伝説

https://ikuno.lolipop.jp/piramido/ka/04yudaya/yu03-ark.htm 【伝説の秘宝・契約の聖櫃(アーク)】より

旧約聖書に現れる「契約の聖櫃アーク」を知らなくても、数年前に大ヒットしたハリソン・フォード主演の「インディ・ジョーンズ」はご存じだろう。

あの映画は「聖櫃アーク」の争奪戦である。

「契約の聖櫃アーク」には絶対の力があり、それを手にしたものは世界をも征服することができると云われる伝説の櫃(ひつぎ)である。しかし、それは誰が持っても良いというものではなくユダヤ人だけのものである。ユダヤ人を「選ばれた民」というのはこのためである。

ユダヤの絶対神は「ヤハウェ」。  

人前に出現するときは、かならず、雷雲を伴う。雲の柱であったり燃える柴だったりする。

ヤハウェの座が「契約の聖櫃アーク」であり、これも雷のような力を持っている。掟を破った者には容赦なく向けられる。それは正に厳格でちょっとしたミスも許さない。イスラエル十二支族で祭祀を司るのが「レビ族」である。

十二支族は領地を持ったがレビ族は他の支族に寄留し、絶対神ヤハウェの祭祀一切を取り仕切った。神道の神官と同じである。

そして、契約の聖櫃アークを担ぐのは、レビ族の中のモーゼの兄・アロン直系の子孫で「コハテ氏」の者だけに限定されており、それ以外の者が触れたら死ぬというのだ。レビ族コハテ氏でも戒律に従わなければ容赦はない。

聖書は記す。 

ある時、アロンの子供が祭祀を執り行いミスをしたー。

「アロンの子のナダブとアビフは、それぞれ香炉を取って炭火を入れその上に香をたいて、主の御前に捧げたがそれは主の命じられたものではない。規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き彼らは主の御前で死んだ」(レビ記第十章)たとえアロンの子であってもヤハウェは許さなかった。

古代ユダヤは遊牧民であり一ヵ所に定住する民族ではなかった。アークは移動式の幕屋と呼ばれる神殿で祀られ人々と一緒に移動してきた。

だが、古代イスラエル王国が成立したダビデ王の時、契約の聖櫃アークはエルサレムの神殿に運び込まれた。

このとき櫃(ひつぎ)を担いでいたのはレビ人だったが、傍にダビデの息子が付きそっていた。何かのはずみで櫃が傾いた。息子はそれを支えようとして、つい手を櫃に触れた。 瞬間、ダビデ王の息子は電撃に打たれて死んだという。

ダビデはレビ族ではない。王様の息子であれヤハウェは容赦しなかったのである。

アークは「船」という意味である。

●三種の神器

イスラエルには、三種の神器がある。その第一が、契約の十戒を刻んだ「十戒石板」

その第二が「マナの壺」。 エジプトを脱出し約束の地カナンに入るまで、絶対神ヤハウェは食料として「マナ」を降らせたという。

これは白いウェハースのようなものだと言われ、甘い蜜の味がしたが太陽が昇ると溶けたという。ヤハウェは、一オメル(二・三リットル)のマナを代々蓄えるようモーゼに命じた。これを入れた黄金の壺が「マナの壺」である。

余談だがー、

あなたの家の台所にマナ板というものがあるだろう。あなたはそれをなぜマナ板と言うのかご存知だろうか。この「マナ」とはヘブライ語で「食べ物」のことなのだ。ところが日本では、マナ板は「真魚板」と書き、新鮮な魚を・・・などと説明してご満悦の先生方がいる。真魚板・・これがマナイタと読めますか。当て字以外の何者でもないことさえ分からないのでしょうかー。

その第三が「アロンの杖」。

エジプトのファラオの前で生きた蛇になった杖だ。ナイル川に浸すと、蛙やブヨ、イナゴ、疫病が発生したり、燃える雨を降らせたりする奇跡の杖である。

この三つの宝物を収めた箱が、イスラエルの至宝「契約の柩」で 「聖柩アーク」といわれるものである。「聖柩アーク」とは、すなわち、イスラエルの「三種の神器」の事である。ではそれはどういうものなのか。

