Facebook新田 修功さん投稿記事
今とここにいる人……⁉️🙋♀️
素晴らしい書物には、読者に「愛の喝‼️」を与える力と優しさがあります💕😊🔥✨🌸🙏
読書セラピー「賢者の一言」 阿部敏郎「明日のことは、明日の自分がなんとかする」
これで、心労の残りの半分が消えて無くなる。どれほど多くのエネルギーが、未来への心配によって失われてきたことだろう。「明日」とは、安定や安全を絶えず求めようとする自我の衝動が作り出した幻想だ。「いまここ」 より
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そんなものは存在していないのだから。(※ 心労のもう半分は過去への後悔です)
私たちの思考や感情の大部分は、過去に起きたことへの後悔や怒り、憎しみ、悲しみを思い出すことと、未来に対する不安でいっぱいです😰なぜなら、思考とはそういうものだからです🤣出来るだけ思考を挟まずに、「今」「ここ」に生きること……。
それを「悟り」といいます🙏🌸💕✨😊
イエスさんは、「明日のことを思いわずらうな」と言われました。禅では「莫妄想」、妄想することなかれ‼️ と言います。過去への後悔や、未来への不安に頭を悩ませることが妄想です 😨💦
矢追純一さんも、著書「ヤオイズム」の中で、「思考はいらない」と看破されています。
まずは、自分の思考や感情を冷静に観察して、いかに自分が余計なことに頭や心を悩ませているかに気づくことが大切です😊💡🌸
あなたに襲いかかる不幸や災難は、そのことに気づかせてくれようとする「愛の喝‼️」かもしれません👊🔥今日も読んでくれてありがとう
Facebook相田 公弘さん投稿記事
私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。確かこうでした。
「来る日も来る日も これが人生最後の日と思って 生きるとしよう。そうすれば、いずれ必ず間違いなくその通りになる日がくるだろう」それは私に強烈な印象を与える言葉でした。
そしてそれから現在に至るまで33年間私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けています
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら 今日の予定は、本当に私のやりたいことだろうか?」それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くとそろそろ何かを変える必要があるなと、
そう悟ります。自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。
これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。
何故ならありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て己のプライドの全て屈辱や挫折に対する恐怖の全てこういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていくものだからです。
そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるしこれは私の知る限り最善の防御策です。
君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くままに生きてならない理由など何一つないのです。スティーブ・ジョブス
https://abetoshiro.ti-da.net/e12104844.html 【人生は宇宙的な冗談】より
ネットの世界は情報が多すぎて混乱するし、日々の生活で起きることも、これから先どうなっていくのかも、何が何だか分からなくなってしまったら、そこから逃れるのは簡単なこと。
「いま」に戻ってくればいいのです。
心を静めて、いまの中に佇んでいれば、実際には何も起きていないのが分かります。
心を悩ます多くのことが起きているような気がするだけで、そんなものは最初からなかったのです。
僕が物語(ストーリー)と呼んでいるのは、それぞれの人が心の中で作っている世界であり、終わってしまったことやこれから先のことについての考えです。
そう、それは「考え」なのです。
考えは、その気になればどのようにでも考えることができるのに、その中の一つを採用して、まるでそれだけが事実であるような気がしているだけです。
何がどうなるかなんて誰にもわかりません。
