和歌、俳句から考える健康学

https://note.com/tmig_inclusion/n/n84925e3e553c 【【執筆を一部担当しました】認知症ケアと俳句の力】より

こんにちは、東京都健康長寿医療センター研究所「福祉と生活ケア研究チーム」の津田 修治です。

執筆を一部担当した書籍が出版されましたので、お知らせいたします。

『認知症ケアと俳句の力 その人らしい輝きが表現された俳句づくり』

(担当箇所 P.121〜 P.129「創作活動と認知症ケア」)

私を含め8名の方が「認知症と俳句」について執筆しています。筆者たちは、認知症のある人たちが集まるデイサービスの場で、俳句を詠む句会を開催してきました。

本記事では、書籍の概要に触れつつ「認知症ケアと俳句の力」についてご紹介していきます。

「認知症ケアと俳句の力」について

本書は、「クリニックふれあい早稲田」院長 大場敏明 先生と、日本伝統俳句協会・元埼玉部会長 萩森好絵 先生の共著です。

大場先生は2000年に埼玉県三郷市内に「クリニックふれあい早稲田」を開業。

「もの忘れ外来」で長年、多くの認知症のある患者さんやご家族と関わってこられました。

「患者さんには、その人らしい生活を最期まで送ってほしい。そのためには文化的・創造的な楽しみが重要」と考え、介護事業所で手芸・園芸・菜園・書道・絵画などの教室を開いています。

イベントを開催するなかで、先生はある患者さんと出会いました。そして、「俳句づくり」が認知症ケアに効果があると感じるようになりました。

俳句づくりの過程で、自分のなかから出てくることを短い言葉にするので、忘れていた思い出を取り戻すことができるのかもしれません。その過程は、昔の写真や道具などを題材にして、当時のことを思い出して会話を楽しむ「回想法」という認知症のケア手法に通じるものがあります。

本書は、句会がどのように運営されてきたかを紹介し、認知症のある人が俳句を通して表現することにどんな効果があるかを考察した一冊です。実際に句会に参加した、認知症のある人たちが詠んだ俳句も掲載されています。

8人の筆者がそれぞれの立場から「俳句と認知症ケア」について執筆することで、認知症のある人たちの生き生きとした活動の様子や、それを支える人たちの工夫を伝えます。

私の俳句とケアに関する考え

私はクリニックふれあい早稲田の「もの忘れ外来」で医者として診察を行いながら、「診療所における認知症のある方々のサポートプログラム」について研究をしています。

認知症のある方々が、それを隠して取り繕うでもなく、嘆くでもなく、適度に受け止めて、ある時は受け流し、自分らしく生きていけるといいなと思ってます。

それにつながるような支援を提案したり、社会を作っていくための研究をしています。

認知症のある人たちが自分らしく生活するために、診療所にできること

認知症になると、自分の考えを思うように説明することができず、フラストレーションが溜まることもあるでしょう。

その人が大切にしてきた心の世界を俳句で表現することで、「自分は今もこんなに豊かに生きているんだ」と家族や友人に伝えることができます。コミュニケーションとしても、大きな意義があるといえるでしょう。

作品集に収められた俳句には、詠んだ人が五感で感じ取った情景が生き生きと表現されています。ぜひ本書を手に取って、取り組みとともに、俳句をご覧になってみてください。


Facebook藤井 清史さん投稿記事【和歌、俳句から考える健康学2】

『身を思う心のただちなべて世をめぐみすつうやあがる代の道』という歌があります。

訳としては、「自分自身の健康に気を配り、規則正しい生活を心がけるという心もちが、ひいては世も明るくする。」ということになります。

最近、天候不順や、世界紛争が後を絶ちません。

「昔はどんなんだったかなぁ〜」と、思い出すのも憚らない日々ですね。

私たちの暮らしているこの国や、地球という星も、ある意味では大きな生命体です。

そう考えると先の歌のように「心もち」が今の現実を創り上げているのかもしれません。

健康は、様々な身体に良い食品や運動、治療などが出てこようとも、自分自身が「健康でいよう、健康は本当に大切だ」と思わない限り、焼石に水、と言っても過言ではありません。

また、歌にあるように一人一人が、健康を自覚し、健康に取り組もうと考えていけば、自ずと生活、環境が整ってくるものです。

昭和の名鍼灸師、故澤田健先生は、「医乱れれば、国乱れる」とおっしゃっていました。

まさにこの通りで、「医」を医療、医療に携わる人、という考えだけでなく、個人個人として捉えるなら、この歌の通りでしょう。

健康を願い、規則正しい生活を心がける心もちか、健康をおろそかにして乱れた生活、怠惰な生活を送るという心もちか、のどちらかで国や世界、地球環境にも大きく関わってくるのではないか!?と言えるのではないでしょうか?

