木の洞(うろ)を覗いたら

https://sanpo-motoujina.club/archives/4608 【木の洞(うろ)を覗いたら】より

森歩きの楽しさの一つは、日常とはかけ離れた異空間を歩く楽しさです。

元宇品の森はクスノキやツブラジイ、カクレミノやクロキなどの広葉照葉樹が空を隠すように枝を広げ、昼間でも森の中は薄暗く、また木の根はぐにゃぐにゃと地表を這い、時におとぎ話の世界にいるような気分になったりします。

木の洞のことを『樹洞』(じゅどう)と言い、元宇品の森には沢山あって、この数年樹洞を覗いてまわるのが私の森歩きの習慣になっています。森の秘密を探るようなあのドキドキ感がたまりません。

鏡よ鏡!いえいえ…樹洞よ樹洞!あなたは何を隠しているの?

カタツムリ0?本、昆虫6本、ゲジゲジ30本、ワラジムシ14本、クモは8本か…脚の数を考えただけでも樹洞に暮らす生物の多様性が見えますね…

たくさんの生物の棲み処になっている『樹洞』、それにしても元宇品の森には色々な形、様々な大きさの洞が沢山あります。洞は枯れた木だけでなく、生きている樹木にもたくさんあります。

元宇品の樹洞

樹洞はどうやって出来るのでしょうか…

鳥が突いたり枝が折れたりして木に傷がつくとそこから木材を腐らす菌(木材腐朽菌)が侵入します。カンゾウタケも木材腐朽菌です

菌によって、死んだ細胞で出来ている木の内側が分解され、そこが空洞になります。

木材が腐りはじめると、木の生きている組織から菌に抵抗する物質が分泌されて防御壁がつくられます。

傷口の周辺では、形成層がさかんに細胞分裂して傷口をふさぐので、空洞の周縁が盛り上がって見えることがあります。

縁が盛り上がった樹洞

木の生きている部分は樹皮のすぐ内側なので、内部に空洞が出来ても木にはそれほど影響がありません。調べていると、樹洞は主に広葉樹で出来るという記述を数多く見かけました。

しかし、何故広葉樹で出来るのか、針葉樹には出来にくいのか…その理由を容易に知ることが出来なかったので、広島森林管理署に問い合わせてみました。

広島森林監理署

木材腐朽菌についての研究発表をしている文書の中に、「針葉樹はテルペンや樹脂といった抗菌性の抽出成分を多く含んでおり、限られた種類の腐朽菌しか分解することができません。」とのこと。広葉樹は針葉樹に比べて菌に攻撃されやすい、それで樹洞も出来やすいということなんだ…。

カワラタケの木

なるほど…元宇品のような広葉照葉樹林の森の木には樹洞が出来やすく、生物の多様性に貢献しているということか…。確かに、森の中のコジイの倒木にはあっという間に菌(キノコ)が取り付き数年で腐朽していきます。

針葉樹の倒木

一方でわずかにあるヒノキやスギの倒木は年月を経てもあまり腐っていません。


写真からは断崖絶壁を連想します


Facebook船木 威徳さん投稿記事【 危ぶめば 道はなし 】

「この道を行けば どうなるものかと 危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし

ふみ出せば その一足が道となる その一足が 道である わからなくても 歩いていけ

行けば わかるよ」(『道』清沢哲夫 『無常断章』より引用)

しばらく前に、大豆とさつま芋を植えている畑の雑草抜きをしながら、この詩を想い出していました。想い出していたというより、「行けばわかるよ」の部分が、「蒔(ま)けばわかるよ」に自分で置き換えてみて、おもしろくてしょうがなくなって、ひとりで笑っていたのです。大豆など、種まきをする時点で、なぜわかってしまうのか、普段は姿を見ないハトたちが、あの特有の鳴き声でうなるように、私の種をまくようすをうかがっているのです。そして、結果としては、芽を出した大豆の1/3くらいが鳥に食べられてしまったのですが、実際、これは種を蒔いてみないとわからない。事前に鳥がどれくらいの豆を食べてしまうかなどわかるはずもなく、不安になったところで、怖がったところでなんにもならない。

この詩は、昨年亡くなったアントニオ猪木さんが引退式で詠んだ詩のもとになっているもので、清沢哲夫(暁烏哲夫)という真宗大谷派のお坊さんの作です(著書『無常断章』に「道」として収載)。書かれたことばは決して難しいものではないので、だれもが理解できるでしょう。私たちが人生で、これをやってみよう、この道に進んでみようと考えるときには、いつも、もうひとりの自分が「うまくいかないかもしれない、危ないかもしれない、死んでしまうかもしれない…」そう、語りかけてくるものです。それでも、「わからなくても歩いて行ってみよう」と考える人はむしろ少数派かもしれません。ましてや、自分にたいして「行けばわかるよ」などと、ある意味で投げやりなことばをかけてもなお、進める人はさらに少ないように想います。

