Facebook田中 宏明さん投稿記事
あっ!やめて、命くん!いつも急に話しだすの迷惑なんだから!あっ!あっ。あ〜っ。あかんわ〜。
○
美しいものを探して世界を旅する人がいる 理想的な人生を求めて旅する人がいる
ただ心のの平安を求めて旅する人がいる 何を求めるにせよ 全ての旅人はいつかそこに
辿り着くために歩き続けるわけだ 旅人には目的地が必要だからね 無目的な旅でさえ
無目的である事が目的になる 旅人にとっては 歩き続けることが 全てなのだから
そこでとても素朴な 疑問がある もし旅人が 目的地に着いた時彼らはどうするのだろうか
究極の美しさを見つけて 理想的な人生を見つけて 心の平安を見つけた時 彼らはどこに行くのだろう? 何しろ 目的は果たされて しまったのだから 彼らはもうさすらうことは
出来ないし どこかに 向かって行く ことは出来ない 彼らの旅は終わった
そうだろうか?
おそらく彼らは三日もすると旅人に戻ってしまうだろうね 何故かって? 美しさは変わらないし 理想的な環境も変わらない 心の平安も確かに感じた それなのに何故?当然の質問だ
彼らは何故また 旅に出るのかそれはとても 簡単な理由だ彼ら自身が変化するからだ
彼ら自身の心が常に動き続けているからだだから時間と共に 全てに飽きてしまう
全てに慣れてしまう だからまた 目的地を探し始める ここではなかったと ここにはなかったと 言ってね だから どこまで行っても 彼らは永遠に満たされない目的地というのは
幻だからだ
ではリアリティはどこにあるのか 決して変わらないものはどこにあるのか?
唯一のリアリティは 彼ら自身の 踏み出した その一歩の中にある
大地に触れた その瞬間の感覚の 中にある 額の汗を拭うときの 手が触れた感覚の中に
乾いた喉に染み込む 水の感覚の中にある わかるかな?
ただ立ち現れる その瞬間、瞬間だけが リアリティなんだよ 後のことは 全て幻だ
目的地も 変化する心も 辿り着こうとすることも 移ろっていくもの それらは全て幻だ
そして それに気づいた時 それが 旅の終わりなんだよ
長い長い旅の本当の 目的地は 遠いどこかではなく 彼ら自身の 気づきの中に あったのだから
わかるかな?今この瞬間にいる時だけ人は目的地を忘れることが出来る
人生で最も大切な ことは いつかどこかにいる 理想の自分を 探し求めること それ、そのものが 苦しみの実態なのだと 気づけるかどうかなんだ だから 深刻な人生の旅を
続けるのなら決して足元に気づいては いけない 目線は遠い目的地という未来に向けて
いなければならない 決して今この瞬間を生きてはならない
くれぐれも 今ここの一歩に 気づかないように しなければならない それが旅を楽しむ
唯一の秘訣なのだから わかるかな?それでも旅はいつか終わらなければならないんだよ
足元を見つめてごらん はじまりと終わりは 同じ場所にあるのだよ
それに気づいた時 そこに過去から継続している あなたはいない 消えてしまう
そこにいるのは 過去にも未来にも 属していない 今この瞬間に 躍動している ただ純粋な命なのだよ そして今もまさに あなたはそれだ
あまりにも 近すぎて 見えないだけなんだよ
猫を見てごらん 自分を猫だなんて 思ってもいない 木を見てごらん自分を木だなんて思ってもいない この世界で 自分という意識を 持って 自分を定義して いるのは人間だけだ
そこには「自分」が生きているという強い感覚が生まれるそして他人が生まれて それがあなたを孤独にする
猫はただ生きている 全てに任せている 腹が減ったら食べて 眠くなれば寝る
木はただ生きている 天からの雨によって 太陽の光りによって どちらも起こることに
任せるだけで 何もしていない 食べものを探すということも そう起こる感覚の ままに生きているだけだそれが地球に住む人間以外の 全ての存在のやり方だ わかるかな?
