直観

【個人的な最近の俳句④:直感と願い】より

あまり俳句と関係ないかもしれませんが、最近思う2つのことです。

1つめは「直感」。つくづく俳句でも、生活その他でも同じだなあと思うのが「思い込みのクセが強いと、肝心な時に“直感”がはたらかない」あるラジオ・パーソナリティの言葉です。

私が師事しているヨーガの先生も「自分はこうだ、こうあらねばならない、という考えを外したときに新しい体と心に出会える。その結果、変わっていける」というようなことを常々仰っています。

「見たいものしか見ない聴きたいことしか聴かない」

日常に心が摩耗していくと、しばしば陥りがちなループ(精神が新しい経験を拒否する)。

でも、本当の感性の発見や新しいステージへのブレークスルーは

自分の「思い込みのリミット」が外れた「直感」が動いたときにやってくる。

その時に新しい風景や体験がやってくる。感性は更新される。

直感は、いつ、やってくるかわからない。だから、心にいつも少し空白をつくってぼーっと「待つ」。それが意外と効くのではないか。それが今の自分にとっては必要だと思うこの頃です。俳句創作でも日々の生活でも。

2つめ「願い」。

私は現在の状況や精神状態等がキツクなったとき「こうなればいいなあ」と数日ほど思ったことがあります。

ものすごく強く願ったというわけではないのですが、何度も何度もそのことを思った。

そうしたら、そのとおりのことが実現したことが何度かあります。

特にお仕事、本業も俳句関係も。

本業では有期契約で働いていたころ「こういう仕事したいなあ」と数日思っていたら、最終日に条件ピッタリの募集が! 即応募したら、とんとん拍子に決定。

俳句関係では「●●で講師をしたいなあ」と思っていたら、年末のそれこそ仕事納め間際に●●さんから連絡を頂き。こちらもすぐに話が進み現在に至る。

などなど。

ある本のことを考えつつ電車に乗ったら、目に入った社内吊広告がその本の宣伝とか、そういうことが割とある私。「偶然じゃね?」そうかもしれません。

でも、偶然でもこういう「めぐりあわせ」は大事にしたい。そして、感謝したい。

そのことで「心(脳)の風通し」がよくなることもあるのではないか、と思うのです。

呼吸法により体の血液循環が良くなって、代謝が上がり筋肉の状態も正常になり姿勢が良くなるように。

風通しがよくなることで結果的に俳句を生み出しやすくなったり人と共に豊かに暮らしていけるように。そんなふうに一日一日をおくりたいと考えています。


https://gkp-koushiki.gakken.jp/2016/05/17/24517/ 【“さざ波”のような魂の声を受け取る──それが“直感”】より

直感とはいったい、何でしょう。

 第六感、ひらめき、インスピレーション……。これらを総合して私は「直感」と呼んでいます。それでもちょっと漠然としていて、わかりにくいかもしれませんね。

 ひとことでいうと、直感とは、自分の魂が送ってくる一定の周波数のメッセージを脳が瞬時に感じ取る感覚のこと。

 私たちの魂は、自分の心や体を守り、そして人生を好転させるためのメッセージを、常日ごろ、送ってくれています。誰一人として、魂がメッセージを送っているということに例外はありません。

 ただ、そのメッセージを受け取れる〝感度〞には、個人差があります。いわば、それが、直感がみがかれているかどうかの違い。直感をみがくほどに、魂からのメッセージを受け止めやすくなるということです。

 こんなふうにいうと、何か特殊な能力を身につけなければいけないように感じてしまうかもしれませんね。

 でも、そんなことはありません。

 本来は誰もが、魂から送られてくるメッセージに、もっともっと敏感だったはずなのです。

 それが、忙しさやストレスにまみれているうちに、だんだんと鈍ってしまっただけ。

 ですから、直感をみがいて幸せな人生を送ることは、誰でも、いつからでも、始められるのです。

 では魂のメッセージとは、いつ、どのように送られてくるのでしょう。

 どうお伝えしたらわかりやすいかなと、ずっと考えてきたのですが、魂のメッセージは〝さざ波のようなもの〞といういい方が、一番、感覚的にしっくりくるように思います。

 私は、生まれも育ちも宮古島。この土地が大好きで、今も変わらず宮古島で家族と一緒に暮らしています。

 訪れる人を驚かせてやまないほど水の透き通った、宮古の海。真っ白な砂浜に静かに寄せては返す、さざ波……そんな宮古の海のさざ波のように、魂は、私たちの意識に、いつ何時も静かに働きかけています。

 私たちの意識は、いうなれば、さざ波が押し寄せる砂浜です。

 岩や石ころがいっさいないきれいな砂浜には、何の障壁もなく、均一に波が届きますよね。同様に、とらわれのないスッキリとした意識であるほど、魂のメッセージは届きやすくなります。

 さざ波が押し寄せる砂浜、魂が働きかける意識。そのあり方を少し変えてみることで直感をみがき、より幸せに生きる。

 これからお話ししていくことが、少しでも、その助けになればうれしいです。

“直感”と“思いつき”は、違う?