イスラエル人と契約した絶対神ヤハウェは、聖櫃の製作を命じた。

使用材・寸法・造る人まで、箱の造り方も指示した。

「アカシヤ材で作れ。寸法は、縦二・五キュビット、横一・五キュビット、高さ一・五キュビット、内側も外側も純金で覆い、金の飾り縁を作る・・・・」

(出エジプト記二十五章)

このアカシヤ材とは砂漠アカシヤで、棘があり素手ではつかめない。皮をはぐと硬質の白い木材である。一キュビットは、約四十四センチ。つまり、長さ一一〇センチ、幅と高さが六六センチのサイズの純金の箱である。そして、純金の「贖(あがな)いの蓋」を作り、その蓋に黄金で作った「ケルビム」を一対、配置した。

ケルビムとは、複数のときに使う言葉で一体のときは「ケルブ」という。これは天使を指しているようで有翼人間のような形をしている。それが二体、向き合っている。

箱の下端の四隅に金の環が取り付けられ、この環に棒を通して担いだ。

この棒は抜いてはならない。安置しておくときも差したままにしておくのである。

これをイスラエル人は担いだ。 担ぐ担当も決まっている。祭祀専門部族のレビ族の者に限定されていたのである。

●日本のまつり

このアークのレプリカが、日本の御神輿ではないかと云われている。

御神輿はアークと同じく下端の担ぎ棒が抜けるようになっている。

ところが、小屋に収められている時でも担ぎ棒は差したままなのである。

秋祭りでは、ワッショイワッショイと多勢の人間でにぎやかに担ぎ練りまわる。

この祭りの形が、イスラエル人の聖柩アークを担いで運んだ様と全く同じだというのである。

また、担ぐだけでなく引いていく山車の祭りもある。

ダビデ王がアークをエルサレム神殿に運び込んだ時、アークを車に積んで引いて行った。

山鉾で有名な京都の祇園祭が、聖柩アークを運んだ様子を再現したものではないかと言われている。

この山鉾の側面に描かれている色々な絵図ー、そこに描かれているのは、砂漠、ピラミッド、ターバンを巻いた人、そして、見る人が見たら分かるという聖書の中の一場面までが描かれているのである。

それを見て、「なぜー?」と、不思議に思わなかったのは日本人だけだったようなのである。

京都・祇園祭の山鉾

バグダッドを描く前懸⇒放下鉾 ラクダの前懸⇒鈴鹿山鉾 ピラミッドの前懸⇒浄妙山鉾

旧約聖書の創世記の場面を描いたという前懸⇒函谷鉾

祇園祭

祇園神(スサノオ・牛頭天王)を祀る祇園神社に奉納される祭礼である。

祇園信仰と関係のない神社の祭であるにもかかわらず「祇園」の名前が付けられている場合もある。

多くは7月から8月にかけて、疫病退散、厄除けを祈願して行われる夏祭りであり、総本社である京都の八坂神社(祇園社)のものを始めとして日本各地で行われている。

京都の祇園祭

都の八坂神社の祭りで、京都三大祭り(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、さらに、大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの一つに数えられる。

7月を通じて行われる長い祭りだが、神輿渡御や山鉾巡行や宵山が中心となる。宵山、宵々山には旧家や老舗での宝物の展示も行われるため屏風祭の異名がある。山鉾巡行では文化財が公道を巡るため動く美術館とも例えられる。

一説には、869年(貞観11年)、疫病の猖獗を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿が66本の矛を立て、神輿3基を送り牛頭天王を祀り御霊会を行ったのがその起源であるという。

970年(安和3年)から毎年行うようになった。

その後、応仁の乱や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在も続いており、千年を超える歴史がある。かつては祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)とよばれていた。その略で、現在でも祇園会と呼ぶこともある


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-4518.html 【「バアル神=ヒッタイトの神=スサノオノミコト=牛頭天王=モーセ?」「ヤハウェ=ヤマタノオロチ=蛇=龍?」byソウルマン】より

