攝津幸彦の句

https://sengohaiku.blogspot.com/2014/08/takeokasettsu1.html 【【攝津幸彦の句 (1) 】  攝津幸彦の暗黒 竹岡一郎】より

 攝津幸彦の初期の句に「暗黒」の連作がある。

暗黒や根元に朝の火ゆきわたり       暗黒の先へさきへと転ぶ白桃

暗黒の黒まじるなり蜆汁          暗黒の強き黒らは産卵せり

これよりは暗黒、海に枇杷繁り       暗黒を濯ぎて花嫁渇くなり

行き過ぎて戻る暗黒・菫に酢        暗黒と鶏をあひ挽く真昼かな

春巻きを揚げぬ暗黒冬を越え

第一句集「姉にアネモネ」所収、後に第二句集「鳥子」に一部変えて収録された。これがまた実に奇妙な句で、何をイメージして良いのか、全く分からないのだが、妙に心に残る。解読したくなる強さがある。先に挙げたのは、「鳥子」版の暗黒である。(ここでは「鳥子」版の暗黒について考察する。「姉にアネモネ」版との違いは随時言及する。)

では、一句づつ見てゆこう。

暗黒や根元に朝の火ゆきわたり

この「根元」とは、何の根元であるか。句中の言葉だけで見るならば、「暗黒」の根元であろう。暗黒には根元がある。暗黒とは木とか草のようなものなのか。或いは碑とか墓とか塔とかにも「根元」はありそうである。暗黒とは、地面から生えている、ある一定の高さをもったものか。

暗黒の先へさきへと転ぶ白桃

暗黒という、死をもイメージする言葉と「転ぶ白桃」から、黄泉平坂を思う。掲句の場面は生と死の境の坂か。「先へさきへ」という絶えず動いてゆく形容は桃に関するのであるが、同時に、暗黒もまた桃を追って移動可能なもの、という印象を与える。「先へさきへ」というリフレインは果たして本当に繰り返しなのか。色々考えてみる。先へ崎へ、先へ岬へ、先へ幸へ、先へ咲へ、先へ左記へ、先へ裂きへ、先へ割きへ、先へサキという名の女へ? 少なくとも、暗黒は白桃でもサキでもないもの、であろう。

暗黒の黒まじるなり蜆汁

蜆汁にまじっている、と取るならば、暗黒は食べる事が可能か、又はうっかり食べてもわからないものか。この場合、蜆汁にまじっているものは「暗黒の黒」、暗黒から派生した黒である。

上五中七と下五は切れていて、二物衝撃の景だとすれば、「暗黒の黒まじるなり」という景は「暗黒に黒混じる」、つまり、暗黒と黒は別物だということになる。そして、黒混じる暗黒は、蜆汁の見かけ、又は味に或る種通じるものがある筈だ。

暗黒の強き黒らは産卵せり

暗黒からは「黒」が派生し、その中でも特に強い「黒」は産卵する事が可能だということになる。暗黒とは「黒」なる生物を派生させ、更に「黒」は増殖が可能だという事だ。

これよりは暗黒、海に枇杷繁り

連作中で最も強い句であろう。「これよりは」という措辞が、芝居の見栄のように張り出す。「海に枇杷繁り」というフレーズは暗黒そのものではないが、暗黒を包み支えることにより、暗黒のある一面を示しているようにも見える。枇杷の暗い緑が繁っているのか、その中に枇杷の実も混じっているのかは定かではないが、枇杷の木特有の旺盛な生命力と翳りは海と良く調和していると思う。

暗黒を濯ぎて花嫁渇くなり

「夜濯ぎ」という季語と見るも可能であるが、ここはやはり暗黒という具象そのものを濯いでいると見たい。これまでの句が、暗黒の様々な具象化を試みているからである。暗黒を濯ぐ事により水に接していながら、花嫁は、何に渇くのだろう。花嫁ならば、愛か幸福を求めているのだろうから、やはり愛やら幸福やらに渇いているのだろうか。では、暗黒は愛やら幸福やらに何らかの化学的変化を起こす作用があると考えてもよさそうである。暗黒は愛や幸福を吸いとるのだろうか、それとも変質させるのだろうか、或いは花嫁をして、より愛や幸福に対して渇かせるのだろうか。ここでは暗黒が、或る魔術的変化を人の心に起こさせるとわかる。