ここで、私は、ちょうど畑のまんなかにいるときに、これまでと違った理解ができました。「ふみ出せば、その一足が道となる、し、またその一足が道である」のだけれど、私たちが怖くても、不安であっても自分の足で「踏み出し」さえするなら、その先に『私たちの理解や予測をはるかに超えた超自然的な存在から、不思議な助け、智慧、出逢いが与えられることが約束されていることが<わかるよ>』という意味なのではないかと。

私が医師になって10年もした時には、私は現代医療のやりかた、つまりは血圧を下げるのに「薬」、血糖を下げるのに「薬」、感染症を予防するのに、やはり「薬」・・・、と、ただただ数字で測る症状を抑えるために山のような薬を処方し続けることに、なんといえばよいのか、ただ「嫌気がさした」のです。もちろん、食餌療法も指導はしているではないかと、同業者の反論もあるでしょう。しかしながら、どうも、おかしいと感じることがたびたびありました。蛋白をこれくらいに、塩分は1日~グラム以内にといった教科書に書かれた「患者指導」の内容がどうにも腑に落ちない。何十年も前の露地もののほうれん草と、現在のハウス栽培のそれではビタミンも鉄も、まったく量は異なるのに、ずっと同じような指導を繰り返しています。卵も肉も、含有される薬物の量が生産者・地域によって全くと言っていいくらい違うのに、下手をすれば「食べやすいソーセージやハムでもいいので~g摂りましょう」などという話をすることもあります。

先進国(どういう基準でそう称するかはともかく)のなかで、異常に増え続けているガンについても、新しい「治療」法、すばらしい(感じのする)「薬」の話はどんどん出てくるのに、なぜ、こんなにガンが増えているのか、身体を作っている食べ物や、水、空気について、ここ何十年を振り返っても、生活空間でとんでもない量を浴びている電磁波について、(私は、ガンの発生要因として非常に重要だと考えていますが)個々人の人生の考え方、価値観や世界観、人間関係や経済のとらえ方については、なぜか、ほとんど論じられることがありません。

また話が長くなりそうなので、思いで話はひとつだけにしておきます。

私が、医者になって3年目のとき。内科医になることを決め、とくに専門で勉強したかった腎臓病を学ぶために、毎日の仕事は人工透析(血液透析)の患者さんたちの回診から始まりました。当時は毎週のように血液検査を行い、薬を変えましょう、食事はここに気をつけましょう、といった話をして回っていました。そのなかに、検査のたびに「カリウム」が高いことで、医師にかぎらず、看護師からも繰り返し怒られているおじいさんがいたのです。

腎臓のちからがほとんどなくなってしまい、自力で体のなかの毒素を尿として排出できなくなった人は、わずかな量の野菜や果物を摂るだけでカリウムの値が高くなってしまいます。これがあまりの高値をとると心臓が止まってしまうこともあるので、私たちも、とくに食べ物の話には注意を払っていました。ところがある時期から、例のおじいさんのカリウム値がまったくといっていいほど高くならなくなったのです。私は、むしろおじいさんが食事をとっていないのではないかと心配になり、尋ねたのです。すると。

「カリウムが高いときはね、看護師さんも先生もやんやん怒ってくるけど、高くならないと、船木先生以外の人たちはなにも聞いてこないんだよね。おれね、去年から畑を借りてね、仲間と一緒に野菜を作ってるんだよね。そうしたらさ、トマトもキュウリも美味いからね、前より食べちゃってる。だからね、まずいな、検査でカリウムがもっと上がってるんじゃないかって怖かったんだけど、結果はむしろ下がってて、安心したから、畑で採れた野菜は相当食べてるよ。なんでだろうね。不思議だよね。スーパーの野菜を少ししか食べていないときのほうがカリウムが上がっていたっていうのがね・・・。」

自分で作った野菜。もちろん農薬や化学肥料など使わなくても、虫もほとんど食わない、元気な野菜を作る方法などいくらでもあります。そうした野菜を食べて感じるのは、「いのちの力・エネルギー」のようななにかの力をもらっている感覚です。とにかくおいしい。でも、ある程度の量で、満足するのです。身体が「これくらいで充分だ」と合図をしているようにさえ想います。

私が、とにかく面白そうだから、本当に身体にいいもの、うまいものを食べたいからという理由だけで、いろいろな野菜を作り、さらに今年からお米作り、雑穀栽培の勉強も始めたのは、変な薬、化学物質を含まない本来の食べ物を摂るなら、私たちのすばらしくデザインされた身体の能力で、ほとんどの病気を未然に防ぎ、あるいは治療することができるのではないかと感じているからです。

