日本人の感性

Facebook長堀 優さん投稿記事「日本には、まだ何かがある」

 芽吹いたばかりの柔らかな芽を指す「萌黄色(もえぎいろ)」、

 少しくすんだ黄味がかった緑は「柳色」、

 淡い緑色である「浅葱色(あさぎいろ)」、

 さらには常緑の濃い緑を表す「松葉色」・・

 英語では、イエローグリーン、ディープグリーンのように合理的で簡潔な緑系の色の表現が、日本語では軽く百種を越えると言われます。

 その名称の一つ一つには、日本人が自然の色彩をどれほど愛し、尊重してきたかが表されています。

 雨の表現についても同様です。

 「村雨」「にわか雨」、煙るような夕立の「白雨」、冬に降る「時雨」、春先にそぼ降る「菜種梅雨」など、雨については、なんと数百の表現があるとされます。

 ただ雨というそれだけの現象なのに、何百通りにも味わい尽くす日本人の感性には驚くばかりです。

 言語だけではなく、絵画の表現方法にも日本人の特性が表れます。

 北斎の「神奈川沖浪裏」のように、デフォルメされた構図で大胆に大波を描いた作品や、ありとあらゆる生き物が登場する「北斎漫画」は、人物のリアルな表現を主体としてきた西洋美術界の度肝を抜きました。

 その衝撃がどのようなものであったのか、日本画家、森谷明子氏が、著書「ジャポニズムふたたび」の冒頭で詳しく述べられています。

 少し長いですが、とても大切な提言だと思います。

 ・・・

「日本には、まだ何かがある」

 百五十年ほど前のこと。二百年以上鎖国を続けてきた極東の小国が開国をしたことから物語は始まります。

 その国から届く陶磁器は、パリの目利きたちを喜ばせました。彼らをさらに驚かせたのは、その陶磁器を梱包していた包装紙でした。

 美しい色、斬新な構図、大胆な形、描いてあるモチーフの何もかもが珍しく不思議!

 あまりに美しい包装紙に魅了された人々は、こぞってそれをコレクションしたのです。

 その絵柄こそが、「浮世絵」でした。

 やがて、浮世絵を口火に約五十年にわたり、日本の文化芸術は西洋の人々を魅了し日本文化の大流行「ジャポニズム」が西洋諸国を席巻しました。

 その大流行は、一時の異国情緒的なブームで終わるかと思いきや、ルネッサンス以降かたくなに守られてきた表現技法に対し大変革をもたらします。

 しかもそれは、ギリシャ、ローマ以来長く続いた彼らの自然観、価値観、世界観をも大きく覆す、画期的な出来事だったのです。

 日本の文化芸術には、色、形、構図、といった目に見えた表現のその向こうに広がる、摩訶不思議な世界がありました。

 しかしながら、そうした深い部分を世界に紹介する場や機会を持つことなく、ジャポニズムは終焉を迎えます。

 「美の国」「芸術の国」ともてはやされた日本への憧憬は、当の日本の軍国化とともに色褪せていきました。

 彼らにしてみれば「敵国ニッポン」から美を学んだなどとは、さすがに言えない状況となり、「ジャポニズム」とはその影響の甚大さに比べれば、世界の美術史の中で実にささやかに記されるに留まり現在に至ります。

 つくづく戦争とは文化の普及を妨げる存在であります。

 二つの大戦を越え、幸いにも現在、西洋の人々は、武士道や武道、禅、あるいは日本の食文化、漫画やアニメなどを介して、もっと深い日本文化を求めるようになってきました。

 「日本には、まだ何かがある。」そう感じてそれを求めている西洋人は実際たくさんいるのです。その一方で、国内においてはこの百五十年の間に、日本文化は三度死んだと言います。

 一度目は明治の開国と欧化主義によって政府の方策のもとに、二度目は敗戦により伝統的なものへの不信感によって、そして三度目は高度成長期における経済至上主義の潮流の中で、日本文化は日本人の生活の中から遠のいていきました。

