https://www.gremo.mirai.nagoya-u.ac.jp/media-download/124/707ed7e35d7d28c3/ 【アジールとモビリティ ―― 網野善彦「無縁」論の可能性 舟木徹男1】より
第Ⅰ部 アジールとその諸相
1.アジールとは
A.語義
・語源 ギリシア語ἄσυλον「不可侵」の意 → 接触した人間も不可侵に →「避難所」
・アジールの定義:「心身に迫る脅威から人間を庇護する平和の場」(舟木)
B. アジールの分類
・空間的アジール … 都市・神殿・墓所・教会・修道院・寺院・山林・家・道路 etc.
・人的アジール … 王・女性・聖職者・贈り物交換・客人歓待・宴会etc.
・時間的アジール … オリンピア祭典・クリスマス休戦 etc.
2.アジールの機能と実例
A.庇護
・国家権力が未発達 = 血讐(仇討ち)による自力救済が原則 → アジールが報復合戦を緩和
・例1. 空間
(対馬の天道山についての記録)「南北に高山あり、みな天神と名づく。南を子神と称し、北を母神と称する。
家々では素饌をもってこれを祭る。山の草木と禽獣をあえて犯す者なく、罪人が神堂に走り入れば、すなわちあえて追捕せずと」(『稗官雑記』)[中沢2004:75]
・例2. 人
「マグヌス王が船のデッキに座った。そのとき突然、一人の男が彼に近づいてきて、食卓にあったパンをちぎって食べた。彼は王の友人を何人か撲殺したヤールのソルフィンであった。王は言った、自分は確かにお前を殺させたい。『だが、今起こったこと〔ソルフィンが、マグヌス王と同じパンを食べたこと〕によって、お前を殺させることは、私にとってふさわしいことではなくなった」(『フラート島写本』)[Henssler2010(1954):154]
・例3. 時間
「いまだかつて人の手が入ったことのない聖なる森があり、ここに女神に捧げられた聖なる小車がある…〔女神が聖車に乗り牝牛に牽かれてやってくると〕ここに歓喜の日々はめぐり来たり、女神がみずから往訪して客として接待されるにふさわしいと認め給うた場所ではどこでも、祭りがおこなわれる。彼らは戦争に赴かず、武器を帯びず、鉄器はすべて蔵され、平和と安息はこの時にのみ彼らに意識され、このときにのみ彼らに愛される。」(『ゲルマニア』)[Henssler2010(1954):172]
B. 縁切り・病苦の治癒
・ハイルHeil(聖なるheilig 力) が漲る場 → 縁切り・病苦の治癒Heilung の場に
・例1. 上野の満徳寺・鎌倉の東慶寺は江戸時代も女性が夫から逃れる縁切寺として機能 [網野1987:19-31]
・例2. 温泉アジール
「治癒力を発揮する湧泉、温泉という聖なる癒しの場は、温泉神との交信や神判の場ともなった。人間のもめごとまで温泉神が裁く厳粛な空間は、当然にも平和不可侵のアジール性を帯びていた」[石川2015:38]
3.アジールの諸段階
A.宗教的・呪術的段階
・神聖な霊力に満ちた場と関係することで、理由を問わず庇護が提供される段階[Henssler2010(1954):21-]
B. 実利的段階
・発達途上の国家の権力が、古来の宗教的・呪術的アジールを統治に好都合な形で承認して取り込み拡充整備する段階(とくに血讐などの自力救済を制限してゆく司法政策の観点から)[Henssler2010(1954):38-]
・やがてアジール全般が国家の承認によってこそ成立するという擬制が浸透
C. 退化・終末の段階
・国家の権力が強大化するとともに宗教の力が衰え、アジールが廃止されてゆく段階 [Henssler2010(1954):53-]
・仏は1539 年、英は1624 年、独は18 世紀末~19 世紀初頭、日本は享保年間以後抑え込まれる
D.近代以降におけるアジール
・基本的には、国家の主権に基礎を置くアジールのみが残る
‣大使館・州境
‣時効制度・恩赦
‣外国で政治的迫害を受けて逃れてきた難民の庇護 (後述)など
‣精神科病院(asylum)などの収容施設 cf. 刑法39 条[舟木2016:141-162]
・宗教勢力によるアジールの例
‣カトリック教会のアジール性(ノリエガ将軍のヴァチカン大使館逃亡)[磯貝:1991:104-105]
‣現代ドイツの「教会アジール」での難民庇護[昔農:2014]
第Ⅱ部 網野善彦の「無縁」の原理とモビリティ
1.アジールの原理としての「無縁」
A.網野善彦『無縁・公界・楽』(1978,増補版1987)
・江戸時代の縁切寺~戦国時代の「無縁所」であった寺社~中世の市や・山林・道路~原始・未開における「原無縁」まで、日本史上のアジールを倒叙法で描き出したアジール論の古典
B.「無縁」の原理
・網野の関心はアジールそのものよりはその背後にある非農業的な「無縁」の原理
・「無縁」の原理 =人類史を通底する「自由・平等・平和」の原理 (⇔「有縁」の原理)[網野1987:254-264]
・中世においてはそれが宗教的な外被のもとで発現 [網野1987:262]
・この原理はアジールが消滅したあとも「雑草のごとく」強靭で「幼子の魂のごとく」永遠 [網野1987:263]
2.「無縁」と「非農業」の関係
A.「無縁」と「非農業」
・網野のアジール論の特徴:原理としての「無縁」を山野河海を遍歴する「非農業」民に関連付け
・「山野河海」に 生きる「非農業」民による、これらの場の管理について
「それは否応なしに〔「山や川は誰のものでもない」という〕自然そのものの「論理」にできるだけ沿ったものとならざるを得ないのであり、〔中略〕この意味で非農業民は、山野河海、「無主」の場の論理の代言人であった。」 [網野 1984 29]
・網野の「無縁」は「無関係」一般ではなく、農地の「所有」にもとづく支配・被支配関係からの無縁、すなわち「無主」(無所有)という点に重点あり。実際、しばしば「無縁・無主の原理」とも表記。
・マルクス主義者の網野にとって「無縁・無主」の原理とは、「所有」にもとづく支配・隷属関係のない原始共産制社会および未来の共産主義社会を基礎づける原理であり、必ずしも宗教的聖性と不可分ではない
・では、非農業民の「遍歴(移動)」と「自由・平等・平和」は、どう関係するのか?
