https://ameblo.jp/haikudaisuki/entry-11339022021.html 【MY季語集「迎火」NHK俳句8月17日】より
NHK俳句を生涯教育のテキストとして十二年 入選2回、佳作少々 岩岡中正先生
ゲスト中村桂子さん (JT生命誌研究館館長)
中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1日 - )
生命誌研究者、JT生命誌研究館館長。理学博士(東京大学、1964年)。東京都出身。
生命誌は、生命の歴史物語を読みとることです。英語の方が分かりやすく、Biohistory。“history”の語源を調べると、まず探求する。次にそれを誌(しる)すという意味があります。誌していくとそれが歴史になる。生きものは、このようにしてこそ見えてくると思っています。
生命誌研究館を作ったのは2つの理由があります。
1つ目の理由は、長くたずさわってきた生命科学は、DNAを基本にして生きもの全体を考えます。地球上の生きものの共通性が分かってきて非常におもしろいのです。日常見えるのは多様性ですから、生きものの共通性を見つけることは学問としてとても興味深いことです。けれども “アリもヒトも基本的には同じ”という共通性を見つけたうえで、なぜ“アリはアリ”で“ヒトはヒト”なのかという疑問が改めて出てきます。共通性と多様性は生物学の基本となる問いです。この問いを考えていた時に、ゲノム(DNA)という切り口は、多様性と共通性を共に考えることができるものだと気づきました。この問いを考えよう。これが1つの理由です。
2つ目の理由は、現代科学は基本的に機械論的で、生きものを機械のように見ています。生きものを要素に還元していき、構造と機能を理解したら、生きものが理解できると思っています。しかし私は、そうは思いません。生きものは歴史的な存在なのです。ヒトがヒトになり、アリがアリとなるまでにどんな過程があったのかを知らなければなりません。以前は、それを知るには化石を調べるしか方法がなく、情報も少なかったのですが、現在は、ゲノムという切り口で、現存の生物の研究から歴史を見ることができます。ゲノムには各々の生物の歴史が刻まれているのです。例えば、私が今持っているゲノムは、両親からもらったものです。ではその両親はというと、そのまた両親からというようにずっとさかのぼるわけです。現存の生命の中にあるゲノムが歴史そのものです。しかも、生命の起源以来約40億年の歴史が入っているので、ゲノムを通して歴史を見て行くことができるのです。
生命の歴史を読み解くことは、私たちが調べて読み解くということもありますが、生きものが生きていること自体、その歴史を読み解きながら暮らしているのです。ですから、生きものたちをよく見つめることは、彼らが読み解いてきた物語を聞かせてもらっていることでもあります。
ゲストの好きな句 囀をこぼさじと抱く大樹かな (星野立子 )
兼題「迎火」 門火(かどび)
門火焚く(かどびたく) 迎火(むかえび《むかへび》) 送火(おくりび)
魂迎(たまむかえ《たまむかへ》) 魂送(たまおくり)
苧殻焚く(おがらたく《をがらたく》) 苧殻火(おがらび《をがらび》)
盂蘭盆会の最初の日の夕方、祖先の霊を迎えるために苧殻などを焚くのが迎火、
盂蘭盆会の最後の日の夜、精霊を送るために焚くのが送火である。
両者を総称して門火という。家の門口ばかりでなく、墓・浜辺などで焚く土地、
また提灯を捧げて墓場まで迎えに行く地域もある。
迎火や風に折戸のひとり明く 蓼太
あひふれし子の手とりたる門火かな 中村汀女
信濃路は白樺焚いて門火かな 大橋越央子
橋過ぎてよその門火に照らさるゝ 黒田杏子
炎の中に青さの見ゆる門火かな 佐藤博美
門火焚き終へたる闇にまだ立てる 星野立子
門川にうつる門火を焚きにけり 安住敦
富士にまだ明るさ残る門火焚く 加倉井秋を
迎へ火や瀬音の中の一家族 草間時彦
送り火を焚きためらふは雨の音 篠田悌二郎
送り火の跡ある門を閉ざしけり 上野章子
父に似る伯父を上座に魂迎 福永耕二
迎え火へ現のかほをあつめたる 岩岡中正
風が吹く仏来給ふけはひあり 高浜虚子
「迎え火」の季題に添うた句
特選
一席
迎火を今更焚いて親不孝 兵庫県神戸市 北條幸夫さん *「今更」が効いている。「親孝行したい時には親はなし」
二席
迎火を瓦礫の海へ焚きにけり 福島県いわき市 中田昇さん *大震災句 「瓦礫の海」でわかる。
三席
迎火の風にことりと父の下駄 大阪市茨木市 瀬戸順治さん *父恋の句。「聴覚」をうまく使っている。