 しかし、三度死んだその果てで、かろうじて消え残る残り火をふたたび起こそうとする風があるとしたら、それは「日本にはまだ何かがある」という海外からの興味関心の声です。

 「日本には何があるのか。」

 そうした声に自信をもってこたえられる日本人が一人でも多く育つよう、そして日々の生活習慣の中でそれを意識して守り、体現しながら語れる日本人が一人でも増えるよう、心からの願いを込めてこの書を世に送り出したいと思います。

 「日本には何があるのか。」

 「はい、日本にはまだまだ伝えきれていない宝物がたくさんあります。」  

      (引用終わり)

 ・・・

 この緒言を体現するかのように、この本には日本的な美がさまざまな角度から語られています。

 鍵をかけない文化について、森谷氏は次のように語っています。

 「日本文化の醍醐味は、お互いの無言の配慮があってこそ味わうことができる。

 互いに目に見えない結界を引きながら、上手に個を維持し、同時に広い空間の共有を楽しんでいる。人と人、あるいは人と自然が明確な境界を引かれることなくゆるやかに共存しそれを楽しむ。なんともおおらかな文化である。」

 個人情報保護とはまったく無縁の日本家屋や温泉文化などを通じ、日本人は、仕切られた空間では感じることのできない開放感を味わってきたのです。

 自分のテリトリーを明らかにし、個人情報の保護に神経質になるほど犯罪は増え、漠然とした不安や警戒心が募るものです。

 かつての日本の面影はなんと温かく優しさに満ちていたことでしょう。

 鋭い観察眼に加え、慈愛に溢れた視点から森谷氏が語る日本人の感性の豊かさ、優しさに深く感動させられます。

 そして、この国に生まれた喜びをひしひしと感じることができます。絶版となってしまったことが残念です。

 今、鳥山明氏の急逝に対し世界中からお悔やみが集まっています。

 鳥山氏の作品や「キャプテン翼」、「ワンピース」などのアニメがなぜ、これほど広く受け入れられているのでしょうか。

 作品のストーリーや構図の面白さはもちろんですが、作品が、日本人独特の感性を感じさせるからなのかもしれません。

 さらには、森谷氏が指摘するような「日本には何があるのか。」という日本への強い興味もあるのでしょう。

 昨秋、ドイツでお世話になった教授夫人が友人とともに来日されたのですが、東京、京都などの定番に加え、レンタカーまで借りて、私が行ったことのない木曽の山奥にまで足をのばしていました。

 ドイツでは、インスタなどで木曽はとても有名なのだとか、びっくりする話ですが、でもとても嬉しいことでした。

 皇居、築地など、彼女を案内した先々で外国人観光客が溢れかえる様を目にし、日本人気を肌で感じることとなりました。

 日本の魅力を一番知らないのは、じつは日本にいる日本人なのかもしれません。

 日本ではあまり知られていませんが、この日本のアニメ予告編ビデオは、全世界で再生が百七十万回を超えています。

「あらゆる武器を愛に変えて…」

イザイヤーナギード

https://www.facebook.com/marthhealing/videos/791366209701779/

もう 戦いにうんざりだ、武器を愛にかえたい、愛しみあって暮らしたい、

 世界中の人がこんなふうに感じ始めた時、日本が古来大切にしてきた考え方、生き方が必要とされてくるに違いありません。


https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h30/hakusho/r01/html/n1131000.html 【第3節 日本人の感性(美意識)の変化】より

■1 平成以前の日本人の感性(美意識)

(1)日本人が昔から持つ感性(美意識)(古代から近代まで)

 日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、また、研究もなされているが、本節では、それらのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)を取り上げて、考察する。

 なお、国土交通省が実施した日本人の感性(美意識)に関する「国民意識調査」注18においても、高度経済成長期より前の日本人の感性(美意識)として上記の4項目が上位となっている(図表I-1-3-1)。

(義理がたさ)

