https://www.mysai.net/cgi-bin/kaisetsu_disp.cgi?kisetsu_cd=3&kisetsu_kbn_cd=1&bun_ya_cd=05&bun_ya_kbn_cd=03&kigo_no=0050 【【秋】被昇天祭(ひしょうてんさい) - わたしの俳句歳時記】より
季語解説
秋(初秋)・宗教
【被昇天祭】 ひしょうてんさい
◇「聖母祭」 ◇「聖母昇天祭」
8月15日、カトリックの祝日。教会ではこの日、聖母の死とその栄えある被昇天とを祝う。
例句 作者
銀河濃しマリアの八月十五日 景山筍吉
被昇天その後の聖母露に濡れ 阿波野青畝
海と空夕べひとつに聖母祭 ながさく清江
http://blog.livedoor.jp/taktag55/archives/34542056.html 【キリスト教と俳句 】 より 6月の季語は?
カシオの電子手帳《EX-word》に『角川俳句大歳時記』があるので、キリスト教関係の季語を探した。あるある。主なものは以下の通り。例句はクリスマス(聖夜、聖菓などを含む)の場合、七十以上もあり、俳句には疎いので気に入った句をフィーリングで適宜選んだ。
季語は春夏秋冬に分けました(俳句はすべて旧暦。キリスト教行事も旧暦。ただし、被昇天聖母祭、聖母生誕祭、クリスマスは新暦)。
クリスマス愚者の楽園地下にあり これは川柳みたいです。
【春】
【四旬節】 レント、大斎節、四旬祭。
解説 灰の水曜日より復活祭の前日までの日曜日を除いた四〇日間を言う。受難節ともいう。復活祭を準備するための期間で、四〇日はシナイ山でのモーセ、ホレブ山に向かうエリヤ、公生活を始める前の、荒野における祈りと断食のキリストに因んでいる。受洗者と堅信者には準備の期間、他の者にはその誓いを更新し、神との正しい関係に戻る期間である。「四旬節を失う者は、その一年を失う」といわれるほど大切にみなされた(須佐薫子)
例句 尖塔へ葛のぼりゆく四旬節 大島民郎『山月』
例句 浦上に青文字咲けり四旬節 築城百々平『青文字』
例句 四旬節ゴルフバッグに封印す 松井義和『ひいらぎ』
【灰の水曜日】 聖灰水曜日、聖灰祭
解説 四旬節は灰の水曜日から始まる。灰の水曜日は四旬節の第一日曜に先立つ前の水曜日でその日、カトリック教会では灰の祝別式と塗布式とが行われる。「あなたは塵であり、塵に帰っていくのです」(創世記三章一九節)から人々に肉体は焼けば無益な塵になってしまうと、全能である神への痛悔と謙遜を説く。信者の額に十字を書くのに用いる灰は、前年の棕櫚の日曜日に祝別された棕櫚の枝を焼いて作られる。(須佐薫子)
例句 灰の水曜額のほてりにみぞれけり 内田哀而(泉)
【聖週間】 聖週期、大週間、受難週
解説 復活祭前の一週間のこと。棕櫚の日曜日に始まり、各曜日の頭に「聖」を付けて呼ぶ。イエスをメシア(古代ユダヤ人が待望した救い主のこと)と信じる原始教団は、メシアの死というユダヤ教とは相容れない根本的な問題に直面して、新しいメシア像を確立した。つまりユダヤ人のためだけではなく、人類すべての原罪を贖うために神がイエスをこの世に遣わし、危難させた、と解釈したのだ。その受難を思い、復活祭の準備をする週間。受難週とも言う。(松浦敬親)
例句 長老の法衣の襞や聖週間 原月舟『月舟全集』
例句 湖べりにさくらつらなり受難週 森澄雄『空艪』
例句 曖歐の虹欲しき窓受難週 伊丹さち子『象嵌』
例句 聖週や月星濡るる遠山脈 山本よ志朗『濱』
【棕櫚の日曜日】 棕櫚の聖日、枝の聖日
