貝寄風を盈たす瓢となりにけり

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6816562/  【豊かさの本質・下丹田強化】


https://ameblo.jp/petit-village-france/entry-11672280857.html 【なぜ、「ホタテ」なの?】より

こんにちは!木蓮です。

今日は、毎回、コメント欄に質問がくるので、今までブログの中に、散りばめすぎていた、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」 (フランス語 サンジャック・ド・コンポステル)のことを、きちんと書いておきます。

情報を分散させすぎて、わかりにくくなってしまって、ごめんなさいね~。

そして、興味のない方は、まったくもって、面白くないと思いますので、それもまた、ごめんなさい~(笑)

まず、下の画像のフランス国内の青い線を見てもらい、上から、トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道、トゥールーズの道と、4つの巡礼路を確認してください。

そのうち3つの道 (トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道)は、オスタバ=アスムで合流し、 サン=ジャン=ピエ=ド=ポルを通って、ピレネー山脈のイバニェタ峠に向かいます。

そして、トゥルーズの道のみ、オロロン=サント=マリーからソンポルト峠に向かいます。

サンジャック

(こちらの画像は、ウィキペディアより借りました)

なぜ、昨日、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルが、重要と話したかと言うと、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道程は、「フランスの道」と呼ばれ、巡礼路では、最も重要な道と言われるからです。

ですので、巡礼路を歩きたい!という人は、この「フランスの道」を選択する人も多いと言われています。(他にも、イギリスの道とか、ポルトガルの道など、いっぱいあります!)

ですが、この「フランスの道」は、巡礼者にとって、一番の憧れなんですね。

さてさて。

みなさんが、疑問に思っている「なぜ、ホタテ貝ばかり?」という話。

雨音さんが、一生懸命コメント欄で、解説してくれてましたね。

しかし、もう少し詳しく説明しておきます。

家の前にホタテガイをつけているのには、理由があります。

それは、このホタテガイをつけている場所は、巡礼者に一夜の宿を与えてくれる施設であることを表し、巡礼手帳を持つ人に対し、寄付(無料)、もしくは3ユーロから7ユーロくらいで泊めてくれるというわけです。(ただし、最近は、昔の古い建物についているだけで、宿泊できないところもあるので、確認が必要です)

その施設にとまると、巡礼手帳に、公式のスタンプを押してくれたりもします。

この公式スタンプは、巡礼の証明になるので、巡礼者は、要所、要所で、必ずスタンプを押してもらいます。

コンクのところでも、少しお話ししましたが、この「ホタテ貝」は、巡礼のシンボルでもあり、また、水筒がわりに、ひょうたんを持って歩きます。

ここまでは、いいとして、多分、みなさんの知りたいのは、「どうして、ホタテ貝なの??」ということでしょう。

これは、ものすごくいろんな説があります。

我が夫曰く、昔から、よく言われているのが、キリストの12使徒の一人である「ヤコブ」にまつわる話だそうです。

フランスでは、「ヤコブの貝(いわゆるホタテガイ)」のことを、「サンジャック」、スペイン語では、「サンティアゴ」(細かい違いを説明するのは割愛します)と言うのです。

そう、巡礼路の名前を見ていただければ、わかるとおり、サンジャック(フランス語)、サンティアゴ(スペイン語)と、全く同じですね。

ですから、ホタテガイが、シンボルとなるそうです。

しかし、その他の諸説もたくさん存在します。

① 巡礼者たちが記念に持ち帰ったため。

当たり前ですが、昔の巡礼は、命がけ。

ですから、サンティアゴに着いた巡礼者たちが、そこでホタテガイを食べ、それを記念として、持ち帰ったのがはじまりと言われています。

簡単に考えると、無事に帰れた人たちは、「ホタテガイ」の殻を持っているわけで、いわゆる「げんかつぎ」でしょうね。

②ヤコブの亡骸を運んだ小舟についていた。

これも、結構有名な気がしますが、エルサレムから、たどり着いたヤコブのご遺体を乗せた船の底に、びっしりとホタテガイがついていたから。

③布教中に、ホタテガイを、杖にぶら下げて歩いていた。

ヤコブが、各地で布教中に、ホタテガイを杖にぶら下げ、これで水をすくって飲んでいたのだそう。

④ホタテガイには、再生の意味、豊穣の意味がある。

ギリシア神話の女神ヴィーナスとともに描かれた有名な絵。

みなさんもご存知だと思います。

これには、「再生」の意味があるそうで、巡礼するということは、その場所に古い自分を葬り、目的地に着くと、新しい自分に生まれ変わると言われるそう。

他にも山ほどありますが、書きだすと10個どころの話ではないので、この辺でやめておきます。

さて、サンティアゴ・デ・コンポステーラを歩きましたよという証明書がもらえる人は、徒歩で100km以上、自転車で200km以上という条件があるそうで、巡礼手帳を持っていれば、帰りの飛行機や鉄道料金が割引になると、ウィキィペディアに書いていました。

ちょっと、そこまで調べていないのですが、確かに、ル・ピュイの道では、歩いたところまで荷物を運んでくれたり、たどり着いた先から、宿泊施設まで送ってくれるというサービスがあり、活用しない手はありません。

しかしですね!

ピレネー山脈から、自力で全部歩くと、780~900kmの距離(選択する道で変わります)で、1日平均30kmのスピードで歩いても、約1か月かかる計算になります。

さて、みなさんの謎は解けましたでしょうか??