明日を生きるのは、明日の自分であり、そんなことまで抱えていたらいまが重圧に押しつぶされてしまいます。
明日のことは明日の自分が何とかする。この事を忘れないでいましょう。
お金があろうとなかろうと、いままでだって何とかなってきたのだから、これからも何とかなると思いませんか。
いままでだって何度も「どうしよう」と思ったことがあるのではないでしょうか。
でもいま、こうして生きていますよね。これからだって同じです。
何かに成ろうとかしなくていいんです。自分を改善しようなんて思わないこと。
僕から見ると多くの人が改善症候群にかかっているように見えます。
いまの自分ではダメだというわけです。気をつけましょう。改善はあなたをどこにも導きません。改善に次ぐ改善。それはどこまで行っても作り物を上塗りでするだけだから。
作り物が真実になることはありません。せいぜい社会的に少しはマシな人に見せることに成功するくらいのことです。
人生は宇宙的な冗談
人生がうまくいかないのは、いまのお前が十分ではないからだ。もっと改善しなさい。
自分を磨きなさい。私の言うようにすれば、人生はよくなり、いつかお前は幸せになるだろう。そんな物語を信じて生きていても、希望は持てるのですが「いつか」という日は決してやってきません。偽りはいつも、「いつか」「どこかで」と言い張ります。
もういいかげん気がついてもいい頃です。物語の約束は、どこにも行き着かないということに。「いつか、どこかで」から「いま、ここ」へのシフト。
そのとき、社会的に訓練された偽の自分から、ナチュラルな自分に戻ることができます。
これが第一段目です。
さらにはナチュラルな自分から、自己を超えた全体へのジャンプ。これが第二段目であり最終地点です。
この最終地点は、社会的自己を持つ前のスタート地点と同じだったというのは宇宙的ジョークですね。結論を言えば、人生そのものが宇宙的な冗談だということです。
https://www.youtube.com/user/imacocoabe/videos【阿部敏郎】
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/noriki-washiya/1602026 【「超能力者」ユリ・ゲラーをベジタリアンにした男・矢追純一氏インタビュー【前編】】より
UFOや「超能力者」ユリ・ゲラーなど、たくさんの超常現象番組を作った伝説のディレクターというイメージのある矢追純一氏。日本テレビ在局中から、社員であるにもかかわらず書籍の出版や舞台演出など独自の活動を様々にやってきた。
「会社から文句言われたら辞めるから。別にひとつのところにいなきゃいけないってことでもないし、世の中にやることはいくらでもあるので、ひとつの会社に入っちゃたらずっとそこにいようってのはだいたい間違ってる。とっとと辞めればいいんです(一同笑)」
1960年に日本テレビに入社したのち、超常現象を扱うドキュメンタリー風オカルト番組を数多く手掛け、ネッシー、ユリ・ゲラー、スプーン曲げ、UFOなど数多くのブームを起こした。自身も出演していたことで名物ディレクターとしても有名になった。
いまでも続くUFOやスプーン曲げなどのいわゆる超常現象のジャンルは、いわば彼が作ったと言って過言ではない。
「私がUFOの番組を始めたのは、精神的に余裕がない人が多いから。精神的に余裕がないと、なにをやってもうまくいかないので余計にイライラするという悪循環に入るわけですね。“たまには立ち止まって空を見たら”というのがUFO番組の始まりです。それはいまでも変わらず同じコンセプトでやってる」
──現在は「宇宙塾」という活動をされてらっしゃるようですが。
「宇宙塾には老若男女いろんな人がいて、下は小学生から上は90歳代まで。みんな遠くから熱心に通ってくるんですよ。すでに1週間おきのセミナーで、もう6ヶ月やっているからね。九州も四国も、愛知県や山口県、北海道からも来るし、一番遠いのはニューヨークから通っているのもいるし。30年前に、世の中の人に役に立つことを少しはしてから死んだほうがいいかなと、余計なことを思って」
マスコミは常識的なことしかやろうとしないから
──矢追さんはTVディレクターとして伝説的な番組を数多く制作されてきました。
「テレビの番組やいろんなところで、どうしてオカルティックなものやUFOをやるのかというとね、基本的にはたまには空を見て、心を豊かにというか、視野を広げなさいってのがひとつ。だけどもうひとつは、ジャーナリストとして、マスコミが常識的なことしか取り上げないのは問題だと思ってるわけです」
──オカルト的なものはどうしても叩かれがちです。