行き過ぎて戻る暗黒・菫に酢

「姉にアネモネ」では句中の「・」が「、」になっていた。「・」にしたことにより、「行き過ぎて戻る暗黒」と「菫に酢」が、拮抗し合う又は調和し合う彫刻であるかのような印象を受ける、と言ってしまって良いかどうか。そう名付けられた彫刻があっても良いような気はする。「行き過ぎて戻る暗黒」は、或る躊躇の果に試みるやり直し、と云った観の彫刻で、「菫に酢」は嗜虐性を孕んだ哀れな彫刻であろうか、「酢」という言葉から少し腐食しているような感じも受ける。行き過ぎてから、暗黒に戻ってゆく、と取るのは、これまでの句を読んできた上では、もはや無理があるような気がする。やはり暗黒という具象が行き過ぎて戻るのではなかろうか。

「・」によって、「暗黒そして菫」という読みも出来る。酢は暗黒と菫の両方に掛けられる。酢の特質として防腐性がある事を考えると、通常の場合と同じく、暗黒は不浄に親しむ性質も含むのだろうか。そうであるなら菫に、不浄になりやすい側面としての、暗黒との共通点が存するらしいと窺える。

暗黒と鶏をあひ挽く真昼かな

この句、「姉にアネモネ」では「真昼」が「昼餉」になっていた。「昼餉」では、暗黒が鶏の挽肉に混ぜる物であり食品であると疑いなく読めてしまうので、そこまでの断定を避ける意で「真昼」にしたかと思う。「真昼」と置けば、高い陽の下で暗黒はより際立つという気もする。ここで示される暗黒の特性は、鶏と共に挽くも可であるという事である。

春巻きを揚げぬ暗黒冬を越え

春巻きを揚げる主体は誰かというのが焦点であろうが、ここはやはり作者ではなく暗黒であろう。作者だとすると、あまりに下らない。暗黒の冬を越えて春、春巻きを揚げる攝津幸彦、というイメージはつまらなすぎる。この一句だけをいきなり読めば、どうしてもそういうイメージしか浮かばない処、これまで暗黒の句群を読んできた上で掲句を読めば、暗黒が冬を越えて春巻きを揚げる、と取れる。ここに至って暗黒は、動物同様、越冬もし、人間同様、春巻きも揚げるのである。

「姉にアネモネ」では掲句の後に、「暗黒といへども茶碗の影冷ゆる」が置かれているが、「鳥子」でこの句が省かれた理由は、せっかく積み上げてきた暗黒の具象化が「といへども茶碗の影冷ゆる」によって、単なる暖かい闇、というイメージに還元されてしまう事を怖れたか。

さて、「鳥子」における暗黒の特性をまとめると次のようになる。

暗黒とは、草か木か碑か墓か塔のように一定の高さを持ち、根元がある。移動可能であり、白桃でもサキでもない。黒を派生することがあり、その黒は産卵可能である。暗黒は黒と混じると、蜆汁に通ずる何かになる。芝居の見栄の如く張り出すことがあり、その様は海に枇杷が繁る様と良く調和する。花嫁に濯がれて、花嫁の、恐らくは心を渇かせる。行き過ぎて戻る事がある。その躊躇する様は、「菫に酢」という嗜虐的な哀れなイメージと良く調和する。或いは菫と共に酢を掛けられる。鶏肉と合挽きされることがある。越冬し、春巻きを揚げることも出来る。

「二十の扉」ではないが、さて、暗黒とは何でしょう。

「それは私です!」と、攝津幸彦が手を挙げたら、どうしよう。

その場合、私は連作中の白眉である

  これよりは暗黒、海に枇杷繁り

の暗黒に、(奔放に見えて実は慎ましい攝津に怒られるのを承知で)ルビを振りたくなるのだ。これよりは暗黒(せっつゆきひこ)、と。これよりの句業は、まことに「海に枇杷繁」るがごとき、怒濤にして鬱蒼たる勢いではなかったか。

「姉にアネモネ」は昭和四十八年刊、「鳥子」は昭和五十一年刊である。この頃の「暗黒」というと、土方巽の「暗黒舞踏」を思い出す。となると、この連作に一気に暗黒舞踏が重なり出す。加藤郁乎が土方巽と共に暗黒舞踏の舞台に上がったという逸話も思い出す。

私事だが、阪神大震災の後、いきなり姫路に連れて行かれた事がある。永田耕衣を囲む何かの会にいきなり押し込まれて、その時、大野一雄の舞踏を見た。板張のホールで、舞台はなく、耕衣も我々も大野一雄も同じ平面にいた。大野一雄はその時九十は超えていたと思うが、少女を踊った。私の目にも、何かに憧れる少女に見えた。私の真向いで、耕衣は車椅子に座って、眼前の舞踏を見上げていた。実際、大野一雄が伸び上がると、塔の聳えるように見えたのだ。