入選
迎火や待つといふこと美しく 熊本県熊本市 南野幸子さん
*思い出を語り合うか、今の幸せを報告するか
迎火に親父一升下げてくる 福岡県中関市 安行啓二さん
*酒好きの親父を偲ぶ。
迎火を焚いて受け容れねばならぬ 兵庫県神戸市 松下弘美さん
*最愛の人の死を受け容れなければならない。辛さ寂しさ。
焚き終へし迎火の榾かたと落つ 岐阜県鳰浪市 和田郁江さん
*ほのおの消える瞬間を視覚と聴覚で捉える。
校庭に迎火を焚く教師かな 神奈川県横浜市 中川いづみさん
*教え子を津波で失った悔しさ悲しさ自責の念。
隠れ耶蘇めくマンションの迎火よ 千葉県習志野市 長尾登さん
*仏教の儀式が「隠れ耶蘇」めくと捉えた感性がすごい。
集合住宅なので火を使うのはためらえるのか
ネクストジェネレーション
宇井十間(ういとげん) 数理哲学者「ヴィトゲンシュタイン」のもじりか
世界史をねむらせ雌雄の鷹めぐる
世界史という俳句的ではない言葉を
俳句の中に定着したかった。
俳句は日常性の詩形ではない。
日常性を越える別の可能性をさぐる。
俳句という概念を壊したい。
上達のワンポイント
迎火の美しき燠残りけり *入れ替えて口調良く
迎火の燠美しく残りけり
迎へ火焚く星の大きな母の里 *傍題をうまく使って口調を整える
門火焚く星の大きな母の里
二百面相落選句
亡き父の猫背似てきし魂迎
禿頭と猫背似てきし魂迎
迎火の煙やたらと眼にしみる
https://www.minnanokaigo.com/news/special/keikonakamura/ 【生命誌研究者・中村桂子先生に聞く、生命と老いのお話「人間は“生きもの”として生きることが大事」】より
「生命誌」研究ーーそれは科学による知見を大切にしつつも、これまで科学が答えられずにいた「私とはなにか、私たちはどこからきてどこへ行くのか」という根源的な問いに応えるべく、生きものすべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業です。
そんな「生命誌」研究の提唱者かつ第一人者である中村桂子先生に、生命誌目線から「介護」や「老い」についてのお話をお聞きしました。
人間とは「生きもの」である
ーーまずは先生が研究されている「生命誌」について、改めて教えていただけますでしょうか。
「人間は生きものであり、自然の一部」というあたりまえのことを基本に、生きているとはどういうことか、どのように生きたらよいかを考えるのが生命誌の仕事です。
「人間は生きもの」という言葉の内容を具体的に、美しく表現したいと考えて描いたのがこの図、「生命誌絵巻」です。
(「生命誌絵巻」(1993年) 原案:中村桂子先生 協力:団まりな氏 画:橋本律子氏)
最も基本的なことは次の4つです。
第1は、扇の天にあるさまざまな生きものたち。生きものは多様だということです。
第2は、その多様な生きものはすべて、扇の要(かなめ:根元にある軸のこと)にある、40億年ほど前には海中にいた祖先細胞から進化してきたということです。非常に多様だけれど祖先は1つ、皆仲間です。
第3は、すべての生きものが40億年の歴史を持ち、それぞれにその特徴を活かして暮らしているのであり、優劣はないということです。
そして最後に、その中に人間もいること。現代社会は、人間は扇の外から他の生きものを支配できると考えて動いていますが、それは違います。「上から目線」でなく、「中から目線」で生きものたちを見ましょう。
今の社会はあまりにも「個」だけに目を向け、「“自分”探し」で悩んでいます。
もちろん「私」は唯一無二の存在であり、大事です。けれど、生命誌で明らかなように、「私」は必ず「私たち」の中の「私」、しかもそれはアリや蝶、薔薇の花ともつながった、「私たち生きものの中の私」なのです。そう考えると、外へと開かれた大らかな気持ちになります。
(図:中村桂子先生提供画像をもとに編集部作成)
生命は個体の死によって多様に進化していく
ーー小学生の質問のようになってしまうのですが、そもそも生命はなぜ老い、死んでいくのでしょうか。
本来細胞は死なずに続いていくものでしたが、進化によって性が生まれ、個体が生まれた時に「死」ができました。
なぜそのように進化したのか。
多様になれるからでしょう。多様になれば、生きもの全体としては続いていけますから。
個人としての死はそれぞれの受け止め方がありますが、「老い」や「死」は生きものの長い歴史の中で生まれたものとしてあるのだということですね。
ーー先生ご自身は、歳を重ねていくことをどのように捉えられていますか?
