Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
ひかりをとらえるための暗闇であるのか 慈しみの湧き出すための哀しみであるのか
暗闇にあって 哀しみにあって 人は微笑によって救われる 微笑によって報われる
花もまた微笑である
この世には 目には見えない花が無数に咲いている 涙とともに咲く花である
その花の微笑に気づくは 暗闇と哀しみを知る者であろう
涙の花の咲くは 優しい光景である
いのちの傍らに寄り添う 優しい光景である
Facebook相田 公弘さん投稿記事
もしも今、自分の歩いている所が暗闇だとしたら、明かりがよく見えるでしょう。
ほんの小さなあかりにも気付くことが出来ます。
もしも今、自分の歩いている所が明るい太陽の下だとしたら、たとえ街灯がついていたとしても、気が付かないかもしれません。
そして、明るい所から暗い所は、あまりよく見えないのです。
夜、室内の電気がついている部屋から外を見ても、ほとんど見えません。
昼、天気の良い日は、部屋の方が暗いので、外がよく見えます。
暗闇の中にいるからこそ見える灯りがあります。
そんなときだからこそ、感じる事が出来る優しさがあります。
もしも明かりが見えないとしたら、それはきっと、既に太陽の下にいるからです。
本当はとっても恵まれていたのです。今度は、誰かを照らす番ですね♪
「大切なものは何だろうか?暗闇に明かりがただひとつまたたいていること。
寒さの中で暖かさを感じること。空虚な中で愛を知ること」
by ジョーン・ウォルシュ・アングランド(アメリカの絵本作家)
※魂が震える話より
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
すばらしいことが
「人生は苦しみに満ちています。しかし、人生にはまた、青い空、太陽の光、赤ん坊の目といった、素晴らしいことがいっぱいあります。苦しむだけでは十分ではありません。苦しむばかりではなく、人生におけるさまざまな素晴らしいことと、つながりをもつべきです。素晴らしいことは、私たちの内にあり、まわりのどこにも、いつでもあります」。
「青い空の美しさを楽しむために、特別の努力をする必要があるでしょうか。楽しむ練習をする必要があるでしょうか。いいえ、ただ楽しむだけです」。
僧侶であり、詩人でもあるナット・ハンの言葉です。
「苦しみだけでは十分ではありません」。この言葉の深さ、優しさに打たれます。それほど、いまの世界が窮屈に思われるときがあります。社会を先導しているかに見える人たちの、正義ぶりなどに・・・。声が大きいほうが勝つ、では世の中は寂しいものですが。
心の奥から出てくるものは、その人間(魂)を養います。哀しみも苦しみも優しさへ慈愛へと昇華していくのです。表面でつくろって生きていては、いつまでも養われることがありません。人の言動に左右されず、自らの魂で生きることの大切さをいまさらながらに思ってもいます。十分に生きるということを。
心が洗われるような青空です。真新しい日々が、いつも受け止めてくれていることへの気づき。見渡せば、すべてが愛おしい・・・・感謝です。
瞑想体験~暗闇の瞑想~
ある人の話に刺激され 暗闇の瞑想をしてみたくなりました。
第三道場は窓もなく 燈明も灯されてなく 暗闇そのものです。朝のお掃除の後 5分くらいの積りで中に入って見ました。黴臭い臭いがつんと鼻をつき すぐに消えました。
最初はエアコンの指示ランプだけが 見えていましたが あたりに金色に輝くプラウナが 見え始めました。
時計の時を刻む音が 異常に耳に付き 煩わしい感じになりました。
身体はリラックスし 眼を閉じると 瞼の裏に安らかな紫光が広がり続けました。
そのうち 後ろから光がさしているのに氣付き畳や自分の足が見えました。
振り向くと指示ランプが2つ、こうこうと輝いていました。
みぞれの降る朝でしたので 少し寒くなり、その日の予定も氣になり 外に出ると 30分の時が経過していました。
和多志たちの脳への刺激は 日常的には 視覚から入るものが圧倒的に多いと言われます。
視覚刺激を極度に減らすと 視覚、聴覚が敏感になるとともに 脳波が下がり 身体はリラックスし、時の感覚までなくなるといわれます。
その実体験を味わったということでしょうか?
無刺激の体験をしてみたくなりました。しかし無刺激とは何でしょう?
母の胎に遊ぶということでしょうか?
