『無縁・公界・楽』

https://book.asahi.com/article/13231409 【アジールと国家 中世日本の政治と宗教】より [著]伊藤正敏

 アジールは避難所、無縁所などと訳される。江戸時代の駆け込み寺はそのいい例である。夫の暴虐に耐えかねた妻が息も絶え絶え、寺に駆け込む。門前で追っ手に捕まりそうになっても草履や櫛を投げ込めば、縁切りが達成されたという。

 駆け込み寺だけではない、「都市の空気は自由にする」とうたわれたヨーロッパ中世の自治都市もしばしばアジールの一例に挙げられる。都市に逃れる隷属民は一定期間の後には自由民の資格を得る。世俗の義理や支配関係から解放された空間、自治都市もまたアジールにほかならない。

 本書は代表的なアジール論であるオルトヴィン・ヘンスラー『アジール』と網野善彦『無縁・公界(くがい)・楽』、そして前者の邦訳者舟木徹男の長文の解説を検討しながら、著者の見解を披瀝(ひれき)したアジール論である。どこまでが3者と同じで、どこが違うのか、あまり判然としないが、はっきりしているのはアジールと国家の関係についてであろう。

 例えば、ヘンスラーにおいてはアジールと直接対峙するのは国家である。これに対し著者はアジールと国家の間に人々が生活する「全体社会」なるものを介在させる。この違いはアジール法が最も力を得る「実利主義的段階」(ヘンスラー)の理解において顕在化する。ヘンスラーにとって、「実利」とは国家にとっての実利、アジール法を最大限利用するという意味での実利である。これに対し著者は、実利を民衆にとっての実利とし、寺社はこれを後押しして国家と対峙したとみる。

 ヘンスラーのアジール論は宗教と法の境界領域を探ろうとし、網野のそれは有主(私的所有)・有縁(支配関係)の歴史観に無主・無縁の歴史観で一矢を報いようとした。一方、日本中世における寺社の意義を中心にして論じた本書は、テーマの広がりよりは細部に彫琢(ちょうたく)をみせる。意外な発見も多い。一読をすすめたい労作である。

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いとう・まさとし 1955年生まれ。思想家、中世史研究家。元長岡造形大教授。著書に『寺社勢力の中世』など。


https://kayakura.me/muen/ 【網野善彦『無縁・公界・楽』から現代の「よきコミュニティ」を考える】より

網野善彦の名著『無縁・公界・楽』に登場する「無縁」概念と関連付けて「よきコミュニティとはなにか」について論じるこの記事は筆者の雑感であり特に明確なゴールや伝えたいことはない。しかし、現代に氾濫する「コミュニティ」の中でも特に「よきコミュニティとは?」ということを考え具体的な方法を模索している人のキッカケになればと思う。

まず初めに網野が本書の中で論じている「無縁」の意味を整理する。続いて「コミュニティ」概念についても整理し、さらに進んで「よきコミュニティ」を定義する。最終的に「無縁」と「よきコミュニティ」のつながりについて論じるが、ここでポイントとなるのは「誰にとってよいのか」という点である。

→【徹底解説】コミュニティとは何か?研究者が定義と歴史をわかりやすく解説(社会学)

「無縁」とはなにか

網野は鎌倉松ケ岡の東慶寺と上野国徳川の満徳寺が女性からの離縁を可能にする縁切り寺として江戸時代に有名だったことに触れたうえで、実は有名な二寺だけではなく他の尼寺や施設も同様の機能を持っており社会的にある程度受け入れられていた事実である。以下のように網野も述べている。

このように、江戸時代前期、縁切りの原理は、まださまざまな形で社会の中にその生命を保ち、小さからぬ作用をそこに及ぼしていた。

網野善彦『無縁・公界・楽』 p23

網野は本書の中で、無縁の積極性についても触れている。無縁は社会と縁を持つことができないことをするから縁をもてなくなることではなく、女性側から主体的に「縁を切る」ということをするといっている。この点は記事の後半でも重要なポイントとなる。