「鳥子」では、暗黒連作最後の「春巻き」の句の後に、

白髪に蜜光りける夢の秋

が置かれている。

夢の世に葱を作りて寂しさよ   永田耕衣

を思い出し、個人的には、大野一雄の舞踏を見上げていた耕衣の姿が重なってしまう。

暗黒連作を読んできた勢いで、この句を読めば、春巻きまで揚げる暗黒は、そうか、白髪であったか、その髪には蜜が光っていたか、もしかしたら暗黒は夢の秋の擬人化であったか、という妄想まで起こる。

これ以降、攝津の句に「暗黒」は絶えて出て来ない。「闇」や「黒」の句は時々出て来ても、暗黒の行方は杳として知れない。

【執筆者紹介】

竹岡一郎(たけおか・いちろう)

昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。

平成21年、鷹月光集同人。著書 句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。


https://sengohaiku.blogspot.com/2014/09/settstuyukihiko.html 【【攝津幸彦の句 (2) 】 攝津幸彦の傘 /  竹岡一郎】より

攝津幸彦の傘が気になる。攝津は、数は多くはないが、傘の句をずっと作り続けていた。全句集に当ってみると、次のようであった。こだわりがあった、と見るに足る多さであると思う。

ことにはるかに傘差しひらくアジアかな  「鳥子」

月曜の日傘よ鶏が鳴いてます     「與野情話」  傘新たに金曜をさす二階かな        

日常のかうもり傘のみ発展す             絵日傘のうしろ奪はれやすきかな     

片時雨日傘の内なる貴人かな             生み継ぎぬ畳のへりにや西洋傘      

雨の日は傘の内なり愛国者              しじみ狩る少女の日傘や赤毛かげり     

傘売りにたまたま頭蓋応じけり    「鳥屋」    傘さして相模の恋をつらぬけり       

してゐる冬の傘屋も淋しい声を上ぐ          疲れ勃つ傘屋の奥の波止場かな     

繰返し戦後の傘屋残りけり       

人多き戦後の奈良に傘を干す 「鸚母集」    傘さして馬酔木見し人隠さるゝ「陸々集」

春雨を男傘にてをみな受く      

「蹲(うづくまる)」パラソル白き女欲し   「鹿々集」  鹿皮を隠しとほしぬ春日傘              

蛇の目傘会社の影を纏ひけり     「四五一句」    春日傘大和にいくつ女坂           

番傘の精神のとこ破れけり          

佳句も変な句も悉く並べてみた。私は、攝津の最初の傘の句が、ひどく好きだ。

  ことにはるかに傘差しひらくアジアかな

 個人的には、この句にパフィーのデビュー曲を思う。「アジアの純真」である。あの暢気な、意味不明なノリの良い曲のように、夢を感じさせる。それは個人的な夢というよりは、国の夢、戦前の日本の夢と言っても良い。まだ五族協和という標語が輝かしい協調の夢、平和と繁栄の夢であった頃、まだ満州事変が起こっていなかった時代の夢だ。李香蘭の映画なども思い出される。必ず惨たらしく破れるから、夢なのである。

夢の雰囲気は、「ことにはるかに」の高らかな措辞に表われている。日傘とは書いてないので、雨は降っているのだろうが、日照雨のような気がする。「差しひらく」という動作には、或る方向性が見られ、遙かな仄かな光を蔵する空に向かって傘の先を向けながら開く動きが良く見える。

「アジアかな」という納めから、傘を開く方向は大陸の方向かも知れず、或いは大陸の上海や奉天などで日本に向かって開くのかもしれぬと思わせる。軍歌を良く聞いていた攝津であったからこそ、その当時の夢の雰囲気を肉化することが出来たのだろう。(敗戦に繋がる満州事変以前から、数多くの軍歌はあった。)

月曜の日傘よ鶏が鳴いてます      傘新たに金曜をさす二階かな

なぜ月曜なのか、或いは金曜なのか、中々難しいが、それぞれの曜日は良く合っている。合っている訳を考えるに、一句目では、月曜+日傘=月+日=月日=時間となり、時を告げる鶏が配合されるのだろう。二句目では傘と金曜の類似は、どちらも山かんむりがあり、その形状は上方を「さす」ものであり、且つ家の屋根の形に似ていて、そこから二階という、屋根のすぐ下にあるものが出てくるのだろうと思う。

日常のかうもり傘のみ発展す

シュルレアリスムの技法に「デペイズマン」(異郷の地に送る事、という意)がある。意外な組み合わせによって受け手を驚かせ、途方に暮れさせるやり方だ。(同じく、デペイズマンの技法を四人で行うものに、有名な「優美な屍骸」がある。四人がそれぞれ何を書いているかを知らせずに、一つの文章の一つずつのパートを書く。最初にこのゲームを始めた時、出来上がった文章が「優美な屍骸は新しい葡萄酒を飲むだろう。」であったため、前述の名称で呼ばれるようになった技法。)