さすれば、私たちは如何なる“心もち”で日々、過ごせば良いのかが見えてくるのではないでしょうか?

健康は、実は自分1人の問題ではない、ということなのですね。

「自分の身体は自分のものだから、好き勝手にすれば良い」

という考えは、ただのエゴであって自己中心的な考えでしかないのです。

実は、自分が、地球体という生命体の身体の一つの細胞であり、周りとのネットワークで連綿と繋がっているのだ、ということを知らなくてはなりません。

そして、それを自覚しなければならないのです。

さぁ、人類の、地球の正常化に向けて健康であり続ける“心もち”を磨いていこうではないですか!?

皆様はいかがお考えでしょうか?


【和歌、俳句から考える健康学3】

『水上(みなかみ)のつばきをはかぬ玉の緒はつづきて老のうるおいとなる』という歌があります。訳としては、

「唾液を吐かずに飲み込んでいると、長生きでき年をとっても老化しない。(玉の緒=命)唾液は不老の液!「痰は吐け、唾液は飲み込め」という養生の原則のこと」ということになります。唾液は、日に1〜1.5リットルくらい分泌され、その効能として、・食べ物を飲み込みやすくする・味を感じやすくする・消化酵素としての働きをする(消化作用)・細菌の働きを抑制する・再石灰化を促進する(再石灰化作用)ということが挙げられます。

意外と意識されていませんが、消化器官というのは、食道や胃だけでなく、口腔からスタートするのですね。

なので、胃が悪くなると舌が荒れたり、口内炎が出来たりするのですね。

紛らわしいのは「痰」です。

痰というのは、肺や気管支といった呼吸器から分泌された、異物をからめとって外界に捨てるための粘液のことで、飲み込むのは、いわば「ゴミを飲む」のと同じことで、身体にとっては望ましいことではありません。

先のように「痰は吐け、唾液は飲み込め」という所以はこれです。

世の中、このように「似て異なるもの」は、多々存在します。

甘〜いものでも、お砂糖でできたもの、人工甘味料で出来たもの、お砂糖でも黒砂糖や粗製糖など、自然に近いものから真っ白に精製され、大事なミネラル分を除去して甘みだけを残した白砂糖、グラニュー糖など多岐にわたります。

同じ甘〜いものでも、健康に与える影響が大きく変わってくるのです。

お塩や、お醤油などでも言えることですね。

このように、「知ってる、知らない」

「気づいている、気づいていない」で、先々の健康に大きく関わってくることは実は沢山あるのです。

逆に、生半可の知識で「〇〇は健康にいいから」と、業者やメーカーの謳い文句通りに信じ込んで、「健康食品だから大丈夫!」と取り続けていると、健康被害に遭うものも多々あります。

本当に、自分の身体にとって、自分の健康にとって大切な事、大切なものは何なのかを「見極める」ということが大事です。

そのためには、知識を吸収し、知恵を磨いて、「本当の情報」を身につけることが大事です。

昨今は、ネットやSNSで情報が山のようにいとも簡単に手に入る時代になりました。

これはこれで、便利で素晴らしいことではありますが、見る側に「考える隙を与えない」「考えさせないようにする」という、巧みな現象も引き起こしているのも弊害としてあるのですね。

会社の経理に監査が必要なのと同じで、情報も監査が必要なのです。

「智慧を得て、考えることの重要性」、これはどんな時代が来ようとも不変の真理です。

健康だけでなく、経済、政治、精神世界に関わることや、生活全般、全てに通じることでもあると思いますので、これからの時代、特に心しておくことが大切だと、私は思います。

皆様は、いかがお考えでしょうか?


