鳥居真里子さんの世界

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http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-2118.html 【生きる途中土筆を摘んでゐる途中・・・・・・・・・・鳥居真理子】より

tukusikinokawa土筆

     生きる途中土筆を摘んでゐる途中・・・・・・・・・・鳥居真理子

掲出したこの句は「土筆を摘んでゐる途中」の描写の中に「生きる途中」という心象を盛って秀逸である。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものに、こんな歌がある。

夜の卓に土筆(つくし)の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言ず・・・・・・・・・・木村草弥

川の堤防の土手などに「つくし」が頭を出す時期になってきた。

採ってきた「つくし」をテーブルの上などに置いておくと、未熟なものでは駄目だが、生長した茎が入っていると、

私の歌にあるように「胞子」が白く下に溜まってばら撒かれることがある。

この頃では季節の野草としてスーパーなどで「つくし」が売られるような時代になってきたが、本来は春の野にでて「摘草」を楽しむものであろう。

「つくし」は「スギナ」の若い芽(正しくは胞子茎)で、学名をEquisetum arvense という。

スギナは嫌われものの野草で深い根を持ち、畑などに侵入すると始末に負えないものである。

食料として「つくし」を見ると、子供には、苦くて、旨くなくて、なじめない野草だった。大人の、それも男の大人の酒の肴というところであろうか。

昔の人は、土の中から、あたかも「筆」先のような形で出てくるので、これを「土筆」(つくし)と呼んだのである。

tukusi土筆

私の歌は「国原」という長い一連の中のもので、この歌の前に

    土筆(つくし)生(お)ふ畝火山雄々し果せざる男の夢は蘇我物部の

    あり無しの時の過ぎゆく老い人にも村の掟ぞ 土筆闌(た)けゆく

という歌が載っている。

こうして一首あるいは二首を抜き出すと判りにくいかも知れない。一連の歌の中で、或る雰囲気を出そうとしたものだからである。

掲出した歌も上の句と下の句とが、ちょうど俳句の場合の「二物衝撃」のような歌作りになっていて、

この両者に直接的なつながりはなく、それを一首の中に融合させようとしたものである。

敗戦後しばらくまでは、私の地方では、伝統的に「土葬」だった。

私なども町内の手伝いとして何度も、土葬のために墓の穴掘りに出たものである。すでに埋葬された人の人骨などが出てくることもあった。

キリスト教では基本的に土葬であり、土葬が野蛮とか遅れているとかいうことは出来ない。風習の問題である。

「火葬」は仏教に特異な遺体の処理法であると知るべきである。今では、当地も、すっかり火葬一色になってしまった。

墓が石碑で固めた墓地になってしまったので、私だけ「土葬」にしてくれ、といっても出来ない相談である。

二番目の歌について少し解説しておくと「蘇我物部」(そが・もののべ)というのは、蘇我氏、物部氏とも滅びた氏族である。

ご存じのように蘇我氏は渡来人系であり、物部氏は日本古来の氏族であったが蘇我氏などとの抗争で滅ぼされた。

だから私の歌では、それを「果せざる男の夢」と表現してみたのである。

墓地にはスギナが、よく「はびこる」ものである。

私の歌の一連は、そういう墓地とスギナとの結びつきからの連想も歌作りに影響している、とも言えようか。

「つくし」を詠んだ句は大変多いので、少し引いておく。

写真③が土筆が生長した「スギナ」である。まだ遅生えの土筆も見える。


http://blog.livedoor.jp/toshio4190/archives/1082141805.html 【鳥居真里子さんの世界】より

今日は夏至。

朝は4時にあけ、夕方は7時近くまで日が残る長い長い1日を満喫したいところだが、今日で梅雨晴間も終りらしい。

このところ毎日のように蜂谷初人さんから俳句の百科事典「ハイクロペディア」と題するYou Tubeの案内がメールで送られてくる。

