https://www.sakurajima-kinkowan-geo.jp/kazan-news/5606/ 【桜島の地名の由来】より
桜島の地名については、現在のところ確定できていませんが、桜島町郷土誌等によると、以下の4つの説があります。
10世紀中頃、大隅守として京都から大隅国へ赴任してきた「桜島(さくらじま)忠信(ただのぶ)」の名に由来するとする説
島の五社大明神社の祭神が「木(この)花(はな)佐久(さく)夜(や)姫(ひめ)」であることから咲夜島(さくやじま)とよんだものが桜島(さくらじま)に転じたとする説
古代の大噴火の際、桜の花びらが海面に浮かんでいたので桜島と命名したという説
「サ・クラ・ジマ」で、「サ」は接頭語、「クラ」は断崖・崩壊谷あるいは峻険な斜面をもった山、「ジマ」は文字どおり島を表すとする説
なお、桜島の呼称が初めて使われたのは、「西藩儒林伝」(永正9年(1512年))にある僧以安の漢詩とされています。
九年正月 公随群臣浮舟遊於海諸又下自舟放鷹山野
以安亦従賦詩云
(一首略)
是月、復従游干櫻島
再侍官舟夕照斜 蒼鷹飛處映紅霞
此遊想可古今以 櫻島回首見雪花
(訳)
永正9(1512)年正月島津忠治公、群臣を随え舟を浮べ海諸に遊び、又舟より
下りて山野に放鷹す
以安亦従い詩を賦して云う
是月、復従ひて櫻島に遊ぶ
再び官船に侍れば夕照斜めなり 蒼鷹飛ぶ處紅霞に映ず
此の遊想古今以てすべし 櫻島に首を回らせば雪花見ゆ
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/506_Sakurajima/506_index.html 【桜島 [ さくらじま ] Sakurajima【常時観測火山】】より
北緯31°35′33″ 東経130°39′24″ 標高1,117m (御岳) (標高点)
北緯31°34′38″ 東経130°39′32″ 標高1,060m (南岳) (独自に計測) 桜島地図
概要
桜島は姶良(あいら)カルデラ(南北17 km、東西23 km)の南縁部に生じた安山岩~デイサイトの成層火山で、北岳、中岳、南岳の3峰と 権現山、鍋山、引ノ平などの側火山からなり、人口が密集する鹿児島市の市街地に近接している。 有史以降の山頂噴火は南岳に限られるが、山腹や付近の海底からも噴火している。 「天平宝字」「文明」「安永」「大正」の噴火はすべて山腹噴火でありプリニー式噴火で始まり、火砕流の発生、多量の溶岩の流出と推移した。 「昭和」噴火も山頂火口そばの斜面で発生し、溶岩を流出した。 1914年(大正3年)の噴火前、桜島は鹿児島湾内の火山島であったが、大正噴火で流出した溶岩により大隅半島と陸続きになった。 現在は東西12.2 km、南北9.5 km、周囲52 kmの不規則な楕円形の小半島となっている。 南岳山頂火口は1955年(昭和30年)10月の爆発以来今日まで長期間にわたって活発な噴火活動を続けており、噴出物(火山ガス・火山灰・火山礫・噴石など)や 爆発時の空振、また、二次災害としての土石流などにより各方面に被害を及ぼしている。 南岳の東山腹8合目に位置する昭和火口は、2006(平成18)年6月に58年ぶりとなる噴火活動を再開し、2008年以降活発な噴火活動が継続している。 南岳山頂火口及び昭和火口から2 km以内は立ち入り禁止となっている。安山岩~デイサイトのSiO2量は56.5~67.2 wt.% である。
噴火活動史
各火山について、地質学的な研究によってわかっている過去1万年の火山活動史を記載した。また、過去1万年間の噴火活動と有史以降の火山活動とに分けて記載した。
過去1万年間の噴火活動
桜島の発達史は古期北岳、新期北岳、南岳の3つのステージに区分できる。 古期北岳の活動(約2万6千年から2万4千年前)の後、休止期間を挟み、新期北岳の活動が1万3千年前から開始し、少なくとも10回の軽石噴火を繰り返し、約5千年前には活動を停止した。 その後、南岳の活動へ移り、歴史時代に4回の軽石噴火が発生した。
噴火イベントの年代、噴火場所、噴火様式等については、(国研)産業技術総合研究所の活火山データベース(工藤・星住, 2006)を参考。
http://www.kazan.or.jp/J/QA/topic/topic114.html【身近の火山:九州・南西諸島姶良カルデラ・入戸火砕流】より
Q
初めて質問します。私は、今社会科の時間に火山と人々の生活について調べています。
そこで、初歩的な疑問がわきました。 歴史上、最も大きな噴火はいつ、どこでおこったのですが。もちろんわかっている範囲でかまいませんのでよろしくお願いします。 (5/3/98)
松田 さおり:中学2年生:13
A
人間の歴史に残る最も大きな噴火は,インドネシアのスンバワ島にあるタン ボラ火山で1815年におきました.タンボラ火山は直径60km海抜2850mの火山で, この噴火でできた直径6km深さ1kmのカルデラが山頂にあります.1812年から噴 火を始め,15年4月に大きな爆発を起こし7月まで続きました.この時の噴火の 爆発音は1800km離れた場所にまで聞こえたと言います.また,火山の周辺で は,噴火後3日間は,昼でも真っ暗であったといいます.この噴火の際に放出 された火山灰や軽石の量は150立方kmにも達すると見積もられています.この噴 火で約1万人が死亡し,そのあと餓死・病死者がスンバワ島で38,000人,隣のロ ンボク島で44,000人が出るなど,死者の総計は92,000人にも達しました.犠牲 者の数でも史上最大でした.また,翌年の北半球の夏は平均気温が0.7度低くな ったといいます.
