百物語

https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/k 【江戸の怖〜い流行「百物語」北斎のお化けは個性派ぞろい!】より

世界一有名な浮世絵師・葛飾北斎。自ら「画狂人」を名乗るほど、この世のありとあらゆるもの、森羅万象の真を描き出すことに執念を燃やしていたことはよく知られています。しかし、なんと北斎、この世のものだけでは飽き足らず「あの世のもの」まで描き出していました! 今回は、北斎が江戸の流行を背景に描いた怖〜いお化けについてご紹介してまいります。

「百物語」とは?

現代のような娯楽もなく、夜はまだ行灯やろうそくの光だけで生活していた江戸時代、庶民の間では、参加者それぞれが怖い話を持ち寄って順番に披露していく怪談会が流行していました。

「怪談話が百話に達すると、本物の化け物が現れる」という言い伝えから、「百物語」と呼ばれる怪談会は、100本のろうそくに火を灯し、一話終わるごとに火を消していくスタイルを取りました。夕暮れごろから会を始めて、100本目のろうそくの火を消す頃には、草木も眠る丑三つ時(午前2時〜2時半頃)……。

葛飾北斎が描いた怪談をテーマにした浮世絵シリーズ「百物語」(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

こうした怪談ブームを背景に、江戸時代の版元・鶴屋喜右衛門は、北斎に「百物語」をテーマにした浮世絵の制作を依頼します。当時の北斎は「富嶽三十六景」を制作したまさに絶頂期。北斎は「お岩さん」「さらやしき」といった今でもお馴染みの怪談話の登場人物を、独特の筆致でおどろおどろしくもコミカルに描き出しました。

北斎の「百物語」と題したこのシリーズは、現在5図が確認されています。現存数が極めて少なく、題材が題材なだけにあまり世に出回らなかったものと考えられますが、その希少性ゆえに一定の需要もあったようです。その証拠に、明治期にはすでに精巧な復刻版が制作されるほどでした。(※ 東京国立博物館には、江戸時代に制作された「百物語」のほかに、明治26(1893)年の制作であることが分かる復刻版の「百物語」が収蔵されています。)

天才はやっぱり一味違う? 個性派ぞろいの北斎の幽霊たち

皆さまは四谷怪談のお岩さんと聞いて、どんな姿を思い浮かべますか? 盛られた毒で顔がただれた女性の姿? では、皿屋敷のお菊さんはどうでしょうか。古井戸で数の足りない皿を何度も数え直す女性の姿でしょうか。死んだ人間が化けて出たのですから、幽霊も人間の姿をしているのは当然ですね。しかし北斎が描いたのは、他に類を見ない幽霊の姿でした。

葛飾北斎「百物語 お岩さん」(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

北斎の「お岩さん」で描かれているのは、「東海道四谷怪談」の大詰め「蛇山庵室」の場面。お岩の亡霊が、彼女を騙し殺した伊右衛門を、彼の両親ともども亡き者にしてしまう、まさに怪談のクライマックスシーンです。提灯の中で人魂が回り、やがて提灯が燃えて中からお岩の亡霊が現れる、という歌舞伎の舞台演出を意識したものでしょう。

夫に謀殺されたお岩さん。じっとりとした視線は、怖いけれど、どこか哀しげ。(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

北斎の「お岩さん」を見てみると、お岩さんは人間の姿ではなく、提灯そのもの。恐ろしいシーンを描いてはいるものの、上目遣いのお岩さんの表情を見ていると、恐怖よりも哀愁が上回ります。

皿屋敷のお菊は、家宝の十枚揃いの皿を一枚割ってしまったために主人に手打ちにされた武家の下女。彼女の死体が投げ込まれた古井戸からは、夜な夜な「一枚、二枚」と皿を数えては嘆く声が……。

葛飾北斎「百物語 さらやしき」(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「さらやしき」で北斎は、古井戸の中から現れたお菊の亡霊を、まるでろくろ首のような形態で描き出しています。その長い首は、恨みのこもる皿を連ねることで表現され、皿の一枚一枚にはお菊の無念を表すかのように彼女の長い髪が絡みついています。 一方で、どこか飄々とした表情や口元からため息のように細く出る炎からは、乾いたユーモアすら感じられ、なんとも不思議な作品です。