「日本神道の謎~古事記と旧約聖書が示すもの~」鹿島 昇

1985年の書である。著者の書は、初めて読んだ。

以下、一部引用する。

*そのヒッタイトの神話にヤマタノオロチ退治に似たものが見いだされる。「竜神イルルヤンカシュの神話」というものである。あちこち欠落が多い文章であるが、要点を記せば、嵐神ケルラシュが、竜神イルルヤンカシュを、神イナラシュや女神フパシヤシュらの助けを借りて殺すというもので、その作戦として、竜神に酒などを飲ませる。

・・・・・(中略)・・・・・

ここに登場する嵐神ケルラシュは古代オリエント全域に共通の最高神で、別にエル、インドラ、ダゴンなどという名で呼ばれている。後に述べる牛頭神バアルとはその息子である。

この神話は遊牧民族のヒッタイト人が竜(蛇)を信仰する農耕民族であった原住民のハッテイ人たちを征服したいきさつを述べているのであろう。

この嵐神ケルラシュをスサノオノミコト、竜神イルルヤンカシュをヤマタノオロチに置きかえてみても、そう不自然ではあるまい。

そこで、一つの仮説をたててみたいのである。「神々は、民族の移動とともに行動する」と。

そして、早急すぎるようだが、その仮説に基づいてつぎのような推理をしてみたい。

一つは、スサノオノミコトが、別名、牛頭天王(ごずてんのう)ともいわれていることである。京都の八坂神社がそうだ。

半人半獣の神は、洋の東西を問わず多いが、その中でも、牛を上半身にする神、あるいは頭に牛の角をもつ神は多く、古代オリエントでも、その勢力はつよい。西アジアの牧畜民にとって、牛は生命源であり、それをまつることはごく自然のことであったろう。人類最古のシュメール文明においてすでにそうであった。また古代中国の王であった神農氏も牛頭人身である。

したがって、ヒッタイトの神話も、なんらかのルートによって中国や日本に伝来して、日本の『古事記』にとり入れられることになったのではないか、と思われる。

*ここでまたまた、古代オリエントのヒッタイト王国へもどろう。ここにも、神さまがかくれてしまう話が残っているからである。これをテリピヌ神話という。

なにしろ数千年も前のものなので、話にも欠落が多いが、天照大神がかくれたために、天上天下が真っ暗闇やみになるのに対して、何事かに怒ったテリピヌ神がかくれたために、食物危機になるというものである。農作物も育たず、牛などの家畜もふえない。そのため、八百万の神々は、飢えに苦しむことになる。

「神テリピヌははるかに歩み去った。彼は、穀・種を、また飽食をも持ち去った。彼は、野や牧にある不毛のなかに入り込み、その不毛の中に解け込んだ。

・・・・・(中略)・・・・・

牧は干しあがり、泉も涸れ、地に飢えが訪れた。民の子孫たちも、数多の神々も、飢えによって皆、失せ去った・・・・・」(『古代オリエント集』より)

*古代オリエントのもっともすぐれた海洋民族といわれているフェニキアの人たちも、バアル神を主神としていた。海洋民族といったが、ヒッタイトやウガリットを滅ぼした海洋民族とは別の民族である。フェニキア人は、アルファベットをはじめて実用化した。それは、かつて地中海に帆船を浮かべたウガリットなどの文化をうけついでのことであるが、それとともに、フェニキア人は神々をもうけついで、広めたのである。

バアルの父神はここでもエルである。別名としてダゴン。ギリシャ神話ではクロノスとなる。

バアルの別名は多い。バアル・ハモン、モレク、アドン、アドニ、メルカルト、エシュミン、ギリシャ神話のアドニス、エジプトのオシリスなどである。

アシェラの別名も多く、アシェラト、アシェラトゥ・ヤンミ、アスタルケ、アシタロテ、バーラト、アナト、アラメア、インニン、イシュタル、ギリシャ神話のイシスなどがある。

ギリシャ神話にもバアル神らが出てくるということは、ギリシャもまたウガリットやフェニキアなどの古代オリエント文化の影響のもとにあったからであろう。造船術、航海術にたけたフェニキア人にとって、地中海は、自分の庭のようなものであった。そうであればこそ、フェニキア人の文字アルファベットが今日の欧米の文字になったのである。バアル信仰も当然広まってゆく。バアルを信仰する海の男たちとともに。