 日本人は、古来より、自分のことを多少後回しにしてでも他者を尊重する、思いやりや礼儀を大切にする感性(美意識)を有していると言われている。

 例えば、明治時代に、新渡戸稲造は、こうした日本人の感性(美意識)を整理し、「武士道」としてまとめている。この中で、日本人には「義(正しさ)」「仁(情け)」「礼(敬意)」「誠(誠実さ)」等の徳(人としての優れた精神性)があると述べている。この文献は、1900年当初は、アメリカにて、英文で刊行され、米国大統領のセオドア・ルーズベルトやジョン・F・ケネディ等に影響を与えている。また、英語以外の言語にも翻訳され、世界中で広く知られている。なお、日本語訳版も1908年に出版され、日本人の間でも読まれるようになっている。

(伝統・文化)

伝統的な文化や風習

 日本では、例えば、明るい知的な美を「をかし」、しみじみとした情緒美を「もののあはれ」と表現するなど、「美」に対して、ニュアンスの異なるきめ細やかな感覚を有していた。その中において、特に、日本人は、「大きく、力強いもの」よりも、「小さく、愛らしいもの」や、「縮小されたもの(小さくまとまったもの)」に対して「美」を感じてきた。こうした感性(美意識)により、盆栽や箱庭、弁当等の「縮小した世界観」が生まれ、国内において文化として根付いただけでなく、現在、広く世界に知られるようになっている。

 また、日本人の奥深い感性(美意識)として、度々取り上げられる「侘び・寂び」は、簡素で静寂な中に美しさを感じるという意味で使われている。さらに、「侘び・寂び」は簡素だけでなく、明白にせず曖昧に暗示することによる美しさや、古いものの内側からにじみ出てくる(外装に関係しない)美しさ等を表現した言葉でもある。「侘び・寂び」を具現化するものとして、特に、東山文化を代表する慈照寺銀閣、茶道(侘び茶)、桂離宮等が有名である。

 こうした「侘び・寂び」のような感性(美意識)は、明治時代、岡倉天心の「茶の本」において、茶道を通して欧米向けに紹介されている。また、国際的にも高く評価されており、例えば、桂離宮については、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、簡素な美しさを絶賛し、日記に「泣きたくなるほど美しい」と記したと言われている。

異なる文化の受け入れ

 日本人は、伝統を守り続ける一方で、新しいものを取り入れ、自国の文化に発展させることに長けていると言われている。歴史的に見ると、古代から中世までは、中国を中心としたアジアの近隣諸国の影響を、そして明治以降は、欧米からの影響を強く受けつつ、それらの文化の受け入れと取捨選択を繰り返し、日本の伝統的な感性(美意識)と融合させ、独自の文化として発展させている。

 例えば、茶道は、茶を飲む習慣や茶の製法が中国(唐)から伝来した後、盛大な茶会や闘茶という遊芸となり、華やかさを有する文化として広まった。しかし、室町時代には、茶をもてなす主人と客との精神的な交流が重視されていき、華やかさではなく「侘び・寂び」等を体現する独自の文化として発展している。

(和)

 調和や協調を重視する姿勢も、日本人の特徴的な感性(美意識)であると言われている。こうした感性(美意識)は、例えば、江戸時代の長屋における生活に見受けられる。長屋では、共有する井戸の周り(井戸端)が女性たちのコミュニケーションの場となり、食材、台所用品、食器等の生活必需品の貸し借りや、他の人の育児への協力等が日常的に行われていた。長屋は、一つのコミュニティとして、つながりや支え合いといった相互扶助の精神により成り立っていた(図表I-1-3-3)。

 また、近代以降においても、松下幸之助が、日本人は、「和を貴び、平和を愛し、お互いに仲良くしあっていこうとする国民」であり、会社経営においても社員の知恵を尊重し、助け合うといった「和の精神」が大事であると述べている。

 なお、「和」には、調和と協調のみならず、身分を問わず広く議論して決めるという意味も含まれており、こうした考え方は、7世紀初頭の聖徳太子(厩戸王)によって作られたとされる「十七条憲法」や、1868年に明治政府によって出された「五箇条の御誓文」にも見られる。

(自然)