これと同じような規模の噴火は,今から約6,400年前の日本でも起きました. 鹿児島の南の海中にある鬼界カルデラを作った噴火です.また,もっと古く は,鹿児島湾の姶良カルデラ(約22,000年前)や阿蘇カルデラ(約8万年前)を 作った噴火がさらに大きい規模の噴火でした. (5/5/98)
中田節也(東大・火山センター)
Q 鹿児島県の加治木町の近くに、住吉池と米丸という、マールがあります。 これらのマールの霧島山と姶良火山との関連、噴出時期、成因につき教えて下さい。 (3/17/99)
平木 英治:会社員:50
A 以前にも住吉池・米丸マールの噴出物とその年代についてお答えしたことがあると思 います(Question#-94).これらのマールは,霧島火山と姶良火山の間にあります が,実際のところ両火山との関連についてはよくわかっていません.米丸・住吉池マ ールは地形的に見た姶良カルデラ縁の外側に位置しますが,姶良火山の側火山的なも のかもしれません.付近には(時代は古くなりますが)火山の痕跡(貫入岩)がたく さん見られます.マールの成因についてはQuestion#-36をご覧いただくとして,住 吉池・米丸マールが噴火した7500年前という時代が,今よりも海水準が2~3m高かっ た(いわゆる縄文海進)時代であることが重要です.現在は陸地になっている米丸・ 住吉池付近まで海が進入したことによって水蒸気マグマ噴火が起こり,これらのマー ルをつくったと考えられています. (3/24/99)
井村隆介(鹿児島大学・理学部・地球環境科学科)
Q 過去、北海道や九州等のカルデラにおいて想像を絶する規模の噴火が起きていたと知り大変驚いていますが、日本で過去数十万年のうちで1番規模の大きかった噴火はどの噴火で、どれほどの噴出物を出したのでしょうか? また、この種の噴火では巨大な火砕流が発生し100km以上先にまで達することもあるそうですが、このような火口からはるか先にまで到達した火砕流でも、まだ高温を保っているのでしょうか? しろしろ:フリーター:24歳
A
「火山噴火の規模で、一番大きいのは何か」というご質問に答えるのは、実は、け っこう難しいのです。地震と比べると、噴火現象はきわめて多様なので、規模を単純 に定義するのが簡単ではないからです。しかし、多くの場合、火山爆発指数 (Volcanic Explosivity Index)というのが、使われています。これは、おもに噴出 量によって、噴火の規模を段階別に分けたものです。この指数に従うと、日本で最大 級の噴火は、9万年前に阿蘇カルデラから出た阿蘇4火砕流や、2万5千年前に鹿児島湾 内の姶良(あいら)カルデラから出た入戸(いと)火砕流の噴火が、東西の横綱とい えます。いずれも数100立方キロメートルの噴出物を出しています。
ただし、どちらが一番かと聞かれると、やはり悩みますね。というのは、比べるべ き噴出量として、地上に残った堆積物以外に、空高く舞い上がった細かい火山灰の量 も考えなければならないので、その見積もりがたいへん難しいからです。そこで、こ こでは、阿蘇4火砕流と入戸火砕流の両噴火が、最大級だと述べたわけです。
過去数十万年前までさかのぼると、90万年前に噴出したアズキ火山灰(今市火砕 流)や100万年前に出たピンク火山灰(耶馬溪(やばけい)火砕流)も同じくらい巨 大な噴火の痕跡を残しています。両者はいずれも、大分県の猪牟田(ししむた)カル デラから噴出したものです。しかし、どちらも古い堆積物なので、いったいどれが最 大かを決めようとしても、なかなか決めがたいと言うのが実状です。火山の規模の決 め方に関しては、火山研究者の間でも様々な考え方があります。第1位を決めるの は、それほど重要ではないのではないか、という気も、私にはしています。