実感としては30代、40代、50代といつも「私にとっての私」は変わりませんね。
30年前の自分と客観的には違うのは充分分かっていますが、主観的には同じです。ただ1日1日自分を積み重ねていく。それが生きるっていうことじゃないでしょうか。
人間以外の生きものも「介護」をするのか?
ーー「介護をする」ということは、人間に固有の行動なのでしょうか?
「介護」という意識で体系的なお世話をするのはもちろん人間だけですが、弱った仲間の手助けをすることは、他の生きものもやりますね。相手への「共感」があるからです。
「共感をする」という行動は、人間に固有のことだと思われてきました。
「共感」には、まず「自分が自分であること」、「相手が相手であること」を理解していることが前提となるからです。
人間は3歳頃から自分は自分、相手は相手と理解できることが分かっていました。自分の気持ちが分かると、相手も同じような気持ちを持っていると考えるわけです。「心の理論」(※)と言いますが、それは人間に固有のことだと思われていました。
※他者の信念や心の状態を推測し、理解する能力のこと
ですが、近年の研究では、多くの生きものが自己と他者を識別できることが分かってきています。
鏡を見せて、映っているのが自分だと分かるかどうかをみると、チンパンジーはもちろん、最近ではお魚なんかも分かるという実験が行われています。自己と他者を識別し、「共感」が生まれ、相手を思いやれます。他の個体をケアすることにつながりますね。
※撮影:阿部岳人
ーーちなみに先生ご自身は「介護」と聞いて、どのようなイメージをお持ちになりますか?
87歳ですので、そろそろ自分が介護される側ですが、幸い今のところ庭のお掃除やお料理など、日常生活は自分でできる状況です。
そこで「介護される」体験はないのですが、とても難しいことではないかと思っています。介護をしてくださる方にとっても、自分にとっても負担です。なるべく重荷にならないようにしたいのに、身体の自由がきかないという状況ですから、難しいですよね。「上手に介護をされる」ということを考えます。
自分で言うのも変ですけれど、私は素直なので、物事をねじ曲げて考えたりはしません(笑)。なので、「介護される側」に回る日が来た時も、私のままでいけたら、と思います。
仕事で忙しくしていましたので、両親の面倒は妹と弟がみてくれました。両親は長い間自宅で二人暮らしをしていたのですが、最後は逗子のケアマンションに移りました。
時々会いに行くだけで、介護らしい介護をできなかったことにはずっと引け目を感じています。両親の介護を引き受けてくれたきょうだいには本当に感謝をしています。
ーー働きながら介護をするのはほんとうに難しいですよね…。
気持ちとしては、家族で面倒を見られたらいいなと思うんです。
もちろん、人によって事情が違いますし、前提として制度やシステムが整っていることは大切です。でも、私個人の感情としては…。
生命誌の研究をしているとつくづく考えさせられるのですが、生きものの世界に「正解」はありません。生きものである人はひとりひとり違うので、共通する「正解」も「間違い」もないと思っています。介護の形もそうではないでしょうか。
ただ、子ども時代、若者時代、働く時期、赤ちゃんを育てる時期、老いて死んでいく時期…それぞれのライフステージを社会全体が支えますよ、という状況であることを望みます。
ーー生命誌研究の中で、ご自身の価値観が変わった点はありますか?
生命誌の勉強は、私の生き方の基本になっています。
私たちは同じ地球上の生きものという仲間である、と思うので、お金や権力で動くのはいや。そのようなものへの欲はなくなりますね。
だからこそ、生命誌をみなさんが知ってくださればおかしな格差やヘイトスピーチなどなく戦争なんかもなくなるのではないか、社会は良くなるはずと思い、本を書いたり、こうやって取材をお受けしたりするわけです。
生きものとして見ると、今の社会は間違った道を歩いていると思うんです。
ーーと、言いますと…?
