Facebookさとうみつろうさん投稿記事
「リベンジ消費」という造語を昨日初めて聞いて、笑ってしまった。まずは、知らない人のために。コロナで2年間、国民の「消費」がストップした。本当だったら「海外旅行」に行っていたお金、本当だったら「居酒屋」で騒いでいたお金、例年だったら「デパート」へ行っていたお金。そんな「本当だったら使っていたお金」が、国民1人当たり16万円あり、それが銀行の「貯金」へと回った。
その額なんと、20兆円!その「うっぷん」を晴らすように、【リベンジ消費】が起こっているそうな。公務員に電力社員、大手企業。コロナでも安定的に収入があり、「例年なら使うはずだったお金」が手元に貯まってしまい、高級外車が飛ぶように売れているらしい。
そんな造語が【リベンジ消費】いやいやいや(笑)よーくよーく論点を整理してみよう(*'ω'*)
うっぷんを晴らしたいのは、誰に対してなのか?
コロナはもちろん正体不明だし、誰かが仕組んだ訳でもない。
だから、そこに「やり切れない思い」が募ったのも分かる。
じゃあ、どうして「我慢」させられたのか。どうして、ANAには乗るな!と言われたのか?
どうして、フェスをするな!と言われたのか?どうして、ステイホームだったのか。
それは、この「社会」を守るためである。この「社会」とは何か?
もちろん「資本主義社会」である。 流通を止めたのは、この資本主義社会を守るためである。ステイホームを徹底したのは、資本主義社会を守るためである。
僕らが2年間、「我慢させられた」のは、【資本主義】という社会を守るためだ。
じゃあ、そのうっぷんを晴らすのは?リベンジすべき相手は?当然、「資本主義」に対してである。それを、「リベンジ消費」とは何事か、と(笑)!!!!!
「消費」とは資本主義の最初の歯車である。!!!!!
敵にリベンジしたいのに、敵がもっとも喜ぶ「消費」をしちゃってどうする。
資本主義とは、「買いなさい主義」である。だから、そこに対抗するには、「買わない主義」=「生産者」へ回ればいい。「買わないこと」が脱資本主義なんだから。
そこで、またもやいつも通りの話しで恐縮ですが、田舎や地方に「畑」を買うことを勧める。
または、「古民家」を地方に買うことを勧める。もちろん、最初は不動産を「買う」のだから消費だけど、それは、生産者側へ回る第1歩になる。脱・資本主義への第1歩になる。
少なくとも、・高級時計・海外旅行へのリベンジ消費とは、性質がまるで違う。
このFBを読んでいる人にも、公務員や弁護士や医者がいっぱい居る。
ぜひ、リベンジ消費したいなら、地方に畑や古民家を買ってみませんか?
高級外車を買うお金よりも少額で、「確実にリベンジ」出来ますよ(*'ω'*)
僕らが真にリベンジしたいのは、「消費(させられ続ける社会システム)」に対してなのだから、 作る側へ、回ろう。生み出す側へ、回ろう。
消費者から、生産者、創造者へシフトしよう。
その第一歩に、ぜひ田舎の不動産HPを見て欲しいm(__)m
※別に田舎の回し者じゃないす
※この投稿はシェア自由です
※特別協賛:田舎不動産連合会
(笑)
https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12704473973.html
https://www.youtube.com/watch?v=uirDEeSjdCQ
Facebook長堀 優さん投稿記事
「感性論哲学」を提唱される思想家、芳村思風(しふう)先生の昨日のご講演からです。
「これからは、民主主義ではなく、『互敬主義 ごけいしゅぎ』つまり、互いにリスペクトし合い、与え合う、そんな社会のあり方が必要になってくる、
民主主義や自由主義は、一見公正に見えるが、じつは、皆の意見を聞くという手続きが必要となる、その過程では、声の大きな人が勝つ、そして、謙虚な人が譲るということが起こるのだ、また、相手の欠点を突いて攻撃したり、自分に有利なことを主張するようになったりする、そのような態度からは調和は生まれない、
さらに、そのような社会では、金を多く持つ人が偉い、と評価される。
しかし、そもそも金は貯めるものではない、金は本来、回すことで社会にエネルギーを循環させるのだ、溜め込まれたお金は朽ち、役目を果たすことができなくなる、これからは、互いに尊重しあい、与え合う『互敬主義』が必要になる、完璧ではない、欠点を持つもの同士が、うまくやっていける唯一の方法が、この『互敬主義』なのだ。」