 魂のメッセージを聞き取る感覚が、直感。それは、単なる「思いつき」とは似て非なるものです。

 何か解決策や突破口を探っているときに、「あ、いいこと思いついた!」ということがありますよね。

 こうした思いつきとは、往々にして、自分の意識や思考の影響によって現れます。

 そのときは、パッとひらめいたように思えても、どこかに「こうなってほしい」「ああなってほしい」という執着の意識や、思考の働きが介在しています。

 一方、直感とは、どこからともなく湧いて出る感じ、いってしまえば何ら脈絡なく、突如として訪れる感覚です。

 みなさんにも、覚えがないでしょうか。

 ぜんぜん違うことをしたり、考えたりしていたのに、ふわっと別のイメージが立ち上がってきたり、ふっと気づくことがあったり、ふとした瞬間にしたことがきっかけになって、ある方向へ物事が進みだしたり……。

 これこそが、直感が働いて魂のメッセージを受け取ったということです。魂が何かをあなたに伝えようとして、そのイメージや気づきを送ったのです。

 そこに込められた意味が何であるかは、自分のとらえ方次第。

 私はよく、「直感でとらえたものは料理の材料。それを料理するのは、自分の意識」とお話ししています。

 魂は、メッセージを送りはしても、その意味までは教えてくれません。

 何を伝えようとしているのか、どう生かしたらいいのか――。

 魂のメッセージをおいしく料理できるかどうか、つまり、うまく意味をとらえて現実に役立てることができるかどうかは、直感が働いた後の自分自身にかかっているのです。

 見過ごしてしまえば、それまでですが、何か意味を見出し、日々の生活に生かすことができたら……そこから、直感とともに幸せに生きる人生が始まります。


Faceboko代替医療、自然治癒力医療講演会情報を共有する会 竹元 久了 さん投稿記事

🔵2歳児まで左脳と右脳の機能に違いはない!

アメリカの脳生理学者エリック・レネバーグによれば、2歳児まで左脳と右脳の機能に違いはない。3歳~13歳の間に左脳に言語野が出来あがる。同時に、左脳は分析認識・言語処理・論理中心の「考える脳」に、右脳は全体認識・画像処理・直観中心の「感じる脳」へと機能分化される。

⇒2歳までは観念回路をつくる下地をつくっている期間のようだ。全面受容と母親からの愛情を受けて一体化回路を形成しているのではないか。

>自分の身体と外界との境界を認識する機能は実は左脳にあり、そこも機能しなくなったジルには、もはや自分と外界との境界が判らない。自分が世界と溶け合って感じられた。自分という意識「自我」は左脳にあり、左脳は突発事態の把握に懸命、助かるために必死だが、右脳はニルヴァーナ(涅槃)の境地にあり、生き延びたい気もなく、何とも言えない気持ち良さに浸されていたそうだ。

⇒自分という意識「自我」は左脳にある。生物として外圧適応する本能と共認 、それと矛盾する一体化回路。それを統合した自分という意識。自分という意識は、他者や対象と一体化するためにあるとういことか。

幼児は母親の口の形をまねて声を発し、それを母親の発語と比較し、修正しながら言葉を身に付けて行く。言葉をliterallyに解釈するのは左脳になるが、声の抑揚や表情や身振りを読み取るのは右脳になる。だから本を読む時はもっぱら左脳が使われるが、会話では両方の脳が使われる。左脳と右脳は分業する以上に協働する。複雑で困難な状況でも、左右の脳が協働することで、高度で的確な判断がなされるということが、最新の脳科学で解明されて来た。

14歳以降になると、大脳の各部位毎の機能や役割が固まって行く。その結果、新たな言語を母国語のように修得したり、音楽の才能を開花させることは望めなくなって来る。レネバーグは、脳には年齢に応じた感受性期があり、臨界期があると唱えた。