苦しみが生まれる 余地はどこにもない
人間という 思い込みを外しなさい 命に戻りなさい 野原を駆けまわる 幼な子のように
かつてのあなた自身に 戻りなさい
○
いきなり話し出してすいませんなんかどうもそうらしいです(笑)
今日はちょっと語り口が固いですね!いやーしかし命くんも中々いい事言ってますね^_^
えー、まー、はい!以上です(笑)
ご静聴ありがとうございました😁✨🌈良いGWを🛥🪐🌞
Facebook澁谷 るみ子さん投稿記事
丹後
「浦島太郎」と「月の一族」と「乙姫」
八ヶ岳の偉人、滝沢夫妻が、籠・真名井・比沼麻奈為・藤社神社と、豊受大神を祀る4社を巡ったあと、我が家に3日間滞在された。そこで、籠神社の「海の奥宮」で「冠島=雄島」と「沓島=雌島」に、船をチャーターしてお連れするはずが、悪天候。
今回は、伊根(いね)にある、「宇良(うら)神社=浦嶋神社」に導かれ、丹後半島一周連れまわしてしまう。浦嶋神社の伝承では、蓬莱(龍宮城、常世)は、伊根の東方10キロの冠島が入り口であると伝えられていて、なぞの海底遺跡らしきものもある。しかし重要聖地なので今も禁足地だ。泰平さんが冠島について書いてくださっているので、私は浦島伝説を少し。
さて、「浦嶋太郎」物語は、御伽草子だけでなく、日本書紀、万葉集、「丹後風土記」にあり、浦嶋子(うらのしまこ)として記述がある。
正史である日本書紀にも載ってて、れっきとした史実だったりする。
舞台は、丹後の浦嶋神社のある浜で、「与謝郡伊根町筒川」であるが、なんと、この住所のどれもが、夜や月と関係する。
それもそのはず、彼は、月一族の末裔なのだ。
月の一族:海人族=海部族(あまぞく)=海神族(わたつみぞく)→海部氏→籠神社→浦嶋子=月讀命の末裔
古代にヤマト政権を支えたのは、間違いなく海人族であるとされる。彼らは、月系であり、オリオン信仰の六芒星を紋にもち、丹後に籠神社を建立し、浦島伝説・羽衣伝説、竹取物語の持ち主ということだろう、、、。
丹後は、ある意味、豊受大神一色である。天女、かぐや姫、乙姫は、どれもが豊受に繋がる。
そして、「水、月、夜、黄泉」と関係し、裏(うら)の世界を統べる暗号みたいなものだ。アーユルヴェーダでも、カパ(水)は月と夜の担当である。
助けた亀、乙姫は誰か?
海亀=乙姫=豊受=月神。
豊受大神は浦嶋子を蓬莱(龍宮城、常世、海の底)へ連れていく。
「浦嶋神社」は、御祭神が「筒川大明神」、すなわち浦嶋子本人で、配祀はなんと「月讀命(つくよみのみこと)」である。
神社には、浦嶋子の太祖は月信仰であり、月讀命の子孫であるとはっきり書かれている。ということは、浦島太郎は月讀の末裔で、領主の息子で、非常に高貴な生まれだった事がわかる。
丹後風土記や万葉集の描写では、
「浦嶋の水江の子(浦嶋子)は、容姿端麗、風流、高貴で雅で洗練されたたぐいない人物」。美しい高貴な身分の男性を当時は「鶴」と表現していたという。最後鶴になって飛んでいく浦嶋子。
籠目(かごめ)の歌にも通じる?鶴と亀が総べったとあるが、籠目の紋である六芒星を持つ、籠神社も、浦嶋神社も、豊受大神を祀っている。籠神社のうしろのしょうめんの真名井神社には、豊受が祀られている。
浦嶋子は、与謝郡伊根町筒川に住んでいたが、私も与謝郡与謝野町が出生地である。「与謝(よさ)」は夜に射すという意味で、「月」を表しているとも言われたり、与謝の名付け親の「籠神社」は、もともと「匏宮(よさのみや)」といい、後に、このあたり一帯は与謝(よさ)と呼ばれるようになる。「匏(よさ)=ひょうたん=妊婦」を表し、生命の繁栄は昔から夜、月と関係していた。
そして、「伊根」とは、「伊勢の根」と言う意味。「根」とは、古事記の根の国にでてくるように、黄泉の国、海底、海の彼方のことで、月と関係する。
月讀命は、月・夜を総べる神。姉が「天照大御神」で、弟が「素戔嗚尊」の三貴子の一柱。夜という、裏側を担当しているからか政治的理由からか、記紀にもほとんど名前が出てこない。月讀系の一族は、月や星を信仰していた、海遊民族であり、海部(あまべ)氏系の人でもある。
よって、浦嶋子も、実はかなり高貴な生まれで、籠神社に使える海部氏の人だったと考えられるそうだ。
youtube「大人の学校」さんでは、都市伝説としていますが、
『太陽信仰の伊勢と、月信仰の伊勢の根(伊根)は陰陽関係であり、さらに、「筒川」の筒とは古来「星」のことを指すので、月や星を信仰して航海していた海遊民族になると。』
なるほど納得です。「与謝郡伊根町筒川」の住所で「筒川大明神=浦嶋子」が祀られているから、どこを切っても月讀あめって感じ?