さまざまな俳人が自選10句を語っているもので、直近の3回は池田澄子さん、井上弘美さん、鳥居真里子さん。

お三方とも、あだち野アンソロジーの巻頭エッセイをご執筆して頂いていることもあって興味深く拝見した。

とりわけ鳥居真里子(「門」主宰)さんはYと同級生であり、5月の「147回足立俳連俳句大会」の特別選者も引き受けて頂いており、少なからぬご縁がある。

それにしても、鳥居真里子さんの俳句は独特の世界観があって難解である。

今回自選されている句も足立俳連の句会に投句された作品も、距離感のある取り合わせの句が多く、俄かには鑑賞できない作品ばかり。   

福助のお辞儀は永久に雪がふる       天上にちちはは磯巾着ひらく

盗聴器だつたか三月の鶏冠(とさか)   くすり指五月の鳩に似て昏し 

そんな中で、次のような句は、比較的分かりやすい句である。  

 鶯にうなづいてゐる天気かな   

  もう鳴いてもいいよ、もう十分に「春」だから、という意味か。

 陽炎や母といふ字に水平線

  本人曰く「機知の句。類似句はあるが水平線という例えは発見」

 木枯や記憶の底の赤尾敏

  その昔、銀座4丁目の宝籤売り場の前で街頭演説をしていたなぁ。

 白魚のこころもとなく孕みけり

  中原道夫氏の「白魚句」と同様に儚げな姿の写生。

 吹雪月ふぶく姉さま空へ空へ

 吹雪月は卯の花の散る様を雪にみたてた五月の異称。昨年5月に 亡くなった姉であり前主宰・節子さんへの追悼句。

「門」創刊主宰で、義兄でもある故・鈴木鷹夫さんからも「もう少し分かりやすい句を作っていたら、違った俳人になっていたかも・・」と言われたこともあったらしいが、今となっては自分の俳句を変えるつもりはなさそうだ (^_-)-☆


https://sectpoclit.com/ginkan-127/ 【とある酒場とちりめんじゃこ  鳥居真里子(「門」主宰)】より

「銀漢亭」の店主、伊藤伊那男さんと初めてお会いしたのは高円寺の「庵」というお店。店主はやはり俳人の麻里伊さん。数十年も前のことである。何かの集まりの二次会の席だったと記憶している。隣席の伊那男さんとどちらからともなく会話が始まった。料理好きで出身は長野県、若かりし頃は証券会社に勤務していたことなどなど、伊那男さんの横顔にほんの少し触れて親近感を覚えた。長野は私の母の故郷であり、その証券会社に私も勤務経験があったからだ。何より、伊那男さんの実直であたたかな人柄がごく自然に私の気持ちを和ませてくれたのではないかと思う。

その後、料理好きの伊那男さんが満を持していたかのように「銀漢亭」をオープン。店主のセンスの良さがさりげなく内装に反映された、肩の凝らない居心地の良い空間。そして店主直々の料理がまた格別。手作りの「ちりめんじゃこ」は絶品中の絶品、持ち帰りの無理をお願いしたのも一再ではなかった。

十六年程前、伊那男さんと一年間「俳句研究」の覆面対談の機会を頂いた。何冊かの句集を挙げて、その作品評を述べ合うというもの。これがまた驚くほど違っていてなかなか嚙み合わない。「ぜんぜん、わかりません」と伊那男さん。「どうして、わからないのですか」と私。団塊世代どうしとはいえ俳句観はまったくの別もの。それもまた良し、楽しい思い出となった。病を得た奥様の看病に加え、お店の経営、俳句の仕事と重なるなか、常に生き生きと言葉を発する伊那男さんの姿を眩しく見ていたあの時間が懐かしく脳裡に蘇る。

そんなご縁もあって、伊那男さんが主宰を務める俳誌『銀漢』の編集室を拝借して月に一度、仲間うちの句会を開いていた。その名も「銀の会」。句会が終わると一同、きまって編集室隣りの「銀漢亭」へ。美味しいお酒とお料理、そして店主の笑顔が俳句談義に咲く花をいっそう賑やかに、華やかなものにしてくれたのは言うまでもない。 さよなら「銀漢亭」。ありがとう「銀漢亭」。

【執筆者プロフィール】

鳥居真里子(とりいまりこ)

一九四八年東京生。一九八七年、「門」創刊と共に入会。鈴木鷹夫に師事。一九九七年、坪内稔典代表「船団」に入会。現在「門」主宰。句集に『鼬の姉妹』『月の茗荷』。第十二回俳壇賞。第八回中新田俳句大賞受賞。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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