北斎「百物語」シリーズはブラックユーモアが魅力

葛飾北斎「百物語 しうねん」(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「しうねん」は、亡魂の「執念」をテーマに描かれたと考えられる作品。位牌と供物、そしてそれに絡みつく蛇という構図に驚かされます。位牌に記された「茂問爺」は「ももんじい」と読み、「百々爺」という妖怪のことと考えられます。位牌に収まってしまった、つまり死んでしまった化け物に、いつまでも執念深く絡みつく蛇。北斎のブラックユーモアが光ります。

位牌の文字の「ももんじい」は妖怪のこと。梵字もどこか人の横顔のよう。(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「お岩さん」や「さらやしき」、そして「しうねん」からもわかるように、北斎はこの「百物語」シリーズに、様々な工夫を施しています。お化けの表情や形態への工夫に加え、恐怖のみにとどまらず、悲哀や一種のおかしみといった要素をも盛り込んでいるのです。

あの世のもの、つまり空想の産物であり、この世に存在しないはずのものですら、独自の想像力とエスプリを効かせて、まるで本当に存在しているかのように描き出した北斎。やはり浮世離れした鬼才だったに違いありませんね。

文・「北斎今昔」編集部


http://yahantei.starfree.jp/2019/02/12/%E8%95%AA%E6%9D%91%E3%81%AE%E5%A5%87%E6%83%B3%E7%94%BB%EF%BC%88%E4%B8%80%EF%BD%9E%E4%B8%83%EF%BC%89/ 【蕪村の奇想画(一~七)】ヨリ

その一 猫股

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(猫股)

 蕪村が、宝暦四年(一七五四)から七年(一七五七)にかけて寄寓していた京都・丹後・宮津・の見性寺の欄間に張られていたものと伝えられている『蕪村妖怪絵巻』(ブソンヨウカイエマキ)は、通常の蕪村画とは異質の「奇想画」と名付けても差し支えなかろう。

 その第一景は、「榊原の家臣稲葉六郎大夫と猫又(ネコマタ)」である。左側の文字は、「おれがはら(腹)のかわ(皮)をためして見おれ、にゃん、にゃん」とある。

 この「猫股」は、年をとった猫で、尾が二つに分かれ、時に化けて人に害をなすと恐れられている。この蕪村の奇想画は、彼の「戯画・酔画」のうちの、一つの余興的な作品なのであろうが、

蕪村の根っ子のところに、この系譜の「奇想画」に連ねるものが見て取れる。

 蕪村の三大俳詩の一つ「春風馬堤曲」(安永六年)に、破調の発句体の、次の句がある。

〇 古駅三両家猫児(ビョウジ)妻を呼(ヨブ)妻来(キタ)らず

その二 赤子

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(赤子)

 左側の人物が「林一角坊」、そして、「夜更けて数百人の足音して踊る体(テイ)に聞こえける故、襖を押し開け、伺いけるに、数千の赤子あつまりて、一角坊をなやまし」ている図である。この右側は「赤子」(妖怪)の群像である。

 この赤子(妖怪)は、大和国(現・奈良県)に伝わる妖怪らしい。この蕪村の「赤子(妖怪)」系列の、『ばけもの絵巻』(年代・作者不詳)もあるらしい。

その四 産女の化物

蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(産女の化物)

 右側に、「出羽の国 横手の城下 蛇の崎が橋 うぶめの化物」とあり、この図の次に、「関口五郎太夫」の図があり、その図に、「雨ふる夜、此のばけものに出合、力をさづけられるとぞ。其の後ゑぞか嶋合戦の時、其てがらあらわしけるとぞ。佐竹の家中にその子孫有」とある。

 蕪村の自叙伝の『新花摘』(安永六年作)にも、結城や宮津で狸に悪戯された話や、下館の狐の話が出て来るが、それと一緒に、秋田佐田家の家老、「梅津半右衛門ノ尉」(其角門の俳人・其雫=キダ)の四十七士討ち入りのことを報じた手紙の伝来記などが記されている。

 蕪村の「妖怪絵巻」の「産女の化物」は、その秋田佐田家地方の「産女の妖怪」と関わっているようである。

 死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという伝承は、日本の各地で様々な「産女・姑獲鳥(うぶめ・こかくちょう)」の妖怪ものを生んでいる。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』「姑獲鳥(うぶめ・こかくちょう)」

その三 ぬっぽり坊主

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(ぬっぽり坊主)