「常識的なことをやらないと自分の失点になるので、みんな保身に走ってる。マスコミに関係する人は、それはダメなのね。保身に走っているようじゃ、マスコミにいちゃいけないの、ホントはね。で、無理して、俺の昔のUFOの番組みたいなの作りたいなと思ったところで、結局はお笑い芸人をいっぱい集めてごちゃごちゃにわからなくしてしまうことしかできないでしょう」
「実を言うと、常識以外の世界のほうが広いんですよ。当たり前のことながら。ヒラ社員教育に向いている者だけがマスコミを通じて出てくるんです。ほかはぜんぶ隠れてるんです。だから物事が中途半端にしかわかってないんです。それで本を読んでわかった気になってるんですね。知識人とかいって。だけどそれは違うでしょ。目に見えないというか、みんなが知らないようなことも知らないと。こういう世界に生きているんだから無理があるでしょということで、常識的でない、言い換えるとオカルティックなものをなるべくたくさんみんなに情報を流そうとしているわけです」
不思議な能力を持った人は向こうから来た
矢追純一氏はUFOだけではなく、スプーン曲げで有名な「超能力者」ユリ・ゲラーを初めて日本に紹介したディレクターである。テレビを見ていた子供もスプーンを曲げるなどの事例が相次ぎ、一夜にして社会現象となった。
同席していたプロデューサーの郡氏が、話題を振った。
「ユリ・ゲラーさんの時も、こちらから彼に会いに行ったわけじゃなくて、偶然なんですよ」
「不思議な能力を持った人というのは向こうから来るんですね。ユリ・ゲラーの場合は、ある日、英字新聞を読んでたら、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェルが自費で超能力研究所を開設したと書いてあった。なんで宇宙飛行士がって感じだし、自費ってのもね。英雄なんだから金はいくらでも集められるだろと」
「おもしろいから取材に行ったんです。けっこう立派なオフィスで。なんで超能力の研究なんて始めたのかって聞いたら、宇宙飛行士になるにはすごく大変だと。勉強しなきゃいけないし、身体も丈夫じゃないといけないし。過酷な訓練をした上で、こーんな狭い宇宙船に乗って、めちゃくちゃ不自由な思いをしながら行ったと。ツバを吐いたらこの辺に漂っていてまた自分にかかってくるし、ゴミを捨てたらこのへんに浮いてると。そんな空間の中で過ごしてやっと月面に着陸したときに、月の地平線に地球が登ってくるのが見えた、と」
──それはすごい光景でしょうね。
「ああ、なんてありがたいんだろう。あそこにしか俺の帰るところはない。いまここで宇宙服に穴が空いたらここで死ぬしかない。そんな貴重な地球なのに、そこに住んでいる人々は私利なのか私欲なのか知らないけど、金儲けとか戦争とかしているのが、本当にもったいない……それを伝えたいと強く思ったんだ、というのね。ほんとに月に行ったやつの言うことだから、言葉に重みがあるのね」
「地球に帰ってきてどうしようかと思ったときに、まず、いままで政治は無力だった。宗教も役に立たない。科学はもっとダメだ。彼は科学者なんだけど『科学はぜんぜんダメだ、実際に宇宙に行ってみると、わかるよ』と言うんです。で、彼は人間が本来持っている潜在意識みたいなもの、心の奥底の良心みたいなものに訴えかけることしかないと思って『非営利法人 純粋理性研究所』というものを作った。理性……映画でいうと“フォース”だよね。“理力”というのかな。人間がずっと昔から持ってる魂みたいなもの、それを研究しようと思ったんだと」
ミッチェル先生、そりゃダメだよ
「で、そのエドガー・ミッチェルが、ついこの間、ユリ・ゲラーという青年をイスラエルから呼んだというのね。それはスタンフォード研究所との共同研究で……スタンフォードリサーチといえば、シンクタンク系で世界一のところだからね」
「どんなことやったかというと、触らずにスプーンが曲がるだとか、缶に入れてあるなにかを見つけるだとか、いろんなことやったっていうんだね。彼が一番びっくりしたのは、スタンフォードにあったデータ記録用のテープがあちこち消えちゃったと。ユリ・ゲラーにお前の仕業だろうというと“いや知らん”と。だけどあいつしか考えられないんだと(笑)。これはスタンフォード研究所としては大問題で」
──これはユリ・ゲラーがあやしいと(笑)。
「あとびっくりしたこととして、精密秤の上に重りと鉛を置いて平均をとっておいて、真空のガラス容器に入れて絶対に振動が伝わらないようにしたうえで、ユリ・ゲラーにこれを動かしてって言ったら“うん”って、じっと見てたらスッと、鉛のほうが軽くなってそのままになってたと。これはありえない。つまり物質が0.何ミリグラムでも無くなったら原爆の何十倍ものエネルギーが出るはずだから大爆発が起きてしかるべきなのに、音もなくスッと動いた。これは科学的にありえないと驚いたって」
