3.11 ネパールにて

Facebookj小林 寿子さん投稿記事【3.11 ネパールにて】

「日本人に生まれることは宝くじに当たるようなもんだ」

と常日頃私は思っているが、ネパールを旅した時程それを痛切に感じた事はないですね。

私の唯一の趣味が海外旅行なんですが、12年前の2011年3月に趣味と実益を兼ねて水晶を買いにネパールへと長期の休みを取り旅をしたんです。

その頃、パワーストーンブームでヒマラヤで採れるガネッシュ・ヒマールが非常に高額に取引されていた。「旅行代位にはなるかな?」と思い、売り先を決めて巨大水晶を直接ネパールの鉱山師から買い付けることにしました。

いやあ、甘かったですね……バックパックで世界中回っているのでちょっとやそっとじゃ驚かないのですが、カトマンズの貧民街に迷いこんだ時の衝撃。言葉じゃ表せないです。

ネパール人はゴミをゴミ箱に捨てる習慣がないのか?道端にゴミが累積していて、道路わきには膝位の高さまで積もっています。

牛が放し飼いで飼われていて口をモゴモゴしてそのゴミの中から餌を食べています。

それでも新しい国への好奇心を押さえられない私は歩き回り、貧民街に迷い込んでしまいました。そして道路に架けた歩道橋みたいなものを渡った時もゴミと土埃で膝下が見えなかったんですね。土埃が少し落ち着いて地べたに何かがいると分かった時の驚き。

そこには手足のないお婆さんがボロ布をまといゴミの中に転がっていたんです!目も白かったので見えてなかったと思います。横には空き缶があって、少しお金が入ってました。

マフィアが手足を切断して物乞いをさせているそうです。夜になるとトラックに乗せられて何処かに連れられて寝かされて、また朝になると歩道橋に持ち上げられて物乞いをさせられる。

お婆さんに見えたけれど、もしかしたら私よりも若いのかもしれない。あの歩道橋の上で転がりながら、時には人に蹴られ踏まれながら、ずっと手足がなく物乞いをしている。

何を考えて何を思い生きていたのか?

恥ずかしいことですが、私は可哀想だというよりも凄まじい恐怖を感じました。体中の毛穴が粟立つような原始的な恐怖です。私は背中に脂汗が流れるのを感じ、自分の四肢が無事であることを確かめるかのように動かしました。

「自分も貧しい国に生まれたら同じ目に遭っていた。自分が日本に生まれたのはもう強運でしかないのだ。生まれる場所を間違えたら自分も同じ目に遭っていた」

私は財布の中のドル札を全部缶詰にねじ込んで、ふらふらとお婆さんの元を離れてホテルへと戻りました。それから2日間位原因不明の高熱を出して寝込みました。

変な感染症にかかったかな?と大変心配しましたが、人間余りにも精神的に衝撃が強いと熱が出るようです。数日で熱が無事下がったので気を取り直して、車をチャーターして鉱山師に会うために地方へと出発しました。

余談ですが、こういった第三世界では流しのタクシーなど絶対に乗ってはいけません。一日5000円程度ですが、キチンとした会社のタクシーをチャーターすることをお勧めしますね。あと肉はその場で殺したものを食べなくては、停電で冷蔵庫が利いてないので食中毒にやられます。

ネパールは首都カトマンズよりも地方が断然美しいです。ヒマラヤ山脈はもちろん、チトワン国立公園は多分この世に残された数少ない楽園ではないでしょうか?

スコールの中、巨大な樹木に見たこともないような色とりどりの鳥たちがとまり、一斉に聞いたこともないようなさえずりをして、仏陀が悟りを拓いたような美しい世界が広がります。

湿地帯のジャングルでは豹・虎・鰐などの猛獣に襲われないように最強な動物である象での移動手段が一番です。案内人たちは象の上に板を乗せて椅子を作り、旅人たちを乗せてタバコをふかしながらゆっくりと湿地を進んで案内してくれます。

夕方の輝く黄昏中、疲れた象たちは川で水を浴びをして家路に付きます。まさに絶景で平和そのものです。

私は鉱山師と何日間も交渉して、念願の巨大なガネッシュ・ヒマールを手に入れ、次第にネパールの旅を楽しむようになっていきました。その間はカトマンズの歩道橋で出会った手足のない老婆のことを記憶の奥に閉じ込めて考えずに済みました。

しかし、そんな時に3.11が起こったんです。

ネパールは停電が多いのでテレビはほんの少しの時間しか見れない状況でした。ネットも通じなかったので、見れるのは海外のダイジェスト版で津波が空港や町を飲み込んでいく衝撃的な映像ばかりでした。それを朝から晩まで繰り返しネパールで流していました。

