てるてる坊主

https://note.com/hea_818_61_1/n/n4607626b961a 【てるてる坊主】より

漢字で書くと照照坊主だろうか。おそらく日本特有の、晴れを祈願するお呪いの一種である。

紙の球の上に一枚紙をかぶせ、バドミントンのシャトルのような形を作る。

球を顔に見立て、軒下に吊るすことで晴天を祈願するものである。古くは江戸中期から作られていたという。江戸は様々な文化の興った時代であるから、それもうなずける。

晴天になった後目を入れる文化があるそうだが、これは達磨から来ているのだろうか。

てるてる法師という呼び名があることから、わずかながら繋がりを感じられる。

達磨に目を入れる由来は調べてもいまいち分からなかったが、完全になる=終わりを意味しているのだろうか。

未完の存在を願いが叶った証として完全にする、というのは筋が通る気がする。

また、顔を書くのではなくお神酒と共に川に流す文化もあるらしい。

こちらはてり雛という呼び名と関連がありそうだ。雛人形はヒトガタとして川に流す流し雛がある。本来は厄をヒトガタに移して川に流すのだが、願いを込めて川に流すという文化もあるらしい。てり雛はあるいは雨天=厄とみなして、その身に厄を受ける存在なのかもしれない。

その厄を清めるためにお神酒と共に流すのだろうか。

こうした複数の由来があるものが習合し、現代の照照坊主になっているというのはありそうな話である。てるてる坊主について知っている話があればぜひ教えていただきたい。


【お呪いと呪いの読み方分かる? 意味も含めて解説!】より

みんな大好きな「お呪い」。この字はなんて読むか知っていますか?お呪いの読み方は?

◆お呪いは「おまじない」と読む

お呪いは実は「おまじない」と読みます! おのろい… とのろいの言葉ではないんです。

まじないとは「神仏その他不可思議なものの威力を借りて、災いや病気などを起こしたり、また除いたりする術」をいいます。

呪いと書いて「のろい」とも読むので、まじないなのか、のろいなのか、わかりにくいですよね。そのため、おまじないは平仮名で書かれることが多いんですよ。

まじないものろいもやってることは同じ?

まじないは「神仏その他不可思議なものの威力を借りて、災いや病気などを起こしたり、また除いたりする術」とあるのに対し、のろいは「恨みや憎しみを抱いている人に災いが起こるように神仏に祈る。また、災難がふりかかったり、失敗したりするように願う」ことをいいます。

まじないものろいも神仏などの超自然的力や神秘的な力を借りるという共通点から同じ漢字が使われるようになったのではないかといわれています。

まじないは神仏の力を借りて良い結果だけでなく悪い結果のどちらも引き起こそうとしますが、のろいは悪い結果だけを引き起こそうとする点が違いますね。

呪という漢字は口に兄から成り立ちます。兄は神事を司る年長の人を表すといわれ、呪は神官が祈る際に発する言葉やその様子を指していると理解できますね。

そういった呪文を使うことが政治的な争いの場面などで増えることで、相手方の失脚を引き起こそうとするなど、ネガティブなイメージが作られていったのかもしれませんね。

* * *

いかがでしたか? おまじないが平仮名で書くことが多くなったのは、同じ漢字を使うことによってのろいのネガティブなイメージを強く引きずってしまうことがないようにかもしれないですね。恋の呪いと表記するとなんだか振り向いてくれない相手に害が及びそうですもんね…

そして、そうやっておまじないは平仮名表記されることによって、呪いという漢字はよりのろいのイメージを強くしていったともいえるかもしれませんね。


https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//manntorameisou.html   【マントラ瞑想】


https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/4c4c03d387e3387c8a505026f5202118 【祝詞、呪文、言霊、スートラ、マントラの違いはどこにあるのでしょう?】より

祝詞、呪文、言霊、スートラ、マントラの違いはどこにあるのでしょう?  南 陽子

創世記は全ては言葉によって産まれたと記しています。ヨハネ福音書の最初にも「はじめに言葉があった」...と記されています。大和言葉は音が大事、漢字は意味が大事ともいわれます。