「そんなすごい奴がいるなら取材させてくださいよって言ったら、“いやもう怒ってどっか行っちゃった”と。毎日科学の実験とかでいろいろやらされて、ギャラもくれないから飯も食えないって(笑)。さすがに私も、ミッチェル先生、そりゃ彼も怒るでしょうって言いましたけどね(笑)」
──とても興味深いエピソードです(笑)。
「でまあ、ユリ・ゲラーはどこにいるかわかんないっていうから諦めたの。私は壁は乗り越えない主義なんです。壁は迂回するの。無理はしない主義なんです」
「次の取材でニューヨークの心霊科学研究所というところに行って、幽体離脱をするアレックス・タナウスの取材をして、夜にそこが主催のパーティがあった。隣にアメリカの太ったおばさんが座って“あんた日本人でしょ。私の友達の日本人があなたと話がしたいっていうから電話を代わってくれる?”って。相手は日系三世くらいで日本語は一切できませんっていう人だったんだけど。あなたはどういう仕事をしてるんですかって言ったら、なんと“ユリ・ゲラーさんという人の秘書をしている”と言うんです(笑)。なに? と。パフォーマンスもなにもしなくていいなら時間取ってあげるというので、お願いしますと。取材も無しでというのでハイと言って、取材班を連れて行ったわけ。ダメもとでね(笑)」
「高級マンションの5階かな。エレベータを降りたらバッとドアが開いて、ユリ・ゲラーが飛び出してきて“お前が来るのはわかってたよ、夢で見た”とか言って。“お前は前世で俺の兄弟だ”って(笑)。突然の話ですね」
──矢追さんが来るとわかっていた、と。
「取材班も一緒に入れてもらって、いろんな話をしてるうちに、“なんか見せて欲しいか。なにか金属を持ってたら出せ”っていうので、ちょうど数日前にニューヨークの煙草屋で買った、パイプに煙草詰める十徳ナイフみたいな道具がポケットにあったのを出した。スプーンみたいになってる部分を持って、ユリ・ゲラーがこすってるうちにどんどん曲がっていって、ポキっと折れちゃった」
「その一部始終をカメラで撮ってたんだけど、そのカメラマンがいちばんそういうこと(オカルト的なこと)が大嫌いなヤツなんだよね。そいつが“矢追ちゃん、これすごいよ”と。これ、ずっとカメラでアップで撮っていて見てたけど、すり替える隙がないって。そんなもん、まずすり替えるモノが無いだろって(笑)」
「だけど、どんどん曲がっていって折れて落ちるまでがアップで撮れたっていうから、じゃあすごいんだろうと。そういう能力は人間誰にもあるかもしれない。それはひょっとしたら世の中のためになるかもしれないんで、日本の科学者に見せたらなにか新しいことがわかるかと。そのころの私はまだ科学ってどのくらいのものかってあまりよくわかってなかったんです」
「それでユリ・ゲラーに、日本に来てくれないかって言ったら“お前がぜんぶ仕切るんだったら行く”って言うから、めちゃくちゃ安いギャラで来てもらったんですよ」
ユリ・ゲラーを菜食主義者にしちゃった
「日本に連れてくる前、ニューヨークにいたときにユリ・ゲラーに、お前ジャパニーズレストラン行ったことあるかって聞いたら無いっていうから、連れてってやろうかって言ったら喜んで来たわけ。天ぷらやすき焼きなんかをいろいろ食べてね。俺が連れてくまでは日本食を知らなかったんだよね。アメリカ人ってみんな知らないっていうか、金ないと行けないんだよね。高いから。行ける人はエリートなの」
──当時は海外では日本食はそんなにメジャーではないですからね。
「そこで、うまいとか、生まれて初めてこんなの食べたとか言ってるわけ。一番感動したのは味噌汁だっていうの。これはなんだって聞くので、大豆を発酵させたペーストがベースだと。白い四角いのは何だというので、これは豆腐だと。畑の肉と言われているタンパク質豊富なもので、動物性の肉よりも身体にいいと。なんとなく、超能力にはあまり肉は良くないんじゃないか、と言ったら“うーん、そうだな”って、納得した様子だった。で、その次に行ったときには彼は完全に菜食主義に変わってたの(一同爆笑)」
「それまではね、こーんなに太ってたの。肉が大好きで、やたらステーキ食べてたんですよ。でも、あの人も徹底するからさ。完全に菜食主義になってて、スープでも動物性のものが入ってたらもう飲まない。一切ダメなんだよね。日本に来た時も、コンビニでうどんを買ってきてそれに醤油かけて食ってるんだよね(笑)。食うものがないんです。魚もダメだから出汁も一切ダメ」