 「京か帷子が辻、ぬっぽり坊主のばけもの。目は鼻もなく、一つの眼、尻の穴に有りて、光ること稲妻のごとし」とある。

 ここで、蕪村の時代以後の『絵本百物語』((天保十ニ年刊)の「帷子の辻」を紹介して置きたい。それは、どうやら、「腐乱した高貴な女性の死体が見える妖怪談で、その女性が、カラスや犬に食われ、蛆が湧いていく、その様を見た人々が、うつつを抜かし行く」という図と、何やら、繋がっている感じなのである。

 とにもかくにも、この、蕪村の「ぬっぽり坊主」は、蕪村の「原風景」と深く関わるものなのであろう。

『絵本百物語』所収「帷子の辻」

の五 銀杏の木の化物

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(銀杏の木の化物)

 この図の右側に、「鎌倉若宮八幡いてう(銀杏)の木のばけ者」と記されている。

蕪村のものは、『妖怪百物語絵巻(湯本豪一編著)』によると「老木の精霊を図像化」したものとされている。

 ここで、泉鏡花の「化銀杏(ばけいちょう)」の最終場面を掲載して置きたい。

【 諸君、他日もし北陸に旅行して、ついでありて金沢を過(よぎ)りたまわん時、好事(こうず)の方々心あらば、通りがかりの市人に就きて、化銀杏(ばけいちょう)の旅店?と問われよ。

老となく、少となく、皆直ちに首肯して、その道筋を教え申さむ。すなわち行きて一泊して、就褥(しゅうじょく)の後(のち)に御注意あれ。

 間(ま)広き旅店の客少なく、夜半の鐘声森(しん)として、凄風(せいふう)一陣身に染む時、長き廊下の最端に、跫然(きょうぜん)たる足音あり寂寞(せきばく)を破り近着き来(きた)りて、黒きもの颯(さと)うつる障子の外なる幻影の、諸君の寝息を覗うかがうあらむ。その時声を立てられな。もし咳(しわぶき)をだにしたまわば、怪しき幻影は直ちに去るべし。忍びて様子をうかがいたまわば、すッと障子をあくると共に、銀杏返(いちょうがえし)の背向(うしろむき)に、あとあし下りに入いり来りて、諸君の枕辺(まくらべ)に近づくべし。その瞬時真白なる細き面影を一見して、思わず悚然(しょうぜん)としたまわんか。トタンに件(くだん)の幽霊は行燈(あんどん)の火を吹消(ふっけ)して、暗中を走る跫音(あしおと)、遠く、遠く、遠くなりつつ、長き廊下の尽頭(はずれ)に至りて、そのままハタと留やむべきなり。

 夜(よ)はいよいよ更けて、風寒きに、怪者の再来を慮(おもんばか)りて、諸君は一夜を待(まち)明かさむ。

 明くるを待ちて主翁(あるじ)に会し、就きて昨夜の奇怪を問われよ。主翁は黙して語らざるべし。再び聞かれよ、強いられよ、なお強いられよ。主翁は拒むことあたわずして、愁然(しゅうぜん)としてその実を語るべきなり。

 聞くのみにてはあき足らざらんか、主翁に請いて一室(ひとま)に行ゆけ。密閉したる暗室内に俯向うつむき伏したる銀杏返の、その背と、裳もすその動かずして、あたかもなきがらのごとくなるを、ソト戸の透すきより見るを得(う)べし。これ蓋(けだし)狂者の挙動なればとて、公判廷より許されし、良人を殺せし貞婦にして、旅店の主翁はその伯父なり。

 されど室内に立入りて、その面おもてを見んとせらるるとも、主翁は頑として肯(がえん)ぜざるべし。諸君涙あらば強うるなかれ。いかんとなれば、狂せるお貞は爾来(じらい)世の人に良人殺しの面を見られんを恥じて、長くこの暗室内に自らその身を封じたるものなればなり。渠(かれ)は恐懼おそれて日光を見ず、もし強いて戸を開きて光明その膚(はだ)えに一注せば、渠は立処(たちどころ)に絶して万事休やまむ。

 光を厭(いとう)ことかくのごとし。されば深更一縷(いちる)の燈火(ともしび)をもお貞は恐れて吹消(ふっけし)去るなり。

 渠はしかく活(いき)ながら暗中に葬り去られつ。良人を殺せし妻ながら、諸君請う恕(じょ)せられよ。あえて日光をあびせてもてこの憐むべき貞婦を射殺(いころす)なかれ。しかれどもその姿をのみ見て面を見ざる、諸君はさぞ本意(ほい)なからむ。さりながら、諸君より十層二十層、なお幾十層、ここに本意なき少年あり。渠は活きたるお貞よりもむしろその姉の幽霊を見んと欲して、なお且つしかするを得ざるものをや 】