ある人が お風呂にお酒とお酢とお塩を入れて入浴すると 浄化ができると教えてくれました。
もしかしたら 羊水に近いものができるのかと連想してしまいました。
幸か不幸か 風呂には窓がない故 今晩無刺激の実験をしてみたいです。
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お風呂の実験結果は ただのお風呂でした。
お水に浮かぶとリラックスするというのに 不思議でたまりません。
道場の真っ暗闇で 雪の降る朝 暖房なしの実験が超リラックス体験になり 身体の感覚も
なくなりトランス状態になったのに 、、、!!
わざわざ内緒の料理酒を 買いに出かけての実験でした??わざわざ超高価な竹塩を入れたのですよ。羊水もどきに浮かぶのかな?と期待したのに 当て外れでした。
イスラエル旅行の時 死海に浮かんだことがあるのですが・・・
その後の身体の心地よさは抜群でした。そんな満ち足りた思いもできませんでした。
これから何を学べというのでしょうね?
ある人に次ぎのように尋ねました。「暗闇の瞑想の実験をしました。漆黒の道場での体験は至福の心地よさになったのに お風呂での暗闇体験が唯のお風呂の実感しかなかったことが解りません。」
返事は 「 そういった実践は、一時的な宗教体験をもたらす場合もありますが、 逆に妄想的な体験が生じて、良くない人もいるでしょう。ですから いずれの場合にせよ、重要なのは、日常生活でいかに 健全な精神で生きるかだと思っています。」
違いについての回答はないままです。
人によって体験内容が違うから返事のしようがないという意味でしょうか?
それでも不思議な思いに引っかかり続けます。道場とお風呂の違いは???
お風呂の方は「お風呂に入る」という目的がありました。寒い冬の日なので 手探りで とにかく浴槽に入る必要があります。ぬるま湯を温めるために お湯の蛇口を手探りで探しました。
ということは 丁度ブラインドウォークのように「自分の身の安全を 保つために エネルギーを外に向けなければならなかった。」ということになるのでしょうか?
現実適応を司る顕在意識に エネルギーが傾いたということなのでしょうか?
顕在意識に傾けば 全てとの一体感を失い 安全で安心、そしてくつろいだリラックスを失う
ことを示すのでしょうか?
両脳が目覚めているとは 覚醒シーター波になっている状態を言うのでしょうか?
皆様試して メッセージを頂けないでしょうか。
クリスマスは暗闇が一番長い日です。クリスマスは闇を照らす光の到来を祝う光の祭典を象徴解釈し イエス・キリストの誕生日とされたことはよく知られています。
闇や寒さを打ち破る イメージを求めて 手作りキャンドルを紹介したくなりました。
キャンドルライトサーヴィスでは キャンドルの光が次々分火され 暗闇が明け 光の世界が 訪れます。
キリスト教では 「十字架を神の義と愛の和えるところ」と歌います。 サーヴィスの概念では 縦の線が 礼拝、横の線が奉仕を示します。
キャンドルは 自ら燃え尽きながら 光と温もりを放ち続けます。
キャンドルの象徴的な意味を心に留めるため 子どもたちと一緒にキャンドルを 創り キャンドルライトサーヴィスをしたことが懐かしく蘇ります。
キャンドル創りは簡単にできます。以下にその手順をご紹介します。
用意するもの(基本)
①溶かしても良いローソク、クレパス、縦長缶(各色ごと)
②ローを 流し込む容器:何でもいいです。(生卵の上下に穴を開け、ストローで中身を吹き出して キャンドル型にすると可愛い エッグキャンドルができます)
③芯:灯明用のキャンドル。溶かしたローソクのものでいいですが 灯明用のキャンドルを 中に立てると手軽にできます。
手順
①ベースには 結婚式などで 点火した 燃え残りのローソクを 使います。
(綺麗なローソクを創りたければ すすや、 汚れなどを削り落とします。)
③縦長の空き缶に ローソクを入れ 湯煎にかけます。ロー液は数缶用意すると良いです。
③クレパスを溶かし入れ 数色の 色つきロー液を創ります。
④ローの各色を浅い容器に流し込み 羊羹状に固めカッターなどでチップ状に切ります。
ロウソクを流し込む容器に 芯を立て チップの各色を詰め、 透明なロー液を流し込み 冷やして固めます。型から取り出すとマーブルキャンドルの出来上がりです。
⑤羊羹状に固まったものを 好きなクッキー型で抜いた二枚を 芯を挟んでくっつけても楽しいです。
⑥押し花や落ち葉をムシピンなどで キャンドルの表面につけ,そのまま溶かしたロウに ディッピングし、固定したり
⑦好きな色を 泡たて器で混ぜて型に入れると趣の変わった ホイップキャンドルができます。
⑧色のついたろう溶液を 容器にいれ 氷を砕いて入れると 氷が溶けて流れた後は シースルキャンドルになります。
いろいろ楽しんでください。 ロウの後始末は 布などを汚れたところに当て アイロンをかけると簡単にとれます。
Facebook加藤隆行さん投稿記事·【「好きなこと」なんて見つけなくていい】
ここんとこ「好きなことがわからない」という話についてばかり書いてます。
なぜならば上の方から書け書けと声が聴こえるから。(こういう変なこともこれから書いてきます)
実は「好きなことがわからない」というのはフツーすぎることです。
ちょっと考えてみてごらんなさい。「好きなことを」を仕事にしていてアナタがあこがれている(羨ましがっている)人ってだいだい「好き!」とか「楽しい!」とかテンション高かったりワクワクしてて、キラキラしてたりするでしょ?