映像を見たネパール人は世界が崩壊するかのような得体のしれない興奮に包まれていました。

日本人はアジアの後進国の中では貴族です。

貴族が没落していく映像がテレビで流れている。

テレビを見ながら、ネパール人達は歓声とも悲鳴とも言えない奇妙な声を挙げて、何とも言えない雰囲気で話し合ってました。それらの映像は被害の大きな東北地域しか流さないので、日本全体が津波で飲み込まれたと勘違いしていたようです。

英語が話せるネパール人は私に駆け寄り、「Japan is over 日本は終わったぜ」「Japan is finished 日本はもうお終いだ」と口々にまくしたててきます。

私は負けずに怒鳴り返しました。

「Japan is NOT over, Japan will never be finished! 日本は終わらない。日本は絶対に終わることはない!」

ネパール人は元々温厚な民族なので、目をキョトンとして私を見ていましたね。私が頭から湯気を立てて真っ赤になって怒っていたからです。それ以上は何も言い返してきませんでした。

町にはインターネット屋と国際電話をかけられる店が何件かあります。私はタクシーを飛ばし急いで家族の安否を確かめました。幸いな事に関東にいた私の家族は全員無事でした。

日本の家族の安否を確認するまで、人生あの時程不安だった瞬間はないですね。日本を離れている時に大災害が起こるとは…

ところが、翌日当座の資金を下ろそうと世界銀行(その頃日本には外国のどこでも預金が下せる某世界銀行がありました)に行くと、何と日本支店が止まっていました!あの驚愕。

「金がない……しかも、第三世界で」

何度も言いますが、ネパールでは日本人は貴族です。ボロボロの中古車ばかり走るネパールの道路でピカピカのランドクルーザーなど高級車に乗っているのは日本人だけでした。

それがです!

一夜で自分の預金から金を下ろせないほど、国が壊れてしまった。海外で金がないって物凄い恐怖なんですよね。

途端にあの老婆の姿が何度も頭の中に浮かんで……「自分もああなるかもしれない」と本気で思いました。結局は持っていたクレジットカードの最後の一枚でキャッシング出来て日本に帰国することが出来ました。

成田空港から降り立った時、そこには整然としたいつもの日本の姿がありました。日本人一億人が毎朝掃除機をかけたように道路は綺麗で塵一つ落ちていません。あの時は涙が出る程嬉しかったですね。震災の後も日本は美しいままでした。

人間の幸福や富なんてもろいものです。

一歩間違えれば貴族から貧民ですよ。

日本人に生まれるということは宝くじに当たったということです。

我々の先祖はあのネパールよりも酷い終戦の廃墟から這い上がり、来る日も来る日も朝星夜星を頂き必死に働き今日がある訳です。率が悪くなったといえども、我々は日本の社会保障制度があり医者にもかかれる。折角の幸運の宝くじを我々は絶対に手放してはいけないと思います。

日本人に生まれるということの恩恵を我々は良く考えた方がいいと思います。綺麗ごとを言うつもりなんて一切ありません。偽善は大嫌いです。私はこの特権をどんな事があろうとも手放すつもりはありませんよ。

人間一歩間違えれば、手足を切断されて目を潰されて歩道橋のゴミの中で眠り物乞いをするようになるんです!

命懸けで日本の国土を守って下さった英霊の御方々もそんな事をしたら、烈火のごとく怒ることでしょう。自分たちの子孫がそんな惨めなことをする姿は絶対に見たくないと思います。

米国はアフガニスタンを見捨て、ウクライナは軍事大国・ロシアによる核恫喝の中でも自国を守るために戦い続けています。中東は混乱を極め、Φ国は日本の領海領空に毎日侵入しております。

少しでも油断すれば侵略され、日本人も奴隷となる弱肉強食の中世の世界が始まってます。

日本も強くなるしかないです!

軍事力・諜報機関・外交を徹底的に強化して軍事覇権国家に隙を見せてはならない。

防衛は全ての人間に生まれながらに与えられた生存権の行使であり、なんら恥じることではありません。それよりも自分の愛する家族や仲間を見捨てて無理心中させる非道を恥じるべきです。

日本に生まれたという一等の当たり券を我々は絶対に手放してはならない!

それ程愚かな自殺行為というだけでなく愛する人たちも地獄へ突き落とします。なりふり構わずに美しき祖国を守る時がやってきました!

東日本大震災の犠牲者に黙祷致します🙏

永久に八千代に日本万歳🇯🇵

(2024.3.11改定版)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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