さらに、
『伊勢神宮には外宮(豊受)、内宮(天照)の他、本宮がある。本宮は「志摩」にある「伊雑(いざわ)の宮」で、裏伊勢とは、丹後の伊根(伊勢の根っこ部分)で「浦島神社」である。太陽の一族の「裏」である、月の一族のことを「うらしま」というのは「志摩(しま)の裏(うら)」を指すのでは』と
さらに、さらに、
『天照大御神のひ孫「彦火火出見(ひひほこでみ)」を、多目鹿籠と呼ばれる「竹籠」に乗せて、龍神が住む、海神の宮(龍宮上)に向かったと記紀に記載がある。竹籠=龍宮城に行く亀。
竹籠の目=亀の甲羅=六角形=六芒星。
籠を用意した人が「塩筒の老翁」で、「筒」=「星」であり、名に「筒」がつく人=海人族である。
「オリオンの三つ星」を目印に航海していた、オリオン信仰を持つ一族が海人族である。オリオン座=「筒の星」と呼ぶ。オリオン座は三つ星を挟み、陰陽の三角形で構成されていて、これを和合したものが「六芒星」。こちら側(ツ)と、あちら側(ツ)を繋ぐ、「ツツ=筒」という道具が、「竹で編んだ籠」である。』と。この辺りが興味深い。
かぐや姫は、竹筒の中で生まれ、月に帰っていく。「かぐ」とは、鉱山を表し製鉄業に通じるらしく、筒とは、星のことを意味するので、月や星を信仰している、海神族(わたつみぞく)の話に他ならないと思えてくる。また、製鉄は鬼と関係している。桃太郎に出てくる鬼とは、温羅(うら)一族のことで、退治されて、さらにうらにほうむられた真実ではないかとも、大人の学校さんは言われている。
次に、「小梅小町」さんの古文からの暗号解読では、
『日本で宇宙の叡智である「生命の樹」の根の部分を司る一族は、部がつく氏族で、籠神社の海部氏もその一つ。豊受は、その生命の樹の叡智を使いこなせるほどレベルが高い斎宮であった。
籠神社には伊勢の斎宮と同じく禁欲の男性がいて、それは若い未婚の男性がなる。浦嶋子は元伊勢を世襲とする海部の息子で、禁欲をしなければならない男性である。
斎宮が行う天皇家での夜の関係や出産を担当する女房のことを「瓶(かめ)」と呼んでいた。それは、「海亀」と連想できる。よって、浦嶋太郎を助けた女房とは、最も高い位の瓶(かめ)=斎宮で、それは、すなわち豊受大神になる。
「豊受大神」が担当する五穀豊穣などの「食」や「水」の暗号は、当時は生殖や妊娠のことも表す。神事をするためには、生命エネルギーを生殖に使わず、禁欲して宇宙エネルギーに変換する。斎宮である豊受が担当していたのは、この夜の部分で、籠神社の役割でもあった。
後に、豊受大神は、丹後から伊勢に「保食神」として呼ばれる。当時「食」は恋愛とか生命の樹の保持者という意味だった。生命の樹の「根」の部分を受け持っていたのが、「海部の一族」である。』
など、興味深く話されている。
続く。
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