心の凝りをとる

https://fudemaka57.exblog.jp/29883677/  【気持ち の俳句】


Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事

おはようございます。『認められること』「在りのままのあなたでいい」

人は、親からそう認められ、育つ。そして、自尊の感情が培われてい行く。

しかし、実際は、親からこういう人間になるべきだ」と言われ続けた人が実に多い。

その結果、「認められること」自体が、本人の試練になる。

それが、人生の目的になってしまうので、それが原因で人生を迷い、戸惑い続ける。

あなたの存在は、そこ在るだけで、もう充分に価値ある存在なのだ。

認められようが、なかろうと、その価値は変わらない。在りのままの自分を認めるだけでいい。素敵な一日をお過ごしください。


Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事

おはようございます。『共鳴すること』

ヒナが卵からかえる時、その準備が整うと ヒナは、殼を内側からつつく。

親鳥は、その微かな音を捉えて、外側から殼をつつき割ろうとする。

両者のタイミングがピタリ合うと物事は、変化し、新しいものが生まれる。

どちらかが早すぎたり、強すぎたりすると、互いに傷つけてしまいます。

タイミングが合えば、スムーズに物事は進みます。

相手の状態を よく見て、感じてそのタイミングですべきことを行うこと難しいものです。

これは、親と子、上司と部下、師と弟子など……、いろんな関係性で大切だと思います。

素敵な一日をお過ごしください。

Facebook加藤隆行·さん投稿記事【不安と友達になる】

みなさん、「不安を消したい」と思っています。ボクもそーでしたね。

でも「不安」は消さなくてよい、と言ったら驚きますかね。

実はメンタルがシンドい人に必要なのは「不安を消すこと」ではなく、「安心を育てること」

なんです。不安が消えないと安心なんて来ないでしょう!って思うかも、しれません。

それが不安が強い人が◯か✕か、白か黒かの極端思考になる原因でもあるのですが

実は、不安と安心は共存できます。

たとえばね、不安と安心が一緒にあるのが「新しいことにチャレンジする」っていう状態。

はじめてのことに挑戦するのは誰でも多かれ少なかれ不安がある。

でも安心のベースがあるから「怖いけど不安だけど やってみよう」ってなれるんです。

ほら、不安と安心一緒にあるでしょ。

これね、逆に「安心」だけだとあんま動かないのです。「安心」しちゃってるから。

あれやってみたいけどちょっと不安とかこれ準備しとかなきゃ不安とかでも安心が一緒にいてくれるからそれに取り組むことができる。安心があって不安に取り組めることが「遊び」になったり「成長」につながったりするのです。

逆に、「楽しい」という感情がみんな欲しくてしょうがないみたいなんだけど

「楽しい」だけでここに「不安」がないとどうなるか。「楽しい!」で突っ走ってしまって

ブレーキがなくなる。子どもで考えたらわかるでしょ。

ボクは、楽しい楽しいで山の中ぐんぐん入っていって遭難しかけたことある。

危ない危ない。大人も楽しい楽しいでギャンブルやら享楽にふけってばかりで「不安」出てこなかったらヤバいよね。

「楽しい」で麻痺させて「不安」にフタをして生きている人いっぱいいる。

「楽しい」だけもとても危ないのです。

それに「不安」なんてない!「不安」なんて弱い奴だ!と「強がって」突っ込んでいくのも

これは無謀でさらにヤバい。そのうち大ケガします。

こうやって「不安」はちゃんと他の感情と共存できるしむしろ「不安」が適切に発動してくれるから「安心」していろんなことができる。

「不安」が強い人は「不安」は不快な感情だから消したい消したい、と思って当然。

でもそう思ってしまうのは「不安」のせいじゃなくて、

あなたの中に「不安」と仲良くしてくれる「安心」が育っていないのです。

じゃあ「安心」ってどう育てるの?って言うと

実は簡単。お腹に優しく手を当てて手の温かさをじんわり感じながらゆっくりゆっくりお腹で呼吸してみて。これが「安心感」。毎日朝10分やってみそ。

あなたの中に「安心」が芽生えてきて「不安」だけど大丈夫いやむしろ「不安」だから大丈夫。という気持ちが生まれてきますよ。

不安が強かった人には不安と安心の共存は不思議な体験だと思います。

でもこれがどんな感情も自分の中で受容・肯定できた「自己肯定感」の状態なんです。

カウンセリングの中では両方一緒に感じてみるということをよくしてます。

安心が育ってきたらやってみて(^ω^)。

Facebook加藤隆行さん投稿記事【好きなことが見つからない…】

昨日、不安な人は「不安と安心は共存できる」「不安を消すことよりも 安心を育てることが大切」というハナシをしたらいろいろ反響が大きかったです。

で、今日その続き。この世の中、「好きなこと探し」「自分らしく 好きなことで生きていく」みたいな自己啓発やらスピやらが大流行です。

で、ですわ。不安な人は「好きなこと探しよりも 嫌なことやめる」ほうが圧倒的に先です。

以前も書きましたが日本人の4分の3は遺伝子的に不安が強い民族だと言われています。

不安な人はそもそも好きなことよりもその不安を埋めるために「嫌であっても やっておかねばならないこと」ばかりしてしまいがちです。

「嫌なこと面倒なことやってからなら 好きなことしていい」と好きなことを後回しにする傾向も強い。基本が不安だから安心してから(不安を埋めてから)しか好きを楽しめないし、許可が出ない。そうやって気がつけば嫌なことばかり優先しニガテなことばかりに囲まれパンパンになって好きなことなんてやってられないみたいな状態になってたりする。

さらに嫌なことやニガテなことばかりやりながら「好き」という気持ちを感じるのは難しい。

ピーマン食べながらいちごを一緒に食べて美味しいと感じるのは難しいのです。

(↑コレ以前も書いたな)

だからこそ「好きなこと探し」「好きなことやって自分らしく生きる」みたいなものにハマって行く。

いや、「好きなこと探し」が悪いワケじゃないよ。でもさ、ちょっと考えてみてよ。「好きなこと」ってさ、探さないとわかんない時点でそれ本当に好きなのかな、ってことよ。

不安な人は不安を埋めるため、不安から逃げるために好きなことを探していることが多い。

私をこの不安、不幸から救ってくれる白馬の王子さまはだからいつまでもみつからないのかもよ。

なので、不安な人は不安から逃げるために埋めるために「嫌なことニガテなこと」を握ってそれがさらに「好き」がわからなくなっているので最初にすべきことは「嫌なことニガテなことやめて 身体にも心にもスキマを作る」なのです。

そうやってスキマを開けたときに余裕ができたときにはじめて「あ、これ好きかも」

という、穏やかで緩やかな「好き」が現れてくる。

そしてその「好き」を自分で育てていくのです。

白馬の王子さまが救ってくれるのではなくて王子さまを ”私が” 育てるのです。

昨日は「不安と安心は共存できる」「不安を消すことよりも安心を育てることが大切」とお伝えしました。

安心は「嫌なことでパンパン」は訪れない。

「好きなこと探しよりも まず嫌なこと嫌いなことニガテなことやめる」

ここから。病気や倒産、離婚などの強制終了で

すべてを失ったあと世界が変わる体験をするというのは、こういうこともあったりします。

好きなこと探しや自分らしさ探しが終わらない人、ぜひこの考え方にシフトしてみてね(^ω^)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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