https://ameblo.jp/zonomori/entry-12693260487.html 【俳句を読もう。俳句と遊ぼ。 攝津幸彦篇】より
朝、とても晴れていたのに今日もまた、雨が降り出した。朝の光の中でよその家のミカンを垣根越しに。未完の蜜柑である。
花器に蒔く 吠えそなキリンの九月その他 攝津幸彦
木の盆に水盛る 原告席のややひだり
坂道曲がれば坂道 朝の粘り 母ほどで 馬場善樹
ここに1968年11月発行「あばんせ」3号がある。関西学院大学俳句研究会の記念祭特集号である。こに立命館大、関大、龍谷大の学生の俳句が並んでいて馬場善樹の作品も登場している。上の三句、ストレートには理解できない。「木の盆に水盛る」ときはどういう気分なのだろう。優しさ、哀しさ、淋しさ・・・?原告席とどう繋ぐのだろうか。
「坂道曲がれば坂道」とは何が見えてきたのか? 海?そして母?
感じた通りに書かれているから、感じたとおりに読む。そういうことなのかも知れない。
淋しさを許せばからだに当たる鯛 攝津幸彦 包丁に集まるをみな倒立す
攝津の句は難解であるとよく言われる。この二句は社会人になってからの作品だが
上の句と同じ感覚が横たわっている。個人的にだが、この二句を読んだとき大阪・十三には仲居さんが倒立をして見せてくれる大衆的な料亭があった。
そのCMが深夜にバンバン流れていてそれを思い出してしまった。その料亭にはきっと生け簀があって、鯛も泳いでいたのかもしれない。攝津くん(こんな時にはこう呼びたい)は
きっとそのCMを意識していたはずだ。そういう人だったよ、攝津くんは。
そんな解釈したら、ニャっと笑ってくれたかも知れない。
朝のノイローゼは深い青空 怖いな これは「あばんせ」3号にある私の句。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12693446759.html?frm=theme 【俳句を読もう。俳句と遊ぼ。摂津幸彦篇】より
時々晴れ間が見える今日。印象としては曇り空。垣根越しにこの赤い花を見つける。
花?実?いつも可愛いなあと思ながら通り過ごしてしまう。花の名はウキツリボク(浮釣木)。年中咲いているらしい。
夕焼け助奏の 風鳴る 近親婚の村 摂津幸彦 潮焼け漁夫の 歯がない 民家兼バス停
「現代語俳句の会」機関誌「俳句思考」からひいた。昭和43年10月の発行である。
この二句は「アバンセ」2号にも掲載されている。摂津氏がたぶん、関学大3年生の頃である。同じ誌面に私の ドラマどっさりつめ 大学街の暇な午後この句も掲載されている。
摂津幸彦史を書こうとしているのではない。どういう学生時代、初学の頃を経て摂津俳句が生まれたのか。その頃を知る人も限られてきたのでほんの、ほんの一端を紹介したかったのだ。
昭和43年はその頃の学生にとって大きな転機の時であった。4年生であった私は俳句から離れ大学闘争の中へ入っていった。摂津氏は大学院生の坪内稔典氏らとともに「日時計」等で俳句を書くことになる。
1年後、摂津氏は広告会社に就職する。私は数年後、遠回りをしながら別の広告会社に入社した。数年後、偶然に広告マン同士として巡り会う。
何度かここに登場した馬場善樹氏は広告制作会社のコピーライターとして摂津氏と私に会うことになる。
本当はそこらの事情も書きたいがテーマに外れるので今回は経緯のみを紹介する。
摂津氏の上の二句。摂津調の香りがする。しかし、解釈は難解である。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12739585712.html 【俳句は今日も新しい。もいちど攝津幸彦①】より
とても風の強い日だった。事務所の隣のビルに植えられているモッコクモドキ。こんな花を咲かすとは知らなかった。この木は海岸などに無造作に植えてある。染料の原料になるらしい。
雨風の日にこんな花を見つけると幸運な気がする。
春日傘大和にいくつ女坂 攝津幸彦 詰襟の君が草矢の的となる
攝津幸彦については何度も書いているし著名な評論家が解説をしてくれているからいまさら感なのだが今回は私自身の勉強もふくめ「もいちど攝津幸彦」を読んでみたい。
私は俳句を書くことができなくなると攝津の句集を取りだして無作為に読んでみる。
するとリズムに乗せられて何かが浮かんできたりする。俳句をどう書くかと悩むのだけれど
どう読むかで迷うことが多くある。
私の参加している句会の多くでは表現された世界を楽しむことがどうしても一次的になる。
すると、表現技術が話題になってしまう。私は日頃それは違うと思っている。
それを書いた作者の、書いたときの気分、作者の狙った気持ちみたいなものを追求したいと思っている。
たとえそれが「焦燥感が出てる」とか「不安」が漂うとかそんな単純なことでもいい。
だんだん攝津幸彦から離れていってるが攝津の作品を読んでいるとそれらがトータルにスッキリしたりする。そんな味わいを探ってみたいのだ。
今回は攝津幸彦最後の句集「四五一句」をゆっくり味わってみたいのだ。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12742869093.html 【俳句は今日も新しい。 もういちど攝津幸彦を読む。】より。
見事なダリアだ。連休にユニバーサル園芸で鉢植えを買ってきた。それが咲いたのだが花がとても大きくて、豪華である。ダリアってこんなに素晴らしい花とは。初めて知った。
感心しているのだ。
南浦和のダリヤを仮りのあはれとす 攝津幸彦 ダリヤ焼く明日も水野鉄工所
冒頭の写真と俳句を関連付けない。このブログはそういう方針でやってきた。
ところが写真のダリアを見てこの2句をとっさに思い出し今回はその方針をやめることにした。ダリアといえば、この2句なのだ、私には。豪勢な花を見て攝津くんはこの2句を書いたに違いない。花の儚さが漂っている。
私もダリアで何句か書いたのだが豪勢さに負けてしまっている。ダリアが私を𠮟咤しているようにみえる。今回は感情に流れすぎた!?