「彼のイギリスのお城みたいな家に遊びに行ったんですよ。テムズ川に沿ったでっかい家でね。昔のMansionってやつですね。これ、いくつベッドルームがあるのかっていう。庭にちっちゃな神社があったりさ」
──ユリ・ゲラーさん、そんなに大きなお屋敷に住んでいたんですか。
「メシになったらさ、こんなでっかいボウルに生の野菜がワーッと入ってて。ジャガイモでもナスでもこうやって生でガリガリ食うの。すごいなこの人、と思って。でも……それじゃ俺が食うものが無いじゃん(笑)。ユリ・ゲラーは、かわいそうだからお前のぶんはシリアルを用意しといたからって言うんだけど……それ以来、彼の家には行ってないんですけどね(笑)」
「超能力を扱う人は肉を食べないってイメージはあるけど、ホントのところは知らないよ。なにかひとつ決めると、みんなそこに行きたがるけど、こうじゃなきゃいけないって決まりなんてこの世の中に無いんだって。いろんな人の話を聞くと、みんなひとり合点で自分なりに知識としてこの中に詰め込んでいるものを出しているだけなんだよね。それは単なる知識であって、彼自身が体験してないから空虚なんです。空虚な言葉の遊びをするわけ。矢追さんって、こうなんですよね?って。でも、そんなの知らないよ。それぞれが好きなものを食えばいいんだよ」
スプーンを曲げるなんて、もったいないじゃん
──ほかにオカルトと食べものにまつわるお話はありますか。
「正直言うとさ、じゃあ雪男の糞はあったのかって。あったんだろうけど分析結果はどうなのか。じゃあネッシーは何を食べているのかって? それはわかりません。宇宙人がなにを食べてるかなんて、もっとわからん」
「でも、ロシアのメドヴェージェフが首相時代に、すでに宇宙人はロシアに住んでいる、と公表した話はあるね。2012年の2月に、記者会見のあとにリポーターから聞かれて本人が実際にそう答えた」
──うわ、メドヴェージェフが認めたんですか。
「で、そのロシアの宇宙人を監視しているという特殊部隊がいて、そこからの報告書で、こんなぶ厚いファイルで渡されると。ロシアの大統領になると、そのファイルと核のボタンを渡される。そういうことをちゃんとメドヴェージェフは言っていて、画像もあるから」
──ということは、ロシアに住んでいる宇宙人は、普通にボルシチを食べてウォッカを飲んでいるかもしれないですね(笑)。
「そこまではわからないですけどね(笑)」
郡氏「矢追はジャーナリストなので、自分の目で見て取材して、そこでわかったことしか言わないんですよ。確認してないことは「わからない」という言い方になるんです」
──ところで、超能力は訓練すれば誰でもできるものなのですか。
「超能力によるけど。テレポーテーションなんかはけっこう大変ですね。素質がいる。でもホントはそんなものいらないんだよね。これをこっちにちょっと移動してどうするってことで。日常生活にあんまり関係ないよね。スプーンなんか曲げて、どうするのって。スプーンがもったいないじゃん? みんな目で見てアッと驚くようなことが好きなんだよね。だったらマジックを見たらいいと思うんだよね。最近のマジックは、ホントよくあれできるなってのがあるからね」
──スプーン曲げはともかく、女性にモテる超能力とかがあるといいなと思うことがあります(笑)。
「それは簡単で、“俺はモテる”と思うと、モテるよ。自分に自信がないからですよね(笑)。モテる人ってモテる雰囲気を持っていますよね。雰囲気が目に見えるならそれをオーラと言うのかもしれない。だけど、そんなものが見えてもしょうがないけどね(笑)。なんでも知りたがるけど、知ってもしょうがないことを知りたがるのが無駄というものですね。役に立つことを知らないと」
「つらつら世の中を見てみると、みんなくだらないことに一生懸命悩んで、毎日を不安と恐怖の中で生きてる。それは気の毒だなって。ホントのことを知らないとこうなっちゃうんだねって。僕自身はちっちゃい時から、12歳くらいから、思ったことは全部ホントになっちゃうんで。食うために働くとかそういうことはない」
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/noriki-washiya/1602186 【「超能力者」ユリ・ゲラーをベジタリアンにした男・矢追純一氏インタビュー【後編】】より
12歳のときから思ったことがその通りになるとはどういうことか。それは満州生まれの矢追純一氏が10歳のときに終戦を迎えたときのお話になった。
世の中ひっくり返ったなかに2年いた