デペイズマンの技法といえば、その最初と見なされる、十九世紀フランスの詩人、ロートレアモンの「マルドロールの歌」、その第六歌のⅠに出てくる「解剖台の上の、ミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」を思う。(日本語訳では「蝙蝠傘」と「雨傘」の二通りの訳がある。)

攝津の難解な句は、その殆どがデペイズマンの技法であろう。攝津が「マルドロールの歌」の蝙蝠傘を知らぬ筈はない。となれば、掲句は「日常に則したデペイズマンの技法のみが発展する可能性を秘めている」という、自らの技法の宣言か。

生み継ぎぬ畳のへりにや西洋傘

この句もわざわざ「西洋傘」と断っているのは意味があるのだろうと思う。これもやはり攝津らしい「シュルレアリスム宣言」であって、古き良き日常の日本を象徴する「畳」のへり、端っこに、(西洋傘を媒介して)生み継ぐものは、デペイズマンの技法、と言いたかったか。

しかし、そんな難解な宣言よりも、私は次のような句が好きだ。

絵日傘のうしろ奪はわれやすきかな

冒頭の「アジア」の句でも、傘を差しひらくのは妙齢の女性であって欲しいと思うが、掲句はますますそう思わせる。「うしろ奪はれやすき」とは、触れなば落ちむ、の風情ではないか。絵日傘なら尚のこと、後ろから抱きすくめられそうな姿である。攝津が好きだったアラーキーの写真に出てくるような女を思わせる。「かな」の慨嘆が、実に利いている。

「夜目遠目傘の内」と言う。傘は攝津にとって、女性の遙かなエロティシズムを演出し包むものであったかもしれぬ。

しじみ狩る少女の日傘や赤毛かげり

潮干狩の少女であろう。赤毛の少女といえば、「赤毛のアン」を思う。活発でお転婆な、寄る辺ない孤児である。小さな貝である蜆を狩る行為からは、暗喩といえども少女のエロティシズムが、かなり露わに描かれている。

下五の「かげり」が妙で、赤毛が翳るのは日傘ゆえであろうが、この日傘が少女を守護しながらも枷となっている。赤毛は奔放の証、と西洋では言われるそうだ。赤毛の少女ならでは、日傘あるいは日傘に象徴されるものが、猶更自由を制限するように思われるのか。その枷に対する鬱屈が「赤毛かげり」なる字余りで表わされている。

傘さして相模の恋をつらぬけり

相模というと、今の神奈川の川崎、横浜を除く全域で、かなり範囲が広い。神奈川の一寸お洒落な感じが合うといえば合うだろうが、それよりも「相模」なる地名は「傘」との韻の関係で選ばれたのだろう。それでも、何となく鎌倉あたりの海近い雰囲気は伝わる。「つらぬけり」であるから、恋に一途な女か。ここでは、傘と恋(エロティシズム)の関係がはっきりと出されている。

夜目遠目傘の内と、傘が女に良く似合うなら、その傘を売る傘屋は、やはり男であろう。

してゐる冬の傘屋も淋しい声を上ぐ

恐らくは性行為を「している」傘屋、その傘屋は多分男だろう。「も」とあるからだ。女は嬌声を上げ、男「も」声を上げる。男の声は女の声とは違って「淋しい」。男は生殖が終われば、もはや用済みだからだ。種を繁栄させ、子に愛されるのは、ほとんど女の特権である。「冬」が利いている。男は行為の最中も、心が寒い。行為が終わった瞬間から、もっと寒い。掲句、男なる性に対して容赦ない句である。

疲れ勃つ傘屋の奥の波止場かな

海際にある傘屋で、店兼住居の奥が、直ぐ波打ち返す波止場とは如何にも淋しい。波止場は「疲れ勃つ」ときの傘屋の心の「奥」にある心象風景かもしれぬ。疲れても生物の義務に忠実に勃起する傘屋の、心が佇つのは波止場で、こんな淋しい空しい波止場なら、当然、加藤郁乎の「冬の波冬の波止場に来て返す」を踏まえている筈だ。読者が、郁乎の高名な句を思う事を前提に、掲句の上五中七は全力で、男にとって「冬」とは何かを表現している。冬とは、「疲れ勃つ傘屋の奥」である。

