脳天様の帰りは登る孔雀羊歯

https://mtjms.blog.fc2.com/blog-entry-265.html 【 クジャクシダ  孔雀羊歯】より

4年前の夏大垂水峠から小仏城山に登る道で見た。写真が撮れなかったが高尾山にこのシダはあるのだと思った。それから何回か同じ道を歩いたが見る事ができなかった。

陣馬山に行ったとき返りに景信山を小仏バス停に降りる道を歩いた。バス停への高速下の道の傍にこのクジャクシダを見つける。

それから2度ほど同じところを通ったが夏緑性のクジャクシダは枯れていた。

またしばらくは見ることがないのだろうと思いここに載せる。

■クジャクシダ  孔雀羊歯  

       ホウライシダ科ホウライシダ属(イノモト科という本もある)

       Adiantum pedatum

       ・ 夏緑性。

       ・観葉植物として人気のあるアジアンタムの仲間。

       ・葉柄は光沢のある赤紫色。

       ・葉身は光沢のない黄緑色~緑色の柔らかい草質。

       ・円形で叉状に分岐してクジャクの羽根を広げたような形。

       ・上側の辺縁に半月形の胞子嚢群が数個つく。

11/24少し痛み始めていた。13年になって1月始めに行ったときは全部枯れていた。根が残って来年も育つといいが。

胞子嚢は初夏につくという。よく見たが見られなかった。葉の裏に葉が巻いてあるところがあったがここにできるのか。不明。


https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/emotional-ecology/living-without-fear 【恐れないで生きる】より

 私は自分の周りに人びとに近づくのを妨げている鎧があるように感じます。それがどこから来ているのかはわかりません。これを溶かしてしまうにはどうしたらいいでしょうか?

 だれもがそのような鎧をもっている。

 それには理由がある。第一に、子どもはなにも知らない完全に無力な状態でこの世に生まれてくる。自然と彼は自分が直面する未知のものを恐れる。彼はなんの問題もなく、責任もなく、明日への心配もない、まったく安心で安全な9カ月間をまだ忘れてはいない。

 それは私たちには9カ月間でも、子どもにとっては永遠だ。彼は時間の数え方を知らない。彼は分、時間、日、月を知らない。なんの責任もないまま、まったくの安心と安全のうちに永遠を生きてきたが、突然、未知の世界へと投げ込まれて、そこではすべてを他人に頼らなければならない。彼が恐怖を感じるのも当然だ。だれもが自分より大きく、力があり、彼は他人の助けがなければ生きていけない。彼は自分が依存していることを知っている。彼は自分の独立を、自分の自由を失ってしまった。ささいなできごとが、彼が大人になって直面しなければならない現実を味わわせてくれるかもしれない。

 ナポレオン・ボナパルトはネルソン提督に敗北したが、じつはこれはネルソンの手柄ではなかった。ナポレオン・ボナパルトは子どもの頃の小さなできごとに敗北した。歴史はこのような視点でものを見ないが、私にとってはまったく明白だ。

 彼がほんの6カ月の頃、一匹ののら猫が彼の上に飛び乗った。彼の世話をしていた女中は家のなかでなにかの用事をしていた。彼は早朝の庭で日の光を浴び、爽やかな空気のなか、寝かされていたが、そこにのら猫が飛び乗った。なにも悪さはしなかったし、たぶんじゃれていただけなのかもしれないが、それは子どもの心にはほとんど死を意味していた。それ以来、彼はトラやライオンを恐れることはなかった。武器ももたず、恐れることなく、ライオンと闘うことができた。しかし、猫にかんしては、問題はまったく別だった。彼はまるきり無力だった。猫を見ると、彼は凍りついた。なんの防備もない、闘う能力もない、6カ月の幼い子どもに戻った。この年頃の幼い子どもの目には、その猫はとても巨大に見えたにちがいない。それはのら猫だった。猫はその子どもの目をのぞき込んだかもしれない。