【和歌、俳句から考える健康学4】

『かねてより  身をつつしむは文の道  病でくすすは  物のふのわざや』という歌があります。

訳としては、「常日頃から病気にかからないように身体をいたわるのが学問や芸術を究める道めあり、病気になったら、病を治す術を心得ておくのも武士たる者のつとめである」という事です。

くすすは「医す」のことで、病を治すの意味、物のふは「武士・侍」を表すのですが、「もののふ」と書けば良いのを故意に「物」を使ったのは、日頃傲慢で威張っている武士が病になって取り乱す様をみていて皮肉った、とされています。

この歌の時代背景から鑑みると、現代でいえば、「もの(物)のふ」は

「政治家・経済人」に当たるかと思いますが、その辺りは今の時代にも合い通ずるものがあるかなぁ、と思います。

物事を成し遂げるため、また人生を幸福に送るためには「健康」は不可欠なものになります。

歌のとおり、健康であるためには、「病気にならないように心がける」ということも必要不可欠なものですね。

しかし、どんなに気をつけていても病気になることはありますし、不慮の事故に遭うこともあるのです。

その時に、どうあるべきか、ということも実は大切なことなのです。

そう言われるとこの世的に、傷害保険や生命保険など生活全般に不安をあたえることに備えることが、真っ先に浮かぶ方も多いと思いますが、それはそれでとても大事なことです。

「備えあれば憂いなし」とも言いますように日頃の不安材料をなくすため、また、本当にいざというときのためには大切なことです。

しかし、ここで改めて考えなければならないのは「病気になった時に、そのことをどう捉えていくか」という心もちでもあると思います。

歌の中の「もののふ」のように、慌てふためいて、取り乱してその時を迎えるのか、病気というものを人生課題として人生の転機として捉えて迎えるのか、では雲泥の差が出てきてます。

いくら地位や名誉があろうとも、病ひとつで慌てふためいていては地位や名誉が泣いてしまいます。

逆に、社会的には日の目を見ずとも、病の時に何故にその病が自分にとって必要であったかを深く考察できる方は、人生の勝利者と言っても過言ではありません。

この様に、常々、自分に起きる事象、自分が引き起こす事象について原因結果、そして未来へ向けての一手を考えていくことができる、という心もちが、人生を勝利する上で必要不可欠なのではないか!?と、私は思います。

その心もちは、不動心と言いかえることもできるかと思います。

心を探究する姿勢。

これは生涯続くテーマでもあるのではないでしょうか?

皆様はいかが、お考えでしょうか?


Facebook藤井 清史さん投稿記事 【和歌、俳句から考える健康学5】

『食はただよくやわらぎてあたたかに たらわぬ程はくすりにもます』

という歌があります。

訳としては、「食物はやわらかくして、温かいうちに足らない程度にほどほどに食べれば薬を飲む以上に効果的だ。」ということです。

胃を良好なまま保つことが健康長寿の秘訣でありましょう。これを保胃といいます。

梅雨時の湿気は胃腸に非常に負担をかけます。

黙っていても、胃腸の調子が悪くなる環境ですので、この歌のような生活を心がけることが大事になってきます。

今、私たちを取り囲む環境は一昔前に比べても非常にきびしいものになっています。

太陽フレアの影響なども多々ありますが、やはり、人類の発展という名目で環境破壊を繰り返してきた反動でもあるでしょう。

ひと口に「環境」と言っても、時間をかけた私達、人間の責任であることが多いとも言えましょう。

そう考えると、「環境のせい」🟰「自分たちのせい」でもあるわけですね。

このように、一見、自己において責任がないように見えることであっても、自己責任を取らされていることは多々あるのです。

そうであるならば、一つ一つの出来事、一挙一動に、もっと気を入れて、心を配って生きていかなければならないのかもしれません。

ことの始まりは、全て「人の思い」にあるのです。全ては思いから始まるのですね。ここを忘れないように日々、生きていかなければならないのではないか?!と私は思います。

今、世界中で様々な問題が跋扈してきております。

天災や、異常気象などの環境問題もそうではありますが、一発触発で世界大戦が起こりうる政治事情などもそうです。

が、これらもまた、事始めは「人の思い」であるのではないでしょうか。

そうであるならば、歌の通り、日々の「些細な心遣い」「些細な思いの修正」で保胃同様、一朝一夕では不可能であったとしても、健全な世界が実現する可能性が出てくる、と私は思います。

「一人一人ができること」

あらゆることに於いて、これがスタートであり、人生、いつ何時からでもスタートは可能であるのではないか?と信じております。

皆様はいかが、お考えでしょうか?

