https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12855406424.html【日本が平和なのは言語のお蔭】より
「お互いが正しい日本語を使えば、ケンカにならない。」秦氏一族トップの統理に教えてもらった話し。
そもそも「ケンカ(争議)」になる理由は、「お前、こう言っていたじゃないか」「あんた、言ってることが違うじゃないか」「なんで、伝わらないの?」「最終手段だ、暴力に打って出る!」相手と自分との「相誤認識」がズレているから。言いたいことが「ビシ」っと相手に伝わらない。
日本語じゃない言語だと、言語が幼稚だからケンカになるのだ。
一方の日本語。
ひすいさんのYOUTUBEから。
花が落ちる様子さえも、桜は散る、梅はこぼれる、菊は舞う、牡丹は崩れる、椿は落ちる。
色の種類も豊富。
日本語なら、自分が「言いたいこと」がビシっと伝わる。
逆に、外国が可哀そうである。言いたいんだよ。気持ちは、心の中に浮かんでいるんだよ。
でも、道具が用意されていない。この淡い感情を、何と表現すればいいか。
さぁ、日本が平和な理由が分かって来たと思います。
それは、先人たちが諦めなかったから。数万年続く世界最古の文明・文化で、僕らの祖先が何度も何度も試行錯誤して、孫やひ孫のために「使いやすい道具」として日本語を開発してくれた。だから、「かゆい所に手が届く」しどんな「心象風景」でも相手に的確に伝えることができる。また、日本語は口元をわずかに動かすだけで意思疎通が可能、
「表情筋」を使わない言語として有名。韓国語や、中国語と比べても、圧倒的に「表情筋」を使わないそうです。
たしかに・・・、外国人と話すと、めっちゃ顔の表情豊かに話している。
感情的で、身振り手振りをして。
顔の筋肉の何パーセントを使用して言語を話すか?
日本語が使う顔の筋肉は20%で、ドイツ語は80%、アメリカ語は60%。
「Rアール」とか、ベロの筋肉めっちゃ使ってるよね。
日本人以外は、相手の「口元を見る」そうです。
一方日本人は、口元を動かさないでも話せるので、相手の目を見る。
「目は口ほどに物を言う。」これは、先祖のお蔭だったのか。
ちなみに、生後7か月の赤ちゃんの頃から既に日本人は、お母さんの「目を見る」
外国人は、お母さんの「口元を観る」そうです。
遺伝子に組み込まれたのか、7か月間「必死に」お母さんのおっぱいを得るために獲得した能力なのかはナゾ。
https://www.youtube.com/watch?v=Jmi--MVTIi8
僕たちが「平和な国」なのは、日本語のお蔭。
そしてその「日本語」は、先祖が、先人たちが、ずーっと長い年月かけて、1つずつ心象外の風景に、コトバを当てはめて行った結果。ただただ、感謝なのです。
↓ブログを11年くらい書かせてもらっています。
日本語で。
毎朝、毎朝、366日。
ラーメン屋さんが、死ぬほど「上手に」メンマを切るように。
看護婦が、簡単に脈数を出すように。長くやってたら、誰でもプロになる。
僕も「日本語」という言語を、死ぬほど書かせてもらっている。
ラーメン屋にとっての「ずん胴なべ」が、看護師にとっての「聴診器」が、僕にとっての「日本語」なのです。
これで、毎日「はたらく(ハタをらくに)」という行為をしている。
そんな日本語が、どの言語よりも表情を動かさずに使えるように進化していて、
そんでもって「数万種類」の組み合わせで、心象風景を確実に相手に伝える。
僕が住んでる、「おもろまち」の「オモロ」は、「心の中の言いたいことを発音する」
という長い動詞です。
オモロ草紙は、そんな「オモロ」の数々を綴った作品。
去年亡くなった僕の叔父さん(母の兄)が県議で、米軍から取り戻す活動を続けた「おもろまち」。沖縄で一番新しい地名に「おもろ」を付けたのは有り難い。
数十年ぶりに会った時、「そうか、君が今、おもろまちに住んでいるのか」と感慨深く言っていたなぁ。五七七ではなく、琉歌は「ウタ」と言われ、サンパチロク(八八八六)で歌う。
日本語よりも表情筋を使わないってんだから、わったーうやふぁーふじは凄いもんである。
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