今の社会は一言で表すなら「新自由主義」と「金融資本主義」にもとづいて動いていますが、それは私が考える、生命誌を基本にした生き方とは異なります。
「新自由主義」は、1人1人が自己責任で生きるということ。具体的には、政府による市場や個人への介入を最小限にして、郵便局も何もかも民営化して競争させ、儲けた人が勝ち、ダメだった人は自己責任ですよ、としています。
そして「金融資本主義」は、お金を手段ではなく目的化して、「お金でお金を増やす」ことを良しとします。
資本主義はありだと思うんです。大根を作ってお金をいただき、そこで工夫をすると儲かる。
けれど、「お金でお金を生む」社会は、虚の社会になり、身体を持つ生きものの世界から離れ、生きものとしての質が落ちます。
昔、現金輸送車に積まれた約3億円の現金が白バイ警察官に扮(ふん)した男に奪われた「3億円事件」という事件がありました。その現金輸送車は工場従業員のボーナスを運ぶところだったのですが、3億円をやりとりするためには、大きなトランク3つに入れて運ぶ必要があったんですね。
ところが今や、何十億円をやりとりしようと、ネット上で完結します。クーラーの効いた部屋の中で、パソコンのボタンをポンを押せばいい。非常に「虚」の世界です。
今は「虚」の世界が拡張していますね。メタバースの世界や初音ミクちゃんが持てはやされ、小学生はプログラミングの授業を受けている。
もちろん、「虚」の世界はあっていいんです。でも、「実」の世界がベースにあって、それをよりよくするために「虚」があるのだと思います。
「実」の世界は面倒です。大根1本作るのも大変ですよね。「介護」だって、「実」の塊です。本当に大変なことですが、人間にとって不可欠な、根本的に必要なことです。
社会を変える力などありませんが、生命誌の研究をして、「人間は生きものだと実感しながら生きる生き方」をみなさんに伝え、それを知った方が一緒に考えてくださることを願っています。
撮影:阿部岳人
そもそも高齢化社会は「悪いもの」?
ーー日本は高齢化社会を迎えています。先生は現状をどのように捉えられていますか?
そもそも「高齢化社会」って、悪いものなんでしょうか。
野生の動物は弱ってきたら外敵に食べられますし、食べものも得にくくなりますので、群れが「高齢化」することはありません。けれど、人間は文明が発展したことにより、身体が弱ってきたとしても長生きすることができるわけです。それ自体はいいことですよね。
そして、「高齢」という状態の位置づけについても改めて考えてみる必要があると思います。私が若い頃は、50歳で定年でした。当時は「50歳は高齢である」という価値観で、職場から切り捨てられていたのです。それが55歳になり、60歳になり、65歳になっていった。つまり、「高齢」という状態は状況によって変化します。
平均寿命が伸び、日本人であれば女性で87歳、男性で81歳までは平均して生きるようになりました。自分の寿命をできるだけ全うし、自分らしく生きていくことができるのがいいと思います。最期まで絵を描いている画家や、高齢になってから俳句を始めた方などさまざまな例がありますから、そんな生き方を1人1人ができる社会がいいと思います。自分に合わせて。
出生率を無理に上げる、しかもお金でそれを動かそうとするのはよいことには思えません。
そもそも、地球の大きさから考えたら、80億人は多すぎます。世界の人口が10億人に達したのは1800年ごろでしたが、2011年に70億人になってから80億人まで10億人増えるのにわずか11年です。
撮影:阿部岳人
もちろん、今いる人たちを減らすという意味ではありませんが、すべてを右肩上がりで考えてきた考え方を変え、例えば現在の人口でゆったり生きる社会へどのようにして展開するかを考えるのが、これから行うことだと思うのです。
「何人赤ちゃんが生まれなければいけない」とか、「労働力が欲しいから産め」というのではなく、赤ちゃんが祝福されて生まれてくる社会をまずつくることだと思います。
若い方が子どもは欲しくない、結婚も望まない、という社会は、生きものとしてはおかしいですね。
その理由についてはいろいろと指摘されていますが、私は「新自由主義」と「金融資本主義」から抜け出さなければ変わらないと思うのです。
今の社会は、人間として、生きものとして生きることを難しくしています。生きものとしての喜びを感じられる社会にして、産まれてくることを望まれる赤ちゃんが生まれてくる。暮らしやすい社会になれば、自然とそうなると思います。
私が一番お伝えしたいことは、私たちは生きものなのですから、「生きものとして生きる」ことが大事ということです。そして、それが私の生き方です。
ーーありがとうございました!
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