*バアル神たちは、古代オリエント世界に普遍的な存在であったと思われるが、古代イスラエルでは、どのように受け止められていたのだろうか。『旧約聖書』からそれに関連する箇所をさがしてみよう。一読すると、古代ユダヤ人たちは、もともとヤハウェという絶対的な神以外を、信じることは禁じられていた、かのようである。

「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」

主ヤハウェは、出エジプトのリーダーであるモーセにこう命じている。(「出エジプト記」)

また、こうも命じている。

「むしろあなたがたは、彼ら(バアル神)の祭壇を倒し、石の柱を砕き、アシラ像を切り倒さなければならない。あなたは他の神を拝んではならない」

アシラ像はいうまでもなく、アシェラ像のことである。

また、バアル教が弾圧されたり、バアルの神官が皆殺しにされた、という記述が「列王紀上」にもある。

*また、ダビデの子であるソロモンが王の時代、エルサレムには、バアル神をまつってあったし、「ソロモンは、バアル・ハモン(バアル)にためにぶどう園を献じた」という記述も旧約聖書にある。バアル・ハモンをパレスチナをさす地名とする人もいるが、じつはバアルの別名の一つである。

したがって、すくなくとも、ダビデやソロモンの統治していたころのイスラエルにおいては、ヤハウェのみが信仰の対象になっていたとは考えにくいのである。

*古代ユダヤにおけるバアル神の存在を認める人もいる。牧師であり、死海文書の研究によって聖書学の権威でもあるR・D・ヴォーは、その著『イスラエル古代史』において「ヤーウェイズム(ヤハウェ信仰)は、エル(バアルの父)の宗教から独立した起源をもっているが、同化された」といい、その例を旧約聖書の「民数記」からさぐり出している。

「民数記」の23章にこうある。

「ヤコブのなかに不法を見いださず、イスラエルのなかにわざわいを見ない。彼の神、主(ヤハウェ)は彼とともにおり、主をたたえる声が彼らのなかにある。彼をエジプトからつれ出した神は、彼にとっては野牛の角のようだ」と。

彼とはモーセである。モーセはヤハウェとともにいるが、モーセをエジプトから導き出したのはだれであろうか。その神は「彼にとっては野牛の角のようだ」というのだ。

ヴォーは、この「民数記」23章を綜合して、「彼(モーセ)の神ヤハウェは彼とともにおり、エルは彼をエジプトから導き出した。彼は野牛のような角を持つ」と訳した。

ヴォーの考えをはっきりさせると、

⑴ モーセの神ヤハウェはモーセとともにいた

⑵ エルは彼(モーセ)をエジプトから導き出した

⑶ 彼(モーセ)は野牛のような角を持つ

つまり、モーセはエルの息子の牛頭神バアルということになる。すると、ひょっとすると、牛頭天王スサノオノミコトは、バアルと同類の神であるのかもしれない。

さて、モーセがバアル神の人間化したもの、あるいはバアル神の指名人物であるならば、エジプトの奴隷であったユダヤ人の出エジプトは旧約聖書中ではつねに敵視されるバアル神の加護によってなされた、という皮肉な真相となる。

「出エジプト」のときのモーセらの海を渡る逃避行は、聖書にうとい日本人でもよく知っている。映画「十戒」を思い出される人もいよう。この逃避行の前にユダヤ人たちはどこにいたか。

「出エジプト記」にこうある。

主はモーセにいわれた。「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアル・ツェフォンの前に宿営させなさい。あなたがそれに向かって、海のかたわらに宿営しなければならない」

バアル・ツェフォンとは、北のバアルという意味である。また、第二次大戦中に発見されたフェニキアの文書の中に、バアル・ツェフォンの神々とあり、それがまつられている場所は、ナイル河デルタ地帯北東部と判明している。

ここから推定できることは、モーセたちはバアル神をまつってあるところから出発してあの劇的な海渡りをしたのではないか、ということである。それは、バアル神の加護をねがってのことであろう。