最初はどうやって畑を借りたらいいのか、トラクターはどこで、いくらで買えるのか、あれはどうしよう、これも心配、怖い、不安だ・・・。そんな気持ちでいっぱいでした。でも実際、その先がどうなるかわからなくても、いつかきっと、何十人か、いや何人かの人たちだけにでもいい、うまいものを食べて、元気になって、病気も治った・・・。そう言ってもらえる日がくるんじゃないかと、不安でも、『わからなくても 歩いていけ』そんな想いで、野菜を作り始めてから、必要な時に、ちょうどいいタイミングで、私にはない知識を、私が自覚さえしていない必要な智慧を与えられ、なにより不可欠な、実際に手伝ってくれる人々が現れるのです。あり得ないことが、しかし、実際に起こる。これが「ありがたい」と言わず、なんとひょうげんすればよいのでしょうか。

畑作業は、そのほとんどは私ひとりで行います。今日のような夏の日差しのなか、雑草抜きを続けるだけでも、頭がぼーっとして倒れそうになります。真夏の昼下がりは、人の声も聞こえず、しーんとしたところでひたすら、作物の根元に割って入ります。

でも、周りが静かだからこそ、作物はもとより、雑草さえ、語り掛けてくるように感じます。大豆やさつま芋、名前も知らない雑草さえ、私が触るのを喜んでくれてるような感覚をもらいます。そして、雑草抜きをすると土のなかからカエルも出てくるし、羽虫も飛びやすくなるので、ツバメやカラスも寄ってきます。あらためて、生きているものたちが、みんなで、教えてくれているように想います。

「・・・ふみ出せば その一足が道となる その一足が 道である わからなくても 歩いていけ 行けば わかるよ」

私自身、なぜ、自分が文字通り汗だくになって、野菜を作っているのか本当のところはわかりません。ですが、私の限界のある頭のなかで、目的や未来をあれこれ考えるよりも先に、『わからなくても 歩いていけ 行けば わかるよ』と信じられるようになった自分がいることが、単純にうれしく、「ありがたい」ことなのだと覚えるばかりです。

※写真は栽培中のさつまいも、大豆、勉強させてもらっている雑穀(ヒエ、アワ、キビ、ハト麦など)、無農薬・無化学肥料での栽培を勉強している田んぼの様子(写真はお借りしました)。

(ふなきたけのり 2023/08/11)


https://pw-vives.com/inoki-michi/ 【【永久保存版】猪木引退スピーチ全文「この道を行けばどうなるものか」名言の元ネタは?】より

アントニオ猪木の引退スピーチといえば「この道を行けばどうなるものか」が印象的な詩、『道』を披露したことで有名です。今回は猪木引退スピーチ全文と『道』の元ネタを考察!

「この道を行けばどうなるものか」『道』元ネタは?

『道』

この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば

その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

アントニオ猪木

このアントニオ猪木自身の生き様を表現したともいえる『道』は自身の引退スピーチで披露されました。猪木著書の詩集では一休禅師の言葉であると記載されており、元ネタは一休禅師として広まりましたが、実は猪木の勘違い!本当の元ネタは清沢哲夫という哲学者の詩が元ネタで、清沢哲夫著書『無常断章』に掲載されています。

『道』

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし ふみ出せば

その一足が道となる その一足が道である わからなくても歩いて行け 行けばわかるよ

清沢哲夫

猪木の『道』と清沢哲夫の『道』はほぼ一緒ですが、「わからなくても歩いて行け」の部分を「迷わず行けよ」に猪木流アレンジをしています。

猪木引退スピーチ全文

1998年4月4日に東京ドームで行われたアントニオ猪木引退試合後のスピーチは素晴らしく、『道』朗読前の「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います」という言葉も名言です。

以下に猪木引退スピーチ全文を書き起こしました。

https://www.youtube.com/watch?v=6Nydpx0lL_8

私は今、感動と感激、そして素晴らしい空間の中に立っています。

心の奥底から湧き上がる、皆さまに対する感謝と熱い想いを止めることが出来ません。

カウントダウンが始まってから、かなりの時間が経ちました。

いよいよ今日が、このガウンの姿が最後となります。

思えば、右も左もわからない一人の青年が力道山の手によって、ブラジルから連れ戻されました。

それから、38年の月日が流れてしまいました。

最初にこのリングに立った時は、興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆さまの前で、最後のご挨拶が出来るということは本当に熱い思いで言葉になりません。

私は色紙にいつの日か『闘魂』という文字を書くようになりました。それを称してある人が『燃える闘魂』と名付けてくれました。

闘魂とは己に打ち勝つこと。

そして、闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。

最後に、私から皆さんに、皆さまにメッセージを贈りたいと思います。

人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。

この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば

その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

ありがとー!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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