「ものすごい長い話になるんだけどね。本を読んでもらうほうがいいんだけど。いま本屋さんに並んでいる『ヤオイズム(三五館)』という本にも書いてあります。父親が日本の建設省の役人をしてて、満州に出向してそこで生まれたんです。僕と妹ふたりの3人ですね」
「そこでけっこう豪勢な暮らしをしてたんだけど、ある日突然玉音放送があって、日本が負けましたと。使用人の中国人がふらっと現れて“お前らは負けた、うちらは勝った。ここはお前らの土地じゃないから今すぐ出て行け”と、着の身着のままでうちから放り出されて。日本人はみんなそういう生活になったわけ。みんないいところのお嬢さん奥さんだから生きてく術がないじゃん。みんな苦労したし。子供を中国人に預けた人もいれば、身を売らなきゃいけなかった人もいたし、餓死した人もいた」
「そういう、世の中がひっくり返ったなかに2年間いたわけだよ。まわり全部敵だからさ。日本人以外は敵。昨日敵だから今日も敵ってやつで」
「うちのおふくろは何歳であろうとぜんぶ平等に扱う人なんです。親父は終戦の1年前に死んでしまったんですね。急病で。親子4人で暮らしてたところに晴天の霹靂がきた。母親は贅沢しか知らないような人だったんですけど、終戦の日を境に人間がガラッと変わりまして。放り出されたその日にどっかから部屋を借りてきて、君たちここに座んなさいってね」
「昨日までは坊っちゃん嬢ちゃんだったかもしれないけど、今日からはホームレス。お母さんは自分で食べていくのが精一杯だから、君たちの面倒は見られないからそのつもりで、と言い渡されまして。で、ホントになんにもやってくれないんですよ」
──終戦のタイミングに、日本国内ではなく満州にいらっしゃったのですね。
「そうです。それで、“これを売ってこい”と、かろうじて持ち出した着物を俺に渡して。売ってきなさいったってどこで? みたいな(笑)。でも、泣いてもなんでも絶対に家に入れてくれない。しょうがないから道端に立って。日本語しかできないんだけど、通りすがりのアメリカの兵隊とかロシアの兵隊とかに“どうですか”というところから始まり、だんだん人間らしくなってきたわけ。その前は俺は人間失格だったから。学校にも行かないし、身体が弱いからしょっちゅう入院してたし。対人恐怖症でしたし」
「でもそういう経験のおかげで、ちょっとはたくましくなって。いろんな人とケンカしなきゃいけない。盗られないようにがんばらないといけないしね(笑)」
「それから2年後に、やっと最後の引揚げ船に乗って帰ってきたんだけど、それまでの間にいっぱい人が死んだ。たぶん、あなた達が想像してる状況とはぜんぜん違うと思うよ。本で読んで、わかってるつもりになってるのとは」
「とにかくそこで悟ったんですよ。物とか金とか地位とか名誉とか財産というものは、一夜にして消えるものだから、信頼を置く必要はない。そんなものはいらねえと。命だけでも助かってきたのはすごいじゃないかと。そうなったときに、物欲とか金欲とか名誉欲とかプライドとか、命に対する欲も無くなったのね」
──そういった経験をされて、食に対する欲望はどうですか。
「食欲はすごくあるよ。でも子供の時の空腹感というものではない。不思議と。目の前にあれば食うけど、なければないで仕方ないじゃんって。1日3食食わなきゃいけないって間違った迷信がいまでも流行ってるけど(笑)、あんなもんウソで。1食でも足りるわけだし。そういう義務感だか、決められたことに従おうという“ヒラ社員根性”を直さないと(笑)」
身分的にはどうあれ、本人がどういう根性なのかが大事
「ヒラ社員根性で生きているから、みんな苦労するし精神的にも安定しないわけ。でもよく考えてみたら、世の中も株式会社みたいにできているわけで。社長はヒラ社員たちに本当のことは言わないで秘密にしといて、ヒラ社員はがんばれ、一生懸命に、努力、根性、間違ったことをするな、正しいことをしろ、悪い道に行くな。まじめにやれ……なんだかわけがわからないですよ(笑)。なにをもって正しいか正しくないかも、決まってないじゃない。これみんなヒラ社員への教育だよね。社長はそんなことは考えてないもんね。それを“常識”というのね」
「みんなそういう親に育てられているので、それが頭にこびりついてて、なんか食わないと大変なことになりそうな気がして、食うためには働かないと大変だぞって話になって。ずっと強迫観念で生きているわけですよ。でもそれは“ヒラ社員根性”だから」
「身分的にはどうあれ、本人がどういう根性なのかが大事なんじゃないの。いろんなものに縛られるのは、それは制約としてはしょうがないのね。浮世の義理というんだけどね。それは適当に流して、自分がどういうふうに生きていくかが決まってないとダメですね。僕は、自分が思ったことはぜんぶその通りになるからなにもしないんですよ。勉強もしないし、努力もしないし、まじめじゃないです」