解説 復活祭(年によって日が異なる)の一週間前の日曜日のこと。イエスが弟子たちに受難を告知して、エルサレムに入城したのを記念する日。『新約聖書』によると、群集(ユダヤ人)は上着や棕櫚(ナツメヤシ)などの枝を敷いたり、振ったりしながら、イエスを「主の御名(みな)によって来たる者」として歓迎した。それで、棕櫚の日曜日という。しかし、その四日後には、同じ群集がイエスを処刑せよと叫ぶ。記念の儀式は、四世紀末にエルサレムで始まった。(松浦敬親)
例句 棕櫚の日の雑踏に喉乾きけり 柏原眠雨『炎天』
【受難節】 受苦節
解説 受難節は教会暦の中の一つで、復活目前の六聖日を除いた四○日を言う。受難とはイエス・キリストの十字架の死と埋葬のこと。受難節の第六週は受難週といい、最後の晩餐の後のユダの裏切り、鞭打たれたゴルゴダの丘で二人の強盗とともに十字架にかけられ、遺骸がヨセフに引き取られ新しい墓に納められるまで。十字架刑になりながらも「父よ彼らをお許しください。彼らは何をしているのか分からないのです」というイエス子言葉に胸がつまる。(須佐薫子)
例句 覆はれし受難のイエスに雪降れり 大野林火『白幡南町』
例句 坂の上日も暮れがての受難楽 下村ひろし『馬酔木』
例句 地に群るる嘴鋭き鳥や受難節 馬場駿吉『耳海岸』
例句 よこはまを濡れて歩きて受難節 丘野むつみ『青樹』
【復活祭】イースター、復活節
解説 イエスの復活を記念して、春分後の最初の満月の次の日曜日(2015年は4月5日)に行う祭事。ユダヤ教の過越祭(すぎこしのまつり。エジプト脱出の時に小羊の皿を戸口の柱に塗ったイスラエル人の家を神ヤハウェイが通り過ぎてエジプト人にのみ難を与えたのを記念する祭)では小羊を犠牲にして食べるが、イエスはこの小羊の役を、「神のひとり子」として演じた。そうすることで、原罪(アダムとイヴがエデンの園で禁断の木の実を食べた罪)が購(あがな)われ、神とイエスを信じる者には神の難(死)が通り過ぎると考えたのだ。着色した卵は復活の象徴。(松浦敬親)
例句 復活祭手摺れ聖書に夫の文字 原月舟『月舟全集』
例句 ながながと復活祭の朝の鐘 本井 英『夏潮』
例句 馬車の荷の百花に風や復活祭 草間時彦(鶴)
【夏】
【聖霊降臨祭】聖霊祭、五旬節、ペンテコステ
解説 『新約聖書』の一つのエピソードで、イエスの復活・昇天後、祈っていた聖徒たちの上に神からの聖霊が降ったという出来事。復活祭から第七の日曜日すなわち五〇日目(2015年は5月24日)。聖霊により使徒たちは満たされ、様々な言葉でペテロが中心ぬり、力強く神のこと、イエスのことを語り出した。多くの人々がイエスを信じ洗礼を受け、使徒に加わった。聖書の「あなた方の上に聖霊が降りると、……地の果てに至るまで、私の証人となる」という言葉が成就する。ラテン語でペンテコステ。(須佐薫子)
例句 薔薇に雨使徒に聖霊降臨す 景山筍吉『萩叢』
【三位祭】(さんみさい)聖三位祭、至聖祭
解説 聖霊降臨祭の次の日曜日で、三位一体の教義を賛美、礼拝する祭日。三位とは「父なる神」「神の子イエス」「聖霊」を指す。キリスト教ではこれら三者は実体としては一つであり、同質不可分であるため、同じ神性を持つと考える。「父と子と聖霊の御名によって」は祈りの言葉。(須佐薫子)
例句 なし。
【聖母月】 マリアの月、聖母祭
解説 五月のこと。ローマ人やゲルマン人の春の訪れを祝う五月祭を背景に、春における十字架の信心(五月の信心)が行われていたが、それがマリア信仰に集約された。マリアが「神の母」と是認されたのは、四三一年のエフェソ公会議で、聖母子像が東方正教会で定型化された。それが一二世紀に西方へ入り、五月のマリア信仰が盛んになった。教皇ヒウス七世による認証(一八一五年)や、マリアの無原罪の御孕(おんやどり)りの教理宣言(一八五四年)はその結果である。(松浦敬親)