「名」・「言葉」の瞑想は 集合無意識に出会う扉を叩くことかもしれません。

「名」・「言葉」連想ゲームで楽しむことも 集団マインドマップ作りになり 

 放射思考力を回復しながら グループで自分たちの集合無意識に触れ始める きっかけになることでしょう。

それをコラージュメーキングで表現する、あるいはスートラ作りをするなどの活動に展開すると瞑想からワークショップに連動するプログラムとなります。

私の言葉のイメージ遊びを記します。読んでいただけると幸いです。

<ミキシィー日記より>

命と言う字に関してマイミクさんから興味深い応答をいただきました。以下です。

命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。明朝体からの解釈はやめた方がいいですよ。

 ちなみに食も人を良くするのではなく、穀物を盛る器の意味です。」

 <私の返信>

 興味深い お話、ありがとうございます。漢字は文化の反映、 文化は人の思いの反映。

  色々な解釈は面白いですね。

 神の啓示を待つとは 「天命を待つ」のようにも受け取れ 食は人をよくも悪くもする故、ニュートラルな「器」が落ち着く感じもします。

優は人が憂うと書き 優れている、優しいと読む。 劣は少ない力と書き 力まず 自然体の強さを感じる。

偽は人の為と書き、偽りと読む。 人の為は自分の為という意味でしょうか?

つい言葉遊びをしてしまいます。 言葉は左脳エネルギーであり、魂感覚を失わすとも言われますが  言霊ともいわれます。

聖書の創像物語は 言葉から始まります。 言の「葉」は「波」と置き換えれば 見事に神話と現代科学が一致します。


https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/tonaekotoba 【神道での唱えことばについて】より

仏教で唱える「南無」とは、梵語(サンスクリット)の音訳で、「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依して救いを求める唱えことばです。

これに対して神道では特別な唱え言はありませんが、神社に参拝するときや神棚を拝むときには、「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)と唱える場合もあります。神道では自らの祓い清めが信仰的にも神様に近づくための大切なおこないとなっているからです。

このほか、古くは占いに関連して用いられ、その後、神様を拝むときに用いられるようにもなった「吐普加美依身多女とおかみえみため」という唱え言があります。この言葉の本来の意味ははっきりしていませんが、「遠神能看可給」(遠つ御祖みおやの神、御照覧ましませ)、あるいは「遠神笑美給」(遠つ御祖の神、笑ほほえみ給え)といった意味であるともいわれています。もともと、占いに用いられた言葉なので、「神様の御心があきらかになりますように」という意味であったのではないかと思われます。

我が国には、古来言葉には霊力が宿り、口に出すことによって、その力が発揮されるという言霊ことだまの信仰がありました。神社にお参りする際に具体的な願い事を声に出して唱えるのも、こうした信仰に基づくものです。


Facebook相田 公弘さん投稿記事  “祈り”についてのお話です。

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「“祈り”とは何ですか? “お願い”とどう違うのですか?」という質問を受けることがあります。祈りとは自分を超えたところにありますので、“自分”というもの(=利私の心)があるうちは祈りではないと思います。

利私の心がなくなったところで、ほんとうのお答えが出るように思うのです。

「いい祈り」とか「悪い祈り」とか、シスターたちもそうおっしゃっていますが、祈りにいいも悪いもなく、また形も言葉もなく、それは目には見えないことです。

祈りとは、自分のためではなく相手のためにすることですから、わたしにとっては生活そのものが祈りです。

生活すべてが祈りなので、特別に何もすることはありません。

まず生活そのものを大事にするのです。

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「限りなく透明に凛として生きる」 佐藤初女 著 ダイヤモンド社より

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祈りは自分以外のことを想う「利他の心」からくるものでしょう。お願いは「利私の心」からくるもの。

「自然寛解」(しぜんかんかい)という言葉があります。

これは、病気の症状が何の治療もしないのに、理由もわからないまま消えてしまったような状態の事です。

そして、アメリカでこんなアンケート調査が行われました。

ガンの「自然寛解」を経験した患者50人に、「なぜ回復したと思うか」と聞いたのです。

その結果は驚くべきものでした。一番多かった答えは「祈る事」。

複数アンケートで、・祈り68%・瞑想や運動64%・ウオーキング52%・音楽50%という数字が報告されたようです。

祈る事に大きな効果があるという結果となりました。

そしてこれは何も、病気だけのお話ではないように思います。

何かについて祈るということは、常にそのことを考えて、意識していなければ祈ることはできません。

流れ星に願い事を3回言うと叶うという話も、常にその願い事を思っていなければとっさに言葉に出来ません。

まして、祈りの場合は自分以外の誰かや何かに対して祈る訳ですから、神様も仏様もきっと応援したくなりますよね♪

祈りの力は絶大のようですね(*^_^*)※魂が震える話より

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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