「うちの母親は勉強すると怒る人だったので。男は身体を鍛えなきゃダメだからうちの中でウジウジ勉強してんじゃねえと。明日試験だから勉強してるんだと言ったら、“試験だから勉強しないといけないってことは学校でサボってるに違いないから、そんな学校行かせない”って言われちゃう。うちの中にいると怒られるので一日中外で遊んでないといけない。晩飯食ったらまた行かないといけない。だから、いまだに勉強とかゲームとか一切できないです。トランプも無理」
──原体験の中で思い出に残る食べものってありますか。
「そんな特別なもの、思いつかないね(笑)。引揚げ船で帰ってきたときに佐世保に着いたんだけど、上陸許可までに何日もかかって、そこで完全殺菌されるわけですよ。DDT(※)で。上陸して、引揚げ者の一時的な避難所みたいなところに入って。そのときに初めて、ふかふかの中華まんじゅうをくれたんです。ひとり1個ずつ。これはうまかったね。それまで大変だったからね」
※DDT:太平洋戦争直後、シラミ対策などの目的で米軍により持ち込まれ、使用された殺虫剤。頭髪や全身に噴霧された。発がん性物質のため現在は使用禁止。
「みんなそうなんだけど。日本にいた人はいた人で大変だったと思うんですよ。東京大空襲とか原爆とかあったからね。外地にいた俺たちみたいなのは、これはまた大変だったわけですよね。だから、命があるだけでも奇跡なんだよね」
方針だけ決めて『なにか目に見えないもの』にお任せする
「うちはもっと奇跡で、母親がすごいから食うものに困ったことない。毎日、白い飯で肉を食ってた。そのかわり4歳の妹も働かされて。そういう生活があったから今日の僕があるわけですけども、怖いものがまずないんですよね。命もいらないから」
「“命だけはどうぞお助け”ってみんな思ってるけど、それは無理だって。だいたい自分がいつ死ぬか分かってないやつが“命だけは”って、それは無理でしょって。歩道を歩いたって後ろから轢かれちゃう時代だからね(笑)。んなものどこ行ったってすぐ死ぬよ。いまここで突然脳になにか詰まっても死ぬわけだからね、脳溢血かなんかで。若いからって安心してられないじゃない。自分がいつ死ぬか分からないのに、命だけはお助けをってのは無駄でしょって思う。その1個の執着をなくすと、思ったことがその通りになるわけ。そんなものに執着してるからダメなわけで」
──UFOや不思議な事に興味が湧いてきたのはなにかきっかけがあるんですか。
「興味なんて、ぜんぜんないです。いまもないです」
──そうなんですか!? とても意外です。
「そんなに特別にそれだけに興味を持つってのも変な話でね。人間はもっといろんなことをやるじゃないですか。まあ趣味でマッチ箱を集めるのに一生懸命って人もいるわけでさ。それはそれで結構なことなんだけど。僕は何ひとつ趣味はないし、これが好きだとか、これをやらなきゃとかいうことも一切ないので」
「自分がやりたいことしかやらない。自分からなにかやろうとは思わない。呼ばれるとしょうがないから行くみたいな。しょうがないというと語弊がありますけども。僕自身がなにかを選ぶのは無理だと思ってるんですよ。それほど頭良くないから。
みなさんはきっと自分が頭いいと思うから自分の才覚で生きていこうと思うんでしょ。えらいなと思うんですけど、自分の才覚で生きていこうと思ったら、そりゃ無理だと。自分の脳をパソコンだとすると、その脳はね、大したパソコンじゃないじゃないですか。大した体験もしてないのでほとんどのことがわかってないじゃないですか。知識もこんなに狭められた中で、知ったかぶりしてわかった気になってるだけであってね(笑)。日本の中で上から数えたら自分は何番目かって、そりゃ絶対下から数えたほうが早いでしょってレベルなわけじゃないですか。そいつが自分の才覚で生きていくったってそれは無理です。東大に入って、財務省に入ってって、そういう計算でやってもなかなかそうは簡単にいかないのは、基本的に人間は頭が悪いからですよ」
「どうやって生きていくかっていう計算をやめて、自分のおおまかな方針だけ決めて、あとはお任せする。“なにか目に見えないもの”にお任せする」
「それは神さまとかじゃあないよ。なんだかわからないけど、目に見えない流れですね。世界の流れ、宇宙の流れ。そういう流れの中に乗ればいいのであって。その流れの中で必死に泳いで、俺はこっち行くったってそれは無理でしょって。まず第一に、どの人もみんな生きていく上での方針が決まってないんだよね。死ぬまで生きていくんだからさ。こういう方針でいこうかなってのがないんだよ。だから自信がないわけ。つい他人のほうに目が行っちゃうわけ。ひとはどうだろう、俺はこれでいいんだろうか。それはひとが決めるんじゃなくて、あんたが決めることでしょって。ぜんぶ他人任せになっちゃうんだよ。自信がないから。そうすると女性にもモテないんだ(笑)」