例句 聖母月夜は噴水の羽根ひろげ 保坂春苺(子午線)
例句 聖母月乳のみあたへ得る母に 柚木紀子(夏草)
例句 マリア月地球は一つなのに銃 呉羽陽子『鴎座合同句集翔』
【聖心祭】 みこころ祭。 ↓(最下段に説明)
解説 聖霊降臨祭後、二〇日目の金曜日。。罪のゆえに断罪の下にある人間が、神を父と呼ぶことのできるのはキリストの贖罪(しょくざい)行為によるのであって、自然的関係ではない。そのことを深く思い、わが子以上に愛した人類に対する、神の聖なる愛を思い、強い信仰を持とうと善徳に励む日。(須佐薫子)
例句 みちのくのバラの盛りの聖心祭 金沢朝子(家庭の友)
例句 ほととぎす夜もすがらなり聖心祭 畠山安屯(家庭の友)
【秋】
【被昇天祭】 聖母祭、聖母被昇天祭
解説 八月一五日。カトリック教会では聖母マリアが地上の生涯を終えた後、神の特別な恵みによって霊魂、肉体とも天の栄光に上げられたことを記念する。キリストは「昇天」、聖母マリアはキリストによって天に上げられたので「被昇天」といい、一九五〇年、教皇ピウス一二世によって定められた。イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのも一九四九年八月一五日で、「日本がキリスト教と出会った記念日」とも言える。(須佐薫子)
例句 老猫を抱き医へ聖母昇天祭 杉山鮎水(翔臨)
鈴掛の鈴よ落ちるな聖母祭 陽美保子(泉)
ã¨ã«ã»ã°ã¬ã³å±-1
エルグレコ『聖母被昇天』 【聖母生誕祭】 暁星祭
解説 カトリックの祝祭日で、聖母マリアの誕生した九月八日。聖母マリアに関する記念日は、様々に年間を通してちりばめられているが、聖母誕生祭は重要である。カトリック教会ではマリアを全人類を無条件で愛した、暁の星の出現として暁星祭とも言っている。(須佐薫子)
例句 なし。
《冬》
【クリスマス】 降誕祭、聖誕祭、聖夜、クリスマスイヴ、聖歌、聖樹、クリスマスツリー、聖菓、クリスマスケーキ、サンタクロース、クリスマスカード
解説 カトリック、プロテスタント共通の祝日。キリストの降誕を祝って一二月二五日に行われるが、生まれたのが夜なので、その前夜をクリスマスイヴといい、礼拝を行う。降誕の日には諸説あるが、四世紀ころローマ教会が一二月二五日と定めた。「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(『マタイによる福音書』一章一八節)(須佐薫子)
例句 クリスマス愚者の楽園地下にあり 福田蓼汀『山火』
例句 聖樹立ち何かうれしき療舎なり 角川源義『西行の日』
例句 テノールの一瞬昴じ聖夜弥撒 大関靖博『点描画』
例句 少年に藁のにほへる聖夜劇 井上弘美『泉』
なお、6月は「イエスのみ心」の月で、6月12日は「イエスのみ心」の日でした。季語は「み心祭」「聖心祭」。
こちらも参考に。
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
新『ブッダ伝』
http://blog.livedoor.jp/taktag55-56/tag/%E6%96%B0%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E4%BC%9D
https://note.com/okadakou/n/n16da6c55d3ae 【「聖五月」という季語】より
岡田耕
【御礼】記事「歳時記を旅する2〔聖五月〕前*指立てて齢告ぐる子よ聖五月」にうれしいお知らせをいただきました。(末尾に掲載)
キリスト教のカトリック教会では、五月はマリアに捧げる月とされていて、特にマリアを崇敬し、祈りを捧げます。