 このできごとによって、彼の精神のなにかが強い印象を受け、ネルソンはそれを利用した。ネルソンはナポレオンとは比べ物にならなかったし、ナポレオンは生涯で一度も負けたことがなかった。これが彼の最初にして最後の負け戦だった。彼は負けそうには見えなかったが、ネルソンは敵陣の前に70匹の猫をつれてきた。

 この70匹ののら猫を見た瞬間、ナポレオンの心は機能しなくなった。部下の将軍たちはなにが起こったのかわからなかった。彼はもはや偉大な軍人ではなかった。恐怖でほとんど凍りついたようになり、震えていた。彼は一度も将軍のだれかに軍隊の指揮を任せたことはなかったが、今日ばかりは言った、目に涙を浮かべながら、「私は頭が回らないのだ、おまえが軍隊の指揮をしろ。私はここにいるが、戦をすることはできない。なにかがちょっとおかしくなってしまった」

 彼はそこを退いたが、ナポレオンのいない軍隊はネルソンと闘うことができなかった。そしてナポレオンの様子を見ると、軍隊のだれもが少し不安になった――なにかひどく奇妙なことが起こっていた。

 子どもは弱く、無防備で、不安定だ。自然な成り行きとして、彼は鎧を、防御をいろいろなやり方でつくるようになる。例えば、彼はひとりで眠らなければいけない。暗いので怖いが、ぬいぐるみのクマがあるから、自分はひとりではないと信じる。友だちがいっしょにいる、と。あなたも子どもたちが空港や鉄道の駅でぬいぐるみのクマを引きずっているのを見たことがあるだろう。あれはただのおもちゃだと思うかね? あなたにとってはそうだが、子どもにとっては友人だ。そして友人は、だれも助けてくれないときでも、夜の暗闇のなかで、ひとりでベッドに寝ているときでも、彼といっしょにいてくれる。彼は心理的なぬいぐるみのクマをつくるようになる。

 れっきとした大人でさえぬいぐるみのクマがないと、なにかがおかしいと感じることを、あなたは覚えておいたほうがいい。彼の神とはなにかね? ぬいぐるみのクマにすぎない。子どもの頃の恐れから、人間は父親像をつくりだした。すべてを知り、すべての力をもち、あらゆるところに存在する父親像を。十分な信仰をもっていれば、彼はあなたを守ってくれる。だが、この保護という考えそのものが、保護者が必要だという考えそのものが子どもじみている。その次にあなたは祈りを覚える。こうしたものはあなたの心理的な鎧の一部だ。祈りは、あなたがここで、夜にひとりでいるとき、神を思い起こさせてくれる。

 子どもの頃、私はいつも不思議に思っていた……。私は川が大好きで、すぐそばに、家から歩いて2分のところに川があった。何百人もの人たちがそこで水浴びをしていたが、私はいつも不思議に思った……。夏には、川の水につかるとき、神の名前を唱えたりはしなかった。「ハレ・クリシュナ、ハレ・ラーマ」と心理的なぬいぐるみのクマをつくったりしなかった。彼は心理的なぬいぐるみのクマをつくらなかった。しかし、寒い冬になると、彼らは「ハレ・クリシュナ、ハレ・ラーマ」と唱えたものだった。彼らは急いで水につかり、「ハレ・クリシュナ、ハレ・ラーマ」とくり返した。

 私は疑問に思った、季節によって違うのだろうか? 私はよく両親に尋ねた、「あの人たちが『ハレ・クリシュナ、ハレ・ラーマ』の信者だったら、夏も冬と同じようにしていいはずなのに」

 だが、あれが神や、祈りや、宗教に関連したことだったとは思えない。たんに寒かっただけなのだ! 彼らは「ハレ・クリシュナ、ハレ・ラーマ」で鎧をつくっている。気を紛らしている。寒すぎるので、気を紛らさなくてはいけない――それは効果がある。夏にはその必要はない。冬中やっていたことを、彼らはすっかり忘れてしまっている。

 私たちの祈り、私たちの詠唱、私たちのマントラ、私たちの経典、私たちの神々、私たちの聖職者たち、それらはみんな私たちの心理的な鎧の一部だ。それはとても微妙なものだ。キリスト教徒は自分は救われると考える――ほかの者は救われなくても。さあ、これは彼の防御の仕組みだ。自分意外の全員が地獄に落ちる、なぜなら、彼はキリスト教徒だから。だが、どんな宗教も同じように信じている、自分たちだけが救われる、と。

