片鱗が見え隠れする作品だ。
冒頭、主人公の清作が絵描きと出会い、あいさつをするところでは、
「えつ、今晩は。よいお晩でございます。えつ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます。ごめんなさい。」
と、「銀のきな粉」という表現で満天の星を表現する。そして、柏の林に入りこんだはいいが、招かれざる客とされた清作は柏の木大王と口論を始める。月が登場するのはその最中、絵描きが仲裁に入るシーンからである。
「おいおい、喧嘩はよせ。まん円い大将に笑はれるぞ。」見ると東のとつぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしい桃いろの月がのぼつたのでした。お月さまのちかくはうすい緑いろになつて、柏の若い木はみな、まるで飛びあがるやうに両手をそつちへ出して叫びました。
「おつきさん、おつきさん、おつつきさん、ついお見外れして すみませんあんまりおなりが ちがふのでついお見外れして すみません。」
賢治は「桃いろ」の月の光に独特の力を与えている。やがて、柏の木大王も歌いだすのだが、そこに描かれる月の色は、最初に「ときいろ」、そしてやがて「みづいろ」になる。これは月の出直後には夕日と同じように赤みを帯びている月が、高度が高くなるにつれて次第に赤みを失っていくようすである。
その後も物語が進むにつれ、要所要所に月が登場する。その記述はぜんぶでじつに十三回。月の光は、「ぱつと青く」なったり、「なんだか白つぽく」なったり、「青くすきとほ」ったり、「すこし緑いろに」なったり、ふたたび「青くすきとほつてそこらは湖の底のやうに」なったり、「真珠のやうに」なったりしていく。物語の最後には、「月はもう青白い霧にかくされてしまつてぼおつと円く見えるだけ」となる。
ひと晩じゅう、星空のもとで過ごした人には経験があると思うが、実際、夜明けまえには大気が冷えて霧が出ることがある。そんな夜明けまえの霧に、月も星も隠されるさまを賢治はよく知っていたのだと思わせるラストである。
賢治はこの作品全体の物語のリズムを、多様に変化する月の光にのせて整えようとしていたのである。
続きはぜひ本編にてお楽しみください!
https://book.asahi.com/article/15004500 【天文学者・渡部潤一さん「賢治と『星』を見る」インタビュー みんなの幸いを探した人の心に寄り添う星めぐりの旅へ】より
渡部潤一さん=松嶋愛撮影
2023年9月21日に没後90年を迎える宮沢賢治(1896〜1933年)。そんな節目を前に、宮沢賢治を敬愛してやまない天文学者の渡部潤一さんが『賢治と「星」を見る』(NHK出版)を刊行しました。本書では、賢治の生涯を辿りながら、星や月といった天体を切り口に代表作「銀河鉄道の夜」はもちろん、童話や詩などの作品を読み解いています。賢治の作品世界の魅力から天文オタクぶりまで、たっぷりと語ってもらいました。(文:岩本恵美、写真:松嶋愛)
渡部潤一(わたなべ・じゅんいち)
天文学者、理学博士
1960年、福島県生まれ。東京大学、東京大学大学院を経て東京大学東京天文台に入台。ハワイ大学研究員となり、すばる望遠鏡建設推進の一翼を担う。2006年に国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星という新しいカテゴリーを誕生させ、冥王星をその座に据えるなど世界的に活躍。自然科学研究機構国立天文台副台長を経て、現在は同天文台上席教授、総合研究大学院大学教授、国際天文学連合(IAU)副会長を務める。著書に『星空の散歩道』(教育評論社)、『古代文明と星空の謎』(ちくまプリマー新書)、『眠れなくなるほど面白い 図解 宇宙の話』(日本文芸社)など多数。
天文オタクの賢治に親近感
――そもそも渡部さんが宮沢賢治作品に惹かれていった経緯を教えてください。
正確にはあまり覚えてはいないのですが、おそらく小学生の頃に賢治作品を初めて読んで、中学生になっていろんな作品を読むようになった気がします。賢治の作品には星がたくさん散りばめられていて実際の星が多いものですから、天文ファンのひとりとして、どんな作品にどのように描かれているのかを知りたかったんですよね。そこからだんだんと、賢治とはどういう人で、どんな思いをもって書いたのかも知りたくなり、賢治自身、彼の人生にも興味が出てきました。特に賢治の場合、星や岩石、鉱物もよく作品に出てきて科学的な知識も豊富だったので、私のようにそういう側面から入ってくる人は多いんじゃないでしょうか。
特に私が「賢治も天文オタクなんだな」と思ったのが、短編童話「シグナルとシグナレス」。シグナルとシグナレスが宇宙に飛び立つ合図が「アルファー、ベータ、ガンマ、デルタ」と、星の名前の後ろにつけられるバイエル符号(星座ごとに恒星の明るい順につけるギリシア文字)なんです。これを読んでものすごく親近感が湧いてきましたね。このおまじない、どこかエキゾチックな響きもあって、天文ファンなら子どもの頃に必ず呪文のように唱えて覚えるんですよ。
――渡部さんも?