※心と身体の解説書「心主身従」も

ぜひ、ご覧下さいね^_^

https://ekimochi.exblog.jp/9145451 【曲直瀬道三 「養生誹諧」より】より

 カテゴリー「智慧に学ぶ」では、古今東西の資料の中から私達が「なりたい自分に

なる為」の智慧の一部を抜粋し、皆さんとご一緒に拝聴・拝読させて頂こうと思います。

 今日は、室町・安土桃山時代の医師、曲直瀬道三(まなせ どうさん:永正四年~

文禄三年:1507~1594)の「養生誹諧」です。

<文武>

 かねてより 身をつつしむハ 文の道 病でくすすハ 物のふのわざ (2)

  常日頃から病気に罹らないように体をいたわるのが学問や芸術を究める道であ

 り、病気になったら、病を治す術を心得ておくのも武士たる者のつとめである。

<保胃>

 食ハ只 よくやハらげて あたたかに たらハぬ程に 薬にもます (6)

  食べ物は、よく温めて柔らかく調理するといい。そして、食べ過ぎず足りないくら

 いの量の食事は薬以上の効果がある。

<四休>

 さむからず 飢ることなき たのしみハ たる事を知の さひハにぞかし (9)

  寒さも飢えも凌げる程度の生活が、人生の楽しみ、幸福に浸るにはちょうどよ

 い。足ることをしったほどほどの生活が何よりだ。

<湛浩>

 老いぬるハ 立てミ居てミ 身をつかひ 心ハ常ニ やすむるぞよき (10)

  歳をとったら、立ったり座ったりして身体を使い、心はいつもやすらかにしてい

 るのがよい。

<和中>

 常の食 四時に順じ 五味を和し 飽ニ及バず 又ハうゑざれ (11)

  日頃の食事は、季節に応じて旬のものを味付けも適度にして、かたよらず食べた

 いものだ。食べ過ぎはいうまでもなくよくないが、、腹の減り過ぎもよくない。

<勧懲>

 性をわれ 常ニすなほに ためなをし よきを志たふや 養生のもと (12)

  自分の正確や生活が正しくなかったら、曲がったところを直して、健全な精神を

 獲得するのは養生のもとだ。

<不薬>

 何となく 形と心 つつしめばバ 薬なくても ゆらく玉のを (13)

  身体のことを常に気をつけ、いたわって、心おだやかに、ふつうに生活していれ

 ば薬の世話にならなくても、楽しく長生きできる。

<順レ衣>

 水にぬれ 汗にうるおふ 衣かえ また夏冬ハ よき程にせよ (17)

  水に濡れたり、汗でぐっしょりとなった衣服はすぐに着替えよ。また、夏や冬や

 、暑さ、寒さに適した衣服を身につけなさい。

<弁医>

 医しをハ 兼て手がらを わきまへて それを親しミ 脈も見すべし (18)

  日頃、医師の力量を知っておくべきだ。そうしておけば病気のかかったとき、安

 心して診察を受けられる。

<揀択>

 はかなくも 善悪思ふ 苦しミの 何ハにつけて 身を尽くしけり

  はかないものだ、よいこと、悪いことの取捨選択で思い悩むのは苦しく、身体に

 よきこととはいえない。だからどんなことでも悩まずに一生懸命励むのが一番だ。

<汗瀉>

 汗おしみ くだるものいとへ をのが身に それや内外の あるじならまし (33)

  汗も下痢もおろそかにせず、大切なものと考えるのがよい。それが、自分の身体

 の内側と外側から病気を教えてくれる中心になるのだから。

<謹薬>

 効ある 薬にさとれ 何事も なきおりからハ いかがのむべき (34)

  自分に効いた薬が何か知っておくべきだ。病気でも何でもないときはどうして飲

 もうか、飲むべきでない。

<攣レ筋>

 ゑせ馬と つよ弓すまふ ちからわざ 積れハ筋の 中風とぞなる (36)

  無理な労働が重なれば筋肉を傷め、ひいては健康を損ねるぞ。

<怨他>

 医しせめ 効をいそぐ 身の病 作り出せる 我ハうらミず (44)

  患者は医者を責めて、早く治せしてくれとせかすが、その原因を作った自分のこ

 とは棚にあがている例が多いものだ。

<以レ怖治>

 なへて人 胸の思ひハ 乱碁の 死するをこうに たててやむべし (46)

  耐えがたい万難の苦しみも、死を覚悟すれば立ちなおることができるものだ。

<預謹>

 さしも草 もゆる思ひと 針薬 くるしまんより かねて謹しめ (53)

