https://note.com/dzv00444/n/n612b22f9c3a8 【永島靖子 『袖のあはれ』より
永島靖子氏の第三句集。昭和六年、京城生。四十一年に「鷹」に入会し、藤田湘子に師事。女流俳人の一員として俳壇で活躍。第一句集『眞晝』で「第七回現代俳句女流賞」を受賞。エッセイ、評論でも知られる。
本句集は、『紅塵抄』に続く平成三年からの句を収録。「俳句は象徴詩」であり、「定型や季語による内面と外界とのかかわりを通じての自己表現という命題」と言う氏の強い俳句に対する思い心を打たれた。
めんどりのうすらひの端馳せにけり 靖子
不思議な句である。弱弱しい「薄氷」の端を、何かの「予兆」のように「雌鳥」が馳せていく。何か不安な気持ちにさせる俳句。静かな表現なだけにより不気味である。
廃駅あり冬の落暉を見るために 靖子
非常に口調の強い、毅然とした句。「盲腸線」だったのであろうか。「誰が何の為に」ではなく、己がこれから強い気持で立ち向かっていくという自己決心だろう。
いちにちの無為いちめんの秋桜 靖子
「鷹」の方らしく上手過ぎるくらい上手い俳句。本句集には非常に「巧み」な句が多く勉強となった。
季題と向かった際の感興をどのように表現していくか、本句集を読むことで大変参考となった。
以下、前掲の句の他に二十句紹介したい。
八月や悼みごころを木賊にも 夏の森とろりと湖を蔵しけり
手に萎えし土筆特急指定席 若きらの真中を行けり年立てり
われとありエレベーターに枯蟷螂 今もあり西日の窓の出版社
老杉に一礼破魔矢受けにけり さらはれるなら春雪の畦をこそ
東京湾海月に色の生まれけり 椿寿忌や座布団の房大きかり
かざすより引く手切なる踊かな 大岩を乗り出して滝凍てにけり
午後三時杖の老婆と向日葵と 白木の門押しひらきあり弓始
くわんおんに仕ふ一邑野菊晴 魂棚の燭の焔ほそき佃かな
うすゆきのひかりとなりぬ千枚田 藍浴衣サルトル遠くなりにけり
自動ドア大きく開き子規忌なる 新聞紙大の春愁ありにけり
https://www.kahoku.co.jp/ishinomaki/2019/09/post-32.html 【コラム:明日に架ける橋】より
久しぶりに「サイモンとガーファンクル」( Simon & Garfunkel )のニューヨーク・セントラルパーク・コンサート( The Concert in Central PARK )のDVDを見ました。圧巻はガーファンクルが無伴奏で歌う「明日に架ける橋」( Bridge over Troubled Water )。
実は、この曲のタイトルに最初ちょっと戸惑いました。原題は Troubled Water(直訳すると「悩ましい海」)。さらに over troubled water で「明日に架ける」とあるのは?
後になって自分の勉強不足だと知りました。troubled water は「荒海」を意味するのです。
歌詞がこう続きます。
「もし君が疲れ果てて ... 涙があふれてくるときは、僕がそれを拭い去ってあげよう」
「荒海に架かる橋のように僕がこの身を横たえよう」
なお、water(s)は「海」を表すことも知っておきたいものです。
「橋」と言えば、JETプログラムで石巻市の生徒たちに英語を教えていて東日本大震災の津波で犠牲となった米国人テイラー・アンダーソンさん...。彼女は生前「日米の架け橋になりたい」と語っていました。その遺志を引き継ごうとアンダーソンさん一家が中心となり「テイラー・アンダーソン記念基金」( Taylor Anderson Memorial Fund )を設立。石巻と東北地方の学生・学校などを支援する活動を展開しています。この基金により、この夏、石巻の高校生6人がテイラーさんの故郷・米国バージニア州に派遣されました。
https://harinezumiganemurutoki.com/daily/%E6%98%A5%E5%A4%95%E7%84%BC%EF%BC%88%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%82%86%E3%82%84%E3%81%91%EF%BC%89/ 【春夕焼(はるゆやけ)】より
春の季語のひとつに「春夕焼(はるゆやけorはるゆうやけ)」がある。以下、『俳句歳時記』から。ぼんやりと霞む春の大気を、茜色に染めながら沈む入日が、やわらかな感じをもたらす。単に「夕焼け」は夏の季語。
例句はこちら。
誰恋ふとなく庭にあり春夕焼 勝又一透
これからの季節は、山も霞むことが多くなる。「霞」も春の季語だ。
夏の夕焼けのように、真っ赤に染まるでもなくやわらかに霞んだ茜色が優しい。そんなイメージなのだろう。
同じく春の夕暮れの時間帯を表す季語に、「春の宵(はるのよい)」がある。
夕暮れ間もない、ほの明るい時間帯。春の宵には、どことなく抒情的な気分が漂う。
例句はこちら。 目つむれば若き我あり春の宵 高浜虚子
春夕焼の句も、春の宵の句も、どこか淋しい。
窓から眺める夕焼けの色は、刻々と変化していく。その色も、どこか淋しい。
一昨日、2階の窓から見た風景。夕焼け雲を背にした八ヶ岳連峰。
西側には、いくつもの夕焼け雲が。西側のベランダに立つと、南アルプス連峰の甲斐駒ヶ岳。
鳳凰三山は、雪雲の蒲団を掛けて眠っていました。
それから15分ほど経つと、この夕焼け。1階リビングから見た風景。
リビング、西側の窓から眺めた甲斐駒ヶ岳。
https://www.comgakuin.jp/daily_news/communication-maxim-231123 【「言葉は橋を架け、理解はその橋を渡るものだ。」ホーレス・マン】より
言葉と理解は、人と人の間に架ける不可欠な橋であり、ホーレス・マンの格言が示唆するところは、この橋が極めて重要であるということです。
言葉は私たちが思想や感情を共有し合う手段であり、それが橋を形成します。しかし、単なる橋だけではなく、その橋を渡る理解が必要だというのです。
言葉は橋を架ける
言葉が橋を架けるというのは、異なるバックグラウンドや経験を持つ人々が、コミュニケーションを通じて結びつくプロセスを指しています。
言葉の選び方や表現は、他者との共感や理解を助長し、社会全体を結束させる力を持っています。異なる言語や文化を持つ人々が同じ橋を共有することで、豊かな対話と交流が生まれます。
理解はその橋を渡るもの
しかし、この橋を渡るためには、言葉だけではなく理解も欠かせません。
相手の言葉やメッセージを正しく受け取り、その背後にある意図を理解することなくして、真のコミュニケーションは成り立ちません。誤解や不確かさがあれば、橋は揺れ動き、時には崩れることもあるのです。
コミュニケーションでは言葉と理解が補完関係にある
この格言はまた、コミュニケーションの中で言葉と理解が互いに補完し合う必要性を強調しています。
言葉は橋を構築する手段であり、理解がその橋を安定させ、強化します。特に、パブリックスピーキングや人間関係構築において、この相互作用が極めて重要だと言えます。
(まとめ)
言葉と理解の橋は、個人や社会が繁栄し、協力し合うための基盤です。この橋が強固であれば、異なるバックグラウンドや信念を持つ人々が効果的に対話し、共感し合い、結びつくことができます。
ホーレス・マンの言葉は、私達に、コミュニケーションの重要性を教えてくれていると言えるでしょう。
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