B. 柄谷行人『世界史の構造』における「遊動論」
・柄谷行人の『世界史の構造』(2010、増補版 2015)は、上記の問いを、人類の定住以前のモビリティ(遊動性)との関連から考察 [柄谷2015:50-77]
・前提 ①アフリカに発して各地に移動した人類にとって、定住は自明ではなくむしろ移動が常態
②この段階の「遊動的狩猟採集民」は最大50 人ほどのバンド社会をなして遍歴している
③そこでは食料保存が不可能なので獲得した物はすべて共同寄託(pooling)され平等に分配
④バンドの結合性は低いため、バンド内で不和や不平等が生じたら自由に他のバンドに入れる
・要するに「無主」の山野河海を移動して生きる遊動性ゆえに「自由」があり、それによって「平等」と「平和」が保証されている
・柄谷は、人類が定住して国家権力が成立したのち、定住生活の中にこの原初の遊動性が呪術的に「回帰」してきたもののひとつが、いわゆるアジールであると見なしている。[柄谷2015:208]
3.グローバル化におけるアジールとモビリティ
A.グローバル化とモビリティ
・グローバル化:人・物・カネ・情報などが国家の枠を超えて地球規模に移動し様々な変化を引き起こす現象
・グローバル化とモビリティは基本的には相互に促進しあう関係
・他方、主権国家という枠はグローバル化によってなくならない(場合によっては強化される)
・モビリティの自由を享受できるグローバル・エリート / これを享受できない弱者(ex.難民) という格差
B.グローバル化の中のアジール
・現代におけるアジールの中心は国家の主権にもとづく庇護 (典型的には難民庇護)
・1951「難民の地位に関する条約」1967「難民の地位に関する議定書」いずれも日本は批准
「難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させたりしてはいけない」 (難民条約第33 条、「ノン・ルフールマンの原則」)
「庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない」(難民条約第31 条)
・しかし、国家はほかならぬグローバル化のなかでの競争に有用な(GDP に寄与する)移民を歓迎する一方、短期的には自国の負担を増す「難民」は色々な理屈をつけて流入を阻止・強制送還・入管での虐待的処遇
・グローバル化と相即的な現在のモビリティとは別種の、人類社会全体の自由・平和・平等を保証するようなモビリティ概念を構築する必要性
C.柄谷による二種のモビリティ(遊動性)の区別(『遊動論 柳田国男と山人』178—196)
・①人類の定住以前の「狩猟採集民的遊動性」:元来の「自由」「平和」「平等」の原理となる遊動性
②定住と国家の発生以後の「遊牧民的遊動性」:国家や市場の力の増幅要因になる遊動性
・網野の「無縁」論や「非農業民」論ではこの二種が区別されないままに論じられていることが問題
・柄谷の遊動性(①)から網野史学を読み直すことがモビリティとアジールの未来を考えるヒントとなるか
4.小括
以上、網野の「無縁」論を媒介に、アジールの主題をモビリティの主題へと接続する道筋を、柄谷の「遊動論」を参照して探ってみた。議論の素材としていただきたい。
【参照文献】
阿部謹也1988『自分のなかに歴史を読む』ちくまプリマ―ブックス
網野善彦1984『日本中世の非農業民と天皇』岩波書店
網野善彦1987『増補 無縁・公界・楽』平凡社
石川理夫2015『温泉の平和と戦争』(彩流社)
礒貝桂子1991「アジールと中世イングランドの聖域について」『成城法学』(通号37 号)所収。
柄谷行人2014『遊動論 柳田国男と山人』文春新書
柄谷行人2015『世界史の構造』岩波現代文庫
昔農英明2014『「移民国家ドイツ」の難民庇護政策』慶応大学出版会
中沢新一2004『僕の叔父さん網野善彦』集英社新書
舟木徹男2018「アジール研究の現状と今後の方向性―網野善彦から自然法と公共性へ―」『宗教と社会』第24 号
舟木徹男2020「精神の病とその治癒の場をめぐる逆説―アジール/アサイラム論の観点から(松本・武本編『メンタルヘルスの理解のために 心の健康への多面的アプローチ』ミネルヴァ書房)
ヘンスラー,O. 2010(1954)『アジール その歴史と諸形態』(舟木徹男 訳・解題)国書刊行会
Morgenstern,M. 2003 Kirchenasyl in der Bundesrepublik Deutschland. Westdeutscher Verlag.
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