「コミュニティ」とはなにか

コミュニティ概念は、日本の社会学史において特別な意味を持つ。特に1970年代に巻き起こったコミュニティ政策の波は都市社会学と地域社会学を後に分かつキッカケともなったといわれている。

コミュニティ概念は、地域社会、共同社会、共同体などと訳される。それは地域的範域、社会的・文化的同質性が含まれるものであり、つまるところ地域性と共同性という二つの要件を中心に構成された社会である。

網野が『無縁・公界・楽』で題材にした前近代社会においては、村落共同体のように地域性と共同性の最も密接に結びついたものがコミュニティにあたるといえる。しかし資本主義の成立により地域性と共同性が結びついたコミュニティの姿はなくなっていった。

いくつかあるコミュニティの概念の中でもう一つあげるとすれば、マッキーヴァーによる「コミュニティを一定の地域の上で行われる共同生活」と捉える見方があるだろう。社会的な類似性、共同の慣習、共同の伝統、共属する感情などがマッキーヴー共同の社会的特徴であり、これらがみられる一定の地域をコミュニティと呼ぶ。

記事のテーマとなっている「よきコミュニティ」とはどのような状況を指すのか。時代と地理を現代日本に限定し考えていく。コミュニティを構成する要素は「地域的範域」と「社会的・文化的同質性」である。現代では、地域的範域が時代を追うごとに拡大した一方、社会的・文化的同質性はモビリティが増す中で減退している。

つまり現代のコミュニティは「近代以前と比べて地域的範域が拡大した、社会的・文化的同質性が薄れたもの」といえるだろう。それはまさに多様性が増し拡大を続ける自治体の姿と一致する。むろん自治体の中にも地域的範域はあり、集落レベルや自治会レベルでもコミュニティは存在するが制度の共通性を考えると自治体が現代のコミュニティの地域的範域となるだろう。よってテーマである「よきコミュニティとは」をここでは「よき自治体とは」に置き換えてみることにする。

「無縁」と「よきコミュニティ」

「無縁」という言葉を初めにきいたとき、筆者は「無縁社会」という言葉を思い浮かべた。しかし大谷大学教授の一楽も分析しているように、無縁社会というときに使われる無縁と網野が中世日本に発見した無縁は、字は同じでもその意味は大きく異なる。網野が指摘したように中世日本の無縁は受動的なものではなく極めて能動的に社会や権力の支配の及ばない場に向かうことを意味した。

向かった先の居場所は決して寂しい場所ではなく、独自のつながりがある孤立しない居場所であった。このような無縁が中世までは存在したのである。一学は、中世の無縁といまの社会を比較して、もしその言葉が助け合いや支え合いが切れているという意味でいうのなら「無援社会」というべきではないかと提言している。

一楽の主張は納得できる興味深い考察である。しかし、筆者は現代においても中世のような「無縁」の居場所をつくることは可能であり「無縁社会」と呼ばれる場合にも、援助が無い社会という意味で「無援」を用いるのではなく、能動的逃げ場としてのアジールとして機能する「無縁」が存在する社会という意味での「無縁社会」をつくることは可能ではないかと考える。

先ほど「よきコミュニティ」を「よき自治体」と置き換えてみた。岡壇の著書『生き心地の良い町』に登場した海部町は、まさに「よき自治体」といえるだろう。『生き心地の良い町』は自殺率が極端に低い旧海部町を研究した本である。過去にKAYAKURAで書評を掲載しているので、読んだことのない方はこちらの記事を読んでからのほうがこの先の話が理解しやすいかもしれない。

【書評】 『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』から考える地理的環境と自殺率のつながり | KAYAKURA

現代日本において、最も自殺率が低い市町村の一つ徳島県旧海部町と近隣市町村の比較を通じて「地域にある何が自殺と関連する因子なのか」を分かりやすい文章で明らかにし…

kayakura.me

『生き心地の良い町』の中で示された海部町の自殺率を下げている要因は主に5つに分けられた。いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよいという価値観・人物本位主義をつらぬく・どうせ自分なんて、と考えない・「病」は市に出せ・ゆるやかにつながる、の5つである。