これからも、きっと私が、ホタテガイを載せるたびに、疑問を持つ人がたくさんいらっしゃるだろうと思ったので、まとめページを作ってみました。


https://tomoshibi.or.jp/holiday/2021/07/25.html 【07月25日の教会の祝祭日 聖ヤコブ使徒】より

 イエスの12使徒の一人ヤコブは、「ゼベダイの子ヤコブ」で福音記者ヨハネの兄弟であり、兄の方である。ペトロやアンデレ同様ガリラヤの漁師の家に生まれた。また彼が別称"大ヤコブ"と呼ばれる理由は、使徒の中で最初の殉教者であり、マタイの従兄弟にあたる「アルファイの子」小ヤコブと区別するためであった。大ヤコブはヨハネの兄で、彼らの母サロメは、イエスの母マリアの従姉妹である。したがって大ヤコブとヨハネは、イエスと親戚になる。

 彼は、父親と兄弟ヨハネと一緒に舟の中で網の手入れをしていた時、イエスに呼びかけられ、父と舟を残して従った弟子である。父親はとても立派な漁師で数艘もの舟を所有する程の裕福な漁師だったと伝えられる。

 大ヤコブは、別の名を"雷の子"とも呼ばれたが、彼の声が非常に大きな声だったからだと伝えられる。大ヤコブは、イエスの側近であり、常にイエスの重要な場面に居合わせている。イエスの可愛がった3人の弟子の一人 (変容の場面、ゲッセマネの祈り、奇跡の場面など)でもある。イエスの復活後、当時辺境の地と言われたスペインにまで宣教の旅をしている。そしてエルサレムに戻るとユダヤの王ヘロデ・アグリッパによるキリスト教迫害で捕えられ、12使徒の中で最初の殉教者となった。

 大ヤコブは、スペインの守護の使徒と呼ばれている。理由は、彼の遺体が彼の愛した宣教地スペインに運ばれたからだと伝えられている。長い間、その遺体を葬った墓は不明となっていたが、813年に発見された。その場所は「コンポステラ」(星が現われ、聖人の墓を示したという伝説)と名づけられた。

それが現在、最も重要な巡礼地"サンチャゴ・デ・コンポステラ"と呼ばれ、使徒ヤコブ殉教者の葬られている聖地となっている。


https://tomoshibi.or.jp/pilgrimage/ 【~巡礼記~】より

 昨年私は、カトリック学校の教員を主な対象とする「イスラエル聖地巡礼の旅」に参加してまいりました。 聖書に登場するエルサレムとガリラヤ湖周辺の街を巡りながら聖書世界を学び、 祈りながらの旅を通して神様とのかかわりを深め、子どもたちに神様をより良く伝えるための研修でした。

 しかし現在、イスラエルは報じられているようにとんでもない事態となっています。

 教皇フランシスコは10月9日、バチカンのサン・ピエトロ広場で訴えかけられました。 「・・・全ての戦争は敗北です。イスラエルとパレスチナの平和を祈りましょう」と。

 この連載を中止しようかとも考えましたが、1日も早い停戦への祈りを込めて、 巡礼でいただいた聖地での学び、気づきにつきまして、毎月一回、ご報告をさせていただこうと思っています。

聖地イスラエルでいただいた恵み

第五回「ゲッセマネの園」 「主の泣かれた教会」

オリーブ山の中腹に建つ教会です。建物のデザインは、イエスが流された「涙」を表しています。

 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「・・お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」 (ルカ福音書19章41~44節)

 エルサレムのために泣かれたイエスは、都が敵に包囲され、破壊されることを予告されました。そしてその予告の通り、エルサレムは紀元70年にローマ軍の攻撃を受けて陥落したのです。

 「ゲッセマネの園」

エルサレム城壁東側のキドロンの谷をへだてたオリーブ山の麓にある園です。かつてこの一帯にはオリーブ畑が広がっていました。現在も、樹齢2千年を超える木が残っています。「ゲッセマネ」とは、ヘブライ語で「オリーブ油搾り」を指す言葉です。オリーブの木は乾燥にも強く、地中海沿岸の土地に多く見られる木です。

 イエスの時代、夜はエルサレム城壁の門は閉じられ、城内に宿泊場がない者は城壁の外に出なければなりませんでした。夜、城外に出されたイエスは、弟子たちと一緒にオリーブ山に行くことが多かったようです。

 「ギドロン谷の向こう。そこには園があり」(ヨハネ18章1節)。「いつものようにオリーブ山に行かれた」(ルカ22章39節)。イエスと弟子たちは、しばしばこの園に集まっていたことが分かります。

 「ゲッセマネの教会(万国民の教会)」

イエスが聖木曜日の夜、苦しみもだえ、切に祈られたゲッセマネに建てられた教会です。4世紀に創建され、1919年に再建されました。16を超える国々(万国民)からの献金によって建てられました。

 教会正面の美しいフレスコ画が特徴的な教会です。内部のビザンツ様式のモザイクは『苦悶のキリスト』、『ユダの接吻』、『イエスの逮捕』が描かれています。

 祭壇の手前には、大きな岩盤が置かれています。この岩の場所で、イエスが血の滴るように汗を流しながら、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかしわたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ福音22章42節)と父なる神に祈りを捧げられたと伝えられています。

 「ユダヤ人墓地」

オリーブ山の麓からキドロンの谷へ向かう一帯には、ユダヤ人墓地が広がっています。

 ユダヤ教の教えによると、「終末の日にメシヤがオリーブ山に立ち、黄金の門が開いて、死者たちが復活する」と信じられています。復活の日に神殿に向かって立ち上がるために、死者は足をエルサレム神殿に向けて埋葬(土葬)されています。

心のともしび運動 阿南孝也

次回は第六回「ヴィア・ドロローサ」を3月10日(日)に掲載予定です。


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