もちろん唱えましたし、覚えようとしましたね(笑)。
「ほんたうのさいはい」は他の人の幸い
――『賢治と「星」を見る』はNHK「コズミック フロント」のホームページでの連載エッセイをベースに大幅に加筆修正してまとめた一冊です。賢治の人生を天文学的視点から改めて読み解いていく作業というのは、渡部さんにとってどんな意味合いがありましたか。
賢治の人生がどんなものだったのか、そして作品が生まれたバックグラウンドを知りたいという思いから始めた連載でした。賢治が世に出した作品を読み解きながら、その人生をひもといていく。これって、天文学のアプローチと同じなんですよね。天文学もかすかな星の光をとらえて、その光の中にある情報を読み解いていく。この本を書き終えて、賢治の人生に自分なりに寄り添えた気がしています。
賢治の人生は誰にも真似できないような人生だったと思いますね。他の人の幸いや利を真っ先に考える人、利他の人だった。そこが賢治の魅力の一つでもあります。
――かたや人づき合いが苦手で不器用なところもありますよね。
そうですね。完全な人っていないと思うんです。その不器用さが作品にも出ているし、賢治の人となりを物語るエピソードにも人間の強いところも弱いところも出ていますよね。
――賢治も30歳を目前にしたころから、農学校の教師を辞めることを考えたり、詩人の草野心平宛ての手紙に「私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンチストとしては認めていただきたいと思います」と不安定な気持ちを吐露したりと、人生に悩んだと知り、やっぱりその年頃ってみんなが生き方を迷う時期で今も昔も変わらないのだと感じました。でも、賢治はいったい何者になりたかったんでしょう?
いろんな役に立ちたかったのではないでしょうか。その手段はサイエンスだったり、文学だったり、あるいは肥料設計の直接指導だったりとさまざまでしたが、最終的には自分がなすことが他の人の幸せに役立っていればよかった。手段はあまり問わずに、与えられた機会を活かして他の人の幸せのために全力で走るのが賢治の生き方だったんだと思います。
――本書を書き終えて、賢治像に何か変化はありましたか。
賢治像自体に変化はありませんでしたが、人間としての弱さも含めて賢治の人となりがさらに見えて理解が深まりましたね。
読むたびに原点に戻れる「銀河鉄道の夜」
――いちばん好きな賢治作品は、やっぱり「銀河鉄道の夜」でしょうか。本書でも100ページ以上を割いています。
やはり「銀河鉄道の夜」です。うまくいかなかったり、つまずいて悩んだりしたときに何度も読み返してきました。文学作品は読み手側が人生経験を重ねていくと、読み返したときに違って見えてくることがあると思いますが、やっぱりこの作品も読み返すたびに新たな発見があります。つまずいていることや悩みを解決できるわけではないんですが、読むと原点に戻って落ち着くことができるんです。
本にも書きましたが、天文ファンとしては、第3次稿でカットされてしまった、いるか座の部分は残してほしかったですね。天の川を泳ぐイルカの描写が第2次稿まではあったんです。
ところがそのときジョバンニは川下の遠くの方に不思議なものを見ました。それはたしかになにか黒いつるつるした細長いものであの見えない天の川の水の上に飛び出してちょっと弓のやうなかたちに進んでまた水の中にかくれたやうでした。
「銀河鉄道の夜」第2次稿より
「銀河鉄道の夜」は改稿を重ね、完成形ではなく草稿の形で残されたものです。冒頭の教室のシーンで天の川の正体を説明するくだりがありますが、このシーンは最終稿である第4次稿になって初めて登場します。天の川は私たちが住む銀河系を内側から見た姿だというのは今では常識ですが、当時はまだあまり知られていませんでした。賢治も第3次稿までは知らなかった可能性があります。科学者になりたいとも思っていた賢治ですから、第4次稿を書く際にこのことを知って驚き、これは入れなくてはと思ったのかもしれません。
「銀河鉄道の夜」の最終稿は、本当の意味での最終稿ではないと言われています。私もそう思うんですよ。賢治がもう少し長生きしていたらきっと違う形になっていたんじゃないかなという気がします。
――今年の9月21日で没後90年となります。この時期の夜空とともに楽しめる作品を教えてください。
「星めぐりの歌」ですかね。「あかいめだまの さそり」と夏のさそり座から始まりますが、「オリオンは高く うたひ」「アンドロメダの くもは さかなのくちの かたち」と、秋の空も出てきます。秋の空は一等星が少なくて寂しいのですが、それでも遅い時間になるとオリオン座が高く上がってきます。アンドロメダ銀河は200万光年から230万光年彼方にある銀河のひとつで、肉眼ではなかなか見えないのですが、天の川が見えるようなところでしたら、賢治が「さかなのくち」と表現した光の雲が見えるかもしれません。それと、やはり9月は、中秋の名月、お月見じゃないでしょうか。「春と修羅」など賢治の作品にも月はよく出てきます。ぜひ賢治の作品とともに星や月を眺めてみてください。
――最後に、この本をどんな方々に届けたいですか。
星に興味がなくても賢治に興味がある人にはぜひ読んでほしいですね。賢治ファンは賢治作品の読み解き方はたくさんあることを知っていると思うのですが、「星」という切り口で賢治の一生に寄り添いながら辿る形というのは今までなかったと自負しています。
逆に、星が好きだけど賢治作品を今まで読んでこなかった人もぜひ。賢治が天文ファンに非常に近くて、さまざまな形で天体を表現したことを知ってほしいです。
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