その六 夜なき婆

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(夜なき婆)

 右側に、「遠州のみつけの宿(現・静岡県磐田)、夜なきばゝ(婆)」とある。その左側に、男と女とが泣いている図があり、そこに、「その家にうれひ(憂い)あらんとする時、此のばけもの(化物)門口に来たりなきけるとなり。人又その声を聞きて思はずなみだ(涙)こぼしけるとぞ。かゝる事二三度に及びて、その家にかならず憂ひごと有りしと也」との文言がある。

 泣き女(なきおんな)または泣女(なきめ)または泣き屋(なきや)は、葬式のときに雇われて号泣する女性である。朝鮮の泣き女は夙に知られている。アイルランドやスコットランドに伝わる女の妖精(バンシー)の泣き声が聞こえた家では、近いうちに死者が出るとされている。

泣女(妖精・バンシー)

その七 「真桑瓜の化物」と「西瓜の化物」

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(真桑瓜の化物)

 この図の右側に、「山城 駒のわたり 真桑瓜のばけもの」とある。これに対応して、次の「西瓜の化物」が、この絵巻の最終のものである。

『蕪村全集四 俳詩・俳文』所収「妖怪絵巻」(西瓜の化物)

 この図の右側に、「大阪木津 西瓜のばけもの」とある。

 この両図を見比べると、「山城(京都) 駒のわたり(木津川の渡り)、真桑瓜のばけもの(化物)」と、「大阪(浪速) 木津(大阪市浪速区内) 西瓜のばけもの(化物)」との対比ということになる。

 もう一つ、「天王寺(浪速・大阪)」は、「蕪青(ブセイ・ブショウ・カブラ・カブ)」の産地で名が知れ渡っている。

然らば、この「妖怪絵巻」の作者、「蕪村」は、この「浪速(大阪)の「蕪」の産地の、「天王寺村」生まれに由来があるということを、暗示しているようなのである。

 それを暗示しているのは、国立国会図書館(デジタルコレクション)で公開している、『蕪村妖怪絵巻解説 : 附・化物づくし』(乾猷平著・北田紫水文庫)という貴重な文献である。


http://hukumusume.com/douwa/pc/kaidan/06/11_j&c.htm 【6月11日の百物語

鬼の住むほら穴】より

鬼の住むほら穴  除妖记  翻訳者 広東省恵州学院  蘇思嫻

 むかしむかし、山深い谷の中ほどにあるほら穴に、四匹の鬼が住んでいました。

 从前,在深山谷中的洞穴里,住着4个妖怪。

 鬼は村へおりてきては田畑を荒らし、時には女子どもをさらっていくのです。

 妖怪一进村,就糟蹋村里的田园,有时甚至还会抓女孩。

 ある日、この鬼の話を聞いた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)という武将が、大勢の家来を連れてやって来ました。

 有一天,听闻妖怪害人的武将坂上田村麻吕带了很多手下来到这个村子。

 田村麻呂(たむらまろ)の鬼退治の名人で、どんなに強い鬼でも必ずやっつけてしまうのです。

 田村麻吕是抓鬼的专家,无论多么厉害的妖怪他都能收服。

 田村麻呂の一行は村人たちの案内で、鬼の住むほら穴を目指しました。

 田村麻吕一行人在村民的带领下,直奔妖怪所在的洞穴。

 その山道の途中で、村人たちが言いました。

 在那条山路的路上,村民们说:

「この先の谷に、鬼がいるそうです。しかし恐ろしいので、村人でそこへ行った者はいません」

“听说前方的这个山谷有妖怪,可是因为村民很害怕,没有人去过那里。”

「そうか、ではここからは、我々だけで行こう」

“这样啊,好,从这里开始,我们自己走。”

 田村麻呂は馬をとめると、家来たちに武器の手入れを命じました。

 田村麻吕停下马,命令手下都拿着武器。

 家来たちは弓のつるを張り直したり、よろいやかぶとで身をかためました。

 手下们于是装好了弓,把铠甲和树桩背在了身上。

 それから田村麻呂を先頭に、どんどん先へ進むと、谷の上に突き出た大きな岩の上で、鬼がのんびりと日なたぼっこをしていました。

 在田村麻吕的带领下,徐徐前进着。这时,妖怪们正在洞前一颗突出的岩石上悠闲地晒太阳。

「みんな、見つからぬ様に、身をかがめるのだ」

“大家弯着腰走,不要让妖怪发现。”