なお、フェニキアの神話の中で、エルの妻アシェラは、アシェラトゥ・ヤンミとも呼ばれている。これは“海の上を歩む君”という意味である。モーセをみちびくイスラエルの神ヤハウェの奇蹟を実現するために、海の上を歩くアシェラの話を借りてきたのではないのだろうか。

ディモントの『ユダヤ人』(朝日新聞社刊)に、つぎのような説明がある。

「“モーセの十戒”はユダヤ主義の基礎であるのに、モーセの像というのはただ一つしかない。しかもそれはユダヤ人がつくったものではなく、ルネサンス期のキリスト教徒ミケランジェロの手になるものである」

その像は、次ページのとおりであり、ミケランジェロの傑作の一つと評価は高い。

ところで、この像について、ディモントはこうつけ加えている。

「ミケランジェロのモーセ像に生えた角については、聖書を翻訳した際に起きた誤訳とする説が多い。聖書は、“十戒”を持ってシナイ山を下りてきたモーセの顔は“輝いていた”と述べている。聖書で使われている言葉はKerenという語源から派生するKoranで、“輝く”あるいは“光明”という意味である。しかしその語には“角”という意味もあるのだ。今日、認められているのは“輝いた”という訳である」と。

たしかに、手元にある聖書をひもとくと、十戒をいただいたモーセがシナイ山を下ってくるとき、モーセの顔はひかっていた、という記述が何度も出てくる。

・・・・・(中略)・・・・・

いったい、ミケランジェロは、どのような聖書をもとに、モーセ像をかたちづくったのだろうか。それを知りたいものである。

いっぽう、ミケランジェロの生きていた時代には、モーセには角が生えていた、というのが、当然の知識になっていた、とも考えられるのである。

(管理人)

引用箇所が多くなったが、これはあくまでも本書の一部に過ぎない。

実際に本書を手に取り、自分の目で確認されることをお勧めする。

竜神イルルヤンカシュをウィキで見てみる。

イルルヤンカシュ (Illuyankas) は、ヒッタイト神話に伝わる蛇または竜である。イルヤンカ (Illyanka, Illuyanka)、ルヤンカスとも表記される。名前の意味は「蛇」で、ハッティ語に由来していると考えられている。この名称は固有名詞ではないとされ、先住民言語起源説が通説だが、印欧語起源説もある。イルルヤンカシュの神話はハットゥシャ出土の粘土板に記載されている。

なお、右のレリーフは物語の一場面である。

神話としては、プルリヤシュ祭(英語版)で読まれる嵐の神と竜とが争う物語が2バージョン残っている。

1つ目の物語[編集]

1つ目の物語では、嵐神プルリヤシュとイルルヤンカシュが争った時、イルルヤンカシュの強大な力の前に天候神である嵐神は敗れ去る。そこで風と大気の神である女神イナラシュ(イナラ(英語版))に助力を求めた。

イナラシュは盛大な酒宴を開き、イルルヤンカシュを招き、イルルヤンカシュを泥酔状態にした。それだけでは暗殺成功には不十分と考えた女神は人間の中から男を選び「泥酔して動けなくなったイルルヤンカシュを縛るのにはぜひとも人間の力が欲しい」と願い出た。その人間とはフパシヤシュという名の男であった。フパシヤシュは女神イナラシュと一夜を共にすることを条件に協力を願い、イナラシュはその条件を承諾した。女神と一夜を共にし己の欲望を満たし、しかも女神と交わったことによって神の力まで得たフパシヤシュは命令どおりイルルヤンカシュを縛り上げた。その後、嵐神によりイルルヤンカシュは殺されることになった。

しかし、フパシヤシュは役目を果たしたにもかかわらず、女神が彼のために用意した家に軟禁される。しかも女神が人間界にいるときは窓を開けてはならないという規則まで設けた。フパシヤシュが自分の妻子を見たら里心がつくからだと女神は言った。女神と交わり、イルルヤンカシュを捕えたフパシヤシュはもう人の世に戻ることが許されない身となっていた。しかし女神の居ない間にフパシヤシュは窓を開けてしまった。そして、故郷を見下ろしたフパシヤシュは故郷に戻りたい気持ちになった。家に帰ってきた女神イナラシュは、帰郷を願い出たフパシヤシュに対して怒り、彼を殺した。