この五月は、聖母月やマリアの月と言われますが、俳句では「聖五月」と固有の言い方をすることがあります。
歳時記では「聖五月」は、季語「五月」の傍題で、または「聖母月」の傍題で見られます。
この「聖五月」という言葉は、カトリックの俳人・平畑静塔(一九〇五~一九九七)の考案によるものだそうです。
平畑静塔の聖五月を詠み込んだ代表句に、「鳩踏む地かたくすこやか聖五月」があります。
平畑静塔は、戦後、大阪女子医専の教職にあった一九五〇年のクリスマスの日に、西宮市のトラピスト修道院で受洗しています。
聖母月の信心は三百年ほどの歴史がありますが、俳句で聖母月を「聖五月」という言い方をするのは、戦後になってからのようです。
聖母月の信仰は十八世紀に盛んになったというイタリア。マリア信仰そのものは、千年以上の歴史があるそうです。
現在のイタリアのフィレンツェの、マリア信仰にかかわる建築物や生活習慣などを、イタリアのモノづくり|ようこ さんが現地から記事で報告されています。ご紹介します。
https://note.com/artigiana_arte/n/n0b01cd159bb2 【聖母が降り立つ街、フィレンツェ。】より
無原罪の御宿り
今日12月8日のイタリアは祝日です。マリア様は神のお告げによりイエスキリストを宿しましたが、マリア様も同様に、神のお告げにより、お母様の聖アンナのお腹にマリア様が宿った日。正式名は「無原罪の御宿り(むげんざい の おやどり)」です。
キリスト教の教条に「ドグマ」というものがあります。暗黒の中世の世界を想起させるような音の響きですが、どんなに理屈が通らないことでも、『はい。そうですか。』と、宗教会議で決議されたことを素直に受け入れなければならない教条です。
「無原罪の御宿り」のドグマは、キリスト教2000年の歴史のなかで比較的新しい1854年に決定されています。
下の絵は、ミケランジェロと同時代に生きたジョルジョ・ヴァザーリが描いた1500年代の作品です。
裸で天を見上げている裸の男女は、アダムとイヴ。
この果物は美味しいよぉ、食べてみなよぉ。アダムにも、さ、ほら、ほら。
ヘビが、イヴをそそののかし、アダムが禁断の実を食べ、2人は楽園から追い出されてしまいます。神の「決して、してはならぬ」という命に背いてしまった罪は重く、二人の子孫、つまり人間は、ずっとこの罪を負い続けることになります。
諸悪の根源ヘビ。ここでは、悪魔のような羽を持つ大蛇として、絵の中央に描かれています。
マリア様はその悪の根源である蛇を、御御足(おみあし)でムンズと踏みつけ、蛇と足の間には、純潔を表す三日月が描き込まれています。
キリスト教では、アダムとイブが神にそむいて禁断の木の実を食べてしまう人類最初の罪を原罪と呼び、アダムとイブの子孫たる人間も、この原罪を持って生まれてくるとされています。
キリストの母親であるマリア様は、神の子を産むのであるから、原罪を持って生まれてはなりません。なので、マリア様もキリストのように、お母様の聖アンナのお腹に神のお告げにより身籠ります。
アダムとイブが見上げてる先に、蛇を踏みつけているマリア様がいるのは、原罪を持たずに生まれてきたことを表現しているのです。
「無原罪の御宿り」の考え方は教条が決定されるずっと前から存在していたことが分かります。
旧約聖書のアダムとイブと新約聖書のマリア様。旧約と新約の二つの聖書を、ひとつに解釈しようとしたキリスト教の歴史を垣間見るようで興味深いテーマです。
この絵は、フィレンツェ中心街にあるサンティアポストリ教会にあります。800年という石碑が残されている、フィレンツェでは珍しい小さなロマネスク教会です。