「疲れ勃つ」は、波止場に掛かるとも読め、波止場自体が男の性の暗喩である可能性もある。

(攝津が加藤郁乎の「波止場」の句をかなり意識していた事は遺句集『四五一句』中に「春ショール春の波止場に来て帰る」が入っている事からも窺えよう。「春ショール」の主役はあくまでも女であって、男の惨さは変わらない。「帰る」とは、女の捨台詞のようにも思われて苦笑する。同じく郁乎の「栗の花のててなしに来たのだ帰る」の「帰る」、あのぶっきらぼうな意地っ張りな台詞も思う。「春ショール」の句を出すことによって、郁乎の波止場の句は男が主人公である事を示したかったか。女にとっては波止場は空しくない。空しさを感じるには、女はあまりに現実に富んでいる。)

繰返し戦後の傘屋残りけり

しかし、傘屋は常に生き残る。同じ傘屋とは限らないが。「繰り返し」とは、「戦後」という語と組み合わさると、戦争やら何やらで繰り返し死んでは生まれ変わるという事か、或いは傘屋という職業が、戦争の終結の度、主または店舗を変えながら生き残るという事か。「傘屋」に男性なるものの暗喩を読めば、味わい深い。

人多き戦後の奈良に傘を干す

奈良は文化財保護の関係か、軍需工場がなかったせいか、或いは人口が少なかったためか、大阪や名古屋、東京に比べれば、空襲はかなり少なかった。だから、人が多いのである、と「戦後」なる語の意味を解釈したが、単に観光客が多いという見方も有りである。これも妙な句で、傘を干しているのは作者か、奈良の住人か、それとも奈良の傘屋か判然としないが、傘屋と取ると一番おもしろい。傘を干すのは、傘の元気回復の為だ。

この後、攝津の句の傘はあまり面白い展開を見せない。

「蹲(うづくまる)」パラソル白き女欲し

「蹲」をつくばい、茶庭にある手水鉢と取るなら、そこにアラーキーの撮るような女が白いパラソルを肩に掛けて、或いは白い着物などを着て、うずくまっていて欲しいのである。そうすれば、一層絵になるなあ、と攝津は考えたのだろう。

攝津が晩年骨董に凝ったことを思えば、この「蹲」は古信楽か古伊賀の「蹲るような形の」壺とも読める。古信楽や古伊賀の、何でこんな小汚い壺が、と素人は首を傾げるような恐るべき高値と、その贋作の多さを考えるなら、掲句の女は地味だが高嶺の花且つ疑わしさも残る女であろうか。

春日傘大和にいくつ女坂

上五と下五で尾韻らしきものを踏んでいる。大和は日本というよりは、むしろ大和路、奈良であると読んだ方が情景を結びやすい。女坂とは、社寺に通ずる坂が二つある時、勾配の緩い方の坂を指す言葉だから、奈良の社寺の数だけとは言わないが、相当数の女坂があるだろう。だから、この春日傘の主、或いは主たちは、寺か神社に詣でているのである。

ここで春日傘の主(女であって欲しい)に、死または異界の匂いがするのは、大和には幾つもの古墳があり、古墳の玄室に通ずる細い道が黄泉比良坂であるとする説があるからだ。

句集ではこの句の十句後に、「夏椿黄泉比良坂十方に」なる怖ろしい句があり、夏椿の赤さと相俟って、十方全て死に通じる情景は、攝津の晩年の病を考えると胸に迫る。

蛇の目傘会社の影を纏ひけり

どう解釈すればよいのか、途方に暮れる。そして、受け手を途方に暮れさせるのが、先に挙げたデペイズマンの技法の目的であるなら。

俳句形式は、いわば「解剖台」だ。「傘」とくれば「ミシン」はどこだ。大正十年創業の「蛇の目ミシン工業株式会社」である。そしてミシンは戦前の女性の必需品だ。傘、ミシン、ロートレアモン、デペイズマン、古き良きそして戦後も栄える会社、日本の佳き女性、それら全部をあたかもピカソのキュビズムの絵の如く、原型無きまでに組み合わせ、ぎゅっと絞ると「蛇の目傘会社」だ。では、その凝縮したデペイズマンの影を纏うのは、他ならぬ攝津であろう。これが、攝津の傘の「上がり」だったのだろうか。

最後に現われる傘の句は、

番傘の精神のとこ破れけり

「とこ」とは、処だろうか。それとも「床」だろうか。処なら、デペイズマンの精神の破綻という意味になるし、床なら女と同衾の果、傘屋ついに疲れ破れたりということだろうか。攝津のデペイズマン且つ傘の内なる女の到達した処は、蝙蝠傘でも、西洋傘でもない、日本の軽き良き番傘だった、と、掲句の如く、苦しく結んでおく。



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