さて、ハーバードの脳解剖学者だったジル・ボルト・テイラー(女性)は37歳で脳卒中となり、左脳の広範な範囲にダメージを受けた。その特異な体験を後に「奇跡の脳」という本に書き、タイム誌の「世界に最も影響力のある100人」に選ばれた。

一人住まいの家で脳卒中になったジルは、助けを呼ぼうと名刺を取り出したが、そこに書かれた文字も数字も理解不能になっていた。ジルは名刺にあった形(数字)と同じ形をプッシュホンのボタンの中から探し出して、一つずつ押しハーバードの同僚に受話器を取らせることに成功した。しかし、相手の言葉は理解できず、しゃべった積りが言葉にならなかった。ジルの声にならないうめきを聴いて、勘の働く同僚が何かあったと察知し、やっとのことで病院に急搬送された。そして頭の中に広がった血塊を取り除く手術を受けた。

左脳の機能の過半を失ったジルは右脳中心に世界を体験することになった。言葉も数字も理解できないが、穏やかで不思議な幸福感に満ちていると感じた。自分の身体と外界との境界を認識する機能は実は左脳にあり、そこも機能しなくなったジルには、もはや自分と外界との境界が判らない。自分が世界と溶け合って感じられた。自分という意識「自我」は左脳にあり、左脳は突発事態の把握に懸命、助かるために必死だが、右脳はニルヴァーナ(涅槃)の境地にあり、生き延びたい気もなく、何とも言えない気持ち良さに浸されていたそうだ。

手術後のジルは四六時中眠っている。しゃべりもしない、動きも緩慢で、大人の体をした赤ん坊に戻った。

それからジルのリハビリが始まった。見えてはいるが、それが何か理解できない。右腕はだらりとぶら下がったまま。そういう状態で歩き方を学んだ。言葉を覚え直し、数字の意味を理解した。驚異の回復により、数年後に再び脳科学者として甦った。失われた左脳の機能は、ダメージを免れた部位に再構築された訳である。

ジルは言う。左脳はものごとを分析し、言語化し、組織化する。起こった事象を時系列に並べる。推論し、判断する。計画する。時間管理し、遂行する。リスクを管理する。左脳なしには何事も成し得ないが、左脳は理屈屋で、批判的でもある。

そこへ行くと右脳は肯定的。時間の観念に欠け、いつもhere and nowで幸福である。ものごとは全体イメージで把握する。感受性と直観に富み、創造的。

引用


https://gkp-koushiki.gakken.jp/2016/10/12/24530/【魂の声を聞こえにくくする二つのもの】より

 魂のメッセージはさざ波。意識はさざ波が打ち寄せる砂浜。

 とめどなく寄せてくる魂のメッセージを受け取るためには、意識という砂浜にも、障害物はないに越したことはありません。

 砂浜に石ころやゴミが転がっていると、波は均一に届きません。大きな岩があれば、そこだけはザッパーンと激しく打ち付けます。本当は穏やかに届くはずのメッセージが厳しく届けられ、受けとる自分の衝撃も大きくなります。

 そこで避けたいものが、マイナス思考と体の不調です。

 この二つは、悪い意味での相乗効果を生みます。

 極端な言い方かもしれませんが、マイナス思考は、いわば「毒」を体に流し込むようなもの。ストレスや疲労感を生み、体に支障をもたらします。

 そして、体の具合が悪いときに自然に笑える人はいませんね。マイナス思考が体に不調をもたらし、その不調がさらにマイナス思考を増幅させるという、悪循環になってしまうのです。この悪循環が体の不調から始まる場合も、もちろんあります。

 これらは、さざ波を妨げるもっとも大きな岩と言っていいでしょう。

 障害物がひとつもない砂浜とは、いうなれば、どこまでも穏やかな、平らかな心持ち。

 そこにマイナス思考や体の不調が入り込むと、その大きな岩に波がぶつかって、とたんに激しく泡立ってしまいます。魂のメッセージが、素直に、穏やかに届かなくなってしまうのです。 

 たとえば、体の不調の形をとる場合でも、魂のメッセージは最初はマイルドに、次第に強くなっていきます。

 心身のちょっとした「ストレス」が「疲労感」に変わり、そこから「凝り」「張り」へとつながり、「痛み」が現れ始めたら要注意。それでも不調を放っておくと、やがて病気へと発展してしまうでしょう。