  お灸をして熱い思いをしたり、鍼を打って痛い目をして苦しむくらいなら、ふだん

 から身体をいたわっておくのがよい。

<禁レ久>

 いねをきも 起居見聞て 行事も 皆久しくて 病とそ成 (65)

  行住坐臥、起居動作はすべててきぱきとこなせ。のんべんだらりと生活をしてい

 ると病になってしまう。

<持与避>

 をのか身に たもちてよきハ 只たもて 避けてやすきハ 常ニさくへし (112)

  自分の身にとって、良いと思うことはそのまま続け、悪いと感じるものは常に避

 けるよう心がけるべきだ。

<遂レ欲>

 限りある 露の身をもて はかりなき 胸ニまかセバ はやくこぼれん (113)

  はかなく、短い、露のような人の命なのに、何も考えず、思いつくままに欲を追う

 と早く死んでしまうぞ。

<難レ行>

 謹ミを 耳ニ聞分 心にも 得ておこなハぬ 人ハかひなし (114)

  心身をひきしめ、控えめな生き方が大事と、人からきき、心にも留めていても、

 それを実行しなければ何の意味もない。

 ↑以上、各症状に対しての詳しい説明を含めると、道歌は計120にもなるので

すが、ここで「基本」となるものを抜粋しました。ちなみに、本書は「毛利輝元」に贈られたものです。ご興味のある方は 山崎光夫 著 「戦国武将の養生訓」 新潮新書 をお読み下

さい。

Facebook藤井 清史さん投稿記事【和歌、俳句から考える健康学8】

『医(くす)しせめ 効(ききめ)をいそぐ 身の病 作り出(いだ)せる 我ハうらミず』

という歌があります。これは、「患者は医者を責めて、早く治してくれと急かすが、その原因を作った自分のことは棚に上げている例が多いものだ」という訳です。

俗に『怨他(えんた)』というやつですね。他人を怨むことで、筋違いの怨みなわけです。

「作り出せる」は、自分が原因の病のことで、「我はうらミず」は、自分のことは怨まない、ということです。自業自得を教えている句です。

これは、日常茶飯時のこと、と言っても過言なではないでしょう。

医者のせいにせずとも、「家族が◯◯だったから…」「会社の人たちが◯◯だから…」

などなど、「誰かのせいで私はこうなった」と言っている人が病気の方々ではほとんどだ、と言っても過言ではないでしょう。

また、人のせいにしてなくても「何で私はこうなってしまったんでしょうね…??」と常々聞いてくる方々もおられます。これは、人のせいにしていないように見えますが、実は、「(何で私はこうなってしまったんでしょうね…)私は悪くないのに」という隠語が含まれているのですね。

以上のように、自分が病になった時、まずは自分自身を振り返り、自分自身に原因を求める方、自分自身を探求する方というのはほとんどいないのが現状です。

これは病気に限ったことではないとも言えます。

時は、自民の総裁選で賑わっておりますが、「政治が悪い、政治家が悪いから自分たちの生活が豊かにならない、幸せにならないんだ」いう方も、かなりの数おられますよね。

これも実は同じことなのですね。

政治家を選んでいるのは、他ならぬご自分なのですね。

自分の一票ではどうにもならない、とおっしゃっるがたも多いでしょうが、本気でそこに原因を求めるならもっと、意欲を持って政治に参加するべきなのです。

そうでないのなら、安易に全ての責任を押し付けるのはいかがなものか!?と思ってしまいます。と、このように、病をはじめとする自分の不幸は、他人のせい、という方々が多すぎるのではないか!?と私は思っています。

そういう方に限って、幸福になったら、病気が治ったら、豊かになったら、「それは、自分が頑張ったからだ!」というようにすぐ考えるのですね。

たくさんの協力者や、救いの手、その方を思う周りの方々の愛を無視して、「私、すごいでしょ!」になってしまうのです。

これは、人として悲しいことです。

まずは、自分自身の襟を正し、病や不幸の原因を自分自身の中に見出していくことが大切なのですね。『何かつまづいたら自分のせい、何か上手くいったら他人のおかげ』

このくらいで考えることが、幸不幸を考える時の中道なのだと私は考えています。

私も以前から述べておりますし、最近あちらこちらでよく耳にすることが多い『感謝が大切』というのはこの中道の基準があってこそ、になります。

まずは、自分自身の中に原因を見い出す、またはそれを探求する姿勢が大切なのではないか?!と私は常々考えております。

皆様はいかがお考えでしょうか?


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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