 田村麻呂は馬からおりて身をかがめましたが、目の良い鬼はすぐに気づいて、あわてて立ち上がりました。

 田村麻吕从马上下来了,但眼细的小妖怪马上注意到了,慌张地站起来,说:

「やや、おかしな連中が来るぞ。さてはわしらを、やっつけようというのだな」

“啊,有一队可疑的人马闯进来了,好像要攻打我们”

 一匹の鬼が言うと、親分らしい鬼が大声を張り上げました。

 听了这话,妖怪的头儿大声喊道:

「人間の分際で、わしらをやっつけようとは片腹痛いわ」

“人类要来打我们,真是很可笑。”

 すると田村麻呂も、負けずに言い返しました。

 于是田村马吕也丝毫不逊色地回答:

「田畑を荒らすだけならともかく、女子どもをさらうとは許せん! 必ずしとめてくれるわ!」

“糟蹋田地也就算了,绝对无法饶恕你们抓小女孩!一定要好好收拾你们。”

 田村麻呂の合図で、家来たちが次々と矢を射掛けます。

 田村麻吕一发信号,手下们迅速射箭。

「ふん、こしゃくな」

“呀,好狂妄。”

 鬼は鉄棒を振り回して飛んで来る矢を叩き落としますが、さすがは田村麻呂の家来、どの矢も鋭くうなりをあげて飛んで行き、鉄棒をすり抜けて鬼の体へと突き刺さりました。

 虽然妖怪挥舞着铁棍,打落了飞来的箭,但不愧是田村麻吕的手下,锐利的箭又朝它们射去,打下妖怪的铁棒,刺进妖怪的身体。

「げっ! 何という手練 れだ。これはまずい」

“啊。好厉害,这下可不好办了。”

 鬼はびっくりして、その場から逃げ出そうとしました。

 妖怪们吓坏了,想要逃出这里。

「それっ! 逃がすなー!」

“哪里逃,别想跑掉。”

 田村麻呂は自慢の長い刀を引き抜くと、すばやく岩の上へ駆け上って鬼の親分に切り付けました。

 田村麻吕拔出了引以为豪的长刀,迅速跑到岩石上方挥砍妖怪头儿。

「ギャオオオオーーーーー!」

“啊呀呀呀呀呀…….”

 刀で切り飛ばされた鬼の親分の首が、空高くはねあがりました。

 刀起头落,妖怪头儿的头被砍了下来,飞到了空中。

 しかし、さすがは鬼の親分。

 空高くはねあがった鬼の親分の首は空中でくるりと向きを変えると、恐ろしい顔で田村麻呂めがけて飛びついて来ました。

 可是不愧是妖怪头儿,他的头在空中突然改变了方向,面目狰狞地朝着田村麻吕飞了回来。

 ですが田村麻呂が素早く身をかわしたので、鬼の首は近くの木の根元に噛み付き、最後の力で木の根元を噛み砕くと、そのまま動かなくなりました。

 但是田村麻吕很快地闪开身子,妖怪的头咬在了树根上,用尽力气咬碎了树根,之后就一动也不动了。

 そして残った三匹の鬼も家来たちによって切り倒され、ついに四匹の鬼退治がされたのです。

 剩下的3个妖怪都被手下们消灭了。因此四个妖怪都被消灭了。

 その時、ほら穴の奥から人のすすり泣く声が聞こえてきました。

 就在这时,洞里传来了人的哭声。

 家来たちがほら穴に駆け込んでみると、一人の女の子がフジ(→マメ科のつる草の総称)のつるで体をしばられたまま泣いていました。

 手下们进入洞中,发现有个被藤蔓绑住的女孩正在哭泣。

 わけを聞くと、二日前に鬼にさらわれて来たそうです。

 しかし、それより前にさらわれた女子どもは、すでに鬼に食べられてしまった後なのか、どこを探してもいませんでした。

 问了之后得知,她似乎是两天前被抓到这里的,其他之前被抓来的女孩可能都被妖怪们吃掉了,到处都找不到。

 こうして田村麻呂のおかげで鬼はいなくなり、村人たちは安心して暮らせる様になったのです。

 就这样,多亏了田村麻吕,妖怪们被除掉了。村民们又可以安心地生活了。

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