これら5つの特徴は網野が中世日本に見出した「無縁」の機能とまさに同じではないだろうか。いろんなひとがいてもよいという価値観は中世の世間においていけないことをした女たちという存在をアジールが受け入れていたことと一致する。人物本位主義という点は性別という分ける軸はあるものの、一般的に男よりも女は今以上に地位が低いとされた時代において女を受けいれていたという点で無縁と寺や施設は人物本位主義といえる。

どうせ自分なんてと考えないという点と「病」は市に出せという点は、まさに困りごとを抱えた女たちが諦めることなく能動的に動いた結果として寺や施設にたどり着くという点と一致する。そしてその場所では病を共有できる。一部、無縁の解釈に間違いがあるかもしれないが、私は海部町の特徴と無縁という機能のもつ特徴には共通点があると感じた。

まとめ-旧海部町にみる現代のよきコミュニティ像-

これらを踏まえて、よきコミュニティを整理するとそれはまさに海部町のような姿ではないかと筆者は考える。人物本位主義で人々が緩やかにつながり、多様性を受け入れ能動的に人々が発言し行動できる、これがよきコミュニティであり、よき自治体の姿であろう。

では一体どうすればこのような「よき自治体」「よきコミュニティ」をつくることができるのか。1つ目は能動的に自らの弱さを共有できる環境を整えることである。一楽の「無援」が援助することを善としておりそれが筆者としては引っかかる点である。援助以上に大切なのは、つらい人や課題を抱えた人がそれを周囲と共有できる環境をつくることである。無縁の場合も、女性たちは駆け込める場所とシステムがあるから駆け込めるのであり、駆け込める場所が無ければ駆け込もうという発想は思い浮かばない。これはアマルティア・センのケイパビリティともつながる。

2つ目は多様な居場所をつくることを支援することである。近年、まちづくりの現場ではサードプレイスが注目をあびていた。それは学校でも家族でもない第三の居心地がいい居場所を指す。人によってはそれがカフェかもしれないし、支援所かもしれないし、コミュニティスペースかもしれない。

重要なのは既存の施設や仕組みの中に居場所を作るのではなく、新たな独立した居場所をつくることである。不登校のこどもに「夜だけ学校を開放するから、夜に学校の相談室に来て」と伝えても、子どもは学校そのものが嫌であり行きたくないかもしれない。このとき学校とは別に公営塾があったりサークル活動が地域にあることは学校のカーストや地位を持ち込ませない人物本位主義の空間になるだろう。そういった居場所を欲する人たちが自らつくることを自治体はサポートすることで、多様性が増し地域的範域が広がったいまのコミュニティにおいても「よき」状態をつくることができるのではないだろうか。

参考文献

網野善彦, 1996, 『増補 無縁・公界・楽』平凡社.


https://note.com/ib_pata/n/nc4d5e772090e 【『無縁・公界・楽』網野善彦、平凡社ライブラリー】より

 網野史学は現在、無視されている状況かな、と思いますが、伝統的な史学から無縁で自由な学問だったんだな、と思います。この『無縁・公界・楽』には、版元に対して絶版を求める声があがったほどらしいですから。

 網野先生がそこまで批判されたのは、この本が目指したのは中世史のコペルニクス的な転換だったからなのかな、と。

 中世は世界的な温暖化によって徐々に農業の生産性が高まり、世俗の範囲が拡大していったと思います。

 例えばJ.ル=ゴフの『中世とは何か』藤原書店では、教会が罪を犯した人々が天国に行くまでの時間をすごす煉獄という概念を発明することによって、世俗の分野が拡大し、収入が減ることに対抗しようとした、といいます。教会は煉獄で受ける苦しみは生者の代祷や寄進によって軽減されるというメカニズムを生み出すと同時に、煉獄という概念によって人類は時間と空間の中で一つになった、と(p.200)。そして《『煉獄とは、希望である。』私はこう言いたいと思います。中世は希望である、と》までル=ゴフは書きます(p.299)。