とっておきのバーを教えてあげる
親の教えで白米はあまり食べない、そもそも食べることに執着もないというが、お酒の席ではかなり食べる方だという。
「そんなに大量には食べないと俺が言うと、矢追さん、ものすごく食べてますよって言われるんだけど、酒飲んだときは食べるのね。お酒は、酒だけでは絶対飲めないんですよ。なにか食べるものがあって飲むので。たとえば中華なら日本酒は合わないから、ビールか紹興酒でしょ。そういうふうに食べるもので飲む酒が決まるんです。飲んで食って飲んで食ってってやってるもんだからここまで入ったら(喉元に手をやる)終わりになるわけね(笑)。基本的にそんなに飲まないし、食べる量も多くない。そのかわり、うまいものを食べたい」
──好物はありますか。
「そんなのはないです。おいしければなんでもいい。ありがたいことにいろんな食べ物が世の中にあるんでね。とくに東京はね」
「おいしいものを安く食べたい。高くておいしいものはいくらでもあるから。だいたい高いものっておいしくないんだよね、基本的に。高いってことは格好つけてるわけですから、“格好代”が高いわけです。“俳優のどなたさんがおいでになりました”とかさ。庶民的なところで、なおかつおいしいところはけっこういっぱい知ってます。私は勘がいいですからね。そこははずさないです」
──ピンとくるわけですね。
「餃子はね、代々木の駅前の店が並んでるとこで。餃子屋やラーメン屋が3軒くらい並んでるんで間違えて入らないようにしないといけないんだけど。『でっかい餃子 曾さんの店』と書いてあるところ。ここは中国人がやってて、目の前で皮から作ってるんです。ここの餃子はおすすめします」
「あ、そうだ。とっておきのバーを教えてあげる。新宿の新南口、階段降りたとこそのまま行って、線路沿いにちょっと行った左側のビルの5階なんですよ。『JazzBarサムライ』と書いてあるけど俺たちは“猫屋敷”と呼んでるのよ。サムライとまったく関係ないのよ。古めかしい扉を開けると、たぶんみんなびっくりするねえ」
「猫屋敷って呼ぶ理由は、猫の置物がいっぱいあるの。壁際に何百個とあって。とにかく怪しげな屋敷って感じなのよ。大きな猫の置物があったり、呪文が書いてある掛け軸があったり、提灯の中に仏様があるようなのがあったり、ありとあらゆる変なものがいっぱいあるわけ。これはまず入ったときに“おおっ”となりますよ。店内にはジャズがかかってて。これは俺の好きなとこなんですけど、最近なかなかジャズがかかってるバーってないんですよ。ほとんどのやつが耳が悪いんで、音楽を聴くためにバーに行かないんですね。いい音を出すのはジャズバーくらいなんですけど、ジャズバー自体があんまりないんですよね。なんか得体のしれないBGMをそれとなくかけてて、誰も聴いてないみたいなとこが多くて(笑)」
──謎めいているお店ですね。
「その店はジャズがかかっていて、親父が髭をたくわえてて、なんかちょっと変わってる感じなんですね。客には一切関わらないという方針なのか、いらっしゃいくらいは言うけど、あとは勝手なとこに座れって感じですよ。で、注文すら取りに来ません。こっちから呼ばないと来ない。なにやってても干渉しないからすごく楽なんですよね」
「しかもすごいかわいい女の子がいて。これが店主の娘さんらしいんだけど。めちゃくちゃ親孝行な娘だと思ってさ。たぶんまだ20代前半か、ひょっとしたら学生かもしれないんだけどさ。すごいかわいい、美人なわけ。この子が手伝いに来てるのね。お給料もらってないのね。その……怪しげなバーに手伝いに来るところが、えらいなと思ってさ。親孝行だねーって言うんだけどさ。その子も一切しゃべらないし。行ったほうがいいよ。安いし。いつまでいても文句言わないし。そこでたとえばミーティングとか会社の打ち合わせをやるといいと思うよ。けっこう座れると思うな。20人くらいは。とにかく居心地がいいから居着いちゃうよ」
きっと本当に、とっておきのバーなのであろう。
我々にそのバーの話をする矢追純一氏は、楽しそうに、そして自慢げに語るのであった。皆さんもちょっと行ってみたくなりませんか。あの矢追さんがお勧めする、ちょっと怪しい、猫屋敷のようなそのバーに。
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