このお話は、昨日、世田谷観音堂で行われた「哲露秋の会〜君に生きる意味を問う〜」で語られました。主催は、親友の建築家、北澤修さんこと修ちゃんでした。
この会では、芳村思風先生に加え、思風先生の盟友である行徳哲男先生が、ご講演されました。
「感性の大元は愛である、これまでは、知識や理性が尊重されてきた。しかし、それだけではなく、理性と感性のバランスを取ることが、この世で生きていくためには大切なのだ」
思風先生が一貫して説いてこられた「感性論哲学」は、今、あちこちで同じようなことを多くの人が語るようになりました。
今のこの時代を先読みしていたのは、間違いなく思風先生です。でも、先生は、驕ることなく、常に謙虚で穏やかです。
行徳哲男先生は、昨日、いみじくも語られています。「思風先生の名前は世間的には知られていない。でも、無名だからこそ力強いのだ。有名は無力なのである。」この一言こそが、思風先生の真実をついていると思います。
名を売るために、自らの主張を変え、自由を失っていった人がどれほど多いことでしょうか。
思風先生は、さらに語ります。「なんのために死ねるのか、その理由を探ることこそが、生きる意味なのだ。」死と向き合うことが無くなってしまった現代社会を憂うがゆえの、思風先生の提言は、重いものがあります。
じつは、この世田谷観音堂には、二体の特攻平和観音尊像があります。
その胎内には、生還を期することのない特攻作戦に志願し若き命を捧げた特攻隊員、陸軍側2000柱、海軍側2615柱の英名が、捧蔵されています。
今回のご講演は、この特攻観音尊像の前で行われました。
拙著「日本の目覚めは世界の夜明け」にも登場していますが、主催の修ちゃんは、私を特攻基地のあった鹿児島県の知覧に導いてくれた恩人でもあります。
知覧の旅は、不思議な偶然に溢れていました。
その知覧で、私が強い衝撃を受けたのが特攻隊員、上原良司少尉の遺書でした。
「きけ、わだつみのこえ」の冒頭にも引用され、上原少尉が「日本はこの戦争に負ける」と大胆に書き記した遺書こそが、私の本のモチーフになったのです。
昨日、この特攻観音尊像の前で、修ちゃんと並ぶことに大きな意味があったのでしょう。
思風先生のご講演のさなか、修ちゃんが突然閃いたかのように、私に最後の一言をお願いしたい、とヒソヒソと依頼してきたのです。
偉大な二人の先達の後を受けるのはあまりにも重い責務でした。しかし、言葉はヒソヒソでも、修ちゃんの気迫に、とても私は断れないものを感じたのです。
この後、覚悟を決め、さらにお二人の話を聞いていきました。
すると、生死一如と日本人、武士道精神と特攻隊員の志、さらには、大きな分岐点を迎えた世界における日本人の役割など、私がいつも話していることと一本につながることに気づきました。
おかげさまで、短い時間ではありましたが、大切なお役目を無事果たすことができたようです。ホッとしてます。
修ちゃん、来年の3月27日に知覧を訪れ、開聞岳に登ることが決まったそうです。またまた凄いことが起こりそうです。
ところで、2009年に、同じ世田谷区内にある大きな公会堂で、「愛ある医療」というシンポジウムが行われました。修ちゃんと初めて会ったのはこのイベントでした。
私の今の活動の原点とも言えるこのイベントを仕掛けたのが女性デュオ、コクーンさんのお二人とマネージャーの雨宮さんでした。今回、この仲間とも久々に会えました。
あれから10年、いろいろなことがありました。
コクーンのメンバー、本多裕子さんのお嬢さん、佐々木心音さんは、今やシンガーソングライターとして、そして女優として、映画や舞台で大活躍されてます。
私も、まさか今のような活動をしているなんて思っても見なかったのですが、昨日は、その原点に戻った感じです。
午後は、本多裕子さんのご実家に立ち寄り、料理の先生であるお母様の心づくしの手料理を楽しみながら、時の経つのも忘れ、当時の思い出を語り合いました。
この先も、チームコクーン、そして修ちゃんとの関係は続いていきます。ご縁に感謝です!
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