 こうした中世の希望は日本ではどうだったのか、というのを『無縁・公界・楽』は描いているのかな、と。

『無縁・公界・楽』網野善彦、平凡社ライブラリー

 ネガティブなイメージのある「無縁」という言葉は、徴税される義務などからの縁を切る、という意味のポジティブな意味合いを持ち、江戸時代まで残っていた「駆け込み寺」のように、公権力の及ばない場所に逃げ込めば、縁を切ることができる、という救いへの希望の場所でもあった、といいます。それは、西欧などでもあったアジ―ルにほかならない、と。

 無縁坂なんていう場所の名前は今でも残っていますが、坂とか河原とか、境界のような場所は日常空間ではなく、古代からの残されたきたような意識を働かせれば、それは神の宿る場所でもある、と。そこに、逃げ込みさえすれば、過重な徴税からも百姓たちは逃れられることができ、自由な身になれた、と。

 そして、海や山などは昔から入会権を認められていたけども、そうした無縁という原理が生きる場所が公界(くがい)である、と。互いに独立した人格を持つ自由人として、パブリックな場所で生きていった人々はいたし、能役者や桂女(白拍子、遊女)などの生き方はまさにそれだし、ある狂言には登場人物が殴りかかられそうになると「公界者に手をだすとはなんと無体な!」と非難する場面もあるという。決して、後の河原者のようなネガティブなイメージではない、と。

 そして往生楽土、楽市楽座という言葉に残る「楽」って言う概念は、これはユートピアそのものだ、と網野さんは筆を進めていきます。

 その中で、改めて考えさせられたのが「勧進」という概念。これは橋をつくるとか、港の浚渫工事をやるための資金を集めるためのシステム。

 歌舞伎十八番の「勧進帳」で、関所で弁慶が白紙の巻紙を読みながら、勧進のために諸国を回っている山伏なんだ、と富樫にシラを切る場面がありますが、そうしたシステムが中世にはあったし、出来たインフラは公界であり、それを維持するために関所料金などを徴収していたのは無縁の人々だったという展開は素晴らしかった。

 もっとも、富樫ではないが「ことのついでに問いもうさん」みたいに、そこまでユートピア的でいいの、とは思うけど、思い出したのはジャニスの唄う"ME AND BOBBY McGEE"のサビの部分。

Freedom's just another word for nothing left to lose

(自由ってのは、失うものが何もないこと)

 こういう風景が中世の日本にもあったんだ、という論議はとても勇気づけられます。


https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/d8a91f89bb5573d4e7c13b82d2266010  【『無縁・公界・楽』1 【縁切り寺、駆け込み寺】】より

 網野 善彦  (日本中世の自由と平和 平凡社ライブラリー 1165)

 以前にも読んだことがあるのか、あるいは、内容が重複しているのか、おさらい的な感じがする。

 しかし、網野 善彦著の本は興味深いので、もう一度よみ始めている。

 江戸時代の縁切り寺や若狭の駆け込み寺や周防ぐの無縁所まで読んでみたが、中には監視や今でいう監視役を兼ねた駆け込み寺があったことに驚いた。

 関税免除の特権を認められた「無縁所」が全国でも何例か認められたらしい。

 また寺によっては、借銭・借米の追求禁止。

 無縁所を保護しつつ祈願することによって、戦国大名が無縁所の原理を閉じ込めようとした。

 次は京の無縁所。

 京とあっては、丁寧に楽しまねばなるまい^^

 たまたま家人の本棚に無造作に置かれていた『無縁・公界・楽』だが、こういった内容は好きなので、時間を過ごす口実がまた一つ見つかったと喜んでいる。

公界(くがい)

 ① 公の場所。おおやけのこと。表向き。晴れの場。公的な用事。

 「述懐は私事、弓矢の道は-の義/太平記 19」

 ② ひとなか。ひとまえ。世間。公衆。

 「さやうの事を仰せられたらば、-で恥をかかせられう/狂言・花争」

 ③ 交際。ひとづきあい。

 ④ 「苦界くがい」に同じ。

 ⑤ 課役。


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