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12746964108.html 【俳句は今日も新しい。もう一度、攝津幸彦を読む。】より
近所に少し田んぼがあって今朝、田植えが終わっているのに気づいた。このか細い苗が秋には黄金色に実るのを想像し、平和であるべきことを真剣に望む。
蝉時雨もはや戦前かも知れぬ 攝津幸彦 お国の忌兵たりしもの減りにけり
攝津が亡くなって4半世紀以上になる。その頃、彼はこの国の平和を真面目に心配していたに違いない。いま、こうやって、これらの句を挙げることはピントはずれかなあ?
ロシアとウクライナの戦争が始まって急に人々は国を守るということを言い出した。
少し違う気がする。平和を守る、平和を築くのはずだ。
国を守ると言って防衛費を二倍にすることではなく平和を築くために何をするか。
人それぞれに方法がある。もちろん、私にもある。この国は残念ながら、あらゆる面で先進国といわれる国々から遅れをとっている。その根本は人を大切にすることを忘れたからだ。
人を大切にするなら戦争は起きない。人を大切にすることは誰にでも出来る。
攝津氏の2句を読んで、いま、限りなく妄想が広がっている。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12749462056.html 【俳句は今日も新しい。再び攝津幸彦を読む。】より
トウツクバネウツギに止まったアゲハチョウ。この黄色と黒のアゲハが出てくると夏。
私のイメージである。
餡パンのへそ歪なる銀座かな 攝津幸彦 旬の手を振りあふ都バス運転手
最後の句集「四五一句」からひいた。デビュー当時の「難解さ」から「剽軽さ」へ転じつつあったと私は考えている。彼は書斎で俳句を書いていると語っていた。たとえばつげ義春の「ねじ式」を読みながらあるいは好きな映画監督の鈴木清順のシナリオを読みながらあるいはまた、遠く大陸やアジアを夢想しながら俳句を書いたのではないか。
やがて、もう少し時代の、社会の卑近な事象に焦点を当てることを始めたと勝手に想像している。この2句はそんな身近さの出た作品ではなかろうか。
20代に、関西から東京へ出てきたときの光景が閃いてこういう作品へと結びついたのではないか。すべて想像で書いたが学生時代の、いや、ほぼその頃しか知らない私はこれらの句から彼のにこやかな笑顔が浮かぶ。なんかヘンな文章になった。合理的でない!反省。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12750375163.html 【俳句は今日も新しい。 攝津幸彦を再読。】より
幕末に外国からやっててきた花らしい。その当時は誤ってサフランと呼ばれていたそうだ。
ところがホンモノのサフランがやってきてこの花はサフランモドキ。百年以上前の話だけど面白い。最近、ときどき見かける。
ココロザシヲハタシタ夏至の六時告ぐ 攝津幸彦
鹿として愛夫(うつくしつま)は啼きにけり 「四五一句」からひいた。
普通に解釈していてはなんのことか判らない。私も戸惑うばかりだ。自分の心の中で、志を果たしたと思う瞬間があった。ちょうど夏至の日の六時であった。
直訳すればこうだろう。「直訳」と書いてしまったと思った。この解釈しかない。愛する夫は鹿である。だから鹿のように啼いた。この直訳がそのまま解釈である。
私なら「志を果たした」と感じるときはいつだろう?どんな志で、それをどんな風になしとげたのだろう?こんな風に思い、それを自分のこととして置き換える。文章に書くとこんな風に嫌らしい。でも、瞬間的に、感覚的にそれらを想ったらどうだろうか。また嫌らしいのだがそんな効果を生む作品である。こういう解釈やムダな妄想は飛ばしてはじめからストレートに感じればいい。それが攝津の俳句なのだ。だから、面白いのだ。どんな俳句でも、こんな似たような解釈をすぐにしてしまうがそれは間違いなのだ、きっと。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12752224106.html 【俳句は今日も新しい。攝津幸彦を再び。】より
ジャノメクンショウギク。蛇の目勲章菊と書く。見た目、人の顔のように見える。