で、あなたそんな人と同じになれそうですか?ボクはなれそうになかったわ。
でね、ひとつ知っておいて欲しい雑学ネタがあるんだけどセロトニンっていう脳内ホルモンがあるんだけど幸せホルモンって言われていて不安を抑制し、満足感を与える役割がある。
で、このセロトニンが日本人は世界と比べて異常に不足しているってことがすでに分かっているのですよ。
※詳しくは「セロトニントランスポーター遺伝子」で検索!
たとえば単純比較でアメリカ人で前向きで幸せをめっちゃ感じやすい人は32.3%
日本人でそんな人はなんと 1.7% だけ!! ビビる数字でしょ。でもこれ実感としても
わかる気するよね。まあとにかく日本人はその大半の人が不安を感じやすい民族らしいのです。だから「好きなこと」が早々に見つかってキラキラしてて「好きなことやんなよ!」とか言ってる人はもんのすごいマイノリティでその人にとっては「好きなこと」することが成功の法則で当たり前の感覚なんだけど多くの他の日本人にとってそれは簡単なことでも当たり前のことでもないのですよ。
なぜならたとえ「好き」を感じても「不安」な感覚に強く引っ張られていってしまうから。
「これほんと好き?」「好きなことなんてやってて 食えるわけないよね」という方に感覚を持っていかれ迷いが強くなるから。そして、これも書いちゃうけどさ、「好きなことをやりなさい」はそれでそれで正しいのですがそう言っている人の多くは、主にもともと「好き」を
感じやすい超少数派が多く目立っているかたまたまピッタリ好きなことが見つかってそれが自分にも社会にも合っていた人の言うたら結果論で、好きなことが見つけられない人への
その人の無意識の優越マウントであることが多かったりします。
(無意識だから悪気ないのだけどね)(そこに好きなことがわからないと自己否定する人たちが大量に集まる。 ポジティブマルチ商法は こうやって成り立っている)
だから「好きなこと」が見つからないなんてふつーのことだし、多くの日本人にとってはこっちの方が当然のことなのです。
だーかーらー、日本人には日本人の成”幸”法則があって、日本人の場合は「好き」を感じるのが苦手で「不安」を感じるのが得意な民族なんだから「不安」だから「イヤなこと」や「ツライこと」「向いてないこと」でもガマンしてやっちゃうのよ。
そして、本当はその「不安」のほうが感じやすすぎて《幻想》なのです!
だからまずは「イヤなことやめる」「ツライくてガマンしてやってることやめる」「向いてないって分かってることやめる」これが最優先なの。
イヤなこと、ツライいことをやめたときにはじめてその隙間、空間に「好き」の芽が芽生え始めるの。イヤなことしながらツラくてガマンしながら幸せとか楽しいとかなんて感覚は感じられないのよ。嫌いなピーマン食べながら好きなイチゴを食っても美味しくないのよ。
でも不安でやってることをやめるのは怖いから無意識に「好きなことがみつからない自分が悪い」せいにして自分を説得してたりします。おおこわ(^ω^)
だから幻想の不安からやってる「イヤなこと少しでもやめて」←こっちが必ず先!
「好き、かもしれない」というものを試していきながらその割合を増やしていくのです。
そしたらセロトニンがもともと不足してるのも少しずつ改善されていくの。
セロトニンが出ている割合が増えていくのさ。だーかーら「イヤなことやめる」これが、日本人の成”幸”法則。知っといてね。ワシもこれで成”幸”したで。そしてその幸せは「好き!」とか「ワクワク!」とかじゃなくて穏やかで静かで心地よいものなのです(^ω^)
☆ええこと書いとると思ったら応援シェアよろ^^
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