Facebook古代史研究会 ·佐藤勇さん投稿記事 · アラハバキ考察。

アラハバキは東北地方で信仰された神様だ。母神である。そして龍神信仰があるという。

要は龍でもあるということだ。

龍…。太古より信仰されし存在である。蛇は元々龍なのだ。瀬織津姫も龍神だったりする。

さて、このアラハバキ、何故アラハバキなのだろう。

古代出雲族長髄彦が信仰したという。そしてツクヨミ族の日高見の国(青森)で信仰されていた。アラハバキ。アラ、ハバ、キ。

アッラーフという神様をムスリムは信仰する。同じ名を持つ。アフラ・マズダーを逆さにした名前。アラフ。定義だけ見れば完全に仏様とかわらない。

アッラーと色々考えてもう一つ浮かんだのはアラルである。言霊的にみればアラ:ルである。

アラルはメソポタミアで信仰されていた天神である。アヌは天神アラルからその地位を簒奪した。同じ名は同じ存在。

アッラールー。もしメソポタミアと倭国の言葉に相似はあるならば言霊は、アッラー:ルー、阿神龍である。

アラハバキ、言霊は阿神羽葉姫である。和訳すると、始まりの鳥と樹の女王である。どうも、この名は、種を思い浮かび、偉大なる夜の貴婦人を思い出させる。同時にイナンナも思い浮かぶ。イナンナはフクロウを連れている。フクロウは、夜の眷属なのだ。イナンナはオオナムチ(大国主)と同じ神話を持つ。そして世界樹を創造し王権を与える存在だ。いわば天皇である。天皇が総理大臣を任命するのだ。つまりは王権の授与者である。

彼女はタネ「主神」の始まりの娘と言える。聖書でいえばエヴァである。

どうも同じ神様な気がしてきたのである。

ヒネ:ヌイ:テ:ポ。撚、縫、手、穂。ペルセポネを思い出す名前でもある。どうも鈴がなる。

アダム…。アロン…。消された歴史。

アダムの正体は…。アヌンナキだということなのか?

タネとも言える。アダム=アロンならば、アダムは皇室だということになる。

争うわけだ。こりゃー。なかなか一筋縄じゃいかない。レヴィアタン…。蛇…の一族皇室…。

一体何なのだろう。世界は波乱を起こす準備をしている。日本もとうとう戦争ができるように憲法を改正する。明治時代と変わらない憲法の改正だ。

エヴァの系譜…。アダムの系譜…。イザナミとイザナギ…。禁断の果実は食された。

イザナミは黄泉平坂の食べ物を食べてしまった。ソーマとは、仙桃とは、マナの壺とは。アンクとは。失われた2つのアークの秘宝。アロンの杖=ウアスの杖=草薙の剣

マナのツボ=アンク=仙桃=八尺瓊勾玉  アラハバキ…。バハムート=ベヒモス=スサノオ=大国主

国津神と天津神の違いがわかりそうだ。国津神の系譜の神と天津神の系譜は意味が違う。

常夜の国。大和民族。天孫日向、月夜見、海神須佐之王。スサノオ=ツクヨミ…。

そして、各地に見える黒と赤を基調とした民族衣装をもつ母系民族…。

龍族…。アラハバキは龍…。縄文時代の主神…。龍族は母系だ。縄文時代は母系であった。そして1万6000年も平和だったという。

母なる神。母の言霊は鳥…。羽羽…。

瓜子姫は天邪鬼という鳥に皮を裂かれ入れ替わられてしまった。そして瓜子姫は「鳥」になった。

乳はかつて男性にあり、女性に移ったというカレン族の伝承。かつて倭国に住んでいた日本人のルーツ。

父に女性の象徴たる乳があり

母に男性の象徴たる鳥の羽羽がある。中国じゃ男性の象徴たる男性器を「鳥」という。

全部が繋がっていく。怖(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=eboCQmAdULc

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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