1000年の歴史を持つ、フィレンツェのマリア崇拝
1000年から1300年にかけて、欧州ではマリア信仰が浸透します。教会に入ると、十字架に磔(はりつけ)になり、痛そうな辛そうな表情のイエス様が祀られていますが、教会内にはマリア様を祀る祠も必ずあります。
トスカーナ州はマリア信仰が強く、フィレンツェもマリア信仰の街です。
フィレンツェが国として形成され始めた1000年頃から、フィレンツェの職人たちは、マリア様を、ことあるごとに、色々なシーンで表現しており、イエスの母、慈愛に満ちた女性とし、描き、彫られています。
1244年に創立されたという、フィレンツェ大聖堂の隣にある、ミゼリコルディア・フィレンツェ。ミゼリコルディアは慈悲という意味で、病人の看護や死者の埋葬を行なっていたボランティアの慈善団体です。
現在も、常に救急車が待機しており、サイレンをけたたましく鳴らして出動するので、フィレンツェで遭遇された方もいるかもしれません。1244年からずっとこの場所で活動を続けています。
昔は、黒頭巾を被り、目の部分だけに穴を開け、活動していました。
なぜだと思いますか?顔を隠すため。なぜ顔を隠す必要があったのでしょう?身元をわからないようにするため。なぜ身元を隠すのでしょう?お礼をされないためです。
人を救うのに「誰が」助けたかは関係なく、ましてや、お礼をされるために活動しているのではありません。
「聖なる石の街に、恋する芸術家たち」で取り上げた、大理石彫刻家ファビオ・ヴィアーレ氏のピエタ像。
より良い生き方を求めて、移民や難民という形で、欧州へと渡ってくる人達に背を向けることなく、我が子を守る姿として、マリア様は欧州そのものとし、表現されています。
大聖堂の斜め向かいにビガッロの柱廊があります(現在修復中)。荘厳な大聖堂の前にひっそりと建つこの柱廊は子供を捨てる場所でした。捨てられた子供を、ミゼリコルディア・フィレンツェが拾い擁護していました。
ビガッロに描かれた1200年代のフレスコ画。ミゼルコルデイア(慈悲)のマリアと呼ばれ、マリアさまの庇護を受ける人々が描かれています。
まだ大聖堂も、大聖堂のクーポラも、鐘楼もなく、洗礼堂だけが描かれている、1200年代現在のフィレンツェ国が描かれています。
現在のドゥオーモ広場。手前の建物が、ビガッロの絵に描かれている洗礼堂です。私たちは、建造物が完成された、現在のドゥオーモ広場を見ることができますが、ここに至るまでの約800年の間に、戦争があり、さまざな人が関わり、ドラマがあったことでしょう。
以前に、革職人のシモーネが、『わたしたちは完成された姿を見ているけど、我々は歴史という過去からずっと続いている。過去に戻り、それがどう現在と未来に繋がっていくのかを見てみたい。」と言っていたのを思い出します。
フィレンツェにあるマリア様のための、3つの教会
フィレンツェには、マリア様を祀る教会が3つあります。
ひとつはもちろん花の聖母大聖堂。温かみのある美しい三色の大理石でお化粧された、フィレンツェで最も大切な、マリア様に捧げられた大聖堂です。
建立されたのは、1296年。着工日はマリア様のお誕生の日9月8日。教会として聖別する日は、マリア様がイエスを受胎された3月25日に行われました。1436年のことです。
このようにフィレンツェの大聖堂は、マリア様にゆかりのある日が、大切な日として決定されていったのです。
********
次いで、サンティッシマアヌンツィアータ教会。「サンティッシマ」という舌を噛みそうな言葉は、サンタ(聖人)の最上級の表現です。
