精神保健法の誕生

https://tomydaddy.hatenablog.com/entry/2022/01/24/213545 【古い資料(1984年)から―宇都宮病院事件とは何か】より

古い資料(1984年)から―宇都宮病院事件とは何か

古い資料を整理していたら、<資料:宇都宮事件(What does this event mean for us?)>という小冊子が出てきた。この冊子は、昭和59年(1984年)4月~昭和60年(1985年)4月まで、宇都宮病院事件関連の新聞記事をコピーしてまとめたものだ。発行者は、「精神科看護者グループ交流舎」となっている。

宇都宮病院事件とは何か

昭和58年(1983年)、看護職員らの暴行により、入院患者2名が死亡した事件である。以下、インターネットのウキペディアの記載から転記しておく。

「宇都宮病院は、他の精神科病院で対応に苦慮する粗暴な患者を受け入れてきた病院であったが、事件以前から私刑として「看護師に診療を違法に行わせる」「患者の虐待」「作業療法と称して石川文之進院長一族の企業で違法に働かせる」等々の違法行為が行われていた。・・・」

<1983年4月、食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約四時間後に死亡した。また、同年12月にも、見舞いにきた知人に病院の現状を訴えた別の患者が、職員らにより殴られ翌日に急死した。>

上記は、資料の新聞記事からの引用である。「あとがき」は次のように結ばれている。

「この事件を単なる不祥事として捉えるのではなく、我々の舞台である精神医療の問題として振り替えることを意図してこの資料集を作成した。「宇都宮病院事件」が精神医療の最後の悪しき出来事に終わることを願い、ここに資料「宇都宮病院事件」を発刊する。」

1984年4月に、宇都宮病院事件が明るみに出た頃に私も興味深く新聞記事を切り抜いた記憶がある。

「医学の名門に深い傷」という大きな見出しの記事が、朝日新聞朝刊(1984年5月26日付)に掲載されている。

<「精神科医として失格です」――。報徳会宇都宮病院事件で、医学部当局から、「医師としての基本的倫理に欠ける」と「厳重注意」された東大の医師らは、今は反省を口にする。>との記述がある。この事件には、当時、神経系の取材でき知己を得ていた自治医大のMY教授も宇都宮病院に関連して不適切な関係を指摘されていた。

事件の裁判結果は次のようだ。「刑事訴訟において、暴行を行った看護職員のほか院長も起訴され、宇都宮地方裁判所において全員が懲役8カ月〜4年の実刑判決を受けた。また、民事訴訟では「入院治療の必要がんあいのに監禁された」として元入院患者が院長らを相手取って損害賠償を求め提訴し、請求が認められている。」

記憶と記録のために古い資料を紹介した。

宇都宮病院事件と日本の精神医療関連年表■

1950年  精神衛生法制定

1958年  新国民健康保険法(厚生省医局長通達)

     精神科を一般科より低スタッフ数で運営するという方針

1960年  医療金融公庫法施行

     精神病院に対する低金利長期融資始まる

1961年  宇都宮病院開院(精神科37床、一般科8床、結核12床、合計57床)

     措置入院に対する国庫負担の率の引き上げ(措置入院に対する国庫負担率の

     引き上げ(措置入院強化拡大の基盤成立)

     石川院長が東大精神医学教室(秋元波留夫教授)に通う

1962年  平畑富次郎院長就任

1963年  同病院290床

     厚生省第2回全国精神障害者実態調査

1964年  ライシャワー米国駐日大使死傷事件

     日本精神医学ソーシャルワーク協会設立

1965年  精神衛生法一部改正、国会を通過

     申請、通報、届け出制度の強化、緊急措置

     入院制度の新設等

     全国精神障害者家族連合会結成

1967年  同病院350床

     栃精協幹部同病院の強引な患者呼び込み問題等を県環境衛生部に告発

1968年  同病院507床 

     WHOの派遣医DHクラーク「日本にける地域精神医療レポート」

     報告書は日本の精神病院の実情を批判している

1969年  日本精神神経学会は精神医学医局講座制の告発に揺れる

     全国各地で精神病院不祥事件多発

     ルポ「精神病棟」連載(大熊一夫さん)