この花は日が当たると開き、夜や日が当たらないと閉じる。親しみを覚える花だ。
ビーフカリーは最も淋しい朱夏である 攝津幸彦 白桃へみな抜き手切る夜の沖
攝津らしい難解な句の登場である。前にも書いたが、言葉通りに読んで自分の中で妄想をしたらいいのだ。
夏になると私はカレーを食べる機会が増える。最近はいろんなタイプのカレーがあるので今日はどのタイプをと選ぶのが楽しい。最近多いのは大阪のカレー、インディアンカレー。
口にすると甘みを感じるがすぐに辛さがいっぱいに広がる。ピクルスを間に食べて、なるべく水を飲まない。それがこのカレーの私流食べ方。ときどき食べるのはヤム邸系のカレー。
しゃばしゃばのカレー二種類を混ぜるように、あるいは混ざらないように楽しむ。
スープのようなカレーと辛さがとても好み。もっともっと書きたい。私の最後の晩餐はカレーと決めているから。そういう思いをアタマに浮かべ1句目を鑑賞する。
ビーフカリーを前にするとこの夏もわが人生の淋しさを思ったりする。そういう句ではなかろうか。2句目はただただイメージすればいい。白桃を目指して、泳ぐ男や女。
夜である。月が出ているかどうかは判らないが向こうに大きな白桃が浮かんでいる。
私にとっての白桃とは?そういうことをイメージしてこの句を想う。自分勝手に解釈しても大丈夫なのが攝津幸彦の作品。というより、俳句の着地は読み手が決める。
絵の決まっている、解釈が決められている句はまったく面白くないのだ。
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12753215101.html 【俳句は今日も新しい。攝津幸彦を再び。】より
事務所のアサガオがやっと一輪咲いた。ベランダに今年はちょっとだけ種を蒔いてしばらくほっておいた。芽が出て、はじめて一生懸命水をあげた。例年より少し遅いのだがこうやって咲いた。花芽がそこそこあるので引き続き咲いていくだろう。やっと咲いて、とても嬉しいのだ。
チンドン屋しずかに狂ふ大夏野 攝津幸彦 倫理学日永一日足洗ふ
チンドン屋が激しく狂って踊っているのならとても普通。しかしこの場合、「しずかに狂ふ」のだ。そのことをあれこれ想像するが決め手はない。
大夏野で踊るチンドン屋を「しずかに」と作者は見たわけで、そこに作者の思いがあるのではないか。私がどういうときに「しずかに」感じるか。俳句のを読みを決めるのは読者。
それを実行すればいい。その日、その状況で、「しずかに」を味わえばいい。
「倫理学」って何?いまは小学校などで「道徳」という授業があるらしいけれど
まったくその意味が判らない。日本は無神論者が多いので、その代わりなのか?
で、「倫理学」とは「道徳」みたいなもの。
私は宗教学の一部かなと考えた。それにしても無意味な気がして日永一日、足を洗っているのだろう。きっと中途半端な気持ちと時間が流れているのだろう。攝津幸彦の最後の句集「四五一句」からひいて「攝津幸彦を再び」と読んでいるのだがもうネタの後がない・・・・。あと、どうしよう?
https://ameblo.jp/zonomori/entry-12785054543.html 【攝津幸彦を読む①】より
関西学院大俳句会の機関誌「あばんせ」2号、3号のコピーがある。
たしか1968年、攝津幸彦と伊丹啓子が中心になって俳句会を結成、発行したもの。
その前年頃から、攝津は坪内稔典を中心に活動する「京都学生俳句会」をたびたび訪ねてきていた。私はその「京都学生俳句会」に所属、攝津とは俳句より映画の話でおおいに盛り上がった。攝津は元々関学映画研究会にいたはずで、私も京都学生映研?みたいなところのメンバーだった。
秋出水「カルメン故郷に帰る」頃 攝津幸彦
この句は木下恵介監督、高峰秀子主演の映画「カルメン故郷に帰る」のタイトルをそのまま使っている。
この映画は日本で初めての総天然色映画(カラー)で、映画好き(映画青年)がときおり話題にした。名画座あたりで上映されたものを観たのだと思う。
攝津幸彦と関学俳句会について
関学関係の同人誌に今度ちょこっと書く。
それでいま話題を整理しています・・・。
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