この教会には、マリア様に捧げられた美しい祠があります。画家がどうしてもマリア様のお顔を描くことができず、悩んでいたら突然眠気に襲われ、目が覚めたときにはすでに完成していたというエピソードが残されているほど、優しいお顔のマリア様が描かれています。
画家が眠っているときに、天使が描いたと言われているマリア様。
ルネッサンスの街にあり、天井や装飾がバロック調の豪華な教会です。美術館のように作品を見て歩く教会とは異なり、信者のための教会でミサも頻繁に行われます。
画像16
教会内に入るために通る回廊も素敵です。
********
サンタマリアマッジョーレ教会。
中心街にありながら、素通りされることの多い石積みの教会。溢れかえる人混みを掻き分けるように扉を押すと、まるで別世界に入り込んだような静けさで、厳かな空気に包まれています。建立は931年。いまもそこに建っているという事実だけで、歴史の厚みに心が響きます。
この教会には1200年代の美しい聖母子像が祀られています。
暗闇のなかに浮かび上がる金箔を背にした聖母子像は、眩しい美術館の光では感じられない、作品の「あるべき姿」を体感できます。
孤児院とマリア様
上述したビガッロは、かろうじで屋根はあるけど、柱だけの壁のない場所だったので、冬などは子供が捨てられて凍死することもありました。それで新たに孤児施設として作られたのが孤児養育院です。1445年に完成しています。
この孤児養育院が、マリア様のための教会のひとつ、サンティッシマアヌンツィアータ教会の建つ広場に建設されたのも、偶然ではないでしょう。
孤児養育院については、過去にも書きましたが、一度では書ききれないほどの物語がたくさん存在します。マリア様が両手でマントを広げ、子供達を庇護しています。
孤児養育美術館には、当時の芸術家が養育院に寄贈したマリア様の作品が展示されています。
通り沿いのマリア様
マリア様は、信者会、病院、孤児院においても、貧しき人や苦しき人を庇護し救済する女性として描かれ、街角にも道端のお地蔵様のように祀られています。
街を歩いていると、このような作品を至るところに見ることができるのも、フィレンツェの良さかもしれません。
イタリアに暮らして感じること
イタリアには、教会が母体となっている、病院のような機能を果たす慈善団体がいくつもあり、日々の生活が苦しい方、病気の方、高齢の方、日本の葬儀屋さんのようなものまで、幅広く活動しています。
施設への送り迎えを担当するのは、慈善団体に籍を置く年金生活のボランティアの方々です。
施設や病院に入らなくても、毎日1度は自宅に訪問し、点滴の確認、注射の接種、血圧測定などを行なってくれ、必要とあれば車椅子も貸し出します。
日本の香典はイタリアにはありません。香典の代わりにご家族に何かを渡したいときには、友人達がお金を出し合い、家族が世話になった慈善団体へ寄付することが多いです。
マリアさまがお腹に宿った、めでたい日なのに、このような話題になってしまいましたが、イタリアには、街単位地区単位で、小さな慈善団体が無数のようにあり、生活を支えています。
ほかの国では分かりませんが、少なくともイタリアには、道徳観や美意識の根っことなる部分に、キリスト教があるのではないかと感じることが多々あります。
キリスト教のネガティブな面も報道されますが、慈善慈愛といった慈しむ心を持ち実際に活動をしている人たちや団体がいることも、イタリアらしいと感じます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
(岡田 耕)
*主な参考文献
新堀邦司『神を讃う』新教新書 1999年
『キリスト教歳時記』中央出版社 1980年
『福音歳時記』ふらんす堂 1993年
0コメント