ひな祭り

Facebook仁平 香代子さん投稿記事

🎎本日は『ひな祭り』ですね🎎毎年恒例ではありますが今年も本日意識してほしいことについて、綴ってみました📝

https://ameblo.jp/kayohachi/entry-12842829543.html?fbclid=IwAR3E_cOHehUR5mNPm0bPe1Mz3iDwY7O0Nv-TZuiCOXX8V_MsLIsCq15fHCk 【『ひな祭り』は性教育の日だった?! ~1年に一度女性である自分を慈しもう~】より

本日は『ひな祭り』ですね~

ところで皆さん『ひな祭り』は元来性教育の日だっただってというお話は、ご存知でしょうか~!?

長年、私のブログ&メルマガをお読みくださっている方は毎年の様にご案内してきたのでご存知かと思いますが元々、『ひな祭り』(ひな人形を飾る形式)は江戸時代の武家社会から始まったといわれております

江戸時代の武家では3歳ぐらいから15歳くらい(お嫁に行く)までの間で年齢に応じて段階的な【性教育】を行っていたそうです。

※庶民に広まり、 一般的になったのは明治の頃だそう

ちなみに、最終的な【性教育】は、お嫁に行く際に『春画』(セックスのハウツー本みたいなものだって)を親が嫁入り道具の『タンス』に忍ばせていたというのがある様ですが

これは、親からの「夫婦生活がうまくいく様に」という『祈り』も込められていた様ですド

 詳しくは↓

 https://mag.japaaan.com/archives/52545

っと、これらは諸説ある様なのですがどの説に於いても、根底には『ひな祭り』は、女の子の

健やかな成長を祝う儀式であるのは確か

であれば・・・『健やかな成長』を祝うのならばやはり【性教育】も欠かせないと思いませんか!?

やはり、女性として『性』のことを年相応に知っておくことは必要ですしこれまた一説によると、3歳どころか0歳から伝えることが大切だと言われています。

ですので『ひな祭り』というタイミングで【女性】である自身の【女性性】を意識する節目として また お子様がいらっしゃる方はご家庭で【性教育】を行うきっかけの節目として!!

活用いただけたら嬉しいです

という訳でここからは『ひな祭り』の時にお子様への性教育にお話できる小話を少しご紹介しますね

『ひな祭り』といえば、まず以下の様なものを食されると思います。

お雛様菱餅   お雛様ハマグリのお吸い物  お雛様五目ちらし  お雛様白酒(甘酒)

「これらには、それぞれ 想い(意味)が込められている」というのは、一般的にも知られているかと思いますが以下のことは、あまり一般的に知られていないのではないでしょうかお雛様『お内裏さまと、お雛さま』というのが 【結婚の象徴】であった

お雛様「昔の日本では子宮全体のことを『おひし』と呼んでいて

 【『おひし』を『菱餅』で意識】させていたお雛様甘酒(白酒)は【『精子』の象徴】

お雛様『ちらし寿司』は、【様々な男を噛みしめてから男を選びなさい】と伝えるツールだった

昔の日本は、これらの内容を元に『結婚とは何か?』『結婚前に知っておいた方が良いこと』

『結婚相手を選ぶ為には??』といったことを家庭内で伝えていたそうです

きっと上記の内容だけでもお子様の年齢に合わせてお話出来ることがあるんじゃないかな

というか・・・

自分たちの『結婚』までの経緯などをお伝えしても良いかもですよね

『娘ちゃん』に対してなら『旦那様』を選んだ理由とか

私、ブライダルの仕事をしていたこともあるのですが・・・『両親の馴れ初め』とか

『結婚までのストーリー』が子供に良い影響を与えて素敵なお相手を選べたという話を結構聞くのですよ

そんな私も・・・両親が『結婚』に至った経緯を聞いて「それも素敵ね」と思ったことが

そして、それが私の『恋愛』に少なからず良い影響を及ぼしているので

その様な話をしてみても良いかもしれませんよね


https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/20.html 【季節のことば】より

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

仲春―其の一【雛祭り(ひなまつり)】

「内裏雛人形天皇の御宇とかや」という芭蕉の句がある。意味は天皇、皇后の姿に擬した一対の雛人形が優美に飾られているが、これはいったい何天皇の時代かといえば、人形天皇のお治めになる御世とでも申すべきであろうか、といったところ。芭蕉が意識していたかどうかはわからないが、この句は内裏雛の歴史をくしくも皮肉に象徴している。

雛人形を中心にした桃の節供、雛祭りが今日のような形になったのは案外に新しく、室町時代から江戸初期にかけてのことのようだ。『源氏物語』や『枕草子』には「雛遊び」というのがみえるが、これは現在のままごと遊びのようなもので、紙の小さな人形を中心にミニチュアの所帯道具などを使った貴族の子供たちの一般的な遊びで、まだ三月の節供とは関係はなかった。

またそれとは別に古代中国には、三月の初めの巳の日(上巳)を陽の気が窮まった忌むべき日として、川辺に出て不浄を除くため水で祓えを行うという風習があった。同様な風習は日本にもあったので、二つは習合し、紙で作った人形(ひとがた)の形代(かたしろ)に人の穢れを移して、水に流すという象徴的な行事に変わる。この行事が雛遊びと結びつき、上巳も三月三日に定着して今日の雛祭りに発展してきたのである。 雛祭りが庶民の年中行事として盛んになってきた背景には、朝廷の権威がまったく地に落ちた時代に、武家の支配以前のかつての王朝文化を懐かしむ気持ちがあった。したがって芭蕉のこの句は、有名無実となってしまった朝廷の権威をするどく皮肉ってもいるわけでもある。

雛人形が今日のように雛段の上に鎮座する座り雛の形になったのは、徳川家康の孫、東福門院和子が子供のために作ったものがはじまりとされている。彼女は二代将軍秀忠の娘として生まれたが、幕府の婚姻を利用した朝廷懐柔策のため、十四歳で後水尾天皇の中宮として入内した。天皇との間に皇女興子、高仁親王と二子を得るが、高仁親王は夭逝。天皇は周囲の反対を押し切って、興子(明正天皇)に譲位してしまう。平安時代以来絶えていた女帝の誕生である。和子は、興子が美しい花嫁となって嫁ぐ日を夢見ていたが、天皇となったからには、もはやかなわぬ夢。それでその夢を座り雛に託したというわけである。

桃の節供と呼ばれるのは、季節のものという理由のほかに、桃には邪気を払い百鬼を制すという魔除けの信仰があったからである。桃は兆しをもつ木で、未来を知らせ、魔を防ぐとされた。鬼退治の主人公はどうしても桃太郎でなければならなかったのである。また「兆」には多数という意味もあり、二つに割った桃の実は女陰に似て、聖なる呪いの要素ももつ。

草の戸も住み替はる世ぞ雛の家 松尾芭蕉    雛の影桃の影壁に重なりぬ 正岡子規

函を出てより添ふ雛の御契り 杉田久女    白き粥かがやく雛の日とおもふ 桂信子

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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