■自然を愛でること

 日本は、国土の大半において春夏秋冬が明確にわかれている国であり、人々は四季の移ろいに敏感で、自然に対する感受性が鋭いと言われている。自然を題材とした、または、自然の美しさについて記した書物は、古来より多数書かれている。例えば、鎌倉時代、「徒然草」の作者である吉田兼好は、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と記し、自然の美しさは、満開の花や満月だけではなく、これから咲くつぼみや雨の中の月など不完全なものの中にも存在するということを述べており、自然の様々な姿を愛でていたことがうかがわれる。

 さらに、江戸時代には、浮世絵に、花を愛でる描写や、自宅やその庭で盆栽等の植木を育てる描写があること等から、花見や園芸の文化は庶民にまで浸透していたことが分かり、人々は、身分を問わず、広く自然を楽しんでいたと考えられる(図表I-1-3-4)。

 また、明治・大正期の著名な地理学者である志賀重昂(しがしげたか)は、「日本風景論」において、日本人は欧米人や中国人と比較して、自然現象に対して敏感であるなどと述べている。

■自然との調和

 日本人は、自然を愛でる対象としてとらえる一方で、人間は自然の一部であるという独自の自然観を持ち、自然との調和(共生)を図ってきた。

 庭園等では、周囲の景色を活かしながら景観をつくりあげる「借景」の技法が取り入れられ、景観を楽しむとともに、周囲との一体感を醸成していた。例えば、室町時代の鹿苑寺金閣や、明治時代の無鄰菴(むりんあん)(山県有朋の別荘)の庭園等が、借景庭園として知られている。

 また、障子に見られるように、建物の内部と外部をはっきりとは遮断せず、自然との連続性を持つことも好まれていた。このような感性(美意識)は「空間の連続性」を大切にするという意識にもつながっており、平安時代や鎌倉時代の絵巻において、その物語を、場面によって区切ることをせず、連続したものとして表現していること等にもうかがえる。

(2)高度経済成長期以後の日本人の感性(美意識)

(高度経済成長期における変化)

 1955年頃から1973年まで、急速な経済成長を遂げたこの時期は、社会生活が大きく変容し、日本人が持つ感性(美意識)にも多大な影響を及ぼしたと考えられる。

 高度経済成長期は、欧米に「追いつけ、追い越せ」の精神により、経済性や機能性を重視し、人々はデザイン等個性にこだわらず、大量に生産された画一的な物を消費していた。「大きいことはいいことだ」という言葉に象徴されるように、人々は、より大きな物をたくさん所有し、また、次々と買い替えていくという「物質的な豊かさ」を追求していたと考えられる。

 急激な経済成長は、人口分布にも変化を及ぼし、経済発展の中心である都市への人口集中による過密化と、地方における人口流出による過疎化が顕著となった。都市では、増加した人口の受け皿としてニュータウンが建設され、住民のつながり等は、地方よりも弱まっていくとともに、類似した商業施設や看板の乱立等により街の景観は画一的なものとなっていった。一方、地方においても、人口流出により昔のようなコミュニティを維持することが困難となり、以前よりも人のつながりが弱まっていったと考えられる。

 また、この時期の経済発展により、公害等の環境問題が発生した。急速な工業化の過程で、自然が破壊され、工場から排出される有毒廃棄物等は、周辺住民に健康被害をもたらした。また、大量生産・大量消費の経済構造が進み、ごみが急速に増え、その総排出量は、高度経済成長期の当初(1955年)からの20年間で約7倍に増加した(図表I-1-3-5)。

 このように、高度経済成長期は、「和」や「自然」等の日本人が昔から持つ感性(美意識)に比べ、特に「物質的な豊かさ」が重視されていたと考えられる。

(高度経済成長期の後の変化)

 1970年代、オイルショックにより急激なインフレが発生し、旺盛な経済活動にブレーキがかかったことにより、高度経済成長期は終焉を迎えた。これを契機に、人々の価値観には、消費を美徳とすることから、節約を美徳とすることへと変化が芽生え、商品を選択する際には、個性(自分らしさ)を重視するようになっていった。「量から質へ」と日本人の意識は変化していき、「物質的な豊かさ」を追求する傾向は徐々に弱まっていったと考えられる。


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