 宗教が目的ではない。恐れと、恐れから救われることが目的であり、だからある意味でそれは自然なことだ。しかし、あるところまで成熟すると、それは捨てるべきだと、あなたの知性が要求する。子どものときはいいとして、いずれぬいぐるみのクマは捨てなければならない。同じように、いずれあなたは神を捨てなければならない。同じように、いずれあなたはキリスト教を、ヒンドゥー教を捨てなければならない。最終的に、自分のすべての鎧を投げ出す日、あなたは恐れから生きることをやめている。

 そして恐れから抜け出すと、どんな生き方が可能になるだろう? 鎧を落としてしまえば、あなたは愛から生きることができる、あなたは成熟した生き方をすることができる。完全に成熟した人には恐れがないし、防御しない。彼は心理的にまったくオープンで、傷つきやすい。

 ある時点では鎧は必要かもしない……たぶんそうだろう。だが、成長するにつれて、たんに年をとるのではなくて、成長していったなら、成熟していったなら、あなたには自分が運んでいるものが見えてくる。あなたはどうして神を信じているのだろう? いつの日か、あなたは自分の目で見なければならない、自分は神を見たことがないということを、神といかなる接触もしたことがないということを、神を信じることは偽りを生きることだということを。あなたは正直ではない。

 正直さがないとしたら、誠実さがないとしたら、どんな宗教がありえるだろう? 自分の信じるものを説明することすらできないのに、あなたはずっとそれにしがみついている。

 よく見れば、その背後に恐怖が見つかるだろう。

 成熟した人は、恐怖と結びついたことから、自分を切り離さなければならない。そうやって成熟がやって来る。

 自分のすべての行動、自分のすべての信じていることをよく観察し、それらが現実に、経験に基づいているのか、それとも恐怖に基づいているのか、見つけ出しなさい。そして恐怖に基づいていることはすべて、考えるまでもなく、ただちに放棄しなければならない。それはあなたの鎧だ。私はそれを溶かすことができない。どうやってそれを捨てるかを、あなたに教えることしかできない。

 私たちはいつも恐れから生きている――そのために他のすべての経験をいつも台なしにしてしまう。私たちはだれかを愛するけれど、それは恐怖があるからだ。それがだめにしてしまう、それが台なしにしてしまう。私たちは真実を求めるが、その探求が恐れから出たものなら、あなたがそれを見つけることはないだろう。

 なにをするときでも、ひとつのことを覚えておきなさい――恐れから出たものでは、あなたが成長することはない。あなたは畏縮して死んでいくだけだろう。恐れは死に奉仕している。

 マハヴィーラは正しい――彼は恐れのなさを勇敢な人の基本と見なす。私は彼が「恐れのなさ」でなにを意味しているのかよくわかる。彼はすべての鎧を落とせと言っている。恐れを知らない人は、人生があなたに与えてくれるすべての贈り物を手にしている。今やそこには障害がない。あなたには贈り物が降り注ぎ、あなたのするすべてのことには強さ、力、自信、この上もない確信がみなぎっている。

 恐れから生きる人はいつも内側で震えている。彼はいつもつねに発狂する寸前だ。なぜなら、人生は巨大で、あなたがいつもつねに恐れているなら……。それに恐れにもいろいろな種類がある。長大なリストをつくることができるし、どんなに多くの恐れがあるかを知って、あなたは驚くだろう――それでもまだ生きているとは! 周囲には伝染病があるし、病気、危険、誘拐、テロリスト……そして人生はこんなに短い。そして最後には死がやって来るが、あなたは避けることができない。あなたの一生が暗闇になってしまう。

 恐怖を落としなさい! 子どもの頃に、無意識のうちに、あなたは恐怖を手にした。今度は意識的にそれを落とし、成熟しなさい。そうすれば人生は軽くなって、あなたが成長するにつれて深みを増していく。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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