上に挙げた阿蘇、入戸、今市、耶馬溪のいずれの火砕流も、巨大噴火の産物です。 大規模な火砕流が発生し、中には150キロメートル先まで流れ下ったものもありま す。これらの堆積物は高温であったために、流れた先で溶結凝灰岩(ようけつぎょう かいがん)となることもあります。つまり火山灰や軽石など、いったんバラバラの形 になった固体が、再び液体に近い状態となったのです。軽石や火山灰が溶結凝灰岩と して固まるには、摂氏700度を超すような高温であったことが、分かっています。さ らに興味があるようでしたら、最近私が書いた火山の入門書(『火山はすごい』 PHP新書)の「阿蘇山」の章を参考にしてみて下さい。
鎌田浩毅(京都大学・ 総合人間学部・地球科学分野) --
Q こんにちは。私は、小四の女の子です。夏休みに、阿蘇山にいきました。夏休みの自由研究に阿蘇山のことをまとめようと思います。ところで、阿蘇山は世界一のカルデラですが、世界二位のカルデラ火山は何ですか。できれば、日本二位のカルデラ火山もおしえてください。 (08/20/02) 重光和郁子:小学生:9才
A
阿蘇カルデラは日本一や世界一とよく言われていますが、実は、大きさでは日本一 ではありません。北海道にある屈斜路カルデラが日本一の大きさです。阿蘇カルデラ は約24×18キロメートル、屈斜路カルデラは約26×20キロメートルです。大きさで言 うと日本一が屈斜路カルデラ、2位が阿蘇カルデラ。3番目あたりが今の鹿児島湾の 奥部(桜島より北)となっている姶良(あいら)カルデラ(直径約20キロメートル) ではないかと思います。
世界一大きいカルデラはどこかというと、今のところインドネシアのスマトラ島に あるトバカルデラではないでしょうか。約100×30キロメートルもあります。2番目 はアメリカ合衆国のイエローストーンカルデラで約70×50キロメートルでしょう。
中田節也(東京大学・地震研究所・火山センター) --
Q 18年ほど前に鹿児島大学を卒業した者です。
先日、久しぶりに鹿児島を訪れ、桜島の湯之平展望台から錦江湾を眺めたのですが、錦江湾の北部(湾奥部)の姶良カルデラだけでなく、南部(湾口部方向)にいくつかのカルデラが連なっているように見えました。ひょっとして、錦江湾は、姶良カルデラだけでなく、複数のカルデラからできているのですか?そうだとすると、錦江湾では「火山生成→大爆発→カルデラ形成」を何度も繰り返しているのですか?C57/BL6J:地方公務員:42
A
桜島湯之平展望台からのすばらしい景色は,雄大なことを考えさせてくれますね. さて,カルデラと鹿児島湾の関係を考えると,現在のところ,鹿児島湾域では,湾奥 部の姶良カルデラと湾口部の阿多カルデラ(池田カルデラを含む)以外にカルデラの 存在を示す証拠は見つかっていません.したがって,カルデラが南北に連なって鹿児 島湾ができているのではなさそうです.それでは,それ以外の部分はどのようにして できたのでしょうか?それには,鹿児島湾の北の延長上に周囲より低いところが加久 藤盆地(カルデラ),人吉盆地へと連なっていることと関連がありそうです.鹿児島 県の本土の中央部を南北に貫く,この低まりを鹿児島地溝といいます.地溝はその両 側を境する断層の動きによって周りより相対的に低くなってしまったものをいいま す.鹿児島湾のカルデラでない部分は,断層で落ち込んだ鹿児島地溝の一部と考えら れています.鹿児島地溝がなぜそこにあるのかは,よくわかっていません.なお,姶 良カルデラと阿多カルデラは,それぞれ1回の巨大噴火で作られたものではなく, 「巨大噴火→カルデラ形成」を何度も繰り返して現在のような姿ができあがっている ことが知られています.
鹿児島湾のことについて興味を持たれたのであれば,大木公彦さんの書かれた「鹿 児島湾の謎を追って」鹿児島文庫61,春苑堂出版(ISBN4-915093-68-9)を読まれる ことをお薦めします. (01/10/03)
井村隆介(鹿児島大学・理学部・地球環境科学科)
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