日本で生まれた風習「十三夜」とは?

https://wakuwakuwork.jp/blog-japan-20220928/ 【日本で生まれた風習「十三夜」とは?】より  by 橘木さゆり

月が最も美しく見える中秋の名月「十五夜」は有名ですが「十三夜(じゅうさんや)」という風習をご存知ですか?

十三夜は、満月、または満月に近い月の十五夜に対して満月から少し欠けた月で、十五夜の次に美しい月。

十三夜のことは、「後の月(のちのつき)」と呼ばれています。十三夜は年ごとに異なり、2023年は10月27日(金)になります。

日本では古くから十三夜の月見をしており、中秋の名月を見たら、十三夜の月を見ないと「方月見(かたつきみ)」といって縁起が悪いとされていたようです。

十五夜は、中国から伝わったものに対して十三夜は日本で生まれた風習。

どちらの行事も、風流をたのしむイベントでもあり、この季節の収穫を感謝する収穫祭でもあります。

自然が私たちにもたらす恵みへの感謝や、翌年の豊作も願うという意味が込められています。

十五夜が別名「芋名月」と呼ばれるのに対して、十三夜は、栗や豆がちょうど食べごろになることから「栗名月」「豆名月」と呼ばれています。

栗は縄文時代から栽培され、食用や材木として重宝されてきました。

大豆は醤油や味噌、豆腐など日本の食卓には欠かせない大事な作物です。

収穫した栗や豆、そしてお団子をお供えし、ススキの穂や秋の七草を飾り、お月見をします。

私たちも、旬の栗や豆などの農作物をいただけることに感謝し、翌年の豊作を願いながら十三夜の月見をたのしみたいですね。

お供えのお団子は、十五夜は15個、十三夜は13個お供えするのだとか。

豆腐をたっぷり使った「豆腐白玉団子」は、「豆名月」の十三夜にもピッタリですよ♪

昔ながらの行事や伝統を知り、四季を感じながらの生活をたのしみませんか?


https://note.com/toshi_mizu249/n/n4a4ec7655d53 【日本独自の風習「十三夜」の起源と変遷を辿る【歴史にみる年中行事の過ごし方】】より

旧暦9月13日の夜を「十三夜」という。

「中秋の名月」、いわゆる「十五夜」の月を愛でる風習は中国・唐より伝わったが、「十三夜」は日本独自のものだ。

昨今忘れられつつある年中行事の歴史を振り返りながら、今宵は夜空を眺めたい。

雅びで華やかな王朝文化が花開こうとしていた時代に、いささか満月に満たない晩秋の月が賞翫された。

旧暦9月13日の夜の月を愛でる風習は、平安時代前期、寛平法皇(宇多天皇/第59代)がこの夜の月を「無雙」と賞したのが始まりとも、醍醐天皇(第60代)の延喜19年(919)に清涼殿で「月見の宴を催した」のが始まりともいわれている。当時、都の貴人たちは池の水面に映る月を眺めたり、杯に月を映した月見酒を酌みながら観月の宴を楽しんだ。

また「十三夜」の月は「中秋の名月」の約1ヵ月後であることから「後の名月」とも呼ばれ、いにしえより文化人たちに愛された。

雲消えし 秋の半ばの 空よりも月は 今宵ぞ 名におへりける(『山家集』)

平安後期から源平争乱の時代を生きた西行は「中秋の名月よりも十三夜の月の方が名月の名に相応しい」といい、鎌倉幕府滅亡から南北朝の動乱の時代を生きた吉田兼好は『徒然草』に「八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす」と「中秋の名月と並んで、十三夜は月を賞翫するのに相応しい夜だ」と綴っている。

「片見月」の起源は吉原か?

「十三夜」という天皇や貴族、文化人を中心とした風習が一般庶民に広まったのは江戸時代のこと。

町人文化が華やいだ元禄期、泰平の世を謳歌した松尾芭蕉は『笈日記』の「芭蕉庵 十三夜」の中で「仲龝の月はさらしなの里、姨捨山になぐさめかねて、猶あはれさのめにもはなれずながら、長月十三夜になりぬ。今宵は宇多のみかどのはじめてみことのりをもて、世に名月とみはやし――云々」と「十三夜」が寛平法皇(宇多天皇)頃に始まった日本独自の風習であると記していた。

「中秋の名月」、いわゆる「十五夜」が秋の実りに感謝する祭りとして親しまれ、里芋などを供えて「芋名月」と呼ばれたように、「十三夜」は豆や栗などを供えて「豆名月」「栗名月」と呼ぶ。

