妖怪

https://meguri-japan.com/legacies/20211107_9412/ 【蕪村が描いた妖怪絵巻】より

俳諧の大家として知られる与謝蕪村は絵にも非凡な才を発揮して、その作品のなかには国宝や重要文化財も存在するほどです。そんな蕪村が妖怪絵を描いていたと言うと驚く人も少なくないのではないでしょうか。今回はその蕪村が描いた妖怪絵巻を紹介したいと思います。「蕪村妖怪絵巻」という題名からも蕪村が描いた妖怪絵巻ということが一目瞭然ですが、このタイトルは最初から付いていたわけではありません。それどころか当初は絵巻でさえなかったのです。

一時期、蕪村は宮津(現在の京都府宮津市)の寺に寄寓していましたが、その時に欄間に貼られていたのが蕪村の描いた妖怪絵といわれ、後年にそれらを纏めて絵巻としたと伝えられています。それがいわゆる「蕪村妖怪絵巻」なのです。もし、絵巻という形にしていなかったら後世に伝えられることがなかったかもしれません。そう考えると幸運にも散逸せずに伝えられたということができます。

作品の多くは行方不明に

しかしこの絵巻は安住できる運命ではありませんでした。詳しい理由はわかりませんが現在行方不明となっているのです。わが国の文化財は幕末維新期に少なからず海外に流出していることは周知の事実です。しかし、この絵巻がその時代に行方不明になったわけではありません。なぜならば、昭和3年に限定復刻されたものが現在まで複数残っているからです。

ここに紹介したものもその限定復刻されたなかの一つです。前回まで紹介した絵巻はいずれも肉筆のオリジナル作品でしたが、そういうことからも例外的といえます。しかし、博物館や美術館での妖怪展などでもこの限定復刻絵巻はよく展示されます。それはオリジナルでなくとも面白い内容であるとともに蕪村が独特の飄逸な筆致で描いた妖怪作品として紹介するに値するものだからなのです。行方不明となったことは残念ですが、復刻されていたのは不幸中の幸いといえるでしょう。

古屋敷の化け猫

さて、前置きが長くなってしまいましたが蕪村妖怪絵巻にはどんな妖怪が描かれているのかを見てみたいと思います。

図は榊原氏の古屋敷の化け猫です。鉄砲で退治しようとしていますが、化け猫はそれを挑発するかのように手ぬぐいを被って馬鹿にしたような顔つきで立って踊っています。化け猫の左側には化け猫が喋った言葉が書かれていますが、「おれの腹の皮をためしてみおれ、にゃんにゃん」と鉄砲で狙っているのを意に介していません。右側の詞書によると、撃った弾丸ははじかれてしまったとのことです。

蕪村独特のタッチ

もう一つの図は小笠原氏の屋敷に泊った林一角坊という法師が、夜が更けてきたころに大勢で踊っているような音が聞こえるので襖を開けてみると小さい赤子が集まって騒いでいたという内容です。

ほかにも、家に憂い事が起こりそうな時に現れる遠州(現在の静岡県)の夜泣き婆、山城(現在の京都府南端部)のまくわ瓜の化物、大坂木津の西瓜の化物など全部で8つの妖怪譚が絵巻に収録されています。これらは蕪村があちこちで聞いた話を自分のイメージで描き、その脇に短い文章を記してどんな怪異譚かを説明しているといったスタイルです。

どの妖怪からも怖い感じは受けませんが、これも蕪村の絵のタッチから醸し出されるこの絵巻独特のものなのでしょう。

芭蕉翁行脚怪談袋

ところで、蕪村と同様に俳諧の巨匠として誰もが知っている松尾芭蕉が各地を行脚した折に聞いた怪談をまとめた『芭蕉翁行脚怪談袋』という写本も存在します。この写本には絵は添えられていませんが、旅を住処としていた芭蕉だからこその作品といえるでしょう。蕪村や芭蕉といえばほとんどの人が俳句を思い浮かべると思いますが、妖怪という視点から見てみるのも一興ではないでしょうか。


http://www.jidai-denki.com/2017/01/post-7a08.html#google_vignette 【『怪談おくのほそ道 現代語訳『芭蕉翁行脚怪談袋』 イメージとしての、アイコンとしての「芭蕉」】より

 「俳聖」として後世に名を残し、「おくのほそ道」の旅によって、旅に生きた漂泊の人という印象が強い松尾芭蕉。その芭蕉と弟子たちが諸国で出会った不思議な出来事を描く奇談集を現代語訳したものに、詳細極まりない解説を付した、実にユニークな一冊であります。

 ……と申し上げれば、なるほど、芭蕉や弟子たちの随筆や日記から、怪談奇談を抜き出して集めたものなのかな? と思われる方も多いと思いますが(かく言う私もその一人)、さにあらず。

 本作のベースとなった『芭蕉翁行脚怪談袋』は、江戸時代後期に成立したと考えられる書物ですが、内容はほぼ完全にフィクション。

 タイトルに「行脚」とあるように、芭蕉らが旅先で出会った出来事を中心とした内容ですが、史実では足を運んだのがせいぜいが京阪周辺までだった芭蕉が、中国地方から四国、九州まで足を運んでいるのですから、豪快といえば豪快であります。