     厚生省公衆衛生局長、医務局長通達 

     精神病院の運営管理に対する指導、監督の徹底

1971年  平畑院長辞任、石川院長就任

     事務長石川裕郎(実弟)辞職

     松本幸雄(元宇都宮南署次長)就任

1972年  759床 

1975年  石川裕郎県議に当選

     病院を中心に報徳会企業を続続と設立

1983年  本館新築 930床(精神809床、内科55床、結核56床)

<コメント>

記の冊子の裏表紙の年表を掻い摘んで転載した。そこで、気がついたのだが、初代の院長の平畑富次郎さんは、俳人である。医師で俳人でどういう人なんだろう。    

(2022年1月24日)


https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n349/n349001.html 【「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年8月号 時代を読む10】より

宇都宮病院事件から精神保健法の誕生

1984(昭和59)年3月、栃木県宇都宮市にある精神科病院、医療法人「報徳会宇都宮病院」における患者リンチ事件が新聞報道され、病院スタッフによる患者への暴行、無資格者の医療行為や不必要な入院などが明らかにされました。

1984年8月、国連人権小委員会において国際法上の問題として日本政府は非難され、また、1985(昭和60)年5月には国際法律家委員会(ICJ)が、わが国の精神科医療の実態を調査するために訪れるなど、宇都宮病院事件は国際問題へと発展していきました。その結果、国連差別防止・少数者保護小委員会(第38回会議・ジュネーブ)において、日本代表は、精神障害者の人権保護を改善することを明言しました。

1987(昭和62)年、精神衛生法は精神保健法と改正されました。宇都宮病院事件における精神障害者への重大な人権侵害が、大きな問題となって法改正に至ったことから、改正の主な内容は次の通り、人権に配慮するものでした。

精神障害者本人の同意に基づく任意入院制度の創設

入院時における書面による権利等の告知制度の創設

入院の必要性や処遇の妥当性を審査する精神医療審査会制度の創設

精神科病院に対する厚生大臣(当時)等による報告徴収、改善命令に関する規定

精神障害者の社会復帰の促進を図るために精神障害者社会復帰施設に関する規定

中でも任意入院が初めて規定されたのが、たった23年前ということが驚くべきことではないでしょうか。現在では、入院の6割以上が任意入院であり、当たり前の入院形態になっていますが、精神保健法以前の時代には、入院形態は同意入院(現在の医療保護入院)と措置入院、仮入院しかなく、精神障害者が自ら精神科病院への入院を希望したとしても、それを受け入れる形態がなかったのです。

わが国の精神保健福祉の歴史は、さまざまな事件を契機として変わってきましたが、宇都宮病院事件は、その後の施策を変える大きな事件であったと言えるのではないでしょうか。

(伊東秀幸 田園調布学園大学教授)


https://tomydaddy.hatenablog.com/entry/2021/01/19/223155 【石川文之進って何者だ】より

 「宇都宮病院事件」というものがあった。今から35年くらいまえだった思う(後で調べる)。概要は忘れたが、宇都宮の精神病院における患者への虐待事件ではなかったろうか? 宇都宮病院の院長が石川文之進さんだったと思う。この石川さんが二つの本を最近出した。以下のような広告がでていた。

 『精神医学と俳句』(幻冬舎ルネッサンス新社)

 昭和の大俳人、平畑静塔(富次郎)の実像と後ろ姿。静塔の医道と俳句は写真の陽画と陰画の関係にあった。40年間静塔に師事した著者が畏敬を持って静塔を語り明かすと出ていた。

 『アルコール症―病院精神医学の四十年』(メディカル・ジャーナル社)

 著者等が発見の遺伝性アセトアルデヒド分解酵素をするノンフラッシング型は、白人では100%で、青白くなる故昔話では青鬼しか出ず、欠如するフラッシング型は東洋50%ずつ故、青鬼、赤鬼となった。著者40年の自見験3千例。渾身の総括。

 以上の本に興味を抱いたので記録した。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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