また「十五夜」の月と「十三夜」の月をあわせて「二夜の月」といい、どちらか一方の月しか見ないことを「片見月」といって縁起が悪い、両方の月を同じ場所で見ると縁起が良いと伝えられる。

この出どころは諸説あるものの、一説に江戸吉原の遊郭が紋日だった「十五夜」に登楼した客を「十三夜」にも再訪させるために謳い始めたといわれている。あるいはもともとあった「片見月」の伝承を吉原遊郭が利用したことで広く流布されたとも。

いずれにせよ、当時、吉原の遊女たちはどちらかにしか登楼しない客を「片見月」と呼んで忌み嫌ったらしい。見栄っ張りで縁起担ぎが好きな江戸っ子の心をくすぐる、吉原の商魂たくましさに口もとが緩む。

江戸時代の娯楽「二十六夜待ち」

ちなみに江戸時代の人々の観月にまつわる風習は他にもあった。

旧暦1月26日と7月26日の深夜八つ刻(午前2時頃)に現れる月には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が宿るとされ、その月の出を待って遥拝することを「二十六夜待ち」という。

どちらかといえば7月26日が盛んで、江戸後期には高輪から品川にかけての海沿いや高台に老若男女が押し寄せ、飲食を楽しみながら真夜中の月を仰いだ。

これはもともと「月待ち」と呼ばれる民間信仰だったが、時代が下るにつれて大衆の娯楽へと発展したもの。自然や季節の移ろいを肌で感じながら、その風情を楽しむことが彼らの娯楽となった。

四季に恵まれた日本には、いにしえより連綿と受け継がれる年中行事がある。昨今忘れられつつあった観月の風習を見直すことで、これからの暮らしに楽しみが増えた。

今年の「中秋の名月」は天候に恵まれ、全国各地で観測できたと聞く。

「片見月」の謂れはともかく、まずは「十三夜」の月を愛でることから始めたい。(了)


https://note.com/kouyatakahashi/n/na31c735c124f 【風習とか,習わしとか #日光門前に暮らす #71】より

髙橋広野です.帰路,大家さん宅から電話が.「十三夜だから、おこわ取りにおいで〜。」と.もうそんな時期だったのか〜….

あれ,十三夜ってそもそもなんだっけか….

十三夜は旧暦の9月13日~14日の夜をいいます。 十五夜が中国伝来の風習であるのに対し、十三夜は日本で始まった風習。 十五夜では月の神様に豊作を願います。 十三夜は、稲作の収穫を終える地域も多いことから、秋の収穫に感謝しながら、美しい月を愛でるのです。

正直この言葉を聞くまですっかり頭になかった.世間で十三夜を気にしている人はどれだけいるんだろう.

風習とか習わしとか,そんなものが暮らしからすっかり抜け落ちてしまっている.

やれ正月や〜,やれお盆やクリスマスや〜.長期休暇に絡んだり、商業的広告だらけのイベントごとは,嫌というほど耳にする.

でもそこから外れてしまうと,「そんなものもあったな...」くらいで,だからなんだということもなく,いつも通りの当たり前の日常と変わらない.

風習の希薄化.これは世代・年齢的な問題なのだろうか.世間一般,全体的な問題なのだろうか.

お正月,節分,雛祭り,端午の節供,お彼岸,七夕,お盆,お月見などなど.七五三,成人の儀式,還暦など.

日常生活の営みにおける,神や自然に対する祈りや感謝,また,先祖を敬い,亡き人を偲び,そして子供の幸せを願う気持ちなど.

長い年月にわたって蓄積されてできた「日本の暮らしの文化」.

先人たちは一年の暮らしの中にこうした風習や習わしという「特別な日」を設けることによって,単調になりがちな生活に変化をつけ,生活に楽しみを見出してきたのだろう.

経済性・合理性を追求する現代の生活スタイル.無駄を極力省き,省エネルギーで手間暇かけず,娯楽も手の届くところに山のように溢れている.

そんな現代において,風習や慣わしはどんな役割を持つんだろう.

歴史,伝統,文化….風習,慣わしといえど,頭ごなしに守っていこうではなく,本当に必要なものなら伝え残し,ときには現代に適する形に変えていけばいいものであるとは思ってる.

でもなんだか,昔のひとのほうが“くらし”を楽しんでいたのかもしれない,なんて少し感じた.

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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