 魂は、何もあなたをいじめたくて、こうした不調を出しているのではありません。

 ただ、あなたが体を酷使して走りすぎているときにブレーキをかけるため、体の不調という「困難」を目の前に見せてくれている、と考えてください。

「疲れてるよ」「ちょっと休んだほうがいいよ」と伝えているのに、それが聞き入れられないと、どんどん強い症状を出していくのです。

 つまり、早いうちに休んだりなどすれば、それ以上の不調は現れないということ。

 ストレスを感じたら、気分転換をしてリフレッシュする、肩や首が凝ったり張ったりしたら、マッサージやストレッチを取り入れる……。

 あるいは、寝ても疲れが取れない場合もあるでしょう。

 そんなときには、むしろ外出するなど、少し仕事とは別の活動をしてみたほうがいいかもしれません。デスクワークなど、屋内にいることが多い人にはよくあることです。

 また、頭痛がクセのようになってしまっていて、そのつど薬で対処している人がいますが、これはケアしているのではありません。

 薬でごまかし、無理をつづけるということですから、痛みを放置しているのと同じです。

「なぜ、こんなに頻繁に頭痛が起こるのか」と、体を通じて魂が伝えようとしていることに思いを馳せてみてください。

 

 このように、自分の生活サイクルや不調の現れ方を振り返ってマメにケアし、小さな不調を積み重ねないことが大切です。

「ストレス」「疲労感」「凝り」「張り」「痛み」……どの段階の不調にせよ、そこに魂の意図を感じ取り、心身をケアすることが、より強い苦痛から自分を守ると言ってもいいでしょう。

 今は五感が鈍ってしまっている人が多く、明確な不調が現れないと、なかなか自分を振り返ることができません。大きな病気になってから「そういえば無理していたな」「不摂生だったものね」などと反省するのです。

 でも、もっと日々の体の変化に敏感になってほしいと思います。

 心身のバランスが取れていて、体調が良いときのほうが直感がよく働きます。より健康な状態を保つほど、日々、ふっと寄せてくる魂のメッセージも受け取りやすくなるというわけです。

周囲で起こっていることも、魂が見せている

 自分を守ってくれる直感を磨くには、自分の身に起こることのみならず、周囲で起こっていることを敏感にとらえることも大切です。

 たとえば、自分の周りの人たちが立てつづけに体調を壊したとします。

 そこで「大変だね」と他人事で済ませる人もいれば、「自分も気をつけなくちゃな」と我が身を振り返る人もいます。

 比較すれば、後者のほうが圧倒的に病気にかかる可能性は低いと言えるでしょう。

 これは、わかりやすい言葉で言えば危機感です。

 安全や健康について、とくに現代日本人は「あって当たり前のもの」と思いがちではないでしょうか。

 他国に比べて犯罪の少ない日本に暮らしていれば、たしかに安心です。そうはいっても、犯罪はゼロではないのですから、どこで何に遭遇するかわかりません。

 天災もそうです。本書の執筆中にも熊本で大きな地震がありました。報道で被災地の大変な有様を見ると、多くの人が「日本は地震国だから、備えておかなくちゃ」と思うでしょう。

 でも、そのなかの多くの人が、災害から年月が経つにつれて、次第に危機感が薄れてしまうのです。

 健康も同じです。健康なうちは、人は不思議と「自分は大丈夫」と思いがち。そうして、小さな不調を無視し、周囲の人が病気になっても、なぜか「自分は大丈夫」と信じつづけてしまいます。

 一方、病院に行けば、薬があれば大丈夫、と思っている人もきっと多いことでしょう。それは一面、事実かもしれませんが、自分の体のことは、自分が一番わかっているはずなのです。

 病院に自分の体を丸投げにせず、疲労感や倦怠感を「あれ? 何かおかしいな」と感じ取れるように、感覚を研ぎ澄ませてほしいと思います。

 自分がつい無理しがちな状況は何かと、行動や思考のクセやパターンを把握しておくことも、危機感を保つ方法のひとつと言えるでしょう。

 安全も安心も健康も、崩れるときは一瞬です。でも、前にも言ったように、すべては「晴天の霹靂」ではなく、雨雲は少しずつ広がり、やがて空全体を覆うのです。

 つね日ごろから、少しずつ現れる雨雲、つまり周囲に現れているさまざまなサインを、きちんととらえられるようにしたいものですね。

 誤解してほしくないのですが、私は、いつ訪れるとも知れない困難を毎日恐れて暮らそうと言っているのではありません。

 ただ、困難なことが周囲で起こったときに、「あれ?」と感じられるように直感を磨いておく、そして「これは何かのメッセージかな?」と、少し魂の声に耳を傾けようとする、ということ。

 それだけで、自分自身を守る直感のガード力は、かなり高まるのです。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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