 そんな『怪談袋』は、基本的に芭蕉その人と弟子たち、それぞれが主人公となるエピソードを交互に配置し(底本によってこの辺りは異動があるとのこと)、冒頭に彼らの句を掲げ、それにまつわる逸話を語っていくスタイルのエピソードがで、本書では全24話収録されています。

 上で述べたとおり、舞台となるのは実際には芭蕉が足を運んでいない地を含めて日本各地に渡ります。

 その土地土地で怪異や面倒事などに巻き込まれた芭蕉たちが、時に俳句の霊威や当意即妙の知恵でもってそれを切り抜け、あるいはその様を俳句として残すというスタイル自体は、なかなかユニークで楽しめるものではあります。

 が、その内容自体は、実はあまり大したことはない、というのが正直なところ。

 どこかで聞いたような内容であったり、そもそも怪談奇談としては物足りないものであったり、元々の記載の不備故か話が繋がらないものであったり――単純に怪談奇談集としてのみ読めばかなり苦しい内容であることは間違いありません。

 ……が、しかし本書は、それでも実に面白い一冊なのです。

 先に述べたとおり内容的にはほぼ完全にフィクションであり、「説話」というべきものであるこの『怪談袋』。

 それであれば、わざわざ芭蕉や弟子たちが主人公でなくとも……と思いたくもなりますが、しかし、その説話の主人公が芭蕉たちでなければならなかったという、その点にこそ注目することで、『怪談袋』は、本書は俄然興味深いものとなるのです。

 冒頭に述べたとおり、おくのほそ道の旅によって、そして辞世の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句によって、「旅」の印象が強い芭蕉。

 そしてそのおくのほそ道では僧形で旅をした芭蕉は、世俗から離れ、漂泊の旅の中で数々の歌を残していった西行らのイメージ上の後継者とも言うべき存在として受け止められている……そう本書の編著者である伊藤龍平は語ります。

 すなわち、史実か否かに関わらず、江戸時代において旅をして歌を読み(その句も、必ずしも芭蕉や弟子たちのものではなく、別人の句であったりするのですが)、怪異に対するのは、芭蕉でなければならなかった。彼だからこそ、そのような出来事に出会い、そして解決することができた――

 そんな「俳諧説話」の主人公として、一種の文化的なアイコンとして芭蕉が存在していた……それを、芭蕉イメージの一種の集大成である『怪談袋』を通じて、本書は教えてくれるのです。

 本書のタイトルに使われている「おくのほそ道」。そこで描かれる芭蕉と曽良の旅自体は言うまでもなく史実ですが、しかし「おくのほそ道」に記された内容自体は、必ずしも史実に即したものではないこともまた、知られているところです。

 そこには芭蕉自身の手によって、史実のイメージ化、説話化が行われているのであり、そこに『怪談袋』の源泉があると言うこともできるでしょう。

 実は『怪談袋』には東北のエピソードはほとんど収録されていないのですが、にもかかわらず本書が「おくのほそ道」を冠しているのは、この点を鑑みればむしろ適切と言えるでしょう。

 このタイトルにも見られるように、編著者が『怪談袋』を読み解く態度、語る内容は実に当を得たものであり、各話の解説及び解題を含めて一つの作品であると言っても良い一冊であります。


https://note.com/ishizakitatsuya/n/nfe10a39921c0 【蕪村と妖怪】より

「村」の字。踊る人々の姿のようです。

「むかし丹後宮津の見性寺といへるに、三とせあまり やどりゐにけり」。「丹後宮津に三とせ」。この一事の共通点をもって親しみを抱いている与謝蕪村。左京区一乗寺の金福寺に、墓があります。芭蕉庵を与謝蕪村が再興した寺。蕪村は『洛東芭蕉庵再興記』を書いています。それに ならって正岡子規が『蕪村寺再建縁起』という漫画をつくっているのも、歴史と人の連なりを感じられ、面白いです。

金福寺には、私は 丹後にいた8年ほど前から時々 訪れています。彼らの文才に少しでもあやかりたいものです。墓碑の字はもちろん蕪村の書ではありませんが、寺にはいくつか、直筆が残っています。こうして石や墨が長く後世に伝わることを思えば、デジタルデータの脆いこと…

先の「三とせあまり やどりゐにけり」は、『新花摘』に収められた狐狸の怪異譚のうち、ひとつの書き出し。蕪村には他にも、宮津滞在時に描いたと考えられる『妖怪絵巻』があります(いずれも岩波文庫『蕪村文集』に所収)。京都の帷子ノ辻に現れたという「ぬっぽり坊主」、怖いです。

妖怪絵巻といえば、仕事で編集している『京都新聞ジュニアタイムズ』の寄稿連載『マンガ京・妖怪絵巻』が書籍化されたばかり。私たちの妖怪絵巻から分かるのは、暮らしの身近なところで妖怪が感じられ、言い伝えられてきたということ ですが、蕪村の時代には、より リアルな存在だったのでしょう。

『蕪村妖怪絵巻解説』という昭和初期の本もあるのですね。後半は物語のようですが。( https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